82話_経緯
※今回は、アンドレアスとローウェン(という名の第三者)視点で進みます。
アンドレアスが、実の父親である王様の異変に気付いたのは、今から約一月ほど前のことだった。
いつもは穏やかな表情を見せている父が、何かに焦っているような余裕の無い表情を見せることが多くなった。
理由を尋ねても、適当に誤魔化されるだけで何も話してくれない。
他人の感情に疎いと評されているアンドレアスも、この時ばかりは察した。
今、父親が抱えているのは〝自分が関わって良い問題では無い〟のだ、と。
そこまで分かっていながら、彼の行動は、思考とは全く逆のベクトルに向かっていた。
心優しい彼は、純粋に父親の力になりたいと思ったのだ。
その為には、まず、父親が頭を抱えている問題の内容を知る必要があったが、そこに頭を悩ませることは無かった。
幸運なことに、彼にはローウェンがいた。
ローウェンに事情を話し、協力者として迎え入れることに成功したアンドレアスは彼の力を借り、難なく、父親が苦戦している〝問題〟の正体を突き止めた。
「鬼人、竜の腰掛け……これが、父上を悩ませている種か」
正確には、鬼人と協力協定を結ぶことで、出来るだけ平和的に竜の腰掛けと呼ばれる宝玉を管理する権利を王都に一任してもらうという一連の流れが、中々、思ったように進行しないが故の焦りだった。
余談だが、アンドレアスの依頼で調査をしていたローウェンが初めて、この策が既に実行へ移行されている知った時、思わず呆れの息を漏らした。
これを提案した者といい、異を唱えなかった連中といい、彼らは何も分かっちゃいない。
こんな理想が絶え間なく行進しているかのような案が、そう簡単に実現するわけが無い事を。
寧ろ、一生かけても実現しないであろう事を。
相手は、この世に存在する多種族の中でも、他種族との交流を極端に嫌う、あの鬼人だ。
それに、彼らと交渉手段を取るならば、まずは彼らとは言葉ではなく、拳を交わさなければならない。
それ程までに、彼らは野蛮な性格でもあった。
また、ローウェンが注目したのは、〝出来るだけ平和的に〟という言葉が当てはめられた場所だ。
これでは、鬼人との協定を結ぶことよりも、竜の腰掛けを管理する権利を手に入れたいというのが最大の目的であることが見え見えだ。
要するに、彼らは後者の目的さえ達成されるならば、過程は多少なりとも手荒な手段を取ろうと構わないのだ。
ある意味、鬼人よりも性が悪い。
いくら本人からの依頼とはいえ、こんな邪心塗れの事実をアンドレアスに見せて良いものかと悩んだ。
彼、アンドレアス王子は神の使いだと言われても納得してしまうほどに純粋だった。
隙あらば周囲を蹴落としてやろうと目論む邪な心を持つ者達と同じ世界に住む者とは、到底思えない。
ローウェンは最後まで悩んだが、結局、アンドレアスに真実を伝えた。
彼は、王子。将来は、今の王様の後を継ぎ、この王都を治めることになるだろう。
そんな彼に、この世界の美しい部分だけを見せることが彼の為になるとは、ローウェンには思えなかった。
ローウェンからの報告を受けたアンドレアスは何も言わず、何か考え込むように顔を顰めた。
(やはり……彼には、まだ早過ぎたか)
黙っておくべきだったかと、自分の選択に早くも後悔の念が押し寄せた時だった。
「なぁ、ローウェン。それは、つまり……父上は鬼人と親睦を図りたいという事だな!」
「…………はい?」
アンドレアスの要約を肯定するように頷こうとしたが、ある違和感が引っかかり、首を傾げた。
鬼人との親睦を図る……彼の解釈は、決して間違って無い。
それが本命では無いとはいえ、彼らとしては、それを実現させることが何より近道であり、理想なのだから。
「確かに、鬼人と協力的な関係で繋がりたいとは思っているでしょうが、それは、あくまで過程であって、本当の狙いは……」
「うむ! やはり、そうか! それならば、我にも力になれる事があるかも知れぬな!! こうしては、いられない! 早速、鬼人について調べなければ……っ! ローウェン、書庫に行くぞ!」
ローウェンの言葉を最後まで聞かず、勝手に納得したアンドレアスは嬉々とした表情で部屋を飛び出した。
今思えば、この時だったかも知れない。ローウェンがアンドレアスという人物の認識を改めたのは。
彼は、紛うことなき純粋だ。
ただ、何の濁りも無い純粋さは、年齢を重ねるごとに輝きを増し……言葉は悪いが、純粋という程度を超えて〝阿呆〟になってしまわれたのだ、と。
(……果たして、あの方の世話係が、私に務まるのでしょうか?)
