78話_解けた誤解
「彼は怪しい者でも、害をなす者でもありません! 僕は見ていました。命を狩られるかも知れない状況の中で、彼が、この薔薇達を気にかけた瞬間を! 卑しい心を持った者に、そんな所業が出来ると思いますか?! お願いです! もう、これ以上は止めて下さい……っ!!」
彼を支えている両足はガクガクと震えていて、少しでも衝撃を与えれば崩れ落ちそうなほどに頼りなかった。
しかし、そんな状態であるにも関わらず、彼は殺気立った男を目の前にしても心は怯まず、しかも無防備な状態で俺を守ろうとしているではないか。
本来なら俺に向かって急降下するはずだった進路を変え、床タイルの敷かれた場所に音もなく着地したところを見ると、アレクシスの言葉はレオンと呼ばれた男の耳にも届いていたのだろう。
空中という足場のない所で魔法も無しに、どうやって進路変更をしたのか、原理は全く分からないが、この男の異常性は既に理解してしまっていたため驚きはしない。
男が何もしてこないと分かると、アレクシスは安心したように息を吐いて両腕を降ろした。
「ありがとう、レオンさん」
彼に御礼を述べたアレクシスは、慌てた様子で振り返ると、深々と頭を下げた。
「ライさん、申し訳ありませんでした!」
「……え?」
王子って、こんなに、あっさりと一般人に頭を下げて良いのか?
寧ろ、王族や貴族と呼ばれる生き物は変にプライドが高く、明らかに自分の非であっても謝罪もせず、金と権力を駆使して揉み消そうとする卑しい奴等では無かったのか……?
出会った当初は、容姿は瓜二つでもアンドレアスとは真逆な印象に本当に兄弟かと疑ってしまったが、このような王族らしからぬ行為を目の当たりにしてしまうと……あぁ、やはり兄弟なんだなと不思議と納得してしまう。
頭を下げるアレクシスの背後では、レオンが驚いたように目を丸くしている。ポーカーフェイスかと思いきや、意外にも感情が表情に出るタイプらしい。
「この庭園は、城の者以外は、あまり立ち寄らないから……その、ライさんを不審人物だと勘違いしてしまっただけで悪気は無いんだ。こんな事があった後で、こんな言い訳にも満たない言葉では納得してもらえないかも知れないけど……どうか、レオンさんを許してあげて下さい!」
もう一度、言わせてほしい。
王子という立場の者は、こんなにも簡単に頭を下げて良いのか?
……〝許してあげて下さい〟と言われても、そもそも俺は、彼に対して怒りを覚えたつもりは無い。
何故なら、彼はただ、自分の仕事を全うしただけのように思えたからだ。
彼が、この城で、どのような立場にある者かは知らないが、あの剣の腕前と服装を見る限り、この城を守る聖騎士ではないかと予想している。いや、予想というよりも、これは、そうであってほしいという願望。
あんな異常的な力を持っていながら実は一般人でしたなんてオチだったら、俺は一般人を相手に苦戦を強いられた事になる。それは元魔王として格好悪い、非常に格好悪い。
「どうか頭を上げて下さい、アレクシス王子。彼は貴方を守るために剣を振るった、それだけの事でしょう? 元々は、案内された道だけを行かなかった俺の落ち度です。だから、貴方が謝る必要はありません」
ちゃんと笑えてるか、俺……?
ヒクヒクと痙攣する口元をなんとか固定させ、我ながら胡散臭そうな笑みで、そしてペテン師さながらの機械染みた敬語で話す姿は、なんとも滑稽だ。
しかし、そんな滑稽な姿を晒した甲斐あって、アレクシスは頭を上げて心底ホッとしたように表情を綻ばせ、俺に手を差し出した。
「貴方が寛大な方で良かった……立てる?」
「……はい」
胡散臭い笑顔とペテン師張りの口調は、思った以上の効果を発揮し、俺には不似合いにもほどがある過大評価を与えさせてしまった。
寛大だなんて、とんでもない。本当に寛大な者が、詠唱無しとはいえ、いとも容易く結界を破られたことを根に持つはずが無い。
未だに抜けきれないショックに弱々しい返事で、アレクシスが差し伸べてくれた手を取ろうと伸ばしたが、まだ防御型装甲を解除していなかったことを思い出し、慌てて解いた。
まだ背中が少し痛むが、それ以外は問題無さそうだ。結界や装甲を使っていなかったら、下手すると骨の1本や2本は軽く折れていたかも知れない。
「あ、えと、紹介するよ。彼は、レオンさん。僕の父に仕えている聖騎士の1人で、王宮騎士団の騎士団団長を務めている凄い方なんだ!」
聖騎士に加え、騎士団長ときたか……どうりで、あれだけ規格外な力を持っているわけだ。
相手の強さに納得していると、レオンは重みのある足音を立てながら、ゆっくりと近付いてきた。
「……………………」
目の前に立った彼は何も言わずに、風に揺れる深藍色の前髪から見え隠れする紅の瞳で俺を見下ろしている。
その瞳に敵意は感じられないが、正直、感情を計り知れない表情をしているため、安心は出来ない。もう戦う理由は無いとはいえ、思わずゴクリと喉を鳴らしてしまった。
(……ここは、俺から何か言うべきか?)
とりあえず自己紹介を、と口を開こうとした瞬間、どこか興奮染みた拍手が庭園に響き渡った。
「素晴らしい! 実に素晴らしいものを見せてもらった!! やはり、我の目に狂いは無かった! そうであろう、ローウェン?」
瞳を輝かせながら、先ほどアレクシスが教えてくれた別館への入り口から現れたのは、もう1人の王子、アンドレアスだった。
そんな彼の後から歩いてきたのは、何故か疲労を背負った表情で頭を抱えたローウェンだ。
「そうですね……貴方の目が確かなのは充分に分かりましたから、ほんの少しで良いので私の話に耳を傾ける努力をして頂けませんか?」
ローウェンが注意をするが、アンドレアスは俺達の方へと歩み寄る足を止めない。
ローウェンの言葉など、今のアンドレアスの耳には微塵も届いていないことが、よく分かった。
「に、兄さん……」
アレクシスから、どこか後ろめたそうな声が漏れると、アンドレアスが初めて表情を変えた。
「おぉ、アレクシス! 久しいな、元気にしていたか?」
「う、うん……兄さんは、相変わらず元気そうだね」
アンドレアスは変わらないが、アレクシスの様子が明らかに変だ。
早く、この場所から去りたいとばかりに焦った表情をしている。
「最近、グリシャ殿に付きっきりで勉学を教わっていると聞いた。勉学も大事だが、実際に足を運んで、触れて、目で確かめることも大事だと我は思う。そうだ! 今からでも、我と一緒に……」
「申し訳ありませんが、それは許可出来ませんね」
アンドレアスの言葉を遮ったのは、男性とも女性とも取れる中性的な声だった。




