79話_世間は広いようで狭い
声のした方へ視線を向けると、この世の穢れから最も遠い赤子の如き純白なガウンに身を包んだ長髪の男が、まるで舞台の上にいるかのように悠然と歩いていた。
ピンと張られた絹糸のように癖の無い金糸雀色の髪は風に靡くカーテンのように芸術的な波を立て、桔梗色に輝く瞳は、控えめながらも、一癖ありそうな彼の性格を、色で見事に表現していた。
「……グリシャ殿、お久しぶりです」
そう言ってアンドレアスが頭を下げたにも関わらず、グリシャと呼ばれた男の視線はアレクシスに向いていた。
「水遣りに行ったきり、中々、お戻りにならないものですから迎えに上がりましたよ、アレクシス王子」
「あ、ありがとう、グリシャさん……早く戻ってくるつもりだったんだけど……その、色々とあって……」
「えぇ……どうも、そのようですね」
そこで、グリシャは初めてアンドレアスを見た。
汚らわしい何かを見るような蔑んだ目。
自分に向かれたもので無いとはいえ、側から見ていても、決して気持ちの良いものでは無い。
そんな彼を、アンドレアスの近くにいたローウェンが睨みつけている。
何も知らないのは、頭を下げているアンドレアスだけだ。
「今日は、なんだか人の気配を多く感じると思ったら……客人が来ていたのですね」
グリシャの目が、俺を捉える。
頭の頂点から足の指先まで、まるで品定めするかのような視線に不快感を覚え、思わず眉を顰めた。
「おや? 貴方は、もしかして……ライ・サナタスさんではありませんか?」
「……そうですけど」
まさか、名前を知られていたとは思わなかった。
しかし、相手が相手なだけに嬉しくは無い。
「色々と噂は伺っていますよ。なんでも、非常に優秀なんだとか……」
「いえ……そんなことは、無い、です……」
褒められている筈なのに嫌味にしか聞こえないというのは、ある意味、才能かも知れない。
それ程までに、俺は既に、彼に対して良い感情は抱いていないという事だ。
俺の返答に、グリシャは口元に手を添えてフフッと女性のように笑った。
「これまた随分と謙虚な方ですね。私、貴方のような方、好きですよ」
「…………どうも」
しまった。意図もせず、好感度を上げてしまったらしい。
一層の事、本来の性格を崩壊させてでも彼にとって好ましくない返答をするべきだった。
「あ、あの、グリシャさん! そろそろ戻らないと……」
「あぁ、そうでした。こんな所で時間を潰している暇は、ありませんでしたね」
アレクシスの助け舟により、グリシャの身体は踵を返し、元来た道を戻ろうとしていた。
「ライ・サナタスさん。もし今後、機会があるのなら貴方とは一度、じっくり、お話しをしてみたいですね」
(……そんな機会。この先、一生ありませんように)
グリシャの言葉に愛想笑いで返しながら、俺は神……に祈るのは癪なので、神以外の何かに祈った。
アレクシスは複雑そうな表情で頭を下げた後、既に小さくなっているグリシャの背中を追って駆け出した。
グリシャの背中を見つめるローウェンとアンドレアスの視線は、各々で込められた感情は違うものの、2人が彼に、何かしらの強い感情を向けていることは分かった。
そして、その感情が、一般的に好ましいとされる感情では無いことも。
レオンは、相変わらず何を考えているのか表情から読み取ることは出来なかった。
先ほど見せたような驚きの表情も、嫌悪感を含ませた表情も、彼の顔には浮かび上がらなかった。
もしかしたら、彼にとってグリシャは何かの感情に当てはめる価値も無い存在なのかも知れない。
「……っと、いかんいかん! 随分と予想外なことに時間を費やしてしまった。畏まった場で無く申し訳ないが、自己紹介をさせてもらおう!」
空気を変えようとばかりに、アンドレアスは唐突に話題を持ってきた。
今の俺としては、無理矢理でも場の空気を変えてもらいたいから、正直、助かる。
「我は、アンドレアス・ディ・フリードマン!! この王都を治める、ブラン・ディ・フリードマン三世の息子であり、アレクシスの兄だ!」
えぇ、えぇ、よく知ってますとも。
実技試験の時にアルステッドから聞いていたし、前世でも本人から聞いた。
「えーっと……ローウェンは、もう挨拶を済ませたのだろう? レオン殿も?」
アンドレアスがレオンに問いかけると、彼は小さく首を縦に振った……が、何かを思い出したような表情を見せると、首を左右に振り直した。
確かに、本人からは名乗られていないが、アレクシスが代わりに紹介してくれた。
それなのに、何故……?
「む? まだであったか。そうか、それならば我が……」
「……その必要は、ありません」
アルステッドが紹介しようと足を前に出そうとした時、レオンが初めて言葉を発した。
アンドレアスとローウェンが、奇跡でも目の当たりにしたかのような表情で彼を見ている。
彼が言葉を発するのは、そんなにも珍しいことなのだろうか?
(……まぁ、彼の顔に付いている口が、飾りで無いことは分かった)
レオンは俺と向かい合うと、目を少しだけ細めた。
「…………レオン・ボールドウィンだ」
なるほど、レオン・ボールドウィン……ん?
どうも聞き覚えのある言葉の響きに、俺は首を傾げた。
勘違いなどでは無い。
絶対に、どこかで聞いたことがある。
しかも1度や2度じゃない。今よりも、ずっと幼い頃から知って…………あ。
この時、内なる俺が、俺に問いかけた。
お前が、よく知る〝彼〟の名は?
お前を前世で殺した勇者の名は?
……現在、勇者学校に通っている幼馴染の名は?
そうだ、そうだった。
アランもまた、ボールドウィンという名を背負っている者だった。
しかも、ご丁寧にアランと同じ髪と瞳の色。この時点で、何故、違和感すら抱かなかったのだろう?
ここまできて、これを偶然として片付けてはいけない事など、誰に言われずとも既に承知していた。
つまり、レオンとアランは……
「あの……間違っていたら、すみません。貴方は、もしかして、アランの……」
疑問というよりも確認の意を込めて、たどたどしく言葉を紡いでいると、これが答えだとばかりに彼はフッと優しく笑った。
それは、聖騎士としてではなく、1人の父親としての彼が見せた笑みだった
[新たな登場人物]
◎レオン・ボールドウィン
・王様に仕える聖騎士で、王宮騎士団の騎士団長でもある。
・アランの父親(今回が初登場)。
・アランの髪と瞳の色は、彼から受け継がれた(その他の顔のパーツや性格は、サラ似)。
・どちらかといえば言葉にするより、行動で意思表示をする派。
◎グリシャ・サフォーク
・最近、アレクシスのお世話係に就任。
・どこか、いけ好かない雰囲気。
・容姿は女性的だが、歴とした男性。
・同じ王子でも何故か、アンドレアスは嫌っている。
・〝ある、お方〟を崇拝しているらしいが……?
※次回は、本編を一時中断し、閑話になります。




