429.5話_閑話:常識外れの元魔王
また守られてしまった。自分が弱いばかりに。覚悟が足りなかったばかりに。
何度、後悔すれば気が済む? 何度、同じ過ちを繰り返せば学習する?
ライを止めることも出来ず、スカーレットを救うことも出来ず、今は嘆いている場合じゃないと分かっていてもグレイは動かない。
「スカーレット……こんな、こんなのって……」
アランが床に落ちているスカーレットの残骸を拾い上げる。彼もまた後悔と絶望で出来た渦の中に叩き付けられている最中なのだとグレイは我が身の如くアランの感情を読み解いていく。
自分の代わりに敵の魔法を受けたライはグレイの目から見て完全に意識を乗っ取られていた。念話で何度もライに呼びかけたにも関わらず一度も応答が無かった事がグレイにそう確信させた要因である。
(魔王様が連れて行かれた……助けに行かないと……でも、どうやって?)
ライが敵になった以上、依頼の難易度は一気に跳ね上がる。正攻法で敵わない相手なのは、かつて彼の共に世界を破滅を導こうとしたグレイが、この場にいる誰よりも理解している。
問題は、それだけではない。彼等の現在位置が分からない事には救出も不可能。完全に行き詰まりだ。
まるで自分達が来る事が分かっていたようにリアム達は現れた。リアム達は自分が此処に来ることが分かっていたのだろうか? それとも偶然? 偶然でないとしたら一体いつから自分達の同行は把握されていた? まさか今まで、ずっと……?
「ィ……レィ………グレイ!!」
(っ?!)
延々と沸き続ける疑問に気を取られていたグレイはアランに右肩を掴まれ揺さぶられるまで呼びかけられている事に気付けなかった。
「急に揺さぶって、ごめん。さっきから何度も呼んでるのに何も反応が無かったから」
(……いえ、こちらこそ気付かず、すみません)
「ううん、君の気持ちは分かってるつもりだよ。きっと今の僕も同じだから……正直、まだ感情が追い付いていないんだ。ライは彼等と行っちゃったし、それにスカーレットは……」
壁や床に飛び散ったスカーレットの残骸を見渡すアランが現実と夢の境い目を彷徨っているような表情で今自分が抱いている感情を出来る限り言葉として紡ぎ出す。
ライを取り戻すにしても情報が足りない。それに人手も。彼等に救援を頼むのは色々な意味で恐怖でしかないが、今は保身に走っている場合ではない。本来なら今すぐにでも動き出すべきなのだろうが……。
(……申し訳ありません、魔王様。今は少し、ほんの少しだけ友人を悼む時間を下さい)
グレイは徐に近くに落ちているスカーレットの残骸を拾い集める。突然の行動にアランは虚を突かれたような顔をしながらも意図を理解すると同じように周りに飛び散った残骸を拾い集めた。
スライムの体液は粘性が非常に高い。況してや時間が経てば経つほど引き剥がすのは難しい。さすがに全ての残骸を掻き集めるのは不可能であったが両手で抱えられるだけの量は何とか回収することが出来た。
そのまま建物から出た二人は近くの木の下に穴を掘った。掘った穴の底に何枚もの葉を重ね、その上に集めた残骸を丁寧に置いた。後は土を被せるだけだ。
グレイが土を両手で掬った時、ふと目の前の光景に違和感を抱く。普段のグレイなら、もっと早い段階で気付けていた筈の大きな違和感。
スライムを倒した経験がある者なら誰もが知っている常識。絶命したスライムは特有の艶も弾力も失い、ある程度の時間が経つと粘性を保ちながら硬直するという実に変わった性質がある。
グレイは掬い取った土を落とし、もう一度スカーレットの残骸に触れてみた。絶命してから、それなりに時間が経っているはずなのに未だ硬直は始まっておらず、艶も健在。外見的な特徴だけで評するなら、まだ生きているかのようだ。
まさか、まさか、そんなはずは無い。有り得ない。
そう思いながらもグレイは期待せずにはいられなかった。スカーレットが、まだ生きている、と。
「……グレイ? どうかしたの?」
スカーレットの残骸に触れたまま固まっているグレイをアランが不安そうに見つめる。
(スカーレットさん、もし生きているのなら……お願いです、俺の手を……いえ、指を取って下さい)
「グ、グレイ? 君は何を……」
悲しみのあまり気でも狂ったのかと純粋にグレイを心配したアランだったが、真剣な横顔にそれ以上は何も言う気になれず、スカーレットの残骸に視線を落とした。そこで彼は信じられないものを目にする。
「え?!」
グレイが触れているスカーレットの残骸から細い触手が伸び、グレイの人差し指に螺旋を描くように絡まる。絶命したスライムには起こり得ない現象だ。
「グレイ、まさかスカーレットは……っ!」
(えぇ、生きてます。……生きています、間違いなく)
アランに向けるというよりは自分自身への確認のようにグレイは言葉を返す。
(アランさん、薬を持ってませんか?)
「も、持ってるよ! ちょっと待って……」
アランが荷物の中から薬が入った瓶を取り出し手渡すとグレイは渡された瓶の中身を回収したスカーレットの残骸全てに行き渡るように注ぎ続けた。
薬の効果が発動された光で発光した残骸は見る見るうちに密着して一つの球体を形成していく。そして発光が収まった頃には以前より一回りばかり小さいが、それ以外はグレイ達にとって見覚えしかないスカーレットの姿が完全再現されていた。
(スカーレット、ゲンキ! ゲンキ!)
