「山頂に潜む影」
魔女を探すクロト。ネアから聞いた【神隠しの家】に向かった二人は雨宿りを兼ねてその家で休む。
友に過ごす時間はクロトに違和感を与えた。
クロトに好意を抱いてしまったエリー。その感情は魔銃使いの怒りを買う。
青い空。蒼天には幾つも白い雲を浮かべ天高く飛ぶ鳥が視界を通り過ぎていく。
岩に腰掛け、じっとそれを見上げるのは一人の男性だ。
「……そのうち、ひと雨来ますね」
どこの空にそんな要素があるのか。男はぽつりと呟くとそばで立っていたもう一人の男性がバッと振り向き「なに!?」と予想外なことに少し動揺を示した。
こちらも二十歳を超したほどの男性だ。
言葉に動じたのは眼鏡をかけた男。呟いた者と同じように空を見上げ顔をしかめて言葉の意図を探る。
どう見ても雨の降りそうな空ではないのだが……、
「なら雨を凌ぐ準備をせねばな。……お前も手伝え」
「――お断りします」
眼鏡の男性は支度しようとしもう一人の男性を呼ぶ。まだ寒くもない時期に悠々とマフラーを巻いた男性。しかし、マフラーの男は空を眺めたまま即拒否。
眼鏡をくいっと人差し指で上げ直し再び声をかけようとするが、マフラーの男に先手を取られる。
「私は雨など気にしませんので。キミがそうしたいならご自分でどうぞ」
「……お前なぁ」
「ほらほら~。早くしないと間に合わなくなるかもしれませんよぉ?」
「~~っ。わかったっ。じゃあ、お前はそこで待っているのだぞ?」
「は~い♪」
陽気と子供の様な返事をしそれでも顔は空を見上げたまま手だけをひらひらと振る。
呆れつつ眼鏡の男は拓けた山頂を下っていった。
姿が見えなくなる頃と同時にマフラーの男はようやく首を戻し岩の上で高い身長を立たせる。
山頂なこともあり岩の上から見渡せば山の麓ほどまでが一望できる。
遠くを見るように目の上に手を添え……男は微笑した。
「珍しいですねぇ、このようなところに。それに、とても面白そうな気配がします。……これは楽しい予感がしますよぉ」
◆
クロトたちは再び人気を避け進み続ける。
今二人が向かおうとしているのはネアから得た情報による、魔女が出没するとされた【神隠しの家】だ。
いずれは姿を現すと思われる魔女。だがクロトにはそれを待つ余裕などないらしくエリーを連れながらその存在を追っている。
西と南の大国境界。山脈により隔てられた二つの大国にとって外側にへと位置する森にそれはあるとされている。外側なこともあり国の目も届かず付近にはあまり人が寄りつかない。
最短距離を目指そうにも、二人の前には大きな山脈がはだかっている。それでも山を一直線に超えるのが最もな最短ルート。
――の、はずなのだが……。
『いい? クロト。山を越えるのが近いんだけど、超えずに下道から迂回しなさい』
『はあ? なんでだよ?』
『あの山、なんかおかしいのよ……。魔物の気配が山頂に行くほど少なすぎるの。……それに、――嫌な気配がする。近づかない方がいいわ』
と、半魔のネアに別れ際で忠告をされてしまっていた。
しかし、ただ忠告されただけでクロトもルートを変えることは早々にしない。話だけでそれが事実なのかも確かではない。ネアの気がかりな言葉も気がかりであり、クロトは安全そうな麓にエリーの身を隠し安全確認のため一人山頂の様子を見にきていた。
エリーは当初の位置から動いていない。もし動きあれば魔銃で確認できるがクロトは迅速に行動を進めていく。
「……確かに、無駄に魔物の気配がないな。それどころか……」
自然は豊かなものだ。なのに鳥から虫のさえずり一つもしない。異常な静けさがそこにはあり不気味でもあった。だが、まだそれだけである。この程度なら迂回する必要性など何処にもない。
