「後悔」
「……話……?」
ある程度、落ち着きを取り戻したニーズヘッグは徐々にその身を起こす。
しかし、先ほどまでの行動力は出せないだろう。
「さっきからの言い分からして……、姫君は俺に同意したってわけじゃなさそうだな。……姫君はものわかりがいいって思ってるんだがなぁ」
「とりあえず、姫の事情には付き合ってやる。愚か者が余計な事をするようなら、こちらもそれ相応の事はさせてもらう。……良いな? 姫」
確認に、エリーはゴクリと息を呑み、頷こうとした。
「ちなみに姫君。さっきも言ったが、フレズベルグが持ってる魔銃にはクロトの呪いと同じ【不死殺しの弾】が入っている。この体に当たればその場でクロトと俺は終わる」
釘を刺され、頷こうとしたエリーは一瞬躊躇う。
フレズベルグも否定はしない。もう一度「余計な事を……」と小声で呟いた。
「……フレズベルグさん、できればそれだけはやめてください」
「断る。姫もこの様な行動をとったのだ。それくらいは覚悟してもらう」
責任。その重荷がある事を思い知らされる。
ここから導き出される結果は、エリーにとっても確実な成功はない。
失敗の手前で、フレズベルグはその引き金を引くことだろう。
「……わかりました」
エリーは了承した。
そして――
「――もしもクロトさんが助からないのなら、私も一緒に死にますっ」
エリーの宣言。それは衝撃的なものでしかない。
クロトに呪いがあり、エリーが死ねば発動するもの。しかし、エリーにその呪いは繋がりというトリガーのみ。
クロトがどのような事になろうと、エリーが死ぬことはない。
にもかかわらず、エリーは自らその命を断つと言い放った。
「な……っ!? そんなふざけた事が、できるわけ……っ」
フレズベルグにとってはただの虚言としか受け止められない。
強く言い放っても、命ある生き物として……。ましてや、まだ幼いエリーにその決意があるとは思えない。
表情はもしもの結果と今の言葉に、恐怖を滲ませて表情を強ばらせている。
口先だけのでまかせ。【不死殺しの弾】を使わせないためだけの嘘。
だが、その傍らにいたニーズヘッグはその言葉の意に重みを感じた。
――いや……、姫君は本気だ。
確信などない。ただ、ニーズヘッグはそう感じ取った。
最悪の結末の後に、少女はその命を断つ。そんな未来が脳裏をよぎってしまう。
そう実行するだろう人間を……炎蛇は知っている。
「私は……、本気です!!」
「愚か者の言葉などっ。……やはり、これ以上は――」
交渉決裂か。フレズベルグはこの計画を中断しようと、前に出る。
エリーを連れ、この場から去る。それが最も最善の策と動く。
月明かりのみの夜闇の空間で、その刹那、フレズベルグの視界に火花がチラついた。
フレズベルグの道を阻むように、細かな灯火はしだいに大きく広がり、炎となって視界を覆った。
「――ッ!?」
溢れた熱。瞬時に炎は炎蛇の皮衣となりフレズベルグをはね除ける。
下がったフレズベルグが次に見たのは、繭の様に存在する羽衣の檻。
その中には、ニーズヘッグとエリーのみが残された。
突然の事でエリーは狼狽に周囲に気を取られる。
熱のある炎に覆われ、正に炎の檻。
渦巻く炎は外と内の音を断ちきり、ゴォゴォと燃える中……蛇は少女を組み敷く。
襲われた事に、エリーは気付くのが遅れ、呆気に取られて炎蛇を見ていた。
気付いた頃には恐怖をするはずだった。だが、エリーは恐怖心よりも、見上げた覆い被さる者の表情に意識を奪われる。
滴り落ちる汗。苦悶の表情。
先ほどでこういった行為が導く結果。ニーズヘッグが力を行使する事。それは途方も無い苦しみを己に下す事となる。
それは本人がわかりきっているはずだというのに、ニーズヘッグは再度フレズベルグに抗い、力を使った。
呼吸など定まらず、苦悶の中、炎蛇はその金の瞳を細める。
「……ほん……っとに、わかんねぇ……っ。こんな人間に、いったい何の価値が……あるっ。死ぬほどの価値が、コイツにあるのかよ!?」
エリーにとっての、クロトの価値。
ただ助けるだけでなく、エリーは死すら選ぶほど。
それがこの悪魔には理解できなかったのだ。
理解できないだけではない。
エリーは胸の奥に響くその言葉に、衝撃を受ける。
「俺から見ても、コイツは人間として最悪だっ。他者を使えるか……使えないか……っ。ほんの少しの優しさすら、ゴミ同然としか思えない……、こんな奴に、何の価値かある!? 死んでいいなら……俺に姫君をくれよ…………」
まただ。
あの時と同じ……。
泣いてしまいそうな声で。炎は熱いのに……悲しそうで。縋るように何かを求めている。
