「行商兎」
「姫君。とりあえず言っておくことがある」
急に、ニーズヘッグは人差し指を立てて真剣な顔を向けてくる。
「……な、なんですか?」
あまりにも真剣な顔に、エリーは戸惑い身を引き締める。
「――寝る時は俺とハグな?」
「どういう意味ですか?」
エリーは首を傾けた。
たわいごとに対しての蔑みとは違い、キョトンとしている。
どうも言葉通り、言葉の意味が理解できていないらしい。
「……ハグだよ、ハグ。こう……ギュッと」
ニーズヘッグはお手本として何かを抱きしめる素振りをする。
そうして数秒後、ようやく理解したのかエリーは顔を真っ赤にしてニーズヘッグから距離を取る。
「い、嫌です……っ」
「マジでドン引きされた!? なんでぇ? クロトとはいっつもしてるだろ? 俺とも抱き合って寝ようぜ、俺寂しい」
甘えた子供の様にいるが、見た目がエリーが見上げるほどのため罪悪感が微塵もわかない。
「大事なお話ではなかったのですかっ!?」
「大事だろこれ!」
「どこがですかっ」
「俺も姫君と仲良く一緒に寝たいぃっ。クロトばっかずるいぃ~っ」
「急にそんな事言われましても……。クロトさんは……変な事されませんもん」
「俺が変な事すると!?」
エリーはその問いに、頷きを返す。
何が驚愕だったのか、ニーズヘッグはショックのあまり硬直してしまう。
事実、エリーはニーズヘッグの事をそういう目で見ている。過度な愛情表現が彼女のその印象を与えてしまっている。
その事に全く自覚がないのか、この悪魔は子供じみた意見で講義を持ち掛けてきている。
しかし、これにはエリーも「うん」とは了承できず、身を炎蛇から何度も遠ざけて拒否を態度で示した。
しまいにはニーズヘッグからそれなりに離れた所で、また木陰に隠れてしまう。
その時だった。困惑となんとか気を引こうとするニーズヘッグが、ふと金の瞳を丸くさせた。
「……あ。姫君、そこ」
何かに気づいた様子だが、エリーはニーズヘッグに対する警戒心で頭がいっぱいでそういった反応も疑いたくなる。
騙されまいと耳を傾けず。
「すんげー警戒してるとこ悪いんだけどな。……いや、マジでそこはあぶねーぞ?」
危険を知らせられると、エリーも少しばかり反応。
すぐにその場から離れるべきなのだろうが、つい警戒から一歩後退り……、それが間違いだと気づいたのは視界が一変した時だった。
「な……っ、なんですか、これぇ!?」
エリーの身は宙吊りになって揺れていた。
片足には縄があり、木に吊るされている。
世に言うトラップというものだ。
さかさまのエリーは必死にスカートを抑え成すすべなく。
ゆらゆらと混乱しているエリーの傍の茂みから、何かが飛び出てきた。
「やった、やった! なんか引っかかった!」
踊り跳ねて出てきたのは二足歩行のウサギだ。
珍妙な事に言葉を発し、人の様に衣類を纏っている。
手を叩き、何が引っかかったかと心踊らせて見上げた時、エリーと目が合う。
その途端、兎もまたまん丸の目を瞬きさせて首を傾けた。
「……ん? ああ? 人間??」
意外なモノを見る目だ。
兎はエリーの真下周囲を跳ね、何度も目を疑う。
しかし、目の前にいるのはまごうことなき少女だ。
「こんな簡単な罠にかかるとは、馬鹿な娘だなぁ。人間とは珍しい。きっと儲かるぞ」
クスクスと、ウサギは再度喜ぶ。
その歓喜が蛇に背後を許すとも知らずに。
「――じゃあ、お前も吊るされっか……?」
笑っていたはずのウサギの耳がピクリと動く。
耳が良くともそれは既に手遅れでしかなく、気づいた時にはウサギもエリーと同じように足を皮衣に絡めとられ吊るされていた。
ウサギは短い手をばたつかせる。
「ああ、ああ~っ。何するですか!?」
「うっせぇ……。俺のに手を出すなんて躾のなってない行商兎だな。これだからアルミラージ族は馬鹿で困る」
揺れていたウサギ魔族の耳をギュッと掴み取る。
「なんだったらお前らの上司に言いつけるぞ? 十二の王の何処の奴だ? お前らみたいな下っ端をまとめてるのが何か所かあるのくらい知ってんだよ。全員ウサギの丸焼きにして食ってやるぞ?」
「ひぃ~~っ!!」
何処か安堵あるいつもの横暴な炎蛇が目の前にいる。
だが、エリーから見ても明らかにニーズヘッグが悪く思えてしまう。
「あ、あの……っ。ニーズヘッグさんっ。可哀そうですよっ」
