66話_奇奇怪怪な世界
幻の魔剣、〝魔王殺剣〟の主となったハヤトは、大事そうに剣を持ち、どこか決意を示したのような瞳で見つめていた。
(どうか、その剣の刃が、俺に向けられることが無いことを祈ろう……)
まぁ、魔王に返り咲きでもしない限り、無用な心配だろうが。
ハヤトが力を手に入れた一部始終を見守り、ふと思い出したようにデルタに尋ねた。
「そういえばデルタ、俺に何か用があったのか?」
今更ながら思い出したのは、ギルドに来て間も無く交わしたデルタとの会話だ。
彼女は俺に、これから少し時間はあるかと尋ねた。用も無い相手に、あんな台詞は吐かない。
俺が問いかけると、デルタは何か思い出したような表情を見せた。
「はい。実は、会って頂きたい方がいらっしゃいまして……」
てっきりハヤトの件なのかと思っていたが、どうやら違うらしい。
デルタが言うからにはギルド関連の誰かだとは思うが……一体、誰だ?
「その方は、そう易々と会いに行ける方では無いのですが、今日はハヤトさんがいるので……可能ならば、今日、お会いして頂きたいのです」
全てを把握するには、彼女の言葉だけでは足りない。
だが、それを一つ一つ聞いていく時間も無さそうなので、とりあえず理解したと頷いておく。
(付いて行けば追々、分かるだろうしな)
そう完結させたところで、カツェが気まずそうに眉を下げてデルタに問いかけた。
「それなら、ウチは……ここで待ってた方が良いニェ?」
カツェが俺と此処まで来た本来の目的はカリンだ。
カリンが関わらないことであるならば、彼女が無理に同行する必要は無い。
「いえ、カツェさんも一緒に来て下さい。貴女が探しているカリン・ビィギナーさんは、その方と一緒にいるんです」
淡々とした声と表情で爆弾を落としていくから、彼女は怖い。
当然ながら、デルタの言葉にカツェの表情が変わった。
「そ、それは本当ですかニェ?!」
問い詰めるカツェをあやすようにデルタは頷き、優しく微笑む。
その後すぐに召喚部屋から出た俺達は、今度は地上に向かって暗く長い階段を上がっていった。
階段を上がって、上がって……ようやく中間地点まで来た頃だろうか?
先頭を歩いていたデルタが突然、足を止めた。
「……折角なので、近道を使いましょうか」
「ん? 何か言ったか、デルタ?」
デルタの後ろにいた俺は、ボソリと呟かれた彼女の言葉が聞き取れず、少しだけ腰を曲げて彼女に顔を近付けた。
「ライ君、すまねぇっす」
そう言ったのは、隣にいたファイルだった。
何故か前振りも無く身体を思いきり押された俺は、突然のことに足で踏ん張ることも出来ず、そのまま壁へとよろめいた。
(ぶつかる……っ!)
このままでは壁に衝突し、主に俺の肩が悲鳴をあげることになるだろう。
覚悟を決めた時、すかさず俺と壁の間に滑り込んできた者がいた──スカーレットだ。
どうやら身体を張って衝撃を和らげるためのクッションになろうとしているらしい。
確かにスカーレット持ち前の弾力のある身体なら、その役割も充分に担える。
我が相棒ながら、なんと賢く、健気なことか。
全てが終わったら、褒美に好物のトマトを買ってやろう。
数秒後にくるであろう身体への柔らかな衝撃に備えて目を瞑りながら、そんなことを考える。
そんな呑気なことを考えていた間、まさか自分の身体がスカーレットごと壁に吸収されるように飲み込まれていたなんて想像もしていなかった。
◇
いつまで経ってもこない衝撃に違和感を覚え、ゆっくりと目を開ける。
真っ先にスカーレットがいることを確認すると、ホッと息を吐いた。
周囲を見渡し、数回ほど瞬きをした。
「……此処は?」
全く見覚えの無い部屋。
床は何かの植物を編み込んだような長方形状の物が敷き詰められており、壁は木の骨組みに紙が張られただけの脆そうな引き戸が連なっている。
木や石で出来た床もしくは壁の中で生活してきた俺にとっては初めて見るものばかりの空間に、いとも簡単に好奇心が擽られた。
その場に跪き、床にそっと触れた。木や石の床とはまた違った滑るような感触と仄かな草の香りがする。
よく見ると、縁は緑色の帯状の布が縫い込まれている。
その縫い目は素人目からも分かるほどに丁寧で、何度踏んでも大丈夫だと無条件で信頼してしまうほどの力強さがあった。
この長方形状の物が床としての役割をきちんと果たすだけの存在であることは分かったが、肝心なことは何1つ分かっていない。
(結局、何処なんだ?)