「俺を救ってくれよ……。俺だって、姫君が必要なんだよ……」
そっ、と……。細い首に手が伸びる。
この炎の中、どれだけ叫ぼうと外には届かないだろう。助けは来ない。
それなのに、エリーには絶望というモノがない。
目の前の悪魔は……助けを求めているのだから。
「姫君なら助けてくれるだろ……? 俺なんかでも……」
求めるその声には、エリーも手を差し伸べたい。
樹海でも、卑劣な行動の中でも。……ずっとこの蛇は救いを求めていた。
指が力を込め、呼吸を止められる前に。――少女は蛇の頬に指を這わせる。
「……泣いて……いるんですか?」
「……っ!?」
「あの時も……泣いてましたよね? ……本当に、その願いなんかで貴方は……幸せになれるんですか?」
ニーズヘッグから涙は零れていない。
刹那、炎蛇は表情をひきつらせ、エリーの言葉を否定しようとした。
しかし、開いた口からはその言葉を言えず……、かすれた過呼吸だけが出る。
今の悪魔はエリーにとって恐怖対象ではない。
目の前にいるのは、助けたくなるような……悲しい顔をする者だ。
無意識に、慰めるように頭を撫でる。
不思議と、喉に当たる手が震えている様にも感じる。
「私だって、貴方が救えるのなら……救ってあげたいですよ。……でも、私にはクロトさんとの約束がありますから」
「……約……束」
「私はクロトさんの願いが叶うまで……一緒にいると約束しました。だから、私は死ぬわけにはいかない。クロトさんがいなくなるのなら、私はクロトさんとした約束が……できなくなってしまう。価値なんて……難しい事、私はわかりません。でも、こう思う事が価値なら、ちゃんとクロトさんにも価値はあります」
「わかん……ねぇよ……っ。姫君は……道具として見られてるんだぞ? それで姫君は満足なのかよ!?」
「それで、クロトさんと一緒にいれるなら……私はいいですよ」
同意のもと。エリーはクロトにどう思われているかなど、自分がよく理解している。
その関係に意義などない。
「だから、私は貴方にも……助けてほしいんです。……クロトさんに、協力してくれませんか?」
「……は?」
「それが、私のお願いで、大事なお話です。お願いします」
「ふざ……っ。そんな、都合のいい話……認められるわけねぇだろっ!? 俺に、これまでの様に、いいように使われろって……そういう事なのかよ!?」
それは炎蛇が最も許せない事だろう。
彼の望みは、その環境から抜け出す事なのだから。
「俺になんのメリットがあんだよ!? あんな奴に協力なんて……絶対に――」
断るのは当然。
見返りの無い願いに応えられるわけもなく。
しかし、最大のメリットがその先にはあった。
「――その後は、私をどうしてもいいですから」
最大のメリットに、ニーズヘッグは言葉を失う。
「クロトさんの願いが叶ったら……私は……いりませんから。そうしたら……いいですよね?」
少女は後に、その身を捧げると口にする。
自分から言いだした答え。自らその最後を望むが、なんと説得力のないことか。
エリーは苦笑しつつも、その未来に……結果死ぬ事に、恐怖心を揺さぶられ涙をこぼしてしまう。
本当は怖いのではないか。死が軽いものでないと知っているからこそ、人魔問わずその概念に一筋でも恐怖が存在してしまう。
炎蛇が知る限りで、死の概念に怯えない存在が強く記憶に根付いてしまっている。
それは透明な色。澱みと、汚れのない、無色透明。
炎蛇は一つ、無色透明に求めていたモノがあった。
それは、「死ぬのが怖い」という、たったそれだけの言葉だった。
人外とすら思えるその存在。それをなんとか在り来たりな人間と認めたかったのだ。
予想外で、行動の読めない……。こちらの思い通りにならない。
「……俺がお前の事、忘れた事なんて一度もなかった」
透明なのに、いつまでも記憶にこびり付く。クリアという人間の存在。
忌々しくも、完全に捨てきる事ができなかった。
記憶の片隅ではいつでも無色透明がいた。
生前と変わらない、規格外の生き物。
それはただ、炎蛇を見ては無言を貫く。
言葉は無くとも、その目はこちらの意を見透かしているかの様で、訴えている気もした。
――こんな事しちゃいけないよ。ニーズヘッグくん。
いつもの様に、弱い者いじめをしていると、恐れも知らずに説教してくる。
ただ、訴える眼差しは強く叱るものではなく。そっと囁くようなもの。
その目を見る事を躊躇ってきた。
哀れむ様に見る目が不快だったわけじゃない。
……その目が怖かったんだ。
