77話_白軍服の怪物
見上げると、俺の頭を打ち砕かんとばかりに振り下ろされた剣が、結界との間で火花を散らしていた。
殺気の主が誰なのかを冷静に見る隙も与えられず、振り下ろした剣が引かれたかと思うと、遠くへ弾き飛ばすかのように大きく打ち振るった。
「ぐっ……?!」
巨大な鉄球が衝突してきたかのような凄まじい衝撃に結界は耐えられず砕け散り、俺の身体は容赦なく吹っ飛ばされた。
結界を張っていたお蔭で、命を刈り取る死神の鎌のような鋭い刃が身体に触れることは無かったが、最早、これは人間という範疇を超えた怪物による所業だ。
せめて、その怪物の顔を拝んでやろうと視線を向けようとしたが、鼻を掠めた薔薇の香りに、ハッと下を見た。
このまま着地してしまえば、多くの薔薇を潰してしまう。折角、ここまで大切にされてきた命だ。こんな形で、最期を迎えさせる訳にはいかない。
「弾力結界っ!!」
花壇を包むように張られた弾力性に優れた結界が俺を受け止め、落ちてきた際の衝撃を利用して自分の身体を高く上へと跳ね飛ばした。
体勢を立て直し、今度こそ、こんな怪物染みた所業をやってのけた奴の顔を拝んでやろうと思った。
「っ、は……?」
だが、拝んでやろうと思っていた者は、何故か俺の目の前にいた。
冗談でも何かの比喩でも無く言葉通り、手を伸ばせば、すぐにでも届くほどの距離にいた。
怪物の正体は、白軍服のような服に身を包んだ男だった。
血や肉を欲する肉食獣のように血走って紅く光った男の瞳が、俺の姿を捉えている。
無情にも、男の瞳に映った自分は、かつて魔王であった俺が向けられていた〝戦意を喪失した〟顔をしていた。
当然、意図して、そんな顔を晒したわけでは無い。それなりに命を賭けにして戦ってきた者だからこそ出てしまった、謂わば〝本能〟という奴だった。
(まずい……っ!)
咄嗟に結界を張ったが、最早、意味が無かった。
蜘蛛の糸を振り払うかのように、剣一振りで結界は木っ端微塵に破壊された。
詠唱もなしの結界程度では自分の進撃を止めることは出来ないとばかりに。
単なる壁と化してしまった結界に、驚きと絶望を隠せないでいると、そんな俺の複雑な心境など知ったことでは無いと、落ち込む暇もなく追撃の構えに入る。
いくら結界を、いとも簡単に打ち砕かれたとはいっても、だからといって殺される気は毛頭無いが、下手に攻撃は出来ない。
俺が攻撃で返せば、庭園は完全に戦場と化してしまう。
仮に、何かを破壊してしまっても、花を荒らしてしまっても、魔法で元には戻る。
しかし、例え元に戻せたとしても、この庭園を踏み荒した事実に変わりは無い。
この庭園を大事にしているアレクシスの目の前で、そのような行為に及べるはずが無かった。
俺は追撃に備えるため、瞬時に両腕を重ねて構えた。
「防御型装甲!」
籠手のような装備が両腕を覆うと、大きく振り下ろされた剣を受け止めた。
防御型装甲には本来、相手の攻撃を防ぐ効果の他に、衝撃を吸収する効果も備わっている。
つまり、先ほどの結界のように使用者の身体が吹っ飛ぶことは、論理上、あり得ない。
あり得ないはず、なのだが……剣を受け止めた瞬間、俺の身体は地面へと叩きつけられた。
「が、は……っ」
背中の神経がダメージを受けたのか、ビリッと電気のようなものが身体中を走った。
……そもそも何故、こんなの事になったのか。
考えようにも思い当たる節が見つからないが、大方、俺を不法侵入者か何かだと思っているのだろう。
否定をしようにも痛さのあまり声が出せない上に、立ち上がろうにも背中の痛みと痙攣するように震える手足で僅かに起こした身体を支えるだけで精一杯。完全に、平和的解決への道が閉ざされてしまっていた。
見上げれば、男は剣先を俺に定め、重力に従って急降下した……とどめを刺すつもりだ。
この男は、標準的な人間では無いことが、この短時間で、よく分かった。
その場にいるだけで、味方を鼓舞し、敵を畏怖の感情を植え付ける程のオーラを持つ者。
謂わば、それはオーラと言うよりも〝覇気〟という表現の方が正しいかも知れない。
魔王だった頃でさえ、こんなにも萎縮するような覇気を放つ者には出会ったことが無い。
味方にとって、これほど頼れる存在はいない。同時に、敵として立ち塞がれた時、これほど絶望する相手もいない。
現に、男は、身体は子どもとはいえ魔王の頃と変わらぬ力を持つ俺を物理的に、ねじ伏せている。
このままでは……
希望の見えない未来に、思わず血の気が引いた。
両腕に施された装甲は、まだ健在だ。
これで防げば最悪、命は助かるだろうが、怪我までは免れる自信が無い。
なんなら既に、背中が痛い。
しかし、まだ希望はあった。彼の周囲を舞う花弁と葉だ。
攻撃は出来なくても、目眩し程度にはなるだろう。
「散花円舞!」
俺の詠唱に応えるように、宙を舞う花弁が男目掛けて矢の如く襲いかかった。
「っ、……!」
花弁に覆われた男が剣や手で振り払うが、花弁は意思を持ったかのように器用に避けながら男の身体に貼り付いていく。
これ以上の進撃は出来ないと判断したのか、男は俺から少し離れた地面へと着地した。
男か着地した瞬間、彼の身体に貼り付いた花弁は、役目を終えたかのように剥がれ落ちた。
獅子の如き威圧感のある瞳が俺を射抜く。俺も負けじと睨み返す。
ジリッと足を前に運びながら出方を伺う男と、未だに背中の痛みが抜けず立てない状態ながらも威勢だけは崩さない俺。
さて……ここから、どう出る?
とりあえず結界を張るべきか、それとも……不本意だが、攻撃手段を取るべきか……
こうして迷っている間にも、男はジリジリと距離を詰めてくる。
緊迫した空気に、ゴクリと喉が鳴る。
この高揚感、いつぶりだろう?
今となっては懐かしい感覚に思わず、口角が僅かにピクリと上がった。
「ま、待って下さい!!」
しかし、誰よりも早く動きを見せたのは俺でも男でも無く、両手を広げ、まるで俺の盾になるかのように男に立ちはだかったアレクシスだった。
 




