51話_試験前日
『こんなことを言うのは非常に心苦しいのですが…………貴方は、愚かなほどに馬鹿ですね』
「お前……最近は特に、俺に容赦無くなってきたよな」
非常に心苦しいとか言っておきながら、容赦が無い。
試験を終えたであろうグレイに律儀に連絡をしたのが、そもそもの間違いだったと今更後悔しても遅い。
ここが彼の寮部屋でなければ、それ相応の対応をするところだが、ここはグッと堪える。
『それにしても……まさか、鬼蜘蛛まで、いたとは……』
「しかも、ご丁寧に記憶も持ったままで……な」
遠い目をした俺に何かを察してくれたのか、グレイは優しく肩に手を置いた。
容赦ない言葉を浴びせられるのも辛いが、同情からの優しさも中々に辛い。同情するくらいなら、俺と代わってくれ。
『突然ですが、魔王様……いくつかお聞きしてもよろしいですか?』
「あぁ」
〝改まって何だ〟と尋ねれば、何も言わずに姿勢を正し、しかもホワイトボードとペンを机に置いた彼を見て、俺も思わず姿勢を正した。
わざわざボードとペンを置いたということは、テレパシーで会話をする合図。
つまり、今から他の誰かには聞かれたくない話をするということだ。
(魔王様……今日まで、この世界に対して何か違和感を抱いたことはありませんか?)
(……違和感?)
グレイと同様、テレパシーで呟いた俺に、グレイは頷いた。
(元は魔王、しかも当時の記憶持ちの貴方から始まり、その幼馴染は敵対していた勇者。そして、貴方と同じように記憶を持っている俺と鬼蜘蛛と再会した……これらは全て〝偶然〟だと思いますか?)
こうして改めて言葉にされると、確かに偶然で片付けるのは、いかがなものかとは思う。思うが、そこに疑問を抱いたところで、答えに辿り着くわけでもない。
終わりの見えない無駄な思考を繰り広げるのは、正直、時間の無駄だ……と、俺は思う。
だから、今まで深く考えないようにしていたのだが……まさか、グレイから、こんな話題が振られるとは思わなかった。
(魔王様……貴方は、前世の世界の地形を憶えていますか?)
(地形……)
憶えているような……いないような……
そんな曖昧な答えで返すと、呆れたような吐息が返ってきた。
言い訳にもならないだろうが、その時の俺は世界を破壊し尽くすことだけを考える魔王だったのだ。
壊そうとしていた世界の国や地形など憶えているわけがない。
(まぁ、貴方は見境いなく破壊してましたからね。だから貴方に破壊される前に、可能な限り事前に調査に行っていたわけですが……)
え、そうなの? 初耳なんだけど。
表情で、そう問いかけると〝今、初めて言いましたから〟と、淡々と返された。
(前世の記憶を頼りに可能な範囲ではありますが、前世の地形の地図を描いてみました。あくまで俺の記憶のみで描いたので不明瞭な部分はありますが……とりあえず、これを見てください)
そう言って、グレイは目の前のテーブルに2つの地図を広げた。
左右に並べられた地図を見比べた瞬間、ゾワッと背筋が走った。
多少の違いはあるものの、左右の地図はパッと見ると瓜二つに見えてしまう程に酷似していたのだ。
(一応、確認のために聞くが……これは、お前がこの地図を模写したんじゃないよな?)
明らかに手描きでは無い方の地図を軽く持ち、ゆったりと泳ぐ魚の尾のようにユラユラと揺らしながら問うと、グレイは、すぐに首を左右に振った。
(……そう問いたい気持ちは分かりますが、俺はこの世界の地図を手に入れる前に、この地図を描きました。だから正真正銘、俺の記憶だけで作られた地図ですよ)
そう答えたグレイからは、俺を揶揄っているような素ぶりは見られない。
訝しげな表情で彼を見つめていると、普段は前髪で完全に隠れている彼の両目が隙間から僅かに見えた。左右で色の異なる瞳で見つめられ、狐につままれたような不思議な感覚が更に強まったような気がした。
(最近は、俺達の存在は誰かの謀略の上で成り立っているのではないかと……そんな現実離れした考えまで抱いてしまうんです。だから……)
────ピピピピッ!
突然、響き渡った電子音にグレイと揃えて身体を上下させた。
(すみません、パソコンにメールが届いたみたいです……)
軽く謝罪したグレイは立ち上がり、窓際にあるパソコン1台が乗せられる程度のスレンダーな机へと足を進めた。
中途半端に会話を切られた俺としてはグレイがパソコンに向かっている時間さえ、なんだか、もどかしい。
先ほどまでの話について考えようにも、パソコンのキーボードをリズムカルに叩く音とベッドの枕元に置かれた時計が時間を刻む音が変に調和して生まれた新たな音楽が邪魔して、上手く思考が働かない。
(お待たせしました)
「もう、いいのか?」
俺の問いに頷いた後、グレイはベッドにある時計に目を向けた。
(もう、こんな時間だったんですね)
グレイの言葉に、俺も時計に視線を向けると時計の針は午後5時を示していた。
30分後には夕飯の時間だ。
正直、先ほどのグレイの言葉の続きが気になるが、この部屋のもう1人の住人が、いつ帰って来てもおかしくない。
ここは、素直に引いた方が利口だろう。
「試験が終わった後に、こんな時間まで居座って悪かったな」
『いいえ。俺こそ、試験前日に、こんな時間まで引き止めてしまって申し訳ありません』
いつの間に手にして書いていたのか、グレイは、そこそこの文量が書かれたホワイトボードを俺に見せながら、首を軽く左右に振った。
試験前日といっても、内容も分からない実技試験だから今更足掻いたところで何も変わらない。
寧ろ、こんな時は何が来ても良いようにドンと構えているくらいが丁度良い……と、思う。
『明日は、俺も応援しに行きますね』
「え、応援って……試験会場に?」
『俺は過去に1度受けた試験なので……基本的に、上級生は下級生の試験を見学出来るようになっているんです』
ここにきて、まさかの初耳情報を手に入れてしまった俺は、面白くなさそうに口をへの字にした。
「……なんか、狡いな」
上級生は下級生の試験の様子が見られて、下級生は駄目だなんて、なんだか不公平だ。
まぁ、大方、受ける試験の内容は決まっていて必然的に上級生から先に受けていくから、その後に同じ試験を受ける下級生は見られないってだけの話だろうが……
要は、ネタバレ防止という奴だろう。
『詳しくは言えませんが……今回の試験は、魔王様達なら、余裕で合格出来る筈です。頑張ってください』
「あぁ…………ん?」
突如芽生えた小さな違和感に小首を傾げたが、〝もう何も教えません〟と先手を打たれたため、もう何も聞けなかった。
部屋を出た俺は、少し開いた扉から身体を少しだけ出したグレイに見送られながら、部屋まで続く長い廊下を進んでいった。
俺が彼に背を向けようとした瞬間、グレイが何かを思い出したような表情を見せたのが気になったが、質問タイムは締め切られたため、胸に留めて、そのまま背を向けた。
◇
(思い出した……そういえば明日は、彼も来るんだった。魔王様に伝えなかったけど……まぁ、直接、話すことは無いだろうし、問題無いか)
俺は、知らない。
自室へ戻る俺の背中を見つめながら、グレイが心の中で、そんな言葉を零していた事を。
次回から、本格的に実技試験へと入っていきます。




