「壊れた鎖」
魔女の一言は、エリーの思考を惑わせるようなものだった。
その発言に気を取られている最中、呆けていたエリーが我に返らせたのは、単発とした銃声の音だ。
時間が止まっていたかと思えば、次に周囲の空気はガラリと変わってしまう。
重苦しい束縛の空間は、不思議と軽くある。
それもそのはずだろう。
この空間に張り巡らされた鎖が、この時、完膚なきまでに破壊されたのだから。
呆気に取られていたエリー。その星の瞳に映ったのは、少年と、床に横たわる母親の姿があった。
母親の腹部から鮮血がとめどなく溢れてくる。
先ほどの銃声を頭は思い返し、目は少年の手にあった銃にへと向く。
銃口には、撃ったばかりと強く主張するn一言は、エリーの思考を惑わせるようなものだった。
その発言に気を取られている最中、呆けていたエリーが我に返らせたのは、単発とした銃声の音だ。
時間が止まっていたかと思えば、次に周囲の空気はガラリと変わってしまう。
重苦しい束縛の空間は、不思議と軽くある。
それもそのはずだろう。
この空間に張り巡らされた鎖が、この時、完膚なきまでに破壊されたのだから。
呆気に取られていたエリー。その星の瞳に映ったのは、少年と、床に横たわる母親の姿があった。
母親の腹部から鮮血がとめどなく溢れてくる。
先ほどの銃声を頭は思い返し、目は少年の手にあった銃にへと向く。
銃口には、撃ったばかりと強く主張する硝煙が揺らめいていた。
少年は、母親を撃った。それがこの場の現状であり、真実だ。
「……っ、ク……ロト?」
撃たれた母親は死への感覚よりも、どうして撃たれたのかという疑問が勝っていた。
理由がわからず、虚ろな目が愛しの我が子を見上げる。
しかし、返ってくるのは母親を蔑む冷たい目だ。
少年の目にこれまで抱いていた母への愛情は微塵もなく、代わりに憎悪だけが残っていた。
「なんで? それはこっちのセリフなんだがな……」
「……?」
「アンタは俺を自分のためだけにこんな所に閉じ込めてたんだろ? ご丁寧に鎖まで繋いでさ、満足だったかよ?」
「……違う……っ。母さんは、クロトが大事だから……っ。あの人みたいに、いなくなってほしくないから……っ」
我が子に冷め行く手を伸ばす。
だが、その手を阻むように、少年は更に言葉を放つ。
「それが自分のためなんだろ? ……俺はこんな所から出たかった。出たくて……っ」
銃を握る手が強まる。
それは少年の怒りを物語ってすらいた。
少年がどれだけこの部屋から出たかったか。自由を求めたか。
堪え続けた少年の押し殺していた憎悪があふれ出し……途端に、少年は熱が冷め疑問を浮かべた。
「……なんで、今まで出ようとしなかったんだ? 俺」
少年をこの場に繋ぎ止めていた感情の鎖。その鎖と、足に付けられていた鎖はすっかり壊れてしまっている。
抱いていたこれまでの肉親への【愛情】が抹消しゼロにへとなった少年に、母への想いなど無に等しい。
これが少年の【願い】がもたらした結果だ。記憶はあるのに、どうしてそれまで好意を向けていたのか、その意図が少年にはわからずにいた。
「――俺にアンタは必要ない」
その決別の言葉に母親は酷く絶望した。
母親にとって、少年だけが支えであった。その支えが崩壊し、我が子に執着していた心すら壊れ果ててしまう。
絶望だけが押し寄せ、愛おしい子の冷たい眼差しを最後に、母親はついに息を引き取った。
少年の……クロトの犯した最初の罪。その現場に、エリーは言葉を失ってしまった。
だが、本当はわかっていた事だったのだろう。
クロトの【願い】と、この現実は以前にも聞かされていたものだ。
ただ、その現場を見届け、知っていたとしても漠然として頭が追いつかなくなってしまう。
音が消える。静寂で、なにもない虚無感。その間に、おもむろに少年は喉を鳴らす。
そして、途端に盛大に笑い出した。
あの時の、無垢な少年の笑みではない。
何かにとりつかれた様な。残虐な悪魔の様に、エリーは身を強張らせた。
「ハハッ! やっと……やっと自由だっ。なんで今更になって気づいたんだっ。最初っからこうしておけばよかった。いらねーもん全部捨てて、楽になればよかった」
自由を手にした少年は、嬉々をさらけ出す。
疑問でしかない過去の記憶。それすら足蹴にして、少年は今が人生で一番だとすら思えていた。
殺した親を前に。この状況に不釣り合いな、少年の喜びにエリーは賛同することができない。
「……クロト……さん?」
呟くように、エリーは名を呼ぶ。
すると、クロトはそれに気付いたのか、ピタリと静まり、エリーにへと顔を向ける。
