「添えられるのは百合の花」
「ほわぁ……」
その時、普段から煌めいている少女の星の瞳は更にキラキラと輝いた。
「さあ、エリーちゃん。お姉さんとのお近づきのお祝いとして受け止めてぇ!」
至福の笑みとともにネアはその高鳴る胸を抑えきれずハイテンションと舞い上がる。
そう祝福されるエリーの前には豪華な食事が置かれていた。
食べ物とは思えないような見事な飾りつけの料理の数々。肉や魚や野菜をふんだんに使われた逸品たち。初めて見るそれらにエリーは目を見開く。ジューシーな肉のハーブの香りなどが食欲をそそってくる勢いだ。
ネアによって案内されたのはこの街一の高級宿。しかもネアの貸し切り。そのため周囲はガラリとしたどこか寂しいレストランルーム。
人目を気にしなくて確かによいだろうが、大袈裟な気もする。
「……餌付けされてんじゃねーぞクソガキ」
クロトからの水を差す一言。
ハッと気を取り戻したエリーはこの状況に戸惑う。
この反応はけしてコレまでの食生活に不満があったわけではない。数日の間クロトと行動を共にしほとんどの食事は外でのもの。こうやって席に着いて食べる方が珍しくある。
エリーに大人のやる狩りなどできるはずもなく、かといって食べられる食物の判別もできない。ハッキリ言ってサバイバル生活など任せられないほど。それを補ってきたのはクロトの自活能力によるものだ。
クロトは外での活動に慣れすぎておりエリーの見ていないところや、ときおり目の前で鳥やウサギなど、食すことのできる生き物を仕留める。もちろんさばくのもお手の物だ。見ないようにとどれだけ目を塞いだことか。
可哀想であり目の当たりにしてしまえば罪悪感も湧く。だがエリーも食べなければいけない命なため貰う命を大事にする。
川辺では魚。木々になる果実から山菜なども迷うことなく選別可能な魔銃使い。いったいいつからその知識を得て生活をしているのか。彼の魔銃も炎を扱えることから焚き火だけでなくこういった日常にも活用されとても便利なもの。おかげで野宿の際にも困らない。
そして、外だろうがクロトは眠る時、例の如くエリーを抱き枕扱いであった。
そんな日常となりつつある生活を思い返しつつ、エリーはクロトへ普段に不満がないという意思表示をしなければならない。
ここまでのネアからの待遇にも納得いかない気持ちがわずかにあった。
「あ、あの、ネアさん……。なんだかすごく悪い気が……」
「遠慮しないでエリーちゃん! お姉さん、エリーちゃんのためならいくらでも脱いじゃう! 一肌でも二肌でも」
「……はあ」
「そいつになに言っても無駄だぞクソガキ。頭ん中おかしい女だからな」
同じ席に居座るクロトは誰の許可もなくフォークを料理に突き立て一口含んだ。
遠慮というものを知らないクロトもクロトだ。
満面の笑みをひきつらせたネアがゆっくりとクロトにへと顔を向ける。
「あっはは~。嫌なら食べなくてもいいのよぉ~? つーかアンタに奢ったつもりはないんだからねっ。私はエリーちゃんと楽しみたいの」
「人のもん取られるわけにはいかないからな」
「なによ! 私がまるで人さらいみたいな言い方やめなさいよね! 誤解を招くわっ」
「……じゃあ、俺が見てなくてもそいつを黙って連れていかないと?」
「全力でアンタを置き去りにしてエリーちゃんをいただきたいわ!」
「…………宣言したな、お前」
これは目を離すことはできなくなった。
頬杖付きつつ、クロトは淡々と食していくもエリーはずっと困惑して手が進まない。
二人の会話はとても刺々しくあり不安でもあった。
「つーか、これのどこが報酬だよ?」
確かにと、エリーも「うん」と頷く。今回のことはどちらかといえばクロトがネアになにかするという流れのはず。
しかし、今はネアの方から積極的に施しているではないか。
