12月25日
冬が来ると毎年手袋を買う。ある意味罪滅ぼしのように、ある意味あの冬を忘れてしまわぬように。何度も何度も悔いて悔いて、今日も俺はこの街にいる。
「あー、さむ…。」
一年中ついているテレビによると、今週は特に冷え込むらしい。にも関わらず、各地のデートスポットには毎年のようにカップルが集っているようでげんなりする。のそのそと布団から這い出し、ティファールのスイッチを押す。冷蔵庫を開けると、いつ買ったか忘れたままのパンがあったので温めもせず噛み付いた。ついでに賞味期限を見てみると、12月18日。今日が何日だったか分からないが、多分賞味期限は切れているなと思いながら、ぼーっと咀嚼した。
今日が何日なのか分からない。大学生の時は、よくそんなことを言って友達と笑った覚えがある。あの頃は楽しかった。終わることの無いような中身のない湯の中をプカプカと浮くように、ただのうのうと過ごす日々はじわじわと終わりを告げた。何かを為せる訳でもなく、何を得た訳でもない、ただ空虚な日々が今は愛しい。毎日毎日、切迫した何かに追われながら、社会の隅でゴミを食って生きている今は。
口の中のパンを飲み込んで、書きかけの原稿の山から携帯を探して開く。今日は12月25日だった。そうだ、毎年の日課があるじゃないか。そう思うと少し気力が湧いてきて、風呂場へ向かった。
「彼女と別れた?あの彼女と?」
「…まあね。」
まじ?と心底驚いた顔をしながら同情してくれるのを見ると、こいつはいい友達だなと思う。
「性格もあんま合わなかったし、いずれ破綻する関係だったんだ」
「嘘つけ、ラブラブだったじゃんか。こないだのクリスマスなんて手編みの手袋貰ったんだっつって、そんときの顔のキモさと言ったら。」
と、外国人みたいな大振りなジェスチャーをしながら言う。
「いいか?お前はなんつーか、空っぽなとこがある。」
「空っぽ?」
「そうだ。何をしてもつまらなそうというか、感情が読めない。」
「そんなことはないさ。」
「でも周りはそう思ってる。でもさ、そんな何もないお前はこの世界でお前だけなんだよ。だからすげーんだ。」
「…よく分かんねえけど。褒めてる?」
「褒めてる。あと慰めてる。」
「でも嬉しそうだけどな。」
「や、彼女可愛かったし、次は俺が頂こうかなって。」
このやろ、と笑いながら肩で軽くつつく。まっさらな器か。きっと本当に褒めてくれているんだろうが、素直には喜べない。だって俺はお前みたいな輝く器になりたかったから。
あの時を思い出しながら、髪を乾かしていると、ちょうどあいつからメールが来た。
「よっ、フリーター。暇か?俺はあいにくクリスマスの夜を共に過ごす相手がいないから今夜どっかで飲もうぜ。お前もいないだろ?仕事終わったらまた連絡するよ。」
ふっ、と笑いながら、OKと返事をする。どうせどこかで飲んでも終電を逃してうちに来るから、部屋を片付けておかなくちゃいけない。それから例のものも買わなければならない。軽く掃除機をかけて、家を出た。
街はクリスマス1色で、普段とは打って変わって華やかになっていた。道路脇の小さな針葉樹には不釣り合いなクリスマスの装飾が施されていて、何となく面白かった。
「クリスマスにケーキはいかがですか?」
突然声をかけられすくんでしまった。見ると、安っぽいサンタの格好をした大学生くらいの女の子がケーキの売り子をしていた。
「や、結構です。」
「そんなこと言わずに、ぜひぜひ。」
「俺、そういう予定ないんで。大丈夫です。」
「じゃ、そういう予定、ケーキ買って作りましょう。」
しぶとい。ここまで通りすがりの一人のおっさんに販促をするものか?もしかして知り合いか?
「…もしかしてどこかで会ったことあります?」
「いえ、ないですけど。」
即答。恥ずかしい。
「じゃあなんで僕にそんな…。」
「うーん、何となくですかね。」
「そんなに買ってくれそうですか?」
「あー!今にも買ってくれそうじゃないですか。」
「…買わないですけど。」
「ケチ!」
変なのに絡まれてしまった…。何となくクリスマスの灯りに誘われて大通りになんて来るんじゃなかったと後悔する。
「私、実は本物のサンタさんなんですよ。」
「はぁ。」
「サンタさんは平等にプレゼントを配ると思いますか?」
「いい子だけですかね。」
「当たりです。だから私はお兄さんにこのケーキを贈ります。お金は貰いますけどね。」
「それはプレゼントでは無いんじゃ…。それに僕は別にいい子ではないです。」
「分かってないですね。お兄さん、この世界に1人として同じ人間はいないんです。だからみんな違う人生を持ってるんです。あなたはあなたの人生をこれまで懸命に生きてきたいい子として、今サンタさんに選ばれているんです。今日くらいお祝いされたっていいじゃないですか。」
「まるで今までお祝いされてないみたいですね。」
「確かにそうですね。」
そう言いながら女の子は笑っている。
「俺は今まで懸命に生きてきたんでしょうか。理由もなくのうのうと毎日を過ごしているだけじゃないですか。」
「理由がないと生きちゃいけないんですか?今までどんなことがあったとしても、今日お祝いして、また新しい一日を歩いていきましょうよ。」
新しい一日。なんだか背中を押された気がして、ポケットにしまっていた手袋代でケーキを買った。なんだか無性に自分を、お祝いしてあげたくなった。
「あー、飲んだ飲んだ。終電も行っちゃったし、お前ん家で飲み直すか。」
「さも当然のように言うな。」
「でもそうなると思ってたろ実は。」
「まあな。」
お邪魔しまーす。と言って、千鳥足でリビングまで向かう。こんなクリスマスは今年でもう5回目になる。
「そういや、お前手袋してねーじゃん。」
「手袋?」
「毎年恒例のやつ。」
「ああ、今年はそこにある。」
「何これ、コンビニのケーキじゃん。うまそ。」
「今日くらい自分を祝おうと思って。」
「ふーん。」
ニヤニヤしながらケーキ箱の封を解く。
「クリスマスケーキなんて子供の時以来かもしれない。」
その時、止まっていた人生の歯車がまた動き出した気がした。