少なくとも20年以上は、この城に仕えてきた。しかし、彼の仕事は基本的に庭園の管理ばかりで、王子の世話係は今回が初めてだった。
アンドレアスのことは前もって他のメイドや執事から話は聞いていたが、まさか、ここまでとは……
彼は、王族として生まれるべきでは無かった人間だろう。
だが……そんな彼が、王族として生まれてきたことに感謝している。
アンドレアスという人間は、変わり者が多いと王族の中でも更に特殊な部類に入るだろう。
今はまだ、年相応ながらの未熟な部分が目立つが、そんな彼が、これから知識や経験を吸収していく事で、どう化けるのか……ローウェンは、既に楽しみで仕方がない。
今の自分に出来ることは、彼が歪みなく成長していけるように支えていく事だけだ。
そう決心した直後に、彼の決意を試すように立ちはだかったのが、今回の〝鬼人と竜の腰掛け〟の件だ。
文献で調べれば調べるほど、鬼人と自分達が良い関係を築くことは不可能であると降参せざるを得ない。
また、竜の腰掛けについては、ほとんど文献が無く、その実情すら満足に調べることが出来ない。
まさに、完全に、お手上げ状態だった。
特に収穫も無いまま時間だけが経つ度に、アンドレアスの表情に焦りが募っていくのが分かったが、ローウェンには励ますことしか出来なかった。
そんな生活が続いて、どれほど経っただろう?
定かでは無いが、その日は、アンドレアスが父親である王様に連れられて王都にある学校へ赴いた日だった。
そして……
「ローウェン! 我に〝手紙の書き方〟を教えてほしい!」
突然、手紙の書き方を教えてほしいと言われた日でもあった。
……何故、手紙?
訪問先で一体、何があったのかと尋ねれば、〝我はついに、運命と出会ったのだ〟と意味の分からない回答が返ってきた。
意味は分からないままだったが、アンドレアスの真夏のような熱意に負け、作業を一時中断し、急遽、手紙の書き方講座が始まった。
そもそも、誰に、どのような手紙を書きたいのかを尋ねると、なんと、一般の生徒に向けた協力依頼の文書を書きたいと言うではないか。
「彼らは、我の理想なのだ! 彼等ならば必ず、父上の悩みも解決してくれるに違いない!」
その自信は、一体どこから来るのやら。
いや、そもそも、彼は自分の立場を分かっているのか?
王子が一般の……しかも、学生に依頼を申し込むなど前代未聞だ。
ここは世話役としては止めるべき、か……?
そこまで考えたが、ローウェンが実際に行ったのは、提案だった。
内容は、実に単純。
手紙の宛先を、その生徒達ではなく、彼らが通う学校の各理事長宛に変えること、それだけ。
結局、ローウェンが最後まで彼を止めることは無かった。
「ローウェン。改めて確認しておくが、この事は……」
「はい。他言無用、ですね」
人差し指を口に添えながら、そう言うとアンドレアスは安心したように表情を和らげた。
こうして、アンドレアスが書いた手紙は、無事にアルステッドとヴォルフに届き、ゴール地点であるライ達の元まで渡ったのだった。