「なに言ってるのよ? こうやって可愛らしいお嬢様と一緒に過ごせることが幸せなことじゃないの。男って見る目ないわよね~、特にアンタは」
「はぁ……。脳みそマジで大丈夫か?」
ネアの片眉がその直後ピクリと反応した。
刹那。クロトとネアは席を離れ互いに武力を行使するかのようにせめぎ合う。
いつの間にか取り出された魔銃をネアが掴み取り発砲を妨害。お互い力任せにギリギリと押し合う。
「やっぱりしばいておくべきかしら? 誰の脳みそがおかしいってっ?」
「お前だお前! 女が女追いかけてんじゃねーよ、キモイって言ってんだよっ」
「はあ!? どこがキモイのよ! むしろ獣の男と麗しのお嬢様の組み合わせの方がよっぽど不安だわ! 気になって仕事なんてできやしない!!」
「誰が獣だ! そんなふうに言われる覚えは一切ないからな!?」
「べっつにアンタがなんて言ってないわよ? ひょっとして気にしてでもいるのかしらぁ? あーやだやだっ。じゃあ訂正しとくわよ、クズ! これならいいでしょ!?」
「誰がクズだクソ女ぁ! ぶっ殺すぞ!?」
「いったい誰のおかげで助けられてると思ってんのよ!? 恩知らず! この無礼な態度も請求してやってもいいのよ!?」
「ああやってみろよ! こちとら金なんざなくても生きていけんだよ!! その代わり明日はないと思っとけ!」
正直。クロトの金銭的事情がそろそろ気になりだしていたエリーでもある。
なにか職があり収入を得ているわけでもなさそうだというのに、彼はちゃんとした支払い分を所持している。
その証拠か一瞬ネアの片手を振りほどき、ふとクロトは懐から金に輝くカードを取り出される。
……あ。これは眩しい。逆らえないなにかを感じられる。
それをネアの目の前に押しつけ見せつけた。
「ちょー生意気ぃっ。子供のくせに何処と繋がってるカードなのよ!」
「知らねーよっ。あの魔女野郎に渡されたから仕方なく使ってやってるだけだっ」
「……え。つまりアンタって生活資金も与えられてるくせに魔女敵視して追いかけてるわけ!? 最低の底辺にいると思ったら更に見損なったわ! 人として!! 傍から見れば恩知らずや親のすねかじりってヤツじゃない!?」
「だから別にこんなのなくても生きてけるって言ってんだよ!!」
要はクロトの資金というのはそのカード一枚でなんとかなっているということだ。
初めてエリーはそれを見るが今の世の中ではそういったモノを扱う店も多くある。北の大国である魔科学発展国のアイルカーヌが提供する技術の発展も充実し世界全土に影響を及ぼしている。サキアヌでもこういった大きな場所やそこそこな街でも存在。現物を持ち歩くよりも軽量ですみ楽だ。
しかしそれは話によく出てくる魔女という人物から与えられているもの。
それであの態度……。
……それはもう少し態度を改めた方がいいのでは?
だがエリーもその世話になっているため余計なことは言わず、言葉を慎んでコップの水ごと呑み込む。
「やっばーん! これだから男なんて――」
いつまでも続く言い争い。ここまで酷い言葉のキャッチボールはエリーも聞いたことがない。
しまいにはあわあわと困惑するエリー。どうしたらいいのかわからずにいる。
しかし、誰かが止めねば終りのないような罵声の数々が飛び交っていく。
悪口の言い合いにはどうすればいいのか。エリーは焦りながら考え、とっさに席を立った。
「あ、あのー! ……け、喧嘩は……、~~「めっ!」、ですよ!!?」
…………。
ピタリと、二人の罵声が止んだ。
体格の大きなネアがクロトを押し切ろうかという構図で止まり、エリーの方にへと両者の顔が向く。
子供のように注意を受けた二人。それにクロトは目元をぴくぴくと痙攣させて苛立つ。
――なにが「めっ」だ! 腹立つなぁ!
