「無明華」
「最近よく山を下りているそうだな、ニーズヘッグ」
先日のこともあってか、フレズベルグは三日に一度は様子を見に来るようになった。
ほぼ決まった時間のため合せるのは簡単だ。
情報はおそらく火精霊からでも聞いたのだろう。
また余計なことを発言しないように、クギを刺しておかねばならない。
「……まあ、な。それなりに暇つぶしにはなるし、悪くないかな~……って」
「ふむ。以前よりはマシになっているようだしな」
「俺そんなに酷かったか?」
「幼児でうざかった」
「泣きます、泣いてやります」
「やかましい」
ニーズヘッグはすぐそうやって泣き真似をする。
慣れてしまったフレズベルグは軽くそれをあしらい流す。
「んだよ~。フレちゃんにんなこと言われっと、俺寂しくてホントに泣いちまうぞ? 蛇は寂しいと死んじまうんだぞ~」
「またわけのわからんことを。……そういえば、悩みは晴れたのか?」
その問いに、ふとニーズヘッグは苦笑して顔をそらす。
フレズベルグには少々曖昧な形でしか話していない問題。クリアのことを無色透明と呼び、更には珍獣と称していた。
詳細などまだ言えるような状況でもない。自分が人間と接触しているなど、フレズベルグでも予期せぬ事態で、知られればどんな目で見られるか。
先々を想像すればするほど、この件は詳しく話す事ができない。
ニーズヘッグの様子で察したフレズベルグは、思わずため息が出てしまう。
「……例の珍獣は解決できてないのか?」
「あんまりその事には触れないでくれ……。ホントに泣いちゃう」
「わかったから。……それにしても、お前をここまで悩ますのだ。ただ者ではないな、その珍獣」
「ああ~、でも俺でなんとかするっ。フレズベルグは無理して関わらなくても大丈夫だっ、うん!」
「…………何故そこまで挙動不審になる?」
それは知られてほしくないからだ。
嘘も言いたくないため、こういった攻めでなんとかするしかない。
必死が伝わったのか、フレズベルグも「うん」と頷く。
「そこまで言うなら、無理には聞かんが。……最悪、その珍獣、人間ではあるまいな?」
「ははは~、どうだかな~……」
――いや、そうなんだけどな……。
さすがはフレズベルグ。馴染みの友人なだけに勘が鋭い。
ニーズヘッグはいつもの様に山を下りる。
木の上から、日課のように薬草などを集めるクリアを見下ろす日々。
こうやってクリアを遠くから見ることが、今の炎蛇の日課となってしまっている。
直接会うなどはわずかな時間か二日に一度程度。適当に話をして、適当にありすぎる時間を消化するのみ。
「……なんつーか~。何やってんだろう、俺」
自分に問いかける。しかし、答えは「なんでだ?」という、更なる疑問だ。
「あれだ。……なんていうか、目を離すと危なっかしいっていうか、何しでかすかわかんねーていうか。とにかく、アイツは危機感が全くないからなぁ。見とかねーと……なんかこっちが不安になる。心臓に悪い……で、いいのか?」
恐れを知らないクリアは、例え魔物が現れても平常運転なのだろう。
さすがに逃げるか? とも予想するが、クリアの行動は予測が不可能だ。
ただ、彼女が気がかりなのは確かである。
「いや~、ワンチャン人間じゃなかったりしてな。ははは~、その方が納得いくんだが……。でも、どっちにしても、アイツの行動は読めねぇ……」
今は日課を行っているが、いつ予測外の行動をとるか。
そう思った矢先だ。
クリアはふと顔を上げ、耳を澄ます。
ニーズヘッグも同様だ。
微かだが、声が遠くから聞こえてくる。
「……なんだろう?」
クリアは気になったのか、迷いもなく聞こえる方にへと駆けだしていく。
