7話_遭遇
鹿の死体を目にしてしまったアランは、言葉を失っていた。普通の死体でも見た時は何とも言えない気持ちになるのに、身体の一部が欠損している状態の死体だ。少なくとも、この鹿に生前、何かがあった事は確かだ。
「……ライ、何してるの?」
俺は死体に近付き、跪いて手を合わせた後、触れた。触れた部分からほんの少しだけ温もりを感じる。息を引き取って、まだあまり時間が経っていないように思えた。
(教えてくれ。お前に何があったのかを……)
既に息絶えているケルウスに、俺は魔法を使った。その瞬間、俺の脳内に逃げ惑う鹿達の姿が映し出された。
逃げている途中で、コイツは片脚を奪われた。もう走れなくなった身体で、それでも尚、逃げようと立ち上がろうとしたが、赤黒い何かにじわじわ体を包まれていき、そして、息絶えた。脳内の映像が消え、俺は立ち上がってアランの方を向いた。
「アラン、今すぐここを出ましょう」
「え、どうして、それに今、何を……」
「記憶追跡で、このケルウスの生前の記憶を見ていました。それより今は、急いで……」
ガサッと茂みが揺れる音に、俺は臨戦態勢に入った。アランも固唾を飲んで、揺れる茂みを見つめる。しかし、茂みから出て来たのは、子供の鹿だった。アランは、ホッとした表情を浮かべた。
鹿は俺達には目もくれず、横たわる死体に近づいて行った。そして、スンスンと匂いを嗅いだ後、頬擦りをした。表情は変わらない筈なのに、どこか悲しげに見えた。
「親……なのかな?」
「……恐らく」
死体の鹿に寄り添う鹿の姿に目を奪われていると、再びガサリと茂みが揺れた。
「また、鹿かな?」
そう言って揺れる茂みに近付こうとするアランの手を掴んだ。
「どうしたの?」
「……違う」
茂みの奥から感じる気配が、先ほどのものとは違った。子供の鹿も何かを感じ取ったのか、後退りをし始めた。
「逃げましょう、アラン!」
俺は、無理やりアランの手を引いて駆け出した。すると、そんな俺達を逃がさないとばかりに茂みから赤黒い触手のようなものが伸びてきた。恐らく、さっき鹿の記憶を覗いた時に見えたのは、コイツだ。
「な、何あれ?!」
「いいから走って!」
俺達が全速力で走るが触手との距離は開かず、寧ろ、段々近付いてきている。
「このままじゃ、追いつかれる……っ!」
アランも俺も精一杯走っているつもりだが、このままでは森を出る前に捕まってしまう。既に疲労しているアランを一瞥し、俺は少し遅れて走るアランの背後まで速度を落とし、背中を思いきり押した。突然の衝撃に転びかけたアランだったが、何とか体勢を立て直した。
────防御領域!
心の中で詠唱すると、丁度アランを包み込むくらいの膜が現れた。防御領域は、結界魔法の1つ。結界魔法の中では簡易的な方だが、多少の衝撃なら耐えられる。
「え……何これ?」
自分を包むように貼られた膜に戸惑いを隠せないアラン。気持ちは分かるが今は緊急事態だ、臨機応変に対応してもらう。
「アラン、君の周りに結界を張りました! そのまま走って下さい!!」
「え、ライは……?」
「私は大丈夫です! だから、早く!! 村に着いたら皆さんに、この事を伝えて下さい!」
「でも……」
(あぁ゛ーもぉ゛ー、うるせぇっ!!! こうして話してる間にも触手が俺に攻撃してきてんだよ!! 俺が大丈夫って言ったら大丈夫なんだよ! 俺を誰だと思ったんだ、元魔王だぞ?! いいから早く行けぇ!!!)
触手を避けながら、中々、走り出さないアランに思わずグレたキャラになってしまったが、さすがに表には出さなかった。
「このまま2人で逃げ切ったとしても、コイツが村まで来てしまったら、それこそ危険です。ここで僕が足止めしますから、その間に君は村の皆さんに……っ!」
「……っ、分かった! すぐ戻って来るから!!」
(いや、戻って来なくていいから! 避難しろって言ってんだよ、俺は!!)
何はともあれ、ようやくアランは走り出した。
アランの姿が完全に見えなくなったのを確認すると、先ほどまで避けていた触手の一つをガシッと掴んだ。
まさか掴まれるとは思っていなかったのか、触手は逃れようともがき、周りにいた触手も先ほどよりも速い速度で襲いかかって来た。
しかし……
「………おい」
俺が一言発すると、触手はピタリと止まった。そして、ジワジワと後退し始めた。
「どこのどいつか知らんが…」
あぁ……懐かしい、この感覚。
前世を思い出してから今日まで、平穏な日々に浸っていたお蔭で忘れかけていたが……この、誰も逆らえない、逆らわせない、この空間。
この空間を支配するのは、俺。
そう、俺こそが────魔王だ。
「この俺に手を出したからには、覚悟は出来て……あれ?」
あろう事か、触手達は既に撤退していた。
(……え? あれ? 今のは、魔王の無双タイム突入の流れだったよな?)
すっかり興醒めしてしまった俺は、未だにウネウネともがく触手の一部を見つめた。
自分で触手を切ったのだろうか? ……なんて、蜥蜴の尻尾じゃあるまいし。
手の中にある触手の一部を改めて見ると、何とも言えない色をしている。赤と黒が深く入り混じって……まるで、血の色だ。
そんな事を思っていると、触手に変化が起こった。触手が少しずつ縮まってきたのだ。
縮まるところまで縮まって、今度は丸みを帯び……そして、触手は真の姿を現した。
ツルンとした丸いフォルム。プヨプヨと突っつきがいがありそうな身体。
これらの特徴から推測するに此奴は……
「スライム……?」
まさかの展開に、俺は開いた口が塞がらなかった。
◇
アヴェールからライ達のいる村までは少し離れていると言っても、馬車でも最低一日はかかる。
しかし、ビィザァーナには魔法があった。魔法で飛んで行けば一日どころか数時間あれば行ける。
彼女ほどの魔法使いであれば楽勝だ。ただ、もっと楽な方法(瞬間移動)があった事を着いた後に思い出した事だけが悔やまれる。
「はぁ……あの時は慌てていたと言え、何で気付かなかったんだろう? まぁ、あの人より早く着いたから良いけど」
ブツブツと小言をこぼした彼女は今、東の森の入り口にいた。報告が正しければ例のスライムは、この森にいる。
相手は、あの人喰いスライム。犠牲者は既に五人も出ているらしい。
これからの任務の危険性を改めて感じ、思わずゴクリと喉を鳴らす。そんな自分に喝を入れようと両頬をパチンと叩いた時、見覚えのある少年がこちらに走って来るのが見えた。
また少年も、入り口にいた見覚えのある女性の存在に気付き、思わず声をかける。
「魔法使いのお姉さん?!」
「……アラン君?」
ビィザァーナの前で止まったアランは乱れる息を整える。そんな彼の背中をビィザァーナは労わるように撫でる。
「随分、必死に走ってたみたいだけど、何か……」
「あったの?」と続く前にヒュー、ヒューと息がまだ整っていない喉から振り絞るようにアランは声を出した。
「お願い、お姉さん。ライを、助けて……っ!」
「え?」
その後、アランの話を聞いたビィザァーナはアランに村に帰るよう伝え、森の中へと消えていった。




