「見た事実」
それからしばらく時間を過ごし、再び少年に眠気が訪れる。
「ふっ……、あぁ~……。やべ。もう深夜か……」
「あっ。クロトさん、寝られますか?」
颯爽と声をかけると、エリーは床に正座し、少し期待した様子で自身の膝をポンポンと叩く。
キラキラとした星の瞳に、少年はわずかに身を遠ざける。
「……なんのつもりだよ?」
「ですからっ、寝辛いならこちらへどうぞ」
懸念を抱く眼差しなどエリーは跳ねのける様で返答。
それはつまり膝枕を強要しているようにしか見えず、少年は額に手を当て考え込む。
「あのなぁ。なんかアンタ……、無駄な事に積極力ありすぎじゃないか? 今日初めて会った奴の膝借りるとかそんなの……」
子供とはいえ異性という事を一番に少年は悩んでいた。
異性でなくとも会って間もない者に抵抗がでないはずもなく……。
しかし、エリーはクロトの寝付きの悪さを知っている。このままベッドに潜ったとしても寝付くまでには時間がかかる事だろうと見越し、更に少年を誘う。
「ふっふん。試しに使ってみてくださいよクロトさん。よく眠れるとお約束します」
「……どっからそんな自信が?」
さすがにいつも抱き枕として利用されているなどとは誇って言えない。
ならばとエリーは少し盛って語る事とする。
「私の膝はぐっすり眠れる魔法があるのです!」
「ま……魔法?」
「そうです! ですので、さあっ」
「んな無茶なもんでできるかっての! ……ああ、もういいっ。俺はもう寝る!」
と。少年はベッドに潜り込んでしまう。
逃げられた事に、エリーの脳裏には触れようとした小動物に逃げられた時がよぎってしまい、正にその気分である。
寝心地に関しては本人が証明しているというのに。自信はあっても当の本人に断られてしまえばそこまでだ。
しょぼん、と。エリーは気落ちしてしまい、ただ静かにベッドを眺める。
やはりどうしても寝辛いのか、もぞもぞとくるまったシーツが動く。
無事に寝付けるだろうかと心配になると、その動きがピタリと止まった。
途端に、シーツ隙間から少年が顔を出し、こちらを仏頂面で見る。
「そういえば、……いつまでアンタは此処にいるんだ? 親に迷惑かけるなよ?」
「……えっと。そう、ですね」
苦笑して返答。
しかし、帰る家もないためどうしようもない話だ。
心遣いはありがたくもある。気を害するような事は言わぬ様エリーは心掛けた。
それでも、曖昧な対応のせいか、少年の表情がどこか暗くも見える。
何かまだ気掛かりがあるのやもしれない。
「どうかされましたか?」
「……いや。まあ、もう夜遅いし、無理に帰れって言うのは確かに良くないな」
「でも、確かに勝手にお邪魔して、こっちの方が悪いですよね。あはは……」
「どっから入り込んだかは知らないが、朝になったら帰るんだな」
「そ、そうさせていただきますっ」
とりあえず、此処はその流れで話を進めようと考えた。
あまり不信感を抱かれては行動にも支障が出てしまうのだから。
事を荒げず、今は少年が寝付くのを待つ事を願う思い。
それから、また少年は目を細め、ぽつりと呟いた。
「帰った方がいいよ。……本当に」
その言葉に、エリーはふと首を傾けた。
少年の、此処にいてほしくないという意思。前回とは違う。いや、前回はもしかしたら言えずにいただけかもしれない。
そして思い出す。少年は母親に存在を知られぬ様にと、自分を隠した事を。
同じことを今回もエリーは体験しており、やはりおかしいと違和感があった。
「さっきも、そんな感じでしたよね? 何か危ない事があるんですか?」
此処にいれば危険がある。そう感じ取れる。
質問に少年はしばらく言葉を詰まらせる。よほど言いづらい事でもあるのだろうか。そう聞くことを諦めようかとも思えたが、同時に少年が口を開く。
「――殺されるから。…………母さんに」
それは、耳を疑うものだった。
あの、少年を大事そうにする母親の姿が頭に浮かぶ。とても誰かを殺める様な恐ろしい存在ではないと、エリーは何かの間違いではないかと心で呟く。
「ど、どうしてですか? すごく、優しそうな人でしたよ……?」
疑問は言葉となって出てしまう。
追究に少年の発言は弱くあるも、その理由を口にした。
「……この前、一人死んだ。使用人の一人が、俺に怪我をさせて……でも、わざとじゃないし、俺もちゃんとわかってる。その時は、退屈で、家の中をうろうろしてたのをよく覚えてるし。……むしろ、俺が使用人の邪魔をしてしまったんだ。…………でも、母さんが」
シーツを握る手が、心なしか震えていた。
瞳は見開いたまま揺れ、少年自身もそれが事実だったのか、実は何かの間違いがあるのではないかと、自身の言葉を疑う気持ちが揺らいでいた。