自分が間違っていると思われる事が。クリアにそれを教えられる事に、恐怖し続けてきた。
……そうだ。本当はこれがどれだけ馬鹿な事かなど、わかりきっている。
力があれば救われるか? ……救われない。
ただ虚しく、そして後悔を重ねるだけだ。
手に入れたかったのは力じゃない。あの時失った光だ。
その手は種族関係なく差し伸べる。
その手は非道を歩んだ者でも許し差し伸べる。
初めて見た少女は、同じ光を持っていた。
無色透明と称した人間の……、無明華の面影が少女にはあった。
それに心惹かれ、求めてしまった。
今度は二度と失わない。
……そう思っていたというのに。
失ったのは弱い自分のせいと戒め、強さを追求しようとした自分の意思が、どうしても全てを裏切ってしまう。
「……お前は、俺の後悔なんだよな」
けして忘れてはいけない。
己の弱さと、この間違いを気付かせるための後悔。
長い年月、どれだけ過ぎようと消えることのない後悔。
それが、今も存在し続けているクリアという、無色透明だ。
言葉を投げかけ、ようやくその目と向き合う。
『……後悔なんかじゃないよ。私はクリアだもん』
「知ってる。……あーあ。何が大悪魔だ。……人間一人を屈服させられなくて。救えることもできなかった。……俺は強くない」
自分の弱さを認めた。
強者を気取っていた炎蛇は、自身を弱者と言い、呆れてしまう。
『ニーズヘッグくん。苦しかった?』
「……苦し……かった」
『辛かった?』
「…………辛、かった。俺さ……嘘は嫌いなんだよ。なのに、自分にさんざん嘘ついてきた。さんざん……、いっぱい、無駄に殺してきた……っ」
『うん。ニーズヘッグくん、優しいもんね。……その子、ずっとニーズヘッグくんの事、止めようとしてくれてたんだよ?』
ニーズヘッグの纏う羽衣。それを引く存在。
深い意識の底で、今も尚眠り続ける体を共有しているクロト。
それは意識無くとも、強く握りしめ離そうとせずにいた。
「……コイツは自分が死なねぇようにだよ」
『自分に正直なんだね。……会えたら、会ってみたかったな』
「やめとけ。撃たれるだけだぞ?」
『あはは。……それでも、会いたかった』
クリアは変わらない。撃たれる事など気にもせず、彼女は笑って死の概念を吹き飛ばす。
……いや。すり抜かせていくのだ。
何年、何十年以来だろうか。ただの記憶にあるクリアだというのに、このような会話を交わしたのは。
後悔に悩まされてきた苦痛が、今は受け入れたくなるほど。
「……なあ、クリア。もしも……、もう一度やり直す事ができるなら、――お前はそれを……すんなり受け入れてくれるか?」
多くの罪を重ねてきた。
多くの悲劇と恨みをかった。
一人の存在を救えなかった……、己が許せない大きな罪があった。
過去は変えられない。失ったものは戻ってこない。
クリアは、うん、と頷く。
ふと浮かべた笑みの表情。その頬を滴がつたい落ちる。
『――いいよ。私はニーズヘッグくんに、楽しくこれからもいてほしいから』
それが、クリアの願いだった。
向き合った後悔は、徐々にその姿を消して行く。
まるで、美しく散る花の様に……。
きっと、こうやって向き合うのはこれが最後なのだろう。
消えゆく後悔は溢れる涙に負けず、笑顔で炎蛇に言葉を送る。
『頑張れぇ。ニーズヘッグくん!』
その応援する声は、炎蛇の意に染みるものだ。
返答する言葉すら出ない。
締め付けられる胸に、返す言葉が口にできず。みっともなく出てしまう涙を堪える事も容易にできない。
――ずっと、謝りたかった。
――ずっと、許してほしかった。
――ずっと、告げたかった……。
――今まで……ごめん。
――守れなくて……弱くて……ごめん。
――今度は絶対……嘘つかない。ちゃんと……お前が誇れる……最高の悪魔でいる。
――お前に会えて……よかった……。
――ありがとう……。そして…………さよならだ。俺の……後悔。
炎蛇は気付く。その願いが間違っていることを……。
後悔と向き合った炎蛇は、新たな未来を作り上げるも、脆くあった。
――星の少女の消えゆく命が目の前にある。
崩れそうな未来。足りないのは、もう一つとの向き合い。
後悔を超え、今と向き合う事。
【約束】があった。
けして違えてはいけない、交わした大切な【約束】。
繰り返してはならない、再び訪れようとする悲劇。
悲劇を覆すは、――炎の魔銃使い。
「アイツは死を覚悟してお前を説得したんだろうが! アイツが命をかけれて、俺ができないわけないだろうが!!」
火花よ舞え。
その最後の夜を終わらせる炎となって。
【厄災の姫と魔銃使い:リメイク】第四部 五章 「約束」