「……マジであのクソガキ、いつか殺したいっ」
「ふざけたこと言ってんじゃないわよ、この馬鹿っ! ごめんねぇ、エリーちゃんっ。そうよね~、せっかくのエリーちゃんとの楽しいひとときなのに、こんな野郎に構った私が馬鹿だったわ」
乱暴にネアは手をクロトから放す。その後はせっせと席にへと戻りエリーに御執心だ。
手の進めないエリーの代わりにネアはスプーンを片手に料理をすくい上げ口元にへと差し出す。
「は~い、エリーちゃん。あーんして」
「え、え~っと……。あーん」
断り切れずエリーは小さな口を開き行為に甘えた。
スプーンが口からするりと引き抜かれ口内に残った料理を味わい、こくりと喉に通す。
「どう? エリーちゃん」
感想を聞くネア。
エリーはほんのり頬を赤らめ、
「……とっても、美味しいです」
と、ほっこりする笑みをした。
その時、ネアに衝撃走る。
それはハートを射抜くかのようなもので「ズキューンッ!」と胸の奥を鳴らした。
さながら天使の微笑み。今目の前には空想や教会などで語られる天使が降臨なさっている。
「ああ、もーっ! エリーちゃん可愛い! すっごく可愛い!! 可愛い可愛いわぁ!!」
「あ、あの、ネアさん!? またそんなにされると……」
抱かずにはいられない衝動に抗えずテンション爆上げなネアの胸がエリーにへと飛び込む。
一人取り残されたクロトも呆れ顔しか浮かべられない。
「……なんなんだよ、この茶番は」
◆
一泊という貸し切り宿。明日の朝まではこの宿では自由なのだが、無駄に広いことに違和感すら覚える。
広々とした通路。幾つも並んだ部屋の数々。そこに誰もいないのだからおかしな気分だ。
この宿を熟知しているのか案内人を務るネアに導かれるがまま。たどり着いた先は……。
「じゃっじゃーん。とうちゃーくっ」
ネアが案内した先には二つの暖簾がかかった入り口がある。左右、赤と青とで色の異なる暖簾。
それにエリーは首を傾けた。
「……あの、ネアさん? こちらは?」
「エリーちゃん。こんな野郎に振り回されて大変でしょ? コイツって気遣いないからロクにお風呂も入ってないと思って、疲れたエリーちゃんを綺麗に洗って癒やしてあげようと思うの」
「……お風呂、なんですか?」
「そうよエリーちゃん! お姉さんがちゃんと綺麗に洗って、あ・げ・る♪」
「つくづくイラつく頭してるよな、お前」
「アンタも入るのよ?」
「なんで俺まで入らないとならないんだよ?」
「だって……。男は常に穢れてるって言うから……。どうせ適当な水場で今まで体洗ってたくらいなんでしょ? さすがに臭いのとエリーちゃんを一緒にいさせたくないわ」
疑心として、ネアはエリーを連れてそう言いつつ距離をとっていく。
確かに野宿の場合はそういうふうになるだろうが、心外とイラついてしまう。
「はあ!? 自分の身くらい最低限しっかり洗ってるに決まってるだろうが!」
「……私もそういうふうに思ったことないので、大丈夫ですよネアさん」
「うっさいクソガキっ。いらんフォローすんなっ。つーか、お前がそのガキと入りたいだけなんじゃないのか?」
「…………」
ネアは、唐突に無言になり顔をそらした。
図星なのか汗水を頬に垂らしている。
「……お前もう病気だろ」
ここにきてクロトは似合わない哀れみの目を向けた。
無慈悲な人物に哀れまれネアも反発。
「なによその言い方!! ええ、そうよ! エリーちゃんときゃっきゃ一緒にお風呂に入りたいだけよ、文句あるわけ!?」
「ついに言い切りやがったな……」
――こういうのを確か【百合】というのだろうか。
ネアという女性は異性を毛嫌いしている。そしてその正反対に同性だけに好意を寄せている。
同性愛主義者。それも一つの人間の感性である。あるのだが、それを理解できない者がいるのもまた事実。
クロトはそれに該当しており彼女の思考を毎度理解できずにいる。
今度は逆にクロトがネアから遠ざかっていく思いだ。
当然、エリーはそんな同性愛など深く考えることもなく、ただ流されるがまま話に付いていけない。
「……それとも、エリーちゃんはお姉さんと一緒なの、嫌かしら?」
急にネアはエリーに潤んだ瞳で悲しさを表現。
悲しげな彼女の顔に、エリーは少しばかり罪悪感が滲み出てしまう。
「そ、そんなこと……ありませんよ? ネアさ――」
「そうよね! あの野郎の方が頭おかしいのよね!」
「……そこまでは言ってませんが」
少しでも許しが出ればネアはパッと表情を明るくして一変。
エリーもクロトの前ということもあり彼女の全てを肯定するまでにはいかない。
しかし、ほんの少しでも好意を寄せられれば彼女は満足らしい。
「と、いうわけよ! 乙女はこっち、野郎はそっち。わかったならさっさと入んなさい。しっしっ」
まるで犬でも追い払うかのようにネアはクロトをあしらう。
その扱いには納得いかないが、クロトはギリギリと歯音をたてながら怒りを堪える。
「ぐぬぅ……っ。……はぁ」
断念したクロトは頭をガクッと下げてため息。
渋々男湯の方にへと進み暖簾をくぐる最中、クロトはネアを横目に呟く。
「お前の考えは知らねーが、そいつになにかあれば容赦しねーからな?」
忠告にネアは微笑。
妖艶にも似た瞳はじっとクロトを見る。
「もちろん。アンタのことは、よーく知ってるからねん」