辺りを見渡しても、簡単に破れそうな紙に風情が感じられる絵が描かれた引き戸が、この空間を囲うように並んでいるだけ。
まるで、異世界にでも迷い込んでしまったかのようだ。
────ガタッ! ガタガタッ!!
何事かと音のする方へ顔を向けると、スカーレットが背の低い机の引き出しに触手を器用に引っ掛けて、開けようとしていた。
「……スカーレット」
咎めるように名前を呼ぶと、スカーレットはビクリと分かりやすく身体を上下させた。
そして恐る恐る触手を引き出しから離すと、ゆっくりと俺の方を振り返る。
何も言わずにスカーレットを見ると、スカーレットは、かなりゆっくりとした足取りで俺に近寄ってきた。
(ライ……オコッタ?)
そういえば、まだ万能念話を発動させたままだった。
お蔭で俺の周囲をウロウロしているだけのスカーレットが何を考えているか分かるから、そこは助かる。
(……ゴメンナサイ)
少し上へと伸ばした身体をヘタリと床へ落とした。……もしかして、これは謝罪の姿勢なのだろうか?
一体、何処で、こんなことを憶えてくるのやら。
何にせよ、素直に反省している奴を必要以上に咎めるつもりは無い。
「今度からは気をつけろよ。特に、いつ何が起こるか分からないような場所は」
そもそも俺がどういう意図でスカーレットの行為を咎めたのか。
まず、そこから理解しているのかは不明だが、とりあえず謝らなければならないと察したコイツに免じて、この話は終わりにしよう。
もう俺が怒ってないと分かった瞬間、スカーレットは制服の裾を掴み、軽く引っ張った。
(ライ、キテ! キテッ!!)
ほんの少し前まで落ち込んでいたのに、一瞬で、この切り替わり。
スライム自体がそういう生き物なのか、それともスカーレットの性格の問題なのか。考えたところで分かる筈も無く、この話題は間もなく終焉を迎えた。
裾を引っ張るスカーレットに釣られるように立ち上がり、スカーレットの誘導するままに足を進めた。
立ち止まったのは、スカーレットが先ほどまで引き出しを開けようとしていた机。
俺の寮部屋にあるような机とは違い、床に座って物書きをするタイプの机らしい。
椅子の代わりに、座布団が敷かれている。
机の上には、よく立ち寄る文具店で売られているノートが1冊だけ置かれている。
スカーレットは、このノートの存在を教えたくて、この机まで誘導したのだろうか?
スカーレットを怒った手前、ノートに触れるのを躊躇ったが、好奇心には勝てず、結局、手に取ってしまった。
ゆっくりと表紙を開くと、何も書かれていない真っ白なページが顔を出した。
パラパラと捲っていくが、真っ白なページが続くだけで落書き1つ無い。
ホッとしたようなガッカリしたような複雑な気持ちになりノートを閉じようとした瞬間、最後に捲ったページに目を止めた。
「な、んだ……これは……?」
他のページとは対照的に、ノートにびっしりと埋められていたのは、なんてことない文字の羅列。ただ異常だったのは、書かれていた内容だ。
これが日付や天気が書かれた日記帳だったなら、こんなに驚くことは無かっただろう。
これが普通の授業ノートだったなら、こんなに胸が騒つくことは無かっただろう。
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リーム・メトノーム
ズフィーア・ラストローム
ディラン・アルパージオ
トロイア・メスティ
ロロノーム・アントニオ
メディ・アルバニオン
メーバ・ランカス
ハナ・モチヅキ
レオン・マラニア
トート・ニァーバ
ヘレン・ロロナ
ヘルナ・チョルルカ
ミンバ・トロックス
ジンジャー・マロス
タクヤ・スギムラ
フォルテ・パルス
ビアンカ・ノーズ
…………
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ある程度、無心に読んだところでノートから目を離した。
なにせ、上手いのか下手なのか分からない蛇が泳いでいるような文字が、延々と続いているのだ。
読解するのも苦労する上に、意味も分からないまま他人の名前らしきものを読み続けて何になる?
