「汚れた華(後編」
クリアが目を覚ますと、そこは自分のベッドだった。
長く眠り、気付けば次の日の朝。思わず目が丸くなって何度も瞬きをしてしまう。
「……あれ? 私、確か花畑で。…………それから」
クリアは部屋の中を見渡す。
片付けられていない実験器具。一日分書き忘れた日記。
外から爽やかな朝日を室内に広げ、その日の始まりを物語る。
「ニーズヘッグくんが、送ってくれたのかな? ……んっ、ん~っ。なんだか体がかるーい。これもニーズヘッグくんのおかげだねっ。……なんで、そうなったんだっけ?」
昨日のことを思い出そうとするも、爽快とした気分で忘れてしまう。
体を伸ばしてベッドから飛び起きる。
「さてとっ。今日もニーズヘッグくんに会いに行こう! きっとまたあそこで待ってくれてるよね」
クリアは準備をする。
まずは実験器具を片付け、書き忘れた日記には後で覚えていることを書くためしおりを挟む。
起きた頃合いの時間にはいつもの様に妖精が家に来る。今日も同じだ。
「あっ、おはよう。昨日は寝込んじゃったみたいでごめんね。今日もニーズヘッグくんに会いに行こう」
いつもの様に明るいクリアに、妖精は安堵する。
出かける準備を進め、最後にカゴを手に取る。
中身の確認。また採取するために開いてみると、中身は一昨日持って帰ってきた物が入ったまま。一部の花などが腐ってしまっていた。
「あっちゃ~、どうしよう。……洗ったら大丈夫かな?」
ダメになった物は処分しなければならない。
そうして手に取り、取り出すと――
――ダメになってるね。まるでキミの様……。
クリアの心臓が強く跳ねる。
――出来損ない。欠陥品。……そんなキミはそれと一緒。早く処分しないと。
「……なに……言ってるの? 私は……」
――何も知らなければよかったのに。その方が楽に終われたのに。
――せめて苦しまないための慈悲だったのに。キミは知ってしまった。色をつけてしまった。
――次に期待しないと。キミのは産まれた時から壊れていた。だから次。次はちゃんとしたのに期待しないと。
声は、クリアを用済みという。
いらないものと言い、目の前のいらぬ植物と一緒の様に扱う。
「……私は、違うよ? なんで、そんなこと……言うの……?」
――だって……。キミは――
そこから先の言葉は遮られた。
突然開け放たれた扉に、クリアは目を向ける。
最初はニーズヘッグが迎えに来てくれたと、勘違いをしてしまった。
扉の先には見覚えのない男たちが数人。許可も無く家の中に入ってきた。彼らの手には、物々しい様子で武器が握られていた。
「……誰?」
クリアは首を傾けて男たちに問いかける。
すると、男の一人が手斧をクリアに向け、急に大声を出した。
「お前が魔女かっ?」
「……え?」
「村の奴らから聞いてな、お前が悪魔を利用して村に仕返ししようとしてるってよ」
いったいなんのことかと、クリアはまた首を傾けてしまう。
身に覚えのないことを言われてもクリアは知らない。
「とぼける気か?」
「……とぼける、って。悪魔って、ニーズヘッグくんのこと? 村に仕返しする理由がないんだけど?」
至極当然のことを言い返すも、それが聞き入れられるかは話が別だ。
「なんでもいいっ。その悪魔の居場所を教えろ! 俺たちはその悪魔を退治しにきたんだ!!」
「退治? ……ニーズヘッグくんを?」
クリアは、考えた。
目の前の男たちはニーズヘッグを退治すると言った。
人間が魔族に刃を向けるのはよくあること。それはニーズヘッグも同じと判断し、彼らはそれを行おうとしている。
……ニーズヘッグを退治。……ニーズヘッグを……殺す?
