「夜の終わり・無色の願い」
長い夜が、ついに明ける。
タイムリミットの夜明け。世界は変わらず夜明けを平然と告げる。
毒で寝込んでいたエリーは未だベッドの中。
しかし、その表情はとても落ち着いていた。
「…………んっ」
星の瞳が、少女の覚醒と同時に開く。
体温の異常な上昇など嘘かの様。エリーの体温は平常にへと下がりきっている。
「起きた? エリーちゃん」
最初にエリーの様子を見に来たのはネアだ。
ぼんやりとするエリーは、自分を見下ろすネアを認識するのに時間をかけてしまう。
「……ネア、さん?」
「お姉さんよ。体は大丈夫?」
体調を聞かれると、エリーは思い出そうと記憶をあさる。
最後に覚えているのは酷い体の熱さと、クロトの姿。
その後倒れた記憶はなく……。
「……ネアさん。クロトさんは?」
倒れたのなら、クロトに多大な迷惑をかけた事だろう。
不安になり弱々しく尋ねると、ネアは静かにベッドの隣を指さす。
覗き込むと、クロトはベッドの隣の床で横になっていた。
少々顔色も悪く、見ただけでわかる疲労感に、エリーは出そうな声を堪えてしまう。
「馬鹿みたいでしょ? 後先考えずに毒沼に入ったんですって。帰ってきた時はもっと酷かったんだから」
「だ、大丈夫なんですか……?」
「大丈夫大丈夫。おかげで間に合ったんだから。……初めて見た、万能薬の月光百合。余った薬を与えたから、しばらく休めばよくなるわよ。あと、ただ疲れてるくらいなだけよ」
「……よかったぁ」
安堵したエリーから更に力が抜けてしまう。
「……あ! 姫ちゃん起きたぁ?」
次に、部屋の奥からは仰向けになっていたイロハがこちらを見ている。
まだ痺れが完全に取り除けておらず、動きづらさがある。
「よかったぁ。どうなるかと思ったよ」
「ホントにね~。アンタが一番論外なほどに取り乱してたものね。本当に野郎って奴はこれだから~♪」
無事を喜ぶイロハの頭をネアは鷲掴みにする。
その表情は笑っているのに……内心笑ってなどしない。
余っている憤怒が握力となってイロハの頭部を襲った。
「ああっ、お姉さんやめて、やめてぇ! ごめんなさいぃ~!!」
「うるさい! そういう奴は邪魔だから、しばらく部屋に入らないこと!」
しかりつけてから、ネアはそのままイロハを連れて部屋を後にする。イロハの文句が遠ざかり、部屋の中は途端に静かになってしまう。
しばらくはその静寂に浸るも、エリーはクロトを覗き込む。
「…………クロトさん?」
呟く様に名を呼ぶ。
聞こえているかわからないほど。もしかしたら気づかないと思えていたが、間を開けてからクロトは目を開く。
「……っん、……なん、だ?」
声に気力が感じられない。
ただ、休めている眠りを妨げた事に、若干不快な表情をとる。
エリーが覚えている限り、最後に見たクロトは自分の行動で怒らせたままだった。
それが気がかりだったのだろう。
……それと。
「……あの、怒ってますか?」
「何をだよ……」
心当たりがありすぎるのか、どの事に対してかを問われる。
するとエリーは顔を赤らめ、シーツを被る。
「…………えっと、……その。…………キ……キスの……事……とか」
「――二度とするな」
即答である。
これにはエリーもさすがに申し訳なくあり、泣きっ面で謝りたい思いだ。
「ご、ごめんなさい……っ。あの時はどうしても……、クロトさんが暴れられるので」
再び顔を出し、クロトを除く。
それはもう不機嫌とそっぽを向いて仏頂面だ。
「もういいっ。……俺は疲れてるんだ。お前も寝てマシになれ。いつまでもこんなとこで足止めくらうわけにはいかねぇんだよ」
疲労もある。そろそろ静かに休ませたいが……。
あと、一つ。
「クロトさん」