(……見なかった事にしよう)
そっとノートを閉じ、置いてあった場所に戻した。
────コン、コン、コン。
ノックされた引き戸に、少し後退して身構えた。
同時に、スカーレットも音を立てた引き戸に向かってシュッシュッとシャドウボクシングを始めた。
(タベル? タベル?!)
今までも何度かシャドウボクシングで威嚇していた事があったが……まさか毎回、そんな物騒なことを考えていたのか?
俺は、すかさず首を左右に振り、今後のスカーレットの教育方針について改めなければと、現実そっちのけで考えを巡らせていた。
「失礼致します」
ノックに反応しなかった俺達に痺れを切らしたのか、愛想も何も感じられない女の声が引き戸越しに聞こえたかと思うと、スッと引き戸が開く。
開かれた引き戸から現れたのは、暫く冷凍保存でもされたかのような不健康そうな色白い肌と無機質な目、そして紅花で染められたような紅い口。
子どもなら間違いなく泣き出しているであろう気味の悪さが際立つ女の顔……の、お面を付けた女だった。
「ライ・サナタス様、カグヤ様がお待ちです。どうぞ、こちらへ」
無駄のない流れるような動作で部屋の外へと誘われた俺とスカーレットは先ほどの部屋とは違う、見慣れた木の板の床が敷き詰められた長い廊下へと出た。
部屋から出て廊下へと足を踏み入れた瞬間、キィッと鳥の囀りのような音が聞こえた。辺りを見渡したが、ここは建物の中。
鳥どころか、動物1匹すら見当たらない。
つまり、鳥の囀りのような音は俺の足が置かれている床から聞こえてきたのだ。
「私の後に続いて下さい。決して、周囲のものに気を取られて、道を違われる事がありませんよう……」
しかし何故か、お面を付けた女が歩みを進めても何も聞こえない。
不思議に思いながらも、とても質問出来る雰囲気では無いためグッと飲み込んだ。
キィ、キィと音を立てながら廊下を進む。
スカーレットは面白がって、わざとキィキィと音を立てながら弾むように進んでいる。
少し前まで上がっていた石の階段ほどでは無いが、明るいともいえない廊下だ。
石の階段では蝋燭が灯り代わりだったが、この廊下では細い竹ひごを数多に組み合わせ、先ほどの引き戸のような紙が貼られた筒状の物に蝋燭を入れた洒落た灯りが廊下を照らし、俺達に進むべき道を示してくれていた。
廊下を進んで、どれほどの時間が経ったのだろう? 外の世界から完全に遮断された空間が故に、時間の感覚が狂ってしまう。
今が昼なのか、夕方なのかも分からない。
それでも、この永遠に続きそうな長い廊下にも終わりはあったようで、大きく口を開けたような扉の無い入り口が俺達を出迎えてくれた。
入り口の奥は、この空間とは別世界のような無音と闇の世界が広がっている。
「この先で、カグヤ様がお待ちです。どうぞ中へ」
女は、それ以上は何も語らず、入り口の端に立って深く頭を下げた。
ここから先は俺1人で行け、という事だろう。
スカーレットが惜しむようにキィキィと床の音を立てた後、満足したように俺の足元へと擦り寄った。
そんなスカーレットの姿を確認した後、俺はゆっくりと足を進め、人々の恐怖心を餌にして生きているかのような深い闇の中へと入っていった。




