74話_意気阻喪
大きな扉によって閉ざされていた世界は、宝石箱のように煌びやかで、現実味が感じられないほどに豪華だった。
俺は、これほどまでに〝豪華絢爛という言葉が似合う世界を知らない。
大きな入り口から中へ入り、最初に目に飛び込んできたのは、今、目の前でビッグスター達が連なって歩いていても違和感の無い真っ赤な絨毯が敷かれた大きな階段だった。
室内を灯す数多のシャンデリアは、夜の空に浮かぶ星のような淡い光を放っている。
「すげぇ……」
リュウが惚けたように呟いた。
この城の持ち主はコレクター気質なのか、家の箪笥よりも大きなガラス張りのショーケースが所々に置かれており、中には見るからに高価そうな壺や置物が綺麗に並べられている。
玄関に来たばかりだというのに、この空間においての自分の場違い感に既に帰りたい気持ちに苛まれている。
そんな淡い願いは儚く散り、いつの間にか2階の広間から俺達を見下ろしていた男が颯爽と階段を降りてきた。
ハヤトが着ていた黒いスーツと酷似した衣装を身に纏い、黒みがかった紅色の髪を後ろで1つに束ね、ブルートパーズのように透き通った瞳を向けた男は、俺達の前に来ると深々と頭を下げた。
「お出迎えが遅くなり、申し訳御座いません。ビィザァーナ様、そして……ライ・サナタス様とリュウ・フローレス様。お待ちしておりました」
てっきり、何者だと尋問を受けることになると思ったが、外にいた門番とは違い、この男は俺達が来ることを分かっていたかのような反応を見せた。
しかも、ご丁寧に俺達の名前まで把握している。
男は頭を上げ、目を細めて僅かに微笑むと、胸元に右手を添え、軽く頭を下げた。
「私はフリードマン王家直属の執事……ローウェンと申します。主に、アンドレアス王子のお世話係をさせて頂いております。どうか以後、お見知りおきを」
どこで、どういう教育を受ければ、そのような言葉を、動作を、自然と振る舞うことが出来るのだろう?
この王都を治める家の直属とだけあって、その振る舞いは完璧だ。
「ローウェンって、いったわね。私、この城には何度か来たことあるけど……貴方に会ったのは初めてよ」
彼女の声が、視線が、彼を疑っているのが分かった。
あからさまな彼女の態度を前に、ローウェンは少しだけ躊躇ったような笑みを浮かべた。
「……実は、アンドレアス王子のお世話係に任命されたのは最近の事なのです。それ以前は、薔薇庭園の管理を担っておりました。ビィザァーナ様は、城の薔薇庭園に足を運んだ事はありますか?」
ローウェンの問いかけに、ビィザァーナは顔を歪ませた。
「薔薇庭園って、あの長い渡り廊下から見える赤と青の薔薇ばかり生えてる場所のことでしょ? 見たことは何度もあるけど、直接、足を踏み入れたことは無いわ。薔薇を育てていた貴方には悪いけど……私、花の中で薔薇が1番嫌いなの」
意外だ。
本人に聞いたわけでもなく、俺の勝手な思い込みでビィザァーナは薔薇などの派手な花を好む女性だろうと思っていただけに、驚いたように目を丸くして彼女を見た。
彼女の言葉で少しは不機嫌になるどころか、ローウェンはフッと優しげに微笑んだ。
「左様でしたか。それなら、私と同じですね」
ローウェンの言葉にビィザァーナが首を傾げると、彼は目を細めてニコリと笑った。
「私も、薔薇は好きではないので」
この時、彼もまた、心の中に黒い何かを飼っているのだと察した。
ビィザァーナも触れてはいけない何かを感じたのか、彼の言葉について何も言及しなかった。
「それにしても……外の門番は、彼らに届いた封筒を見せてもピンときた様子が無かったから思わず不安になっちゃったけど、貴方の反応を見る限り、とりあえず追い出される心配は無さそうね」
言及しない代わりに、彼女は話題を変えた。これ以上、こんな会話を続けたところで互いに得られるものは無いと判断したのだろう。
そもそも俺達は何故、ここへ来たのか?