「ええ!? 俺が悪いの姫君!? 冗談だってぇ~。俺ウサギなんて獣くせ~もん食わねぇし、……食べるなら姫君みたいな方が」
「それはもういいです」
軽く、そして冷めた目でエリーはニーズヘッグの言葉を流す。
「…………ところで姫君。――白?」
ニーズヘッグは流されると次の話題をふる。
急に何を問うのか。エリーは何のことかわからずさかさまの頭部を傾ける。
「……な、何がですか?」
「……………………下着?」
しばらく言い悩んだ後、ニーズヘッグは詳細を一言でまとめる。
それだけでエリーは顔をかーっと赤らめ、確認するように何度もスカートを抑え直す。
「みっ、みみみ、みっ、見たんですか……!!?」
「残念ながら見てねぇけど……。姫君、わかりやすいのな。マジ可愛い」
ニーズヘッグはせめてもの申し訳なさか、顔を背け笑いを堪える。
またしても遊ばれたことにエリーは身を揺らして可愛らしい怒りを表現。
「ははっ。わりぃって姫君ぃ。今おろしてやっからよ」
羽衣がエリーを絡めた縄を容易く焼き切り、そのままニーズヘッグの腕の中に落とす。
「お帰り、俺の姫君♪」
「……とりあえず放してください」
抱かれて頬ずりされてもエリーは全く嬉しくなく、それが過度な愛情表現であることを理解してほしいと願うばかりだ。
「だって危ないだろぉ?」
「そうですけど……、ここまでされる意味はないかと」
「……そ、その羽衣っ。まさか……、あの【炎蛇のニーズヘッグ】!? 魔界から逃げて消えたはずでは!?」
ニーズヘッグの羽衣に気づくウサギ。
急に話に割り込むも、またしても耳を掴まれた。
「俺の相棒が有名なのはわかるが、情報通のウサギ共のくせして俺が魔界からなんだってぇ? つまんなくなったから人間界行った奴を逃げの臆病者って言うのか、あ~そうかよ。姫君~、今日はウサギ鍋だ♪ 特にウサギは足が美味いらしいぞ?」
笑みを浮かべているも、決して内心笑ってはいない。
それは恐怖と感じ取れる怒りを滲ませていた。
「いえ。遠慮しておきます……」
「じゃあ焼いて捨てるか~♪ こんな奴食ったら体に毒だもんなぁ。魔界住人ならこれくらいは承知の上だろ~? そんなアホ腐るほどいるもんな♪」
「ピャァアアアッ!!! やめてください! 行商人の端くれですがこんな私でも家族がおりましてっ。私が死んだら家族が……っ。どうかお慈悲を!!」
ウサギは特にニーズヘッグにではなく、温情をかけるエリーにへと願う。
しかし、当の本人はというと……
「――って!? 何してるですか娘!?」
「……え?」
むにむに…………。
エリーはニーズヘッグに抱えられながら、彼の握るウサギの耳を触っていた。
それも、注意されるまで心地良さそうにうっとりとしてだ。
「ご、ごめんなさい。……とても触り心地の良さそうな耳でしたので………………つい」
「――つい!?」
無理にいつまでも触る事はせず。エリーは即座にウサギの耳を手放す。
しかし、何処か惜しそうな顔だ。
小さな声で、「耳ぃ……」と物欲しそうにぼやいてもいる。
「……ひょっとして姫君。獣耳フェチか?」
「ふぇ……ち……?? なんですか、それ?」
「いや、なんでもない。…………なんだろう。余計にこのウサギ燃やしたくなった」
ついには炎が灯る。
必死に助けを求めるウサギは吊るされながらジタバタと暴れるのみ。
その威嚇の最中、ニーズヘッグは何かを思い出したかのようにふと上を見上げた。
「…………耳、か」
パッと炎を消すと。なんの合図もなくウサギが地にへと落とされる。
丸い尻を地にぶつけたウサギは痛む場所を擦って耳をぺたんと垂らした。
「あいた~……っ。もっと優しくしてほしいですっ」
「ほ~。この俺が焼かずにいてやってるのにそれ以上の温情を求めるとは、いい度胸だな。身の程をまず叩き込む事が先か?」
「すみませんすみません!! 勿体ないほどのお優しさでございます!!」
ウサギは素早く頭を低くさせて拝む勢い。
ニーズヘッグも一々威嚇していては話が進まないのは理解しており、長くは本題から逸らさないようにする。
「お前ら行商兎だろ? ならグリアの実を持ってないか?」
垂れた耳が、ピンと立つ。
ウサギは急いで茂みにへと身を突っ込むと、大きな鞄を取り出し、口を開いて中身を地にばらまく。
「あ、ありますとも!」
「うん。よろしい」
「……ちなみに、御代は?」
「命より金を選ぶとはさすが十二の属だな」
「上には私から話を通しておきます!!」