更に山頂を目指し登り続け、ようやくクロトは木々に紛れながら山の上を見ることができた。山頂は拓けた場所で広々としている景色が見える。しかし、それと同時にドクリと心臓が跳ね動いた。思わず胸を押さえつける。いったいなにに体が反応したのか、その反応はどういったものだったのか。
――悪寒がした。嫌な気配。澄んだ景色に紛れ、それは周囲にへと放たれているように感じられた。
ネアが言っていた「嫌な気配」とはこのことだろう。視界では全くそんなモノは感じられない。いったい何処からそれが放たれているのかと視界を巡らせる。
そして、それは拓けた山頂の中心にあった。
黒い影がある。それは人の形をしており、こちらに背を向け座るにはちょうどいい岩で草を手で弄りつつほくそ笑んでいる。体長は大の大人ほどの長身。その存在一つがこの緊迫とした場を作っているにしては不自然な気もした。
行動は威圧を放っているモノとは異なり、ただ休憩をとっているだけの仕草。敵意など持っていない素振り。それなのにそれは周囲を圧倒している気を放っている。
清々しい外見。獣のような威圧。なにも理解できない常人なら見過ごしてしまうような内と外のかけ離れたもの。
これまでの経験からクロトにはそれが酷くわかる。その背からは自分を超える臭いすらも漂わせていた。
――血生臭い悪臭が、その人の形をしたモノからは感じられた。
「……ひとつ」
ふと、それはポツリと小さく呟き弄っていた草を手放す。
微かな動きにクロトは警戒しつつ樹の陰からそれを眺め……。
――その時、視界に一寸の光が煌めき……。
それは刹那に行われたもの。
クロトがいたはずの木々の群れが、その時一瞬にして両断されなぎ払われたのだ。
瞬時に体を後ろにへと傾けたクロトはそのまま風圧に飛ばされ斜面を流れる幹に紛れ転がり落ちる。幾つもの木が雪崩のように斜面を流れ地響きをあげた。
下方に生えていた大木にへと体をぶつけ止まった時、クロトは見開いた両目を塞ぐのに時間をかけた。
切り口はどれも綺麗なもの。切断されたのはどれも太い幹であり一瞬にして行うことは不可能である。それをもし、先程の影がしたとなれば有り得ない。なんせあの影はあの場から一寸たりとも動いていないのだから。
それも確実にクロトを狙った一撃だった。
クロトの首には木々を切断した一撃のかすり傷があり血を垂れ流している。すぐに塞がるも事実は変わらない。避けていなければ、首を切断する予定でもいたというのか……。
この山が異常な原因。それは確実にあの存在だ。正体不明なそれに背を見せるのはプライドにかけるが、あんな素性もわからず危険なモノとことを構えるのはよい判断とは言えない。
エリーを麓に置いて行き時間も経つ。クロトは悔しくも一度山を下りることを決意した。
「……おや? 今の避けられちゃいましたか。なかなかよい反応をされますねぇ」
山頂にいた黒い男は岩の上で立ち上がると山の周囲を見下ろす。
「一人……、いや、二人ですか。先ほどの子は急いで麓に戻る様子ですが……、ちょうどお暇してましたし、暇つぶしでもしますかね♪」
◆
「……はぁ。クロトさん、遅いですねぇ」
茂みに囲まれ、エリーは膝を抱えながら一人呟く。
クロトに言われたのは「此処で待ってろ」ということだけでありそれ以外にはなにもなかった。
なにかあるわけでもなく、エリーは暇を持て余し草木に触れる。
長い雑草を摘んではくるくると回しその動きを眺めるもすぐに飽きてしまいそっと地にへと戻す。
なにかないか。なにかないか。と、幼い瞳は同じ景色を何度も眺め、肩を落とした。
「……はぁ。一人なのは嫌ですね……。クロトさん、早く帰ってきてほしいなぁ」
「――でしたら、私とお話などいかがですか? 可愛らしいお嬢さん」
