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約束~雪の夜に紡がれた物語  作者: 宮藤 隆
2/2

第二部

連載2回目です。これで完結します。

・・・わたしは走った。何度も転びそうになりながら。路面はすでに凍結しかけている。わたしはついに足を滑らせ頭から転倒した。


メガネは割れ、激しい痛みで頭に手をやると出血している。


「まあ、ひどい怪我。今、救急車を呼びますから。まず血を止めないといけないわ。どなたかタオルか何か持っていませんか」


親切な女性がかけ寄ってきた。


「放っておいてくれ。わたしには行かなければならんところがあるんだ」


わたしは女性の手を払いのけ、ヨロヨロと立ちあがって歩きはじめた。


「可愛そうに。あの爺さん、イカれちまってるんだ。本人がああ言ってるんだ。放っておいてやろうぜ」


連れの男性が女性の肩に手をまわし、きびすを返した。女性は心配そうに何度もこちらをふり返った。


わたしはなぜ日本に来てまで、こんな惨めな姿を晒しているのだろう。わたしが世界的な光学機器メーカーの元CEOだとはよもや誰も思うまい。


わたしは何度も転びながら、ようやくその店にたどり着いた。若い従業員は全身ずぶ濡れで、頭から血を流している奇異な老人を丁重に迎え入れてくれた。


従業員はわたしの頭に包帯を巻き、服を乾かしてくれた。出血は止まったようだった。


この店は佐和子とよく通った、お気に入りのレストランだった。手入れはされているようだが、雰囲気は少しも変わっていない。


「お怪我の具合はどうですか?本当に病院に行かなくてよろしいのですが」


先程の店員と入れ替りで、この店のオーナーらしき人物がやって来た。50代なかばくらいのがっしりとした体型の男性だ。


「驚きました。本当に来て下さるとは。この大雪で他のご予約はすべてキャンセルになりました。今夜のお客様はあなただけです。さぞ、大変な思いをされた事でしょう。大した事はできませんが、どうぞ、ゆっくりして行ってください」


外の雪はみぞれに変わっていた。人通りもあまりない。


「ご親切に、本当にありがとうございます。このお店が以前と少しも変わらずとても嬉しいです。それと、大変申し上げにくいのですが、注文は連れが来てからで良いですか。ずいぶん前の約束でしてね。本当に来てくれるかどうか」


「ええ、結構ですよ。良かったら、お連れの方が来るまでお相手を致します。今夜は貸切状態ですから」


「何から何まで本当にすみません。それではお言葉に甘えて、しばらく、わたしのつまらない話にお付き合い頂けますか?今後、この事を誰にも話す機会はないと思いますので」


「ええ、喜んで拝聴致しますよ。どうやら、深いご事情がありそうですからね」


男性はいつも佐和子が座っていた席に腰をかけた。わたしは佐和子とのいきさつを話しはじめた。


わたしは幼い頃に両親を亡くしているので家族を持ちたい願望が人一倍強かった。佐和子と結婚して幸せな家庭を築きたかった。

その為にも一生懸命働いた。中小企業であるわたしの勤める会社が他のメーカーに差をつけるには特許を取得するしかない。

特許の世界は非情である。スポーツのように三位までが表彰される訳ではない。オール・オア・ナッシングだ。その為にも時間が勝負だ。時間さえかければ、どの会社も遅かれ早かれ同じ域に到達する。わたしは寝る間も惜しんで働いた。当然ながら、佐和子と会っている暇はなかった。

そんなある時、佐和子が他の男性と関係を持ったのを知った。彼女は淋しさに耐えられなかっのだ。でも、わたしはそんな彼女を許す事が出来なかった。最後に彼女とこのレストランで会った。


「50年経って、もしお互いが生きていたら、その時はまたここで会おう。歳月が今までの事を洗い流してくれるだろう。どうか、その時まで元気でいてください」


なんと思いやりのない言葉だろう。でも、その時のわたしにはそう言うのが精一杯だった。佐和子は涙を浮かべながら黙って聞いていた。


わたしは会社を辞め、逃げるようにアメリカへ渡った。いくつかの会社を転々としたが、日本にいた頃から暖めていたアイデアが大手企業に認められ、最終的にその会社の会長職にまで登りつめた。


わたしは現地の女性と結婚した。名前はマリアと言う。細やかな気配りのできる素敵な女性だった。3人の子宝に恵まれ、それぞれが結婚し、今では孫が可愛いらしいカードを送ってくれる。わたしには佐和子の事だけが気がかりだった。日本にいる知人に消息を調べさせたが、結局わからなかった。

8年前にマリアは息を引き取った。わたしは会長職を辞した。今では週に一度、セントラルパークで子供たちに星空を見せる事が楽しみになっている。


気がつくと約束の時間を大きく過ぎていた。こうなる事はわかっていたが、やはり落胆せずにはいられなかった。


「長々とお話ししてしまってすみません。彼女はわたしの事などとっくに忘れて、どこかで幸せに暮らしている事でしょう。それでは料理をお願いできますか?もちろんお代は2名分お支払いしますよ」


オーナーはわたしをまっすぐ見据えて言った。


「佐和子さんは、いえわたしの母はさっきからここに居ますよ」


オーナーは背広のポケットから古ぼけた一枚の写真を取り出した。そこには月をバックにした若かりし頃の佐和子が写っていた。わたしの体がブルブルと震えはじめた。


「母はあなたが渡米してまもなく妊娠しました。迷惑がかかるからと言って、あなたと連絡を取ろうとはしませんでした。母は女手ひとつでわたしを育ててくれました。母はこの店に来るのが好きでした。あなたとの約束の事もここで知りました。

ある時、この店が売りに出される事を知りました。大手の不動産会社が狙っていましたが、その会社はここを取り壊すつもりでした。わたしは相場よりかなり高い値段でここを買い取りました。母の思い出の店をなくす訳にはいかなかったからです。

母は12年前に亡くなりました。最後まで自分が犯した、たった一度の過ちを悔いていました。あなたの悪口を言った事は一度もありませんでした」


わたしは慟哭し、嗚咽を漏らした。涙がとめどもなく流れた。愚かな事に、彼女の深い愛情に気づきもせず、何十年もの歳月を過ごしてきたのだ。わたしのした事は取り返しがつかない。だが、あの時、もし50年を30年と言っていたなら、彼女に直接詫びる事だけは出来たのだ。


「海外から予約のメールが届いた時は本当に驚きました。でも、正直良い気はしませんでした。今さら何をおめおめとやって来るのだというのが、わたしの偽らざる気持ちでした。

でも、今日のあなたを見て、気持ちが変わりました。雪のなかを何度も転び、傷だらけになりながら、なんとか約束の時間に間に合うようにと、必死になってここまで来たあなたを見て、恨みが雪のように溶けていくのがわかりました。この大雪がわたし達を結びつけてくれました。お父さん、と呼んでもいいですか?良かったら今夜は飲み明かしませんか。日本にはいつまで滞在のご予定ですか?良かったらわたしの家族をご紹介しますよ」


わたしはかってないほど暖かい気持ちに包まれた。わたしたちは手をとりあった。この光景を見て、天国で佐和子は喜んでくれているだろうか・・・。



サノクス夫人は日本から送られてきた俊雄からの手紙を読んで死ぬほど驚いた。帰国が少し遅れると書かれており、一枚の写真が入っていた。それは俊雄の新しい家族との写真だった。


ご愛読ありがとうございました。

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