76話_もう一人の王子
※今回は、短いです。
アレクシス・ディ・フリードマン。
兄であるアンドレアスと同じ髪と瞳の色を持った彼は、そう名乗った。
だが、名前を聞いても、やはり、どこか引っかかったり、何か思い出したりすることは無かった。
彼とは前世でも関与したことが無い。
つまり、純粋に今が初対面だった。
彼の名前は分かった、だが、問題は、この後だ。
残念ながら、俺のコミュニケーション能力では、これ以上、彼との会話を広げていくことは出来ない。
だからといって無言を貫くわけにもいかないし、況してや、この場を去るなど以ての外。
「……最近、兄が机に向かう時間が増えたなって不思議には思っていたんだ。どちらかというと兄は、外に出て身体を動かす事を好む人間だから。そんな兄が、何やら真面目な顔つきでペンを走らせていたから、どうしたのかと思ったら……貴方に、手紙を書いていたんだね」
なんと有り難いことに、相手の方から話題を持ちかけてきてくれた。
納得したように、そして、どこか羨望に近い感情を含ませながら、彼は独り言のように呟いた後、自嘲するような笑みを浮かべて俺を見た。
「兄に、貴方のような友人がいたなんて……知らなかった」
〝友人〟という言葉に耳を疑い、慌てて否定した。
「俺のような凡人とアンドレアス王子が友人だなんて、とんでもない。王子のことは当然、知ってはいましたが……これまで会話を交えるどころか、顔を合わせた事すらありませんよ」
前世を除いては……と、心の中で付け加えながら真実を告げると、アレクシスは心底驚いたとばかりに目を見開いた。
「それでは……兄は、ろくに面識も無い貴方に、個人的に手紙を送った、と……?」
そう言いたくなる気持ちは分かる。
分かるが、正直、手紙の件に関しては不明な点が多すぎるため、俺としても早急に話を聞かせてほしいくらいで……と、改めて自分の気持ちを把握できたところで俺は今、自分が置かれている状況を思い出した。
手紙の差出人に直接、話を聞こうと、ローウェンの案内で応接の間まで向かっていたが、〝諸事情により〟俺だけ別れてから、どれほどの時間が経過したかは分からないが、1つだけ分かる事がある。
それは、そろそろ応接の間に向かわなければ、色々と不味いという事だ。
さすがに、王子も既に来ているだろう。
それなのに俺が不在なために、話も出来ず待ち惚けを喰らわせてしまっていては、無礼どころの話では無い。
……あり得ない話だろうが、仮にアンドレアスが、何処ぞの女王ように容赦のない暴君だったならば、俺は即刻、首を刎ねられている。
「すみません。俺、そろそろ行かないと……」
そう言って頭を下げた時、アレクシスの足元からジワジワと領域を拡大しつつも、同時に地面に少しずつ吸収されている水溜りが視界に入り込んだ。
その光景で、先ほどの風でアレクシスが、手に持っていたジョウロを落としていた事を思い出した。
顔を上げ、軽く人差し指を振った。
すると、横倒れになっていたジョウロは意志を持ったかのように起き上がった。
今度は、指をパチンと鳴らした。
薔薇庭園……正確には、薔薇達が咲き誇る花壇の真上に、小さな雨雲を出来上がっていく。
「小さき生命に恵みを与え給え──恵みの雨」
雨雲は、俺の声に応えるように薔薇達に潤いを与え始めた。
叩きつけるような激しいものでは無く、髪に櫛を通すような優しい雨が、薔薇の花弁を、葉を、濡らしていった。
その一部始終を呆然と見ていたアレクシスに再度、頭を下げて、俺は今度こそ踵を返した……が、我に返ったような声で、彼に呼び止められた。
「応接の間に行くんだよね? それなら、そこの扉から行くより向こうから行った方が早いよ。それから、その……ありがとう、薔薇達に水を与えてくれて」
初めて、彼の〝本当の顔〟が見たような気がした。
心が温まるような微笑みを浮かべた彼が指したのは、俺が向かうべき応接の間がある別館へと直接繋がる入り口だった。
確かに、あの扉から再び階段を上って、あの長い廊下と渡り廊下を駆け抜けるという遠回りな道を行くよりも、あそこから行った方が断然早い。
御礼を述べて一礼し、アレクシスが教えてくれた入り口へ向けて、早速、足を進めようとした……が、穏やかで美しい庭園とは明らかに相容れない殺気を感じ、瞬時に振り返り、結界を張った。
────ガキィィン!!
次の瞬間、一切の迷いも躊躇も無く叩きつけられたような金属音が庭園に響き渡った。
 