「おいっ。この女、妖精を連れてるぞっ」
「村の奴らが言ってた通り、やっぱり魔女かっ」
「……っ! ――逃げて!」
クリアは妖精を手に掴み、窓から外へ放り逃がす。
「コイツッ、妖精を逃がしやがった!」
「きゃっ!」
男の一人がクリアの腕を強引に引いて床に倒す。
身をぶつけたクリアは痛みを感じつつ、ゆっくりと起きる。
襲った男たちを見上げれば、斧の刃が目の前でギラつく。
「魔女が……っ、余計なことしやがって」
「……だって、いじめるつもりだったでしょ? そんなの、可哀想だよっ」
「魔族に慈悲など、やっぱり魔女は人間の敵だなっ」
「早く例の悪魔の居場所を教えろ!」
懲りずに聞き出そうとする。
だいたいの居場所はわかっている。だが――
「――嫌よ」
ハッキリと断言した。
手斧が振り払われ、それはクリアの頭部を殴り付ける。
強打され、酷い痛みが頭を襲う。
「……ぃ、たぁ」
痛いで済んだのは不幸中の幸いかもしれない。
刃が当てられていれば、死んでいただろう。
「もう一度言うぞ、魔女っ。お前の知っている悪魔の居場所を教えろ!!」
痛む頭に怒声が追打ちをかける。
しかし、クリアは唇を噛みしめ、痛みを堪えて更に強く言い放つ。
「嫌って……言ってるでしょうがっ。なんで友達に酷いことしようとする人に、言わなきゃいけないのよ!」
「……この、女っ。おい! アレを持ってこい!」
後方に控えていた仲間が、小袋から一つの小瓶を取り出す。
蓋を開け、数人がかりで暴れるクリアを押さえてから、中の物を一気に口のなかにへと流し込んだ。
味はしない。そう思った瞬間、クリアの咥内には酷い鉄の味が充満し、堪えきれず吐き出す。
出てきたのは、大量の血だ。
「……っ、は、あっ。なに……これ……?」
胸が苦しい。体も自由には動かない。
体の奥から痛みが広がって、喉は焼けるようだ。
「毒だよ、毒っ。魔女でも効くもんなんだな。居場所を教えれば、解毒剤をやるよ」
ぼやける視界で男たちは下卑た笑いで騒ぎ出す。
もちろん、解毒剤など男たちは持っていない。最初っからクリアのことも殺すつもりでいたのだろう。
魔女も人間にとっては、ただの害悪でしかないのだから。
そのことを否定などしない。どうせ何を言っても無駄なのだから……。
「言っちまえよ。死にたくないだろう?」
――早く処分しないと……。
不意に、また声が聞こえてくる。
自分を見下す男たちに紛れ、それは嬉しそうにこちらを見ているようだった。
だが、同時に……悲しみも含んでいた。
――そんな苦しみは、早く終わらせよう。
――言えば、楽になるかもよ?
それは、直ぐ死なせてくれる、という意味なのだろう。
こんな苦しみから解放される。
苦しいのは、クリアでも嫌だ。
「…………言わない……わよ」
「はあ?」
死など、怖くない。苦しみなど、平気だ。
友達に危険が及ぶくらいなら……。
「友達が危なくなるくらいなら……、今此処で言わないまま死ぬわよ!」
強情と、クリアは自身の信念を貫いた。
自分の死など怖くない。それよりもニーズヘッグを優先し、自ら死を選んだ。
自分よりも、ニーズヘッグに何かあればと思えば。その方が……ずっと怖いから。
最後の問いも答えずにいたクリアに、斧の刃が振り上げられる。
クリアの死への道に、一瞬の遮りが訪れる。
男の振り上げた腕が、突然切断され、床にへと落ちた。
酷い絶叫と共に、大量の血が室内を汚す。
その声が酷くうるさかったのか、更に刻まれ崩れ落ちる。
「……なに、してんだよ?」
狼狽した他の男たち数人の頭部が覆われる。
男たちの後にはニーズヘッグが静かな怒りを宿しながらいた。
隣には妖精も一緒に。逃がした妖精は真っ先にニーズヘッグにこの事を伝えた。
頭部を締め上げる炎蛇の皮衣。藻掻く人間はまともに喋ることなどできはしない。
しかし、問いかけたニーズヘッグはずっとその返答を待っていた。
誰も何も言わない。ただ呻くだけ。
「何してるって、言ってんだよ!!」
怒声と共に、羽衣は熱を帯びて体を切断した。
バラバラになった肉片と溢れる血液は炎にあぶられ、酷い悪臭と共に消し炭となる。
初めて……ニーズヘッグは人間を殺した。それも、クリアの目の前でだ。
