「冷めた入り口」
闇精霊は屈辱的な表情になり、それから軽い口はずっしりと重たくなってしまう。
少し静かになれば、ニーズヘッグは説明をエリーに伝えていく。
「でも……どうやってクロトさんの…………、その、中? に入るんですか?」
「そうだなぁ。前回は確か…………」
ニーズヘッグが、ふと顎に手を当て考え込むと、「ふっ」と笑った。
「そう! ――密着してたな!」
異様にはきはきと言い出す。
その目は期待感を漂わせていた。
これに不穏なものを感じたのはフレズベルグだ。
翡翠の瞳が細くなり、蛇を睨む。
「ニーズヘッグ……。この状況を理解してはいるのだよな? 余計な事を考えていないだろうな?」
「下心がない…………とは言いづらいなぁ。だがフレズベルグ。俺は主の体験談を信じたいんだっ」
グッと拳を握り、ここぞとばかりに厚い信頼を抱く。
その信頼性はなによりだが、不安でしかないのも事実であり、フレズベルグは清々しく気持ちが晴れる事ができない。
「というか。お前その時は曖昧な感覚だったはずだが、よく覚えているな……」
「いや~。姫君の事となると記憶も鮮明というかなんというか、覚えは良くてでしてね」
「褒めてないからな?」
そして、照れた様子で頬をほんのり赤らめないでくれ。と、フレズベルグは心の奥底で切実な願いを呟く。
話の内容に途中から付いてゆけないエリーなど首を傾げるのみだ。
「……その。結局どうすればいいんですか?」
「とりあえず姫君、俺とハグなっ? ギュッとしようぜ!」
「本当に大丈夫なんだよな!?」
いったんニーズヘッグを落ち着かせることが優先と感じ、フレズベルグはニーズヘッグを引き離そうとする。
これではまともな事ができるとは考えられない。そう思った矢先だ。
「――わかりましたっ」
と……。エリーは言われた通りにニーズヘッグの身に寄りそう。
体を密着させ、互いの身を合わせ……。
言い出したはずのニーズヘッグは何故か石のように固まってしまう。
あまりにも拍子抜けだったのか、これまでの事を考えてこの様に簡単に身を寄せ合うなど予想外だったのか……。唐突の事に思考が一時停止。
「……ど、どうですか? もう少し、しっかりひっついた方がいいですか?」
「……………………ハッ!!? どうしようフレズベルグ!! 姫君が自分から俺にこんなゼロ距離許すとか、俺もクソ精霊の夢にかかってるのか!? ありがとうございます!!」
「落ち着け愚か者! 自分で言っておいて何を焦っている!」
「だって姫君が……っ、姫君がこんな近くで、やばい……っ、あまりの事で感動してなんか溢れてきそうなんですけど!? いいの姫君!?」
急に何を焦っているのかなど、エリーには理解できない。
だが、エリーが進んでこのような行動をとったのには理由があった。
「……だって、クロトさんを探すにはこれが一番なんですよね? だったら、私は私にできる事をしますっ」
まっすぐな目で、エリーは躊躇いが一切ない。
「姫にここまで言わせて恥ずかしくないのか愚か者? お前も浮かれてないでやるべき事をやれっ」
「う……うっす! 姫君、そのままじっとしてろ」
ニーズヘッグは、そっとエリーを片腕で抱く。
エリーの耳はクロトの胸に当たり、鼓動が直に響く。
呼吸を静かにとりつつ、エリーは鼓動を聞きながら眠るように目を伏せる。
「外の様子は気にするな。……眠るように、意識をクロトの中に進む感じで」
エリーは眠る。ニーズヘッグが合図を出す事で闇精霊が夢への道を作るのか、意外とすんなり眠る事ができた。
最初は暗い。だが直に意識が深い位置にへと誘われてゆく。
静かに。静かに。外の事など聞こえぬほどの奥底まで…………。
エリーが星の瞳を開くと、そこはどこまでも続く暗闇。何もなく、自分の姿だけが鮮明に映る空間だ。
その空間はエリーも既に体験しており、驚くこともなかった。
まずは周囲を見渡す。
「……此処は、クロトさんの中……なんですか?」
不思議と呟く。
すると、応答する声が周囲に響く。
『……違うよ』
聞こえてきたのは、あの少女の声だ。
悪夢で何度も見た、以前の自分。
しかし、姿は一切見せない。声だけがエリーに届いてくる。
『……なんでまた此処にいるの?』
悪夢は終わった。なら、この場に来ることはないはず。そう少女は思っているのだろう。
「えっと……、クロトさんを探しているんです」
『……』
「クロトさん、私の見ていた夢と繋がっていたみたいで……、でも、クロトさんはもっと深い所に行ってしまって。それで、私なら探せれるんじゃないかって、戻ってきました」
理由を説明すると、少女はしばらく黙り込む。
少女としてはクロトの存在に嫌悪感を抱いているため返答に戸惑っているのだろう。
『…………ああ、妙だと思ってたけど、やっぱりそうだったんだ。……でも、行かない方がいいと思うよ? 他の人の夢に入るなんて、危ないし。……貴方の安全は保障されてない』
「それでも、私はクロトさんを起こさないといけないんです。他の皆さんを起こすためにも」
『貴方は、優しいんだ……。私はそんな事、できないけど。……だったら、その人の事を強く思ってみて』
これは助言なのだろう。
少女の先ほどまでと違う、落ち着いた言葉遣いにはどこか違和感を覚えるが、それは頭の片隅に置き、言われるとおりにクロトを思う。
『貴方とあの人は繋がってる。その繋がりをたどれば……きっと行けれるよ。…………私はお勧めしないけど』
それっきり、少女は口を閉ざし、存在感すらも消し去ってしまった。
一言「ありがとう」と言いたかったが、それは心で静かに呟く事とする。
エリーはクロトと繋がっている。
それは呪い。それはニーズヘッグの魔力。
それらを想像し、エリーは虚空にへと手を伸ばす。
閉じた瞼の中に、糸の様なものが見えた気がした。それを掴み取り、エリーは瞼を開く。
「……?」
糸を掴んだと思ったが、エリーが掴んでいたのはドアノブだった。
やけに冷たい。木造の扉も古びており、冷めたものを感じてしまう。
そして、なにより目に入ったのは、扉に絡む半透明な鎖だ。
風もなく、微かに揺れて音を出す、細い鎖。
この様な扉の奥にクロトがいるのかと、わずかな戸惑いが滲み出る。
だが、握ったドアノブを放す事も出来ず、まずエリーは静かに深呼吸をした。
心を落ち着かせ、意を決してその扉のドアノブをひねり、扉を開く。
扉の先も同じ暗闇。奥など見えない深淵にへとエリーは足を踏み入れ………………唖然とした。