70.5話_閑話:いつか〝友達〟と呼べる、その日まで
デルタの案内によりギルドから寮の部屋へと帰ってきたカツェとカリンは、力尽きたように各々のベッドの上に飛び乗った。
ギシリとベッドが軋む音が重なり、また、2人の溜め息も同時に重なった。
「……まさか、もう夕方になっていたとは思わなかったニェ」
「夕方というか……ほとんど夜ね」
カリンの言葉にカツェは、うつ伏せになった身体を少しだけ起こし、ベランダへと通じる窓を見上げると、秋色の空と闇夜が入り混じった幻想的な空が広がっていた。
「なんだか不思議な色だニェ。綺麗だニェ……」
惚けたような表情で空を見つめるカツェを、カリンは後ろめたい気持ちで見つめていた。
カツェが普段と変わらない姿を見せる度に、カリンの心には鋭い棘が刺さっていた。
自分を心配してくれた彼女を突き放すような言い方をしてしまったことに対する後悔だ。
彼女も責めれば良いものを、言葉にしないどころか表情にも出さず、いつもと変わらぬ調子で自分と接している。
カリンには、カツェの行動が理解できなかった。
だが、そんな彼女に甘えてはいけないと思った。彼女は表に出さないだけで、本当は、とても傷ついているに違いない。
自分の今の立場などの事情は全て取り払って、1人の人間として……彼女とは、きちんと向き合いたいと思った。
「……ねぇ、カツェ」
「ニェ?」
名前を呼ぶと、彼女は、あどけない表情でカリンを見た。
カリンは身体を起こし、正座の姿勢でカツェに向き直った。
カツェは不思議そうに目を丸くして、カリンを見つめている。
「その……あの時、酷いこと言って…………ごめん」
謝罪の言葉と同時に、頭を下げた。
カツェのベッドがギシリと音を立てた。彼女の足音が、こちらに近付いているのが分かった。
カリンの目がカツェの両足を捉えた時、彼女は立ち止まった。
「……カリンちゃん。ウチら獣人ってね、言葉で会話をしているんじゃ無いんだニェ」
突然、何を言い出すのかと、カリンは思わず顔を上げた。
「獣人はね、言葉よりも相手の声や表情を注視するんだニェ。言葉は簡単に偽れる。だけど声や表情は、どんなに隠しても、どんなに嘘を吐いても、必ず〝綻び〟が出ちゃうんだニェ。だから……」
カツェは伏せた目を大きく開いた後、目を細めてニコリと笑った。
「あの時も、カリンちゃんがウチのことが嫌いで言った言葉じゃないって、すぐに分かったニェ。そして、たった今、その認識が間違いじゃなかったって、カリンちゃんの声と表情が証明してくれたニェ!」
あぁ……彼女は、なんて純粋なのだろう。
ニコニコと曇りのない笑みを浮かべるカツェが眩しくて、カリンは目を細めた。
思い返せば、初めての出会いといい、今の関係といい……全てのきっかけや過程を作り出したのはカツェだった。入学式の日、隣にいたカツェが話しかけてきたのが始まりだった。
それから寮では同じ部屋ということもあり、自然と行動を共にすることが多かった。
彼女と過ごしているうちに、彼女は、自分のには無い、多くのものを持っていることを嫌というほど知った。
そんな彼女が羨ましくもあり、疎ましくもあった。
だが……カツェが隣にいることに、いつの間にか、こんなにも安心を覚えている自分がいたのだ。
改めて、自分の中にあるカツェの存在の大きさを実感してしまったカリンは、降参の意を込めてカツェに気付かれないように小さく息を吐いた。
「ウチには、カリンちゃんが何を抱えているかは分からないニェ。でも……少しくらいは、誰かに甘えても良いと思うんだニェ。素直になったって良いと思うんだニェ。それが……〝友達〟って奴だニェ」
「友達……?」
カツェの言葉を復唱すると、何故か彼女はショックを受けたような表情でカリンを見た。
「ニェ?! も、もしかして……ウチら、友達じゃなかったのかニェ?!」
カリンの反応にショックを受けたカツェは、その場で蹲り、いじけるように床に〝の〟の字を書き始めた。
「そっか……ウチ、カリンちゃんとは、友達だと思ってたんだけど……違ったのかニェ……」
グスッと涙ぐむような声まで聞こえ始め、カリンは困ったように頭を掻いた。
彼女には、これまで〝友達〟と呼べる存在がいなかった……というより、作れなかった。
だから、言葉としては知っていても、どういうものを〝友達〟と呼ぶのかを、彼女は知らなかった。
「…………決めたニェ」
「え?」
乱暴に涙を拭ったカツェは突然立ち上がり、今から何か宣戦布告でもするかのようにカリンに狙いを定め、ビシッと指差した。
「ウチ、これからカリンちゃんに〝友達認定〟されるように頑張るニェ!!」
「…………は?」
カツェの突然の宣言に、やっと出た言葉が、それだった。
「獣人は、ハードルが高い目標であればあるほど燃え上がるんだニェ! ……と、いうわけで明日から覚悟しておくんだニェ!!」
そう言うな否や、カツェはクローゼットへと駆け込み、乱れた状態のまま置かれた寝間着を、そのまま抱えて、逃げるように部屋を出た。
あまりの急過ぎる展開に、カリンは声を出すことさえ出来なかった。
「…………何だったの、一体」
呆然とカツェが出て行った扉を見つめた後、彼女の言葉の意味を考えようとしたが、結局、分からなかった。
よく分からなかったが……なんだか無性におかしくて、つい、クスリと笑ってしまった。
「獣人って、みんな、ああなのかしら?」
そう考えたら余計におかしくて、再びベッドに横になると腹を抱えてクスクスと控えめに笑った。
笑って、笑って、笑い続けた後……ふと、カリンの中で、ある違和感が生まれた。
今日は色々とあって、今の今まで気付くことが出来なかったが……それは、本来ならば間違い探しで真っ先に見つけられるほどに明白なものだった。
「…………あの子、いつから〝ニェ〟なんて語尾を付けて話すようになったのかしら?」
 