何処か不思議と、キョトンとして。
「……アンタ……まだ居たんだ。ホントにどっから入ってきてるんだ?」
何故またこの場にいるのか。それが不思議なのだろうが、エリーとしてはそんな事はどうでもよかった。
戸惑うエリーの視界は、クロトと母親を何度も行き来してしまう。
「クロトさん……、その人……は」
尋ねる言葉に、クロトはゆっくりと母親を見下ろす。
あの時のクロトなら、きっとウチに恨みを抱えていたとしても、母親の無残な姿には涙した事だろう。
しかし、その影は一切ない。
あれほどまでに想っていたはずが、今では冷めた目しかできず、涙の一つも流さない。
それどころか、平然と軽口を放つものだ。
「ああ。ただの他人だよ。……アンタも知ってるだろ? 俺を閉じ込めた奴だよ」
エリーの脳裏に、以前のクロトの姿がよぎる。
母親と接触しようとすれば、それを拒み、しがみつき涙しながら必死で止めようとした姿が。
もはや見る影もない。クロトは、この結果をなんの躊躇いもなく、心から肯定していた。
「なんでもっと早く気付かなかったんだろうな……。こんな簡単な答えに」
「…………何がですか?」
ようやく難問が解けたと言わんばかりのクロトに、エリーは問いかける。
クロトは不敵な笑みを浮かべると、当然のように答えた。
「誰かを想うなんてくだらない感情を捨てれば、こんなにも楽になれたって言ってるんだよ。所詮自分以外はただの他人でしかない。他人のためなんて馬鹿な考えは必要ねーんだよ。……過去に戻れるならそんな馬鹿な自分を殺してやりたい気分だ。その感情は間違ってるってな」
何処かで聞いたことがあるようなものだ。
最初に会ったクロトもそうだった。
他人に向ける気遣いなどなく、ただ自分のためだけと他者を無下に扱う。
此処から始まった。魔銃使いとしてのクロトの人生。
こんな幼い時からクロトは魔銃使いとして生きる事を選んでしまっていたのだ。
「俺はこれでもう自由だから、アンタも勝手に出て行ったらどうだ? 邪魔さえしなければ、アンタまで殺す意味ねーし」
そう言って、クロトはこの部屋から出ようとする。
今のクロトが部屋から出る事は、悪夢から出る事になるのだろうが、何か違和感を感じられる。
此処は悪夢の終点だ。クロトはこの場を何度も経験している。
――なら、どうして何度も繰り返しているのか?
鎖はない。クロトを悪夢に繋ぎ止める鎖は、この場にはもうない。自ら壊している。
このまま出たとしても、無事に悪夢が終わる気がしない事に、エリーは気づいた。
何かがまだ足りない。
何かがまだクロトを悪夢に繋ぎ止めている。なら――
扉を開けようとしたクロトの手が止まる。
扉とクロト。その間を阻むように、エリーが立ちふさがっていた。
「……アンタ、なんのつもりなわけ?」
氷のような冷たい目が睨む。
臆する気の迷いを堪え、エリーはその場を動かない。
「……ダメ……です」
「は?」
「今出ても、きっとクロトさんは此処から出られない、から……。私は、クロトさんにもう繰り返してほしくないっ。だから、まだ此処を通ってもらっては……困りますっ」
この場が本当に終点なら、次に待ち受けるのはふりだしだ。
ニーズヘッグが作った、最もクロトに近く、鎖を壊す事のできた終点。この場でどうにかしなければ、同じことの繰り返しでしかない。
解決策が早々思い浮かぶわけでもないが。この扉をただくぐるだけではなにも解決しないだろう。
「わけわかんねー。アンタはいっつもそうだ。……それとも、アンタも俺を自由にしたくないわけ? 俺にずっと、こんな場所にいろって言うのかよ!?」
「違いますっ。私はクロトさんを助けたくて……っ」
「――うるせぇーんだよ!!!」
怒号と共に、銃弾が放たれエリーをかすめる。
「俺のため俺のためって、アンタもあの女と同じこと言いやがる! そんな好意は偽善なんだよ!! アンタの意見を俺に押し付けるなよ……っ。そんなもんは、もううんざりなんだよ!!」
撃たれた事に動揺しよろめいたエリーを強引にどかす。
床に身を打ち付けるも、エリーは扉を開けようとしたクロトを阻む。
「ダメですっ、クロトさん!」
力任せにエリーはクロトにしがみつき、そのまま床に抑え込む。
抵抗と抵抗がぶつかり合う。
「放せよ!! どけ!」
「ダメですっ。落ち着いてくださいクロトさん」
「どいつもこいつも……邪魔ばっかりしやがって……っ!」
押さえ込むエリーに銃口が向く。
身に押し付けられた銃口に、エリーは撃たれると目をギュッと閉ざす。
直後。銃声が室内に轟いた。