唐突に聞き慣れない声に誘われたエリーはふと自身を覆う影を見上げた。
いつの間にか、そこには一人の男性が立っていた。
黒い衣服に身を包んだまだ若くも思える背の高い男性。まだ寒くもないのに長いマフラーを巻き、不思議と彼は右腕に大量の包帯を巻いていた。
「こんな山でどうかなさいましたか? お暇なら、私に付き合って欲しいのですが♪」
とても軽やかな口調。爽やかな笑み。
悪い人には思えないのに、なぜだろう。そっとエリーの背を冷気が撫でるような感覚があった。
確かに暇であり話し相手が欲しいところだったが、エリーは言葉を失う。
男は戸惑いいるエリーにへと顔を寄せ、無垢な子供のような笑みをする。
「珍しい瞳をお持ちですねぇ。とても綺麗で興味をそそられてしまいます」
「え、えっと……」
「私、面白いモノには目がなくてですねぇ。お嬢さんのような不思議な方はとても好みなのですよ」
言い寄る男の瞳は薄紫としており澄んだガラス細工の様。
エリーはそれから目が離せず、自身の瞳を隠すことすら忘れてしまう。
それに、興味を持たれる度に背筋を這う寒気がよりいっそう強まるような気もした。
徐々に顔色を悪くしていく様に、男は「はぁ」と吐息を漏らす。
「ああ、可愛らしいお嬢さん……。きっともっと素敵な一面をお持ちなのでしょうねぇ。例えば、苦痛に歪むお姿、とか……」
寒気に対する疑心が確信にへと変わっていく。
――この男性は危険だ。そう決断を強いられる。
勝手に手を取られ握られる。その手はエリーの地肌を撫で、男は恍惚とした笑みを浮かべて息を荒げた。
「白くて綺麗な肌ですね。私はお嬢さんをもっと綺麗にしてあげたい、そう思っております。その肌を裂いたら、きっと綺麗な色に染まるのでしょうねぇ。……おや? 疑問ですか? こんな私は異常ですか? 壊れていると思われますか? ええ、ええっ。それで正しいのですよ。お嬢さんはなにも間違ってなどいませんし、当然のお考えです。生き物誰しもが抱く恐怖。それになんの間違いがありましょうか? ……恐怖してください、そしてその分私も狂気します。いいですか? いいですよね? いいに決まってますよね? だって私がそうしたいのですからっ」
長々と、男は一方的にエリーの恐怖心をかき立てていく。エリーには彼の言い分を否定するということができず、言葉が喉あるのに詰まって出てこない。
どこかからキシャキシャと刃物を擦り合わせるような音が思考の定まらない脳にへと響いてくる。じわりじわりと迫る恐怖はまるで一口で全てを呑み込もうとする蛇のようだった。その牙が届きそうになると、二人の世界を壊すような音が唐突に鳴り出す。
それは機械的な音で男の懐から鳴り響いていた。
「……いいところですのに。空気の読めない子ですね」
パッと表情を冷ました男はエリーから手を離し懐にしまっていたモノを取り出した。
手におさまる薄い板状のなにか。そうとしかエリーには思えず。男はそれを耳に当て、会話をし始めた。
「なんですか? 私今すっごくお取り込み中なんですが? それはもう一世一代のだーいじなご用でしてね? 邪魔してもらうと~、私も怒っちゃいますよ? もうプンプンで。……やですー。私楽しいことは楽しみたい主義者なのでぇ」
その薄板を通して誰かと会話をしている様子。
会話の最中には子供のようにだだをこねる男性に対し、相手が怒声を放っているようにも……。
話の内容は聞き取れず、エリーは唖然としてその不思議とした光景を眺める。
「ですから~。お楽しみが終わったら戻りますー。なのでぇ――」
男の言い訳。それは言い切るよりも早く、彼の表情を一変させるできごとが起きた。
それは話し相手らしき者からの声を低くした囁き。