しかし、今はそんなことはどうでもよかった。
「おい! 何された!?」
弱るクリアに寄る。
クリアは弱々しくも瞼を開き、炎蛇を見上げた。
「……ニーズヘッグくん? えっと……毒、だっけ?」
毒のせいか何が起きたのか全くわからない。
周囲を確認して、それがようやくわかった。
「…………ダメ、だよ? せっかく綺麗な羽衣、なのに」
軽く、ニーズヘッグの羽衣を撫でる。
ここまでのことをされて、何故まだそんなことが言えるのか。
「なんで……、なんで助けを自分で呼ばねぇんだよ!!」
「……なんで、て。ニーズヘッグくんが……あぶない、から……?」
「俺が人間如きにどうこうされると思ってんのかよ!」
「それに、呼んだら……絶対、来るじゃん」
来るに……決まっている。
当たり前だった。
来ないわけがない。
――仕方ないだろう……。お前に死んでほしくないからに……決まってるだろうが……っ。
それくらい、本人に理解してほしかった。
「だってね……ニーズヘッグくんのこと、守りたかったんだもん。……言ったじゃん、助けるって。友達……なんだから」
「馬鹿……だろ……っ。本当に馬鹿だろっ、お前! 大馬鹿野郎だ!!」
「……ニーズヘッグくん、優しいよね。……だから、ね? ――泣かないでよ」
炎蛇に……クリアは微笑む。
いつの間にか泣いてしまっていたニーズヘッグの涙を拭い、慰める。
それよりも、もっとすべきことがあるではないか。
死を恐れず、最後の最後まで透明なままで……。自分の思いを貫き通して……。
ニーズヘッグは涙を振り払いクリアを抱き上げる。
いったんベッドに寝かせ、症状を確認。
「……毒って、言ってたよなっ? 待ってろっ。毒にはそれなりに詳しいから、今すぐ薬草を持ってくるっ。それがあれば、そんな毒治る!」
このまま死ぬなど、ニーズヘッグは許せない。
認められない死からクリアを救おうとした。
「……うん。じゃあ、待ってる。……なんかごめんね」
笑って、謝る。
クリアはなにも悪くはない。
そして一秒でも早くと、ニーズヘッグは家を飛び出し、妖精もその後を追う。
一人残されたクリアは幸せを噛みしめた。
「私……すごく幸せ者だなぁ。迷惑、かけちゃった。また……後で…………」
むせ返る度に、自分から血液が失われていく。
長くない命に毒が体を蝕んでいく。
「……ちょっと、無理……かな? ニーズヘッグくんに、悪いこと……しちゃった」
ニーズヘッグが出ていった扉に目を向けると、そこには誰かが立っていた。
これまで見えなかった影。人の形をした黒いそれは、クリアを見て指差す。
――やっと死ぬんだね。……これで次に進める。
「……そうだね。もう私は死ぬ。……満足?」
――…………。
「怖くない。……だって、誰も悲しまないもの。私は一人……静かに…………死んで…………」
クリアの脳裏を先ほどのニーズヘッグの表情がよぎる。
自分のことを心配し、泣いた悪魔の姿が……。
今更になって、クリアは唖然といつもの言葉を躊躇う。
死ぬことなど怖くない。
誰も悲しまない。
短命ですぐに死んでしまうなど、仕方がない。
仕方がない。
……そう、仕方が……ない。
…………そんなはずは…………ない。
平然としていた表情は一変。クリアは涙で後悔に表情を染めていた。
毒とは違う。胸を締め付けるのは死への悲しみと恐怖だ。
あれほどなんとも思っていなかったはずが、いざとなって抗いたくなるほど怖くなる。
「……っ、や、だぁっ。死にたく……ないよ……っ」
初めての死の恐怖は絶大で、逃れようと扉に手を伸ばす。
「行かないで……、一緒にいてよ……っ。薬なんて、いらない……いらないから……っ。最後くらい、一緒にいて……」
これまでのニーズヘッグの忠告を思い出す。
どれだけ恐怖を教えられても聞き入れようとしなかったクリア。
彼女に今あるのはそんな自分を蔑む後悔。
後悔が、宝物の思い出を汚していく。
自分への違和感。それは無色透明な自分という花が、恐怖を知って色を付けてしまったという。見るも恐ろしい、真っ黒な色に汚されてしまった、ただの人間の心となった花。
どれだけの死と恐怖への無関心が、ニーズヘッグに迷惑をかけたか。