「……今度はなんだよ?」
「……手を握ってもらえますか? なかなか寝付けなくて」
「…………さっさと寝ろ。俺も寝る」
断るかと思いきや、クロトは片手を差し出す。
少女の小さな手が重なり、軽く握る。
「はい。おやすみなさい」
二人はそのまま、体を休めるために眠りつく。
だが、それと入れ替わるように。クロトの瞳が、ふとうっすら開く。
その色は、金色。
「…………生きてる?」
クロトは小さく呟き、繋いだ手を見る。
確かなぬくもりのある、小さな手。
眠る少女は死することなく、命を救われた。
「……今度は、間に合ったのか」
炎蛇は一つの命を救う事が出来なかった。
脆い命の人間。毒に苛まれたその命を救うため、唯一知っていた万能薬――月光百合を手に入れるも、戻った時には遅かった。
何かを求めて手を伸ばしたまま、その命は終わってしまっていた。
間に合わなかっただけではない。最後に一緒にいてやる事すらできなかった。
人間の命が短い事くらい理解し、脆弱とわかりきっていた。
それなのに、そのか弱い命が消えた事は、思いもよらないほどの衝動を与えられた。
辛く、悲しく、後悔した。
「もう二度と……、あんな後悔は絶対に嫌なんだよ」
後悔せぬ様に力だけを求めた。
それが間違いだとわかっていても。自信を裏切り続けていても。
「姫君ってさ……アイツに似てるんだよ。弱いのに、危険を顧みずに体張ってさ。……そんな姿見てると、アイツを守れなかった弱い自分を思い出すのが嫌でさ。…………生きててよかった」
強く、握り返す手はかすかに震えていた。
恐怖は誰にでもある。人間にも、……悪魔にも。
失う事を拒み、失いたくないと願う意思が、炎蛇には確かにあった。
*此処より先は【やくまが】関連の別作品も関与した話になります。
◆
――これは、今より50年近く昔の話。
少女は青空を呆然と見上げていた。
「……」
特に何かあるわけでもない。
何時間でも続けていられる様な気分で、少女は微動だにしない。
そんな少女を動かしたのは、自身に近づく影が見えた事だ。
呆然としていた表情は、パッと明るくなり、近づいてきた人影に寄りかかる。
「わあ、珍しい! こんな所に小さなお客さんが来るなんて。それにとっても綺麗!」
少女――クリアは途端にはしゃぎ出して一方的に言葉を投げる。
それはもう構ってほしいというオーラをふんだんに漂わせて。
クリアが声をかけたのは、十ほどの小さな少女。手にする日傘も身に纏う衣類も全てが黒な、大人びた雰囲気のある少女だ。
「でもねっ、この先には行かない方がいいの。……ちょっと私の友達が不機嫌でね」
忠告をクリアは口にする。
しかし、近づいた少女はクリアを無視して素通りしてしまう。
……クリアは、少し離れた所で言葉を慎む。
親切心な忠告を無視した事に怒るような心情などなく、そのまま静かに少女を見送ろうと眺める。
…………はずが。
「……はぁ。何なのかしら? お嬢さん」
黒い少女は、ため息を吐いてから後ろを振り向く。
すると、クリアは驚いた様子で目を見開き、少女の返答に後れを取ってしまう。
素通りしようとした少女は戻ってくると、クリアを見上げて目を細める。
レースに隠れて見えなかった瞳。それは赤くある。
「この私を呼び止めるなんて、身の程知らずもいいところかしら? 私忙しいの」
「……」
「あら、急に黙り込んでしまったけど、どうしたのかしら? 用がないなら、私は貴方なんてどうでもいいのだけど?」
すぐにでも置いていこうとする姿勢。
クリアは、ハッとして困惑しながら声を出す。
「あ! ええっと、ひょっとしてお嬢さん、魔女なのかな? そうでしょ?」
好奇心旺盛な猫の様。クリアは瞳を輝かせて問いかける。