また危機感など持たずに……。
彼女が進んだ方角にニーズヘッグは目を細める。
その方角は、より人里に近づく方角だ。
――カシャンッ。
金網が揺れる音が森の中で響く。
小さな金網には人の形をした小さな生き物が、背中の翼を強く羽ばたかせ逃げだそうと暴れる。
「おい、見ろよ。妖精なんかがかかってやがるぞ?」
「間抜けな妖精だな」
面白半分で網を揺さぶるのは付近の人里に住む人間の男二人。
狩りの途中だったのか、罠にかかった妖精を見て不敵に笑う。
狼狽する魔族の一種である妖精。精霊とは違い、ほんの少し悪戯をする程度の存在だ。
普段なら素早く飛ぶことができるのだが。このように捕まってしまえば逃げ出せず。
自分よりも大きな人間に挑発するような威勢もない。
「――ッ」
「何か言ってやがるぞ?」
「人間にはお前らの言ってることわかんねーんだよ。ああ、間抜けだからそんなことも知らねーのか」
そんなことは妖精にもわかっている。
だが、叫ばずにはいられない衝動があるのだ。
網からはみ出した虫に似た羽を摘まみ取られ、虫を虐めるように引っ張る。
「で? どうするよ?」
「確か妖精の羽って薬になるんだっけか?」
「じゃあこの羽剥ぐか」
「剥いだ後は見せもんとして売り飛ばすのも悪くないぞ。剥製なんかで悪趣味に飾る奴とかもいるしな」
背中の羽が引き千切られそうな痛みに人とは違う悲鳴をだす妖精。
妖精にはそれほどの再生能力もなく、羽を失えばそれっきりだ。
妖精の目には、人間が極悪な悪魔のようにも見える。人間の恐ろしさを痛感させられ、ただ藻掻いて抵抗していた。
そんな助けを求める思いが届いたのか――
「――こらー! 何してるの!!」
二人の男を叱る声がこだまする。
思わず振り向いた二人の目には、クリアが樹の枝を持って向けていた。
「その子、嫌がってるじゃないの! 可哀想じゃない!」
「うわっ!? 魔女のクリアだ!」
「こんな生き物の味方をするとか、やっぱ魔女だろ!」
勝手な言い分に反論などせず、クリアは真っ直ぐ二人を見る。
様子をうかがうニーズヘッグにしてみれば、これは意外なことだったかもしれない。クリアの怒る姿など初めて見たからだ。
それに、クリアはもしものことを想定してか武器代りの枝を手にしている。
「……え。アイツって戦えるわけ?」
これはまたニーズヘッグの予測が試される展開だ。
今までクリアがこのような場面に出くわすこともなかったため、情報が少ない。
その枝をどう使うのか。むしろ戦えるかどうかの根本的な問題も出てくる。
いや。もしかしたら実は人間ではない可能性も……。
様々な考えがでる。
ここまで強く前に出ているのだ。何か考えがあり巧妙な手口で難を乗り切るのやもしれない。
そう思うと、クリアの本気というものを見てみたくもあった。
相手は脆弱な人間だ。問題ないだろう。
……そう。思っていた。
「男二人で虐めてみっともない。……そんなことして――」
更に説教か。枝をブラブラと振っていたクリア。
言い分は間違ってなく、二人の行動は確かに悪魔から見てもしょうもないものだ。もっと言ってやれと背中を押したくなる。
そう思いを投げかけてやろうとした時、それは起きた。
クリアの手から、枝がすっぽ抜ける。
それは片方の男の額に命中してしまい、先手必勝をくらわせてしまった。
「い……っ、てぇっ」
「あっ。ご、ごめんなさいっ。当てるつもりは……」
頼りなくもあったが唯一の武器をあっさり手放し、クリア自身も予期せぬ事態に。
見ていたニーズヘッグは思わず木から滑り落ちそうになる。
――いや、戦えんのかーい!
