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約束~雪の夜に紡がれた物語  作者: 宮藤 隆
1/2

第一部

二回に分けて投稿します。宜しくお願いします。

サノクス夫人が驚いたのも無理はない。わたしがいきなり日本に行くと言い出したからだ。

ニューヨークで暮らしはじめて半世紀近くが経つ。もはやここがわたしの第二の故郷だ。彼女とはお互いの伴侶を亡くした者同士親しくつき合ってきた。


「しばらく留守を頼みますよ。次回の天体観測会はうちの若い衆に頼んであります。火星が最接近するので見物ですよ。あなたのアップルパイをしばらく食べられないのは残念ですが」


彼女はいつも焼きたてのアップルパイをわたしにさし入れてくれるのだった。


「どうかお気をつけて。先日、あなたが紹介してくれた東洋のお薬、カンポウでしたか、とても良く効きますわ。おかげでリウマチがずいぶんと楽になりました」


「それは良かった。東洋医学はその人が持つ治癒能力を高めてくれるんです。冷え込みが厳しいので暖かくしていてください。お土産を持って帰ります」


彼女はわたしの今度の旅をただの感傷旅行だと思ったに違いない。わたしがもう日本に身寄りがない事を知っているからだ。だが、わたしはこの旅をずっと前から決めていたのだ。



陰鬱な雲がたれ込め、雨粒が窓を打ち続けている。飛行機が空港に降りたち、本土の土を踏んでも感傷めいた気持ちは起きなかった。わたしはとっくの昔にこの国を棄てたのだから。凍えるような寒さだ。吐く息で眼鏡が曇った。雨は次第に雪へと変わっていった。


タクシーを飛ばし、都内のホテルへチェックインした。長旅で少し疲れたのでベッドに横になり、しばしまどろんだ。


夕方、目が覚めると外は大雪になっていた。わたしは急いで身仕度をし、出かける事にした。駅に着くとすでに電車は止まっていた。記録的な大雪で除雪作業が間に合わず、復旧の目処がたたないらしい。仕方なくわたしはタクシーの長蛇の列にならんだ。


1時間以上待たされてようやくタクシーに乗り込んだ。だが、ひどい渋滞で少しも前へ進まない。わたしはしきりに時計を気にするようになった。あたりはすっかり日が暮れている。車はついに全く動かなくなった。


タクシーの運転手が無線でやり取りをしている。この先で事故があったらしい。当分はここから動けなさそうだ。困った事になった。ここから目的地まではまだかなりの距離がある。


わたしは迷った末にタクシーを降りた。もう自分の足だけが頼りだ。時間は刻々と過ぎてゆく。気が急いでどんどん早足になった。わたしはついに走り出した。


頭のイカれた老人だと、まわりの人はみな思った事だろう。棺桶に片足を突っ込んだような老いぼれが、息を喘がせながら大雪のなかを走っているのは正気の沙汰ではない。


わたしはなぜこんな事をしているのだ。約束に間に合わせる為?果たしてあんなものを約束と呼べるのだろうか。なにしろもう50年も昔の話なのだから。わたしは若かりし日々に思いを馳せた・・・。


ーわたしと佐和子を乗せたオンボロ車が息を喘がせながら山道を登っていた。


「ねえ、この車さっきからプスプス変な音がしてるわよ。こんな寂しいところでエンストなんて嫌よ。それにこの揺れ、なんとかならない?お尻が痛くてたまらないわ、俊雄さんが素敵な場所に連れてってくれるって言うから、楽しみにしてたのに」


佐和子が助手席でぶんむくれた。わたしは車の事より彼女のご機嫌のほうが心配だった。あたりは真っ暗で車のライトだけが頼りだった。


「もう少しの辛抱だよ。ほら、前方に灯りが見えてきただろう。あれが頂上の電波塔さ。すごく冷えるから、マフラーと手袋を持っていったほうがいい」


車を降りると吐く息が白く、凍えるような寒さだ。


「なんにも見えないじゃない」


佐和子の抗議は続いた。確かにそこからは木樹が視界を遮ってなにもみえない。わたしは彼女を誘って、電波塔をぐるりとまわり反対側に出た。


「綺麗・・・」


視界が一気に開けて大パノラマが拡がった。空気が澄んで星が賑やかだ。それにしても佐和子の無垢な表情は本当に美しい。


「ここは子どもの頃から父に連れられて何度も来た場所なんだ。父も天文マニアでね。ここだと街の光に邪魔されず、星が良く見えるのさ。これは父の形見の望遠鏡さ」


わたしは望遠鏡を組みあげて、さまざまな星を佐和子に見せた。


「土星の環って本当に見えるのね。写真で見るよりずいぶん小さいけど。なんだかコーヒーカップみたいで可愛いらしいわ。月も満月でとっても綺麗」


彼女は興奮している様子だった。


「満月は天文マニアには嫌われてるんだけどね。月が明るすぎると、暗い天体が見えなくなってしまうんだ。月の模様は昔からいろいろな物にたとえられてきたけど、佐和子にはどんな風に見える?」


佐和子は少し考え込んでこう言った。


「う~ん、海老フライかな」


わたしたちは腹をかかえて笑った。


「お腹が空いてきたのかな。海老フライはないけどサンドイッチを持ってきたよ。遠慮なく食べて。暖かいコーヒーもあるよ」


わたし達は星を眺めながら胃袋を充たした。寒い夜に飲むコーヒーは格別にうまい。特に隣にいるのが佐和子なら。


「仕事は順調?」


佐和子が聞いた。わたしは中小の光学機器メーカーに勤めていた。


「うん。下積みが長かったけど、徐々に仕事を任されるようになってきた。今は特許を取れるように頑張ってる。他のメーカーに負けないように必死さ」


わたしは本当は残業続きで疲れきっていたけど、そんなところを佐和子に見せてはいけない。


「いつか自分の設計した望遠鏡を世に出す事が夢なんだ。そして、その望遠鏡が売れたら、全国の学校に寄付したい。まだ、この国では望遠鏡は誰にでも買える物ではないからね。それだけじやない。直接、学校に出向いて天体観測会をやるんだ。子供たちの喜ぶ顔を見てみたい。ひとりでも多くの子供たちに星空に興味を持ってもらいたいんだ」


「とっても素敵な夢だと思うわ。俊雄さんならきっと叶える事が出来るわ。今日は本当にありがとう。ねえ、最後に写真を撮ってくださらない?」


わたしは月を背景に佐和子の写真を撮った。


続く、


次回で完結します。宜しくお願いします。

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