その眩い視線に、わずかだが魔女は身を退いてしまった。
「私、――クリア! ちょっと前まで魔女って言われてたけど誤解でね。でも本当の魔女さんに会えるなんて、とってもすごーい!」
「……何かしら? この面倒な子は。…………いえ。――この子たちは」
魔女は更に目を細める。
まるで複数人いるかの様な言葉に、クリアは首を傾ける。
「貴方、その隣に何かいるわね? 何を憑けているのかしら?」
その目は何かを警戒、もしくは軽蔑しているようだった。
クリアは思わず自身の隣を見る。
そこには、黒い人影がいた。
「……魔女さん、すごい。ひょっとしてこの子が見えるの?」
「見えないわね。……でも、何かしら声が聞こえるわ」
「……へぇー」
「それと、貴方死んでるわね。地縛霊ってやつかしら」
クリアに向けて、魔女はそう言い放つ。
更にクリアは隣奥を見る。
そこには簡易的な墓が飾られていた。
クリアの足先は薄く透けている。肉体は墓の中。魂だけが冥府に導かれておらず、墓の前で死してからずっと過ごしていた。
最初。魔女の少女が自身を無視したのも見えないからと思ったからだ。
だが、魔女は霊体であるクリアに気づき、こうして会話をしている。
「……そう、なるのかな。でも、こうして話してくれるなんて、魔女さんはとっても優し……、って何してるのかな!?」
クリアは喜びの最中驚きの声をあげる。
魔女が閉じた日傘で墓の下をあさっていた。
徐々に掘り起こされていく。
「わわわっ、どうしよう……! これって墓荒らしってやつなのかな? ……ちょっと気になるけど、なんか恥ずかしいよぉ!」
と、言うが。クリアはどちらかといえば中身が気になる様。
自身の遺体が入っているというのに、それを見たいとはどんな心境か。
墓は掘り起こされ、そこには骨が埋まっていた。
当然の事だが、クリアが死んでもう数十年が経過している。
骨もすでに脆くなっており、ちょっとの刺激で崩れてしまう。
だが、魔女は骨など興味がなく、その奥を探り出す。
「…………そう。貴方……そういう存在なのね」
何かを見つけたのか、魔女は理解した様子で呟き、クリアを見上げる。
魔女は次に墓からあるものを取り出した。
それは、掌に収まる程度の黒ずんだ赤い石。
「どういう、こと?」
「その様子だと、貴方は気づいていないのね。……貴方も、――魔女だって事よ」
その言葉にはクリアも衝撃を受ける。
誤解から生まれた魔女の呼び名。その呼び名が正しかったと、少女は言い放ったのだ。
「これは魔女の証の一つ、――【紅心石】。魔女の魔力核であり、真の心臓。……それにしても、ずいぶん壊れているわね。……なるほど、産まれた頃からの欠陥魔女の様ね。だから瞳も赤くない、魔力もない。……でも、そんな者を憑けてるんだから、これが正常だった時、貴方はある意味特別な魔女だったかもしれないわね」
赤い石は自然の風に触れると、脆く崩れ、砂塵となって天に舞う。
その最中、魔女は小さく「羨ましいこと……」と呟いた。
「まあ、どうでもいいとして。それでも貴方が未だにこんな所で居座ってるなんて、何か未練でもあるのかしら?」
急に話を切り替えられるも、情報が多く頭が混乱してしまう。
とりあえずと、クリアは新たな問いにまた首を傾げる。
「未練……なんて、ないと思うけど……」
「でも、貴方の隣のそれは、貴方がいつまでも此処にいることを許さない様子だけど?」
そうだ。
生前から隣の影は、ずっとクリアの死を望んでいた。
「次に繋ぐため」と……。
しかし、クリアが霊となって居座っているため、それを好ましく思っていない。
進むこともできず。クリアは留まっている。