クリアは二人に暴力を振るうことなどするつもりはなかった。ただ今のは手が滑っただけであり、不可抗力なもの。すぐにクリアも謝っていた。
おそらく、対面している男二人よりも遥かに弱い。
何故それで抗い、ましてや説教をしにわざわざでてきたのか……。
謝るも、男たちの怒りが治まるわけもなく。
「よくもやりやがったなっ」
弓を所持していた片割れが矢をクリアに向ける。
相手は狩りの途中だった。列記とした武器を持っており、衝動のままに同じ人間であるクリアを射貫こうとしていた。
……違う。同じ人間として見ていない。
クリアは――魔女として見られていたからだ。
――その時、静かな森に燃える熱が駆け抜ける。
突拍子もなく、突然緑の森に炎が起る。
急な事に頭が回らず、狼狽する男の弓が切断された。
視界には、揺らめく羽衣。自在に動くそれは素早くクリアの周囲を覆いだす。
「……これって」
クリアは羽衣に触れる。
竜燐の映る赤白の衣。燃える炎はクリアにとって熱くはなかった。むしろ、温かい。
「たくっ。弱い奴が何やってんだよ!」
とうとうニーズヘッグは姿を現し、クリアの前に出る。
「……ニーズヘッグくん? どうして」
「お前が危なっかしいから見てたんだよ! 色々期待裏切られたわ、どうしてくれんだよ!? お前の出る幕絶対なかったからな!?」
とりあえず。いつもの様に自ら危険に飛び込んだクリアを叱る。
燃え盛る炎の奥では、酷く声を震わせた人間の声が聞こえた。
「コ、コイツ……、悪魔!?」
「それもヤベーって! どう見てもそこらの魔物と違うっ」
「やっぱり魔女じゃねーか! その悪魔使って、村を襲う気だな!?」
これまた酷い勘違いだ。
だが、その驚きと恐怖は認める。人間は悪魔を目の当たりにすれば、こうやって恐怖を抱き恐れおののく。
本来あるべき光景だ。
「あ? まだやんのかよ脆弱なクソ野郎共? ……ちょうどいい。もっと怯えて脆弱さをさらけ出せ」
炎を纏う羽衣が二人を捉える。
武器を失い。足を震わせながらも二人は背中を向けて、その場から逃げ出した。
「逃げんじゃねーぞ、この――」
最後に脅し程度の一撃を与えようとした。
二度と手を出さないようにする縛め。
だが、その指示を羽衣に出す寸前、ニーズヘッグの耳が強引に引っ張られる。
「こらーー!!! ニーズヘッグくん!!」
クリアが耳元で大声を出す。
「いだだだだ!!」
「キミまでそんなことしてたら弱い者いじめでしょ!」
「や、やめんか!! アホかお前! 俺の耳が潰れたらどうすんだよ!?」
「じゃあその危ない炎を消す! 今すぐ、ほら!!」
まさか自分がクリアに怒られるとは思っておらず、そして危ないと言いわれてしまう。それも、逃げた人間を庇って言ってるではないか。
もめていれば二人はとっくに視界から消え失せている。釈然としないが、とにかくニーズヘッグは炎を消す。
確認したクリアは耳を解放した。
「うんっ。キミの羽衣は綺麗なんだから、あんなことに使っちゃダメだよ」
――あんなこと?
産まれた頃から一心同体の炎蛇の皮衣。
それは一番の相棒であり、戦いも共に過ごしてきた仲だ。
今更敵意のある者を傷つけることに何の違和感もない。
「……なんでアイツら庇うんだよ? ろくに力も無いくせに。しかも襲われそうだったじゃねぇか。わけわかんねぇ」
あれはニーズヘッグの立場なら、完全な敵対行為だ。魔界でそんなものを向けられれば、こちらも対応していく。
ただ己の力を示し、相手を屈服させる。それが当たり前だ。
「いいじゃん、べつに。私はこの子を助けたかっただけなんだし。あの人たち、逃げてったじゃん。戦う必要なんてないよ」
金網で背を痛める妖精。
クリアは罠から解放してやり、弱々しくも妖精は浮遊して、軽く頭を下げてから森の奥に帰って行く。
「よかったぁ。……ごめんね、怒鳴って。それに助けてくれて、ありがとう」
「できれば俺が手を出すことがないようにしてくれ……。お前が余計なことに首を突っ込むから悪いんだぞ?」
「そうかもね。私弱いから、あれくらいが精一杯なんだ」
なら、何故自ら火に飛び込むようなことをしたのか。自分が弱いと認めているにも関わらず、何故自分より強いものに抗ったのか。
何も恐れず、自分の思いのままに。何処までも透き通った意のままで。
「……なんでだよ。なんで弱いのに、強いやつの前に立つんだよ?」
魔界でなら自殺行為だ。
弱い者は弱い者らしく、強い者に従う。それが懸命で当然の生き方だ。
「だって、私は自分より他の人の方が大切だもん。私なんかで助けてあげられるなら、頑張んなくちゃって」
自分よりも、他人のため。
弱いのに。力も無いのに……。
例えそれが襲ってきた相手でも。自分という唯一の存在は、二の次でしかないのか……。
「全然怖くないし。長くないこの命、誰も悲しまない。だったら、無理してでも助けたくなるよ。弱くてもね」
「本当に何考えてんだか」
「じゃあ、なんでニーズヘッグくんは、私を助けてくれたの……?」
ニーズヘッグはその問いには答えない。
どう言っていいのかわからなかった。ただ、クリアが襲われそうで、危なかったから?