初めて会った時にニーズヘッグに恐れ、それ以降会うことがなければ……ニーズヘッグを悲しませずに済んだというのに。
クリアは、自分を貫いたことを。色を付けたことで思い知らされてしまう。
あれほど一緒にいたのに、気付くこともできず……。最後の最後で大切な思い出どころか、彼を傷つけてしまった。
最後に犯してしまった……クリアの大きな罪。
「ごめ、なさい……っ。もう二度と、死ぬのが平気なんて言わないっ。……死んでも、誰も悲しまないなんて……馬鹿なこと、言わない。だから……だから…………」
それが、クリアの最後の……叶わない願いだった。
◆
朝とはうってかわって、昼には酷い悪天候となる。
どしゃ降りの雨の中、まるで誰かの涙の様にそれは長く続く。
雨の中で一人……悪魔は天を見上げていた。
「……なんだよ。つまらないくらい、呆気ないな」
そう呟いた頬を水滴が伝う。
それが雨だったのか、それとも……。
「所詮、人間なんて脆弱な生き物じゃないか……。あんな毒にも耐えられなかった。……毒どころか――悪魔一体で、この有様だもんな」
炎蛇の背後には焼け野原にされた景色があった。
今は雨で鎮火しているが、その前はよく燃えたものだ。
穏やかで平穏そうな人里。それは途端に火の海と化す。
有象無象の脆弱な生き物が叫び、断末魔と共に業火によって魂すら残さず燃え尽きる。
今でもその時の光景を覚えている。だが、いつまでも記憶に留めることはなかった。
気にしても仕方がない。人間の死など、悪魔にとってはどうでもいいからだ。
……そう。どうでもいい、はずだ。
「……っ、お前なんかに……会わなきゃよかった」
感情を堪えれば、喉が痛み呼吸が乱れていく。
それでも、言わずにはいられなかった。
「お前に会わなきゃ……こんな……惨めな思い…………しなくてよかったっ。お前なんかに……、会わなければ……」
胸の奥が、苦しい。……痛い。
――後悔をした。人間と関わったことを。
こんな感情だけで辛く苦しむなど……悪魔として最悪でしかない。
弱い……。ニーズヘッグはいまの自分は酷く弱い存在だと考える。
弱ければ何も守れない。自分の心すら傷つけていく。
強くなければならない。余計なものを切り捨てればいい。
大事なものなどなければ、こんな辛い思いなどしなくていい。
――そうだ。力があればいいんだ。何者にも脅かされないための、力が……。
気付いた時には、乾いた笑いが喉からこぼれていく。
馬鹿で愚かな自分を捨て、考えを改める。
自分のために……。自分のためだけに……。
これまでの自分を裏切り、殺す。
「……」
歩み出すと、木陰では妖精が悲しそうにうつむいていた。
ニーズヘッグはそれを見向きもせず、通り過ぎる。
妖精は何かを訴えたそうにいたが、何かを言うということはない。
「……お前も、もう俺と関わるな。……燃やされたくなければな」
それは、別れと最後の忠告だ。
その言葉に妖精は心を抉られる。
今の炎蛇に慈悲はない。
以降。妖精がニーズヘッグの前に姿を現すことはなかった。
その後。火山を縄張りにする炎蛇の噂は悪化を極めていく。
残虐な炎の蛇。それがとある者の耳に入ったのは……これより数年先の話となる。
『やくまが 次回予告』
炎蛇の悪名は世界の至る所で広まる。
それは人魔問わずに恐れを抱かれ、その名を轟かせた。
それに目を付けたのは――一人の魔女。
過去と現在が繋がり、炎蛇は己がために一人の犠牲を望む。
最後の夜。夜明けと共に別れるクロトとエリー。
終わりの時を前、呪われた姫は決死の覚悟で魔銃使いと向き合い、最悪の決断を迫る。
その願いは、本当に誠のものか……。
その願いは、本当に己のためなのか……。
蛇は……今でも覚えている。
あの花の名を。その純粋で透き通った無色透明の人間の名を……。
そして、今でも執着していた。
その光に、その温もりに。
「……俺さ、嘘は……嫌いなんだよ」
後悔があった。その後悔を振り払いきれず、許されずいた炎蛇の罪。
もし……もう一度、やり直せるのなら…………。
――お前はそれを、すんなり受け入れてくれるか?
【厄災の姫と魔銃使い:リメイク】第四部 四章 「無明華の面影」