生きていた頃はその声にどれだけ恐怖を感じたか。今となっては慣れてしまって聞き流す程度。
「……そうだよね。望まれてるなら、そうしてあげたいな。どうせ死んでるし。……でも、何が原因なのかな?」
「思い残している事があるんじゃないのかしら?」
「……思い残している……事」
「珍しい同胞の好とでも思って、聞くだけは聞いてあげる」
クリアは、しばし悩む。
そして、ふと思い出した様子で……ポツリと呟いた。
「……友達に、伝えたい事があった……かも。それだと思う」
「そう。……何を伝えたかったのかしら?」
「えっとね。……私が死んじゃって、友達の子はすごく辛い思いしちゃったはずなの。……時々此処を通るんだけど、私に気づいてくれなくて、いつも自分を責めた事言うの。だから、伝えてあげたかったの。……キミは悪くないって。だから、笑って、いつものキミのように生きてほしいって。そう……伝えてあげたかった」
それが、クリアの未練だ。
自分の罪がもたらした友の苦しみ。伝える事で少しでも軽くできればと……そう思っていた。
だが、今のクリアでは声が届くことはない。
「そのお友達は、この先にいるのかしら?」
「……うん、そう。さっきも通って行ったし。……あ! よかったら魔女さん。この事を伝えてくれる?」
「…………そうね、覚えていたら」
「ありがとうっ。……じゃあ、お願いしていいかな。これで、たぶん大丈夫だと思うから」
影が、クリアの袖を引く。
クリアはそれに微笑んで応える。
ささやかな願いを魔女に、叶えてもらえるかわからずとも託し、未練を終える。
魔女の視界からは、クリアの姿が瞬時に消え、存在感を失う。
天を見上げ、魔女はクリアを見送る。
「ええ、そうよ……。これはただの気まぐれ。だからさっきの願いも私の気分しだい。伝える伝えないも、私の自由。……でも、もし。貴方がその心臓を壊さずにいたなら……次に会う時は、私にとって大きな障害かもしれないわね。その時は遠慮なく潰させてもらうわ」
それはいつの事になるか、魔女ですら知りえない。
十年、それとも百年後か……。それとも一生交わらないか……。
予測のつかない、いつ咲くかわからない花。
それは、決して咲かせてはならない花。
魔女はいつ訪れるかわからない再会に向け、宣戦布告を放つ。
『やくまが 次回予告』
エリー
「なんだか久しぶりの予告ですね。……あれ? クロトさんは?」
クリア
「あら? また知らないお嬢さんがいる」
エリー
「あ。どうも、初めまして」
クリア
「あ。こちらこそ」
エリー
「……なんででしょうか? なんでか初めて会った気がしませんね」
クリア
「それってあれよね! 運命的な何か! 前世の記憶とか、輪廻云々とか」
エリー
「その詳しいことはきっとこの作品では語られないかもしれませんね……」
クリア
「つまり、お楽しみは別作品で……っという事ね!」
エリー
「そうなりますね。……って、なんの話でしたっけ?」
クリア
「結局魔女さんは私のお願いを伝えてないって事だよね?」
エリー
「そういう話でもなかったような……」
クリア
「でも、なんやかんやでニーズヘッグくんに私の願いが届いたみたいだし、うん、結果オーライってやつだね! 問題なしなし! ニーズヘッグくんはやっぱり面白い感じが一番なんだよ」
エリー
「なんだかニーズヘッグさんに求めているのがただの面白みだけに見えてきました」
クリア
「だってニーズヘッグくんは面白いもん♪」
エリー
「次回、【厄災の姫と魔銃使い】第四部 六章「団欒六重奏」。……というか、賑やかになりましたね」
クリア
「ニーズヘッグくんの事、よろしくねお嬢さん」
エリー
「う~ん、なんだか別の意味で不安な予感が……」