その原点を思い出してくれたからこそ、彼女は、このような軌道修正に入ってくれたに違いない。
「どうか、門番の無礼をお許し下さい。あの門番は何も悪くないのです。彼は、何も知らなかっただけなのですから」
「……どういう事?」
何かを探るような視線で問いかけたビィザァーナにローウェンは答えず、周囲を見渡した。
そして、俺達以外、この場には誰も居ないことを確認すると、真っ直ぐに伸びていた背筋を少しだけ曲げ、俺達に囁くように言葉を放った。
「実は、その手紙……王子が独断で送った物なのです。ですから門番を含めた兵士達は愚か、父親である王さえ、王子が貴方方に手紙を送ったことを知らないのです」
「ちょ、ちょっと待って!」
一旦、休憩だとばかりにローウェンの言葉を遮ったのはビィザァーナだった。
俺も、思った以上に深刻な話に移行しそうな雰囲気に、戸惑いを隠せないでいた。
俺と……珍しくリュウが何も発せない分、ビィザァーナがローウェンに詰め寄る。
「〝王様も知らない〟ですって? 由緒正しいフリードマン王家に使える執事は、そんな笑えない冗談で客をもてなせと教育されたのかしら」
ビィザァーナの反応に、ローウェンは予想通りとばかりに肩を落とした。
「私は、冗談のつもりで言ったわけでは無いのですが……この場で私が何度説明したところで、貴女には執事の戯れ言にしか聞こえないでしょう。……それならば、王子に直接、話をして頂くしかありませんね」
それが良いと自分の提案に頷くローウェンに、ビィザァーナはとうとう、疑問を投げかけるという行為を放棄した。
◇
完全にローウェンのペースに乗せられた俺達は、あれよあれよという間に彼の案内の下、〝応接の間〟と呼ばれる場所を目指して目の前にある2階へと続く大きな階段を一歩一歩上がっていった。
2階の構造も豪華なことに変わりはないが、分岐点を示す位置のようで、左右の道には同じ色、同じ形、同じ数の扉が等間隔で整列している。
目の前には、赤ではなく、今度は青の絨毯が敷かれた長い廊下が奥へ奥へと続いている。
まるで、別空間から切り取ってきた空間を貼り付けたかのような不思議な空間だ。
そう感じてしまう程に、俺が立っている場所と目の前で延々と続いている廊下には、見事なまでに統一性が無かった。
ローウェンが選択したのは、目の前の長い廊下だった。
迷いなく、長い廊下へと足を進めた彼の後ろ姿を確認し、その背中を追いかけた。
床は青く、壁は真っ白な背景に青い薔薇が点々と描かれている。
派手さを強調していた玄関とは違い、控えめな上品さが醸し出された空間に、詰まりかけていた息が少しだけ吐き出せたような気がした。
そのせいだろうき、特に会話も無く、廊下の最奥部である扉まで辿り着いた瞬間、とある生理現象が、俺を襲った。
(よりにもよって……何故、このタイミングで……?)
ローウェンが開けた最奥部の扉を、ビィザァーナ、リュウの順で通っていく。
俺も彼らに続いて、その先に行きたいのは山々だが、今は応接の間よりも行きたい場所があった。
「あの……すみません」
おずおずと手を挙げると、扉を開けたまま支えていたローウェンを始め、扉の向こう側にいるビィザァーナとリュウも訝しげな表情で俺を見つめた。
彼らの視線から逃げるように視線を床に落とすと、今まで出したこともない、か細い声で、俺は呟いた。
「……………………御手洗いを、お借りしたいのですが」
その瞬間、出荷されていく家畜を見るような憐れみの目が、俺に容赦なく突き刺さった。
他の誰でも無い、俺が1番分かっている。このタイミングで、それは無いだろう、と。
だが、現実とは非情なもので、例の三大欲求を免れる人間など存在しないように、身体と精神を清潔に保つための、この生理現象からは逃れられないのだ。
ビィザァーナとリュウから憐れむ視線を感じる中、ローウェンだけは何事も無いような表情で、最奥部よりも少しだけ手前にある扉を指さした。
「御手洗いなら、そこの扉を潜れば、すぐです。応接の間は、この扉の奥にある渡り廊下を進んだ先に3つの扉があります。その3つの扉のうち、中央に位置する扉が応接の間へと繋がっています」
それほど込み入った場所には設置されていないようで、ホッとした。
下手に待ってもらうよりも、先に行ってくれた方が俺としては好都合なので、彼の対応に感謝だ。
ローウェンに礼を述べると、彼は軽く頭を下げ、扉の奥へと姿を消した。
それを確認した俺も、彼が指していた扉へ一直線に駆け込んだ。
[新たな登場人物]
◎ローウェン
・フリードマン王家直属の執事。
・臙脂色の髪とブルートパーズのように透き通った青の瞳。
・容姿は20代前半に見えるが、実際は30代後半。
・以前は、薔薇庭園の管理を担っており、表に出てくる事はほとんど無かった。薔薇庭園の管理をしてはいたが、薔薇が好きというわけでは無いらしい。
・現在は、アンドレアスのお世話係。
今回、まさかのギャグ回です(ほんのりですが……)
一応、遠回しな表現を使ってはいますが、最終的には分かってしまうので、あまりボカした意味が無かったなと反省中。
まぁ、元魔王も、さすがに生物特有の生理現象には敵わなかったと……←
今更ですが、話数が70を超えていました。
ここまで読んで下さった読者様は勿論のこと、ブクマや評価、感想やレビューをして下さった方々の支えで、なんとか今日まで執筆出来ております。
この場を借りて、お礼を申し上げます。
本当に、ありがとうございます!
小説を書く者として、まだまだ未熟な部分が多いですが、どうか彼らの行く末を一緒に見守って頂けると幸いです。