『***……。今すぐ戻ってきなさい』
「……。――わっかりましたぁ! 全速力で戻りますので!」
瞳をキラキラと輝かせ、男は先ほどまでのわがままは何処へ行ったのやらと思わせるはっちゃけぶりを見せる。
「残念ですがお嬢さん。私、一世一代のご用事ができてしまったのでこれにて失礼いたしますね。それでは、またどこかでお会いすることを楽しみにしていますっ」
さっきまでも一世一代と言っていたが、乗り換えの早さにエリーは頭がついていかない。
気がついた時には彼は自分の目の前から消えていた。
本当にこの場にいたのかもわからないほど、影も形も残さず。 だが、手にある感覚などはまだ残っており、背筋にはその時の寒気の名残があった。
いったいなんだったのか。恐怖から突然解放されたエリーの付近で草木の揺れる音が鳴る。
「……、ク、クロトさん?」
入れ替わるようにクロトが戻ってきた。
それも急いで帰ってきたのか相当息を切らせ、体中には細かな小枝や木の葉といった植物が張り付いている。
そして、とても不機嫌そうだ。
「ど、どうでしたか……?」
恐る恐る、エリーはクロトを覗き込み尋ねる。
直後、酷く睨まれた。
「アアッ!? うるさいぞクソガキ!! ……とりあえず、この山はダメだ。仕方ない、癪だが迂回するか……」
苛立ち怒鳴られる。
どうも結果が出たらしく、この山を登ることは危険と判断したのだろう。
危険というものに、不思議と先ほどの男の姿が頭の中をよぎっていく。
あの澄んだような、恐怖すら感じる黒い男の姿が……。
◆
山頂では男が定位置にへと戻っていた。
その表情は汗一つなく、山を瞬時に移動したとは思えないような涼しげな表情だ。
「来てくださっていたなら言ってくださいよぉ」
「あら? 何故一々貴方にそんなことを言わないといけないのかしら? 勝手に持ち場を離れた貴方の選択ミスでしょ? 少しは反省なさい」
「正にそれで御座いますね。……本当にコレは油断も隙もない。だいたい、何故私のいうことを聞かず、子供かっ。なにするつもりだったんだこの怪物は! 私がいない間に持ち場を離れおってっ。戻れと何度も言っただろうにぃ……っ」
雨を凌ぐための準備をしていたが戻って見ればいなかったことにもう一人は冷静と、そして徐々に苛立ち、必死に怒りを堪えながら説教を開始する。
だがそれがどうしたことか。と、反省の色が皆無な男はヘラヘラと嘲笑。
「あは~。キミとこちら様とでは天と地ほどの差がありましてぇ♪」
「……コイツっ」
「では面目御座いません。とても魅力的なお二人がいらっしゃったので、少し遊びたくなっただけですよ」
「本当に反省というのものを知らん奴が!! ……申し訳ありません。取り乱してしまって」
ついには大きく怒鳴る。
次に冷静を取り戻し隣にいた人物にへとせっせと頭を下げた。
相手は十ほどの小さな少女。彼女は男の怒鳴り声にくすっと笑って許す。
「いいのよべつに。というか、もっと言ってやってもいいのよ? どうせなにも感じない子だから、言いたいことはじゃんじゃん言ってやってね」
「さすがに貴方様の前でそれは……」
マフラーの男にあるのは笑みのみ。悪びれも一切なく、爽やかなものだ。
彼が今目にしているのは、自身と同じように黒い身なりをした少女と怒りをおしころす眼鏡の男。しかし、叱られている男は少女にのみ視線を集中させていた。
少女の白い肌はその身なりでよく映える。衣服同様の黒い日傘をクルクルと回し、少女は山頂から下を見下ろし、くすりと微笑する。
「――やっと見つけた。……私の可愛い、愛おしい子。あの子にも伝えておかないとね」
レースに覆われた頭部が風に煽られ少女の瞳を露わにする。
――真紅の、赤い瞳を。