それに、自分は人間などよりも強い。弱い者をどうしようが、それは強者の特権だ。
この汚れがない存在を守ったのも……ただの気まぐれだったのかもしれない。
クリアは森の奥に戻るも、それは家に向かう事はない。
その後ろを付いて行くニーズヘッグは、とりあえず家に戻るまでクリアを監視することとした。
「あんな事があったのに、まだ帰らねぇのかよ?」
「ん? ニーズヘッグくん帰りたいの? ホームシック?」
「誰がホームシックだ。燃やすぞ?」
つい苛立ってしまい威嚇しておく。
しかし、相変わらずその脅しすら通用しないものだ。
「あはは。死ぬ時はその方がいいかな。キミの炎なら、燃やされてもいいかも」
自分で言ってなんだが、笑いながらそれを真に受けようとするクリアには困ったものだ。
本当に、この生き物だけは思い通りの反応をとらない。
「私のお気に入りの場所に行くの。ニーズヘッグくんもせっかくだし、来る? 私は大歓迎だよ」
クリアが家に戻るまで付き合うと決めたのだ。仕方がなくその場所まで付き添うこととする。
小川の岩を飛び越え、果実並ぶ木々を超え……。辿り着いたのは青空が覆う広間。
視界がその場の全てを認識するよりも先に、花の香りが鼻をくすぐる。
蒼天の真下には、一面の花畑が存在していた。
ニーズヘッグですらまだ知らない花畑。
しかし、ただの花畑ではない。
「……なんだ、この花?」
色とりどりあるのは、舞う蝶のみ。その花に色というものはない。
花弁は透けて、葉と茎の緑を映して咲く。
風で舞い上がれば、空と一つになって見えなくなるほどの、汚れのない透き通った無色透明。
まるで……
「綺麗でしょ? 私、この花が好きなんだ」
その花畑に立つ、クリアの様だった。
「無明華って言ってね。すごく透き通って綺麗な花なの。夜には色もないのに、ほんのり光ってもっと綺麗なんだよ」
汚れを知らない様な花。
そんな無明華の花言葉は【純粋】。クリアと全く同じだ……。
本当は、この花が人に化けたのではないかとも思える。それほどまでに、クリアとこの花は似ていた。
花と一体になるかの様に、クリアが透けて消えてしまいそうにも見え、思わず手を伸ばしてしまった。
「ねぇ、ニーズヘッグくん。私と友達になってくれない?」
「……は?」
我に返り、ニーズヘッグ伸ばしてしまった手を急いで引っ込める。
また唐突になにを言い出すのか。
人間が悪魔を「友達」呼ばわりするなど……。
「私、友達いないんだぁ。だから、ニーズヘッグくんなら、私は嬉しいなって」
「とも……だち……?」
友人ならいる。しかし、そういうのは対等な立場の者とするものではないだろうか。
戸惑う所も多々ある。
しかし、いつまでも否定しないことにクリアは承諾したと判断でもしたのか。ニーズヘッグの手を取り笑みを浮かべる。
「返事はまた今度でもいいよ。でも私はニーズヘッグくんのこと、友達って思ってるから。困ったことがあったら言ってね。私はニーズヘッグくんも助けるよ。だって、初めての友達だもん」