それでも、あった事、見た事を少年はぽつぽつと途切れながらも語る。
「母さんは、その使用人を辞めさせたって言った。…………でも、本当は、違う。だって、俺は見たんだ。……母さんが出てきた部屋の中を。その使用人が、血まみれで……っ、死んだ目が、こっちを見てて……っ」
動悸が激しくなり、少年は苦し紛れに事実を告げるも、それが限界に達したのか、少年は呼吸を荒げ、心折れそうな心情を押し殺そうとする。
それは、見るに堪えない、少年の見てしまった信じがたい事実。
エリーは震える手をそっと撫で、少年の話を打ち切った。
「……っ」
「……もう、いいです。クロトさん。頑張って話してくれて、ありがとうございます」
今にも泣きだしてしまいそうな少年の心痛む疑わしき真実。
心の何処かでは母親がそんな事をするわけがないと、信じてもいるのだろう。その分、見た真実とは少年には酷なものだ。
エリーもその事は認め切れない。だが、少年が言うのだ。クロトも、嘘を付くような人間ではない。エリーはこの話を信じることを強く自分に言い聞かせた。
「そんな辛い顔、しないでください。大丈夫です。今はゆっくり休んでください」
「……ああ、わかった。……アンタもわかったら朝に帰った方がいい。……できれば、二度と来ない方がいい」
少年の助言に、エリーは静かに頷き安心させる。
少年は落ち着いてから再び寝付こうと横になる。寝付くまでは隣でエリーが付き添い、寝付くにはしばらく掛かった。
静かに寝付く事を確認すれば、エリーは部屋の中心に立って周囲を見渡す。
前回も部屋は一通り確認している。生活できる設備はある。隣にあるであろう部屋への扉は硬く閉ざされ開くことはない。窓もない。やはり、唯一の出口はあの扉一つしかない。
エリーはその扉に向かおうとするが、自然と足が止まった。
まるでその先を拒むかのように止まる足。前回もその扉の前で意識が途絶えた。
何かに襲われたという感覚。その正体が、もしもエリーの想像したものだとすれば……。そう思うだけで、エリーはその扉を選ぶことができない。
同じことを繰り返さぬ様に、別の道を考えようとエリーは少年の方にへと向き直る。
そして、シーツをそっとめくり、あるものを確認した。
それは少年の片足に繋がれた足枷だ。
「……これをなんとかすればいいのかな? この子がクロトさんじゃなくても、私はこの子も助けてあげたい」
例え悪夢による過去の存在だとしても、この様子を見なかった事にはできない。
何とかして外せないか。そう考えてエリーは足枷にへと手を伸ばす。
触れるか触れないか。指先が足枷の冷たさを感じ取ると同時。その伸ばした手が、急に捕らえられた。
「……!」
「……何してんだよっ、アンタ!!」
少年は眠っていたはず。その少年がまるで触れられぬために起きた様子でいた。
表情は険しくある。よほど足枷に触れられる事が嫌だったのか。それとも、そのあられもない存在が取り付けられている事を知られるのが嫌だったのか。
それなりに会話もしていて警戒されていないと思えていたが、少年の警戒心は完全に解けていなかったのやもしれない。
掴まれた手を振り払われ、少年はシーツでその足枷を遅れて隠す。
「ク、クロトさん……っ。その、……その鎖」
「関係ねーだろ!! ……アンタには、関係ない」
関係ない。そうかもしれない。
エリーはあくまでこの世界では部外者だ。関係などないだろう。
しかし、見てしまった以上、見過ごすこともできない。
いつかはその問題に触れねばならなかったはずだ。それが今なだけである。
「でも、変ですよ。此処はクロトさんの家で、……なのにそんなもので繋がれて。おかしいですよっ」
自身の家で。このような寂しい空間に閉じ込められ。それだけでなく鎖にまでも繋がれている。
最初にも聞いた。少年が、この枷を壊そうとしていた音を。
本当は少年だって気付いているはずだ。こんな事は間違っている、おかしいのだと。
そうでなければ、その枷を壊そうとなど思わない。
「……うるさい」
「でも、クロトさん。クロトさんも、此処から出たいんじゃないんですか?」
「…………違う」
何が違うのか。矛盾したその言葉に、エリーは問い詰める。
「クロトさんは、ずっとこんな暗い場所にいたいんですか? そんなはず、私はないと思いますよ?」
「――うるさい!! なんで他所のアンタが気にするんだよ! 勝手に入ってきて、勝手な事言って……、俺は…………俺は……っ」
その先は、すぐには出なかった。
まるで何かが本音を塞き止めているのか。
……そして、また聞こえた。金属の絡む音。――鎖の音が。