穴から飛び出してきたスカーレットは本来の姿と活力を取り戻していた。
死んだと思われたスカーレットが生きていたと分かって悲しみが喜びに変化すると同時に未だ状況を完全には理解できていないが故の混乱でアランは目を回していた。
「どうしてスカーレットが生きてるって分かったの?」
(通常のスライムと死後状態の様子が異なっている事に気付いたんです。とはいえ、瀕死に近い状態ではありましたから、あのまま気付かず埋めてしまっていたら……)
もう少しで取り返しのつかない事をしようとしていた自分にアランは思わずヒュッと喉を鳴らす。心境としてはグレイも彼と似たようなものだった。
(薬、ありがとうございました。後日、同じ物を手配しますので)
「いいよ、これくらい。それよりスカーレットが助かって本当に良かった。でも治癒魔法を使わなかったのは、どうして?」
(瀕死状態の患者には治癒魔法より薬の方が効き目が早いんですよ)
「患者って……何だか、治癒師みたいだね」
アランの素直な感想にグレイは苦笑する。本人にとっては予想外だったのだ。無意識とはいえ、こんな所で前世の名残が出てしまった事が。
スカーレットが復活を遂げて喜んだのも束の間、大きな問題が何一つ解決していないどころか、この先超えなければならない大きな山が残っていること思い出したグレイ達は苦悩していた。そのためスカーレットが建物内に残された自分の肉体を回収している間、二人は作戦会議を開く事に。
「やっぱり僕はライの救出が最優先だと思うんだけど、グレイはどう思う?」
(俺もアランさんと同意見です。あの人が向こう側に付いたままでは依頼の遂行は難しいですから)
「……規則違反だってのは分かってるんだけど聞いても良いかな。君とライが受けてる依頼の事」
グレイは返答に迷った。今回の依頼に関して言えばグレイは同行しているだけの立場に過ぎない。そんな自分がライに断りもなく内情を伝えるのは、どうも憚られた。悩んだ結果、グレイは簡潔かつ詳細を把握されない程度の情報だけを提供する事にした。
(リアム・ワーナーが絡んでいる、とだけ言っておきます。正確には依頼を受けているのはライさんだけなので俺が無断で詳細を話すわけには……すみません)
「それだけ分かれば充分だよ。実は僕もリアム達を追ってるんだ。詳しい事情は話せないんだけどね」
(確信はありませんが……此処で待っていれば彼等とまた再会できる気がます)
──グレイ、お前が仲間を見捨てなければ、また近いうちに会う事になる。
罠だと分かっていても乗るしかない。こちらに有効な手札が一つも無い現状では向こうの出方を窺いながは対策を立てる他ないのだから。
「待つ……やっぱり、それしか無いか。せめて、いつ来るかぐらい分かると有り難いんだけど」
(ワルイ、ヤツ? オハナシ?)
全ての肉体を回収したことで本来の大きさに戻ったスカーレットが二人の作戦会議に加わる。
「そうだよ、悪い奴の話をしていたんだ。もし彼等とまた会ったら、その時はスカーレットも一緒に戦ってくれる?」
(タタカウ! ライ、モ、イッショ!)
〝ライも一緒に戦う〟。こんな状況でなければアランも賛同していた。幼い時から魔法の才能があって、十二年前に魔王から世界を救った本物の英雄。そんな心強い仲間が今や敵の手に落ちているのだからアランからすれば、この先どうなるのか不安でしかない。
(ライ、イッタ。テキ、ノ、フリ。センニュー? スル、ッテ)
唐突に自分達の知らない情報が提示され、二人は同時にスカーレットを見る。
(それは本当ですか?!)
(ライ、イッタ! スカーレット、ウソ、イワナイ!)
相手の魔法の支配下にあったライがリアム達が去る直前、術者であるキュリテに〝命令〟されていたのはグレイ達も知っている。また、その命令の内容も然り。
キュリテがライに放った命令は二つ。〝自分達が逃げ切るまで敵を近付けさせない事〟と〝邪魔する者の抹殺〟。
ライは命令通り、魔法でグレイ達の動きを止めることでリアム達の逃亡の手助けをした。ところが転移穴に行こうとするライを止めようとしたスカーレットに攻撃はしたものの仕留めるまでには至らなかった。
(まさか仕留め損ねた? ……いや、魔法で命令されている以上、その可能性は無い。況してや魔王様ほどの力があれば意識的に手加減でもしない限り、仕留め損ねるなど有り得ない)
上記の他に〝命令の内容が不明瞭または不充分であったため魔法が上手く発動しなかった〟という理由も考えられたが今一つ説得力に欠ける。
殺せと命令されたのに殺さなかった。熟考の末、この矛盾を解消できる一つの可能性にグレイは辿り着いた。
(自力で魔法を解除した……?)
「え、そんなこと出来るの?! でも人を操る魔法って確か魔法を使った本人にしか解除が出来ないんじゃなかったっけ?」
(その認識で間違ってません。基本的に洗脳を目的とした魔法は術者にしか解けません。ですが稀に洗脳を自ら解いてしまう、何と言うか奇特な方がいまして)
「……えっと、ごめん。つまり、どういう事かな」
(あの人は規格外だって事です)
「あぁ、うん……今ので何となく理解したよ」
幼い頃からライの非凡さを目の当たりにしてきたアランにとっては充分過ぎるほど的確で分かり易い回答だった。
「でも解除が出来てたなら、どうしてスカーレットを攻撃したんだろう?」
(それについては考えられる理由が二つ。一つは術者に魔法が解除された事を悟らせない為。もう一つは、まだ完全には解除できておらず結果的に中途半端な形で命令に従わざるを得なかった為)
「なるほど……それにしてもグレイは凄いね。そうやって色んな考えがすぐに思い浮かんじゃうんだから」
(考えるだけなら誰でも出来ますよ。それに事実確認が出来ない限り、憶測が憶測の域を出る事はありません)
「それは、そうだけど……でも、やっぱり凄いと思う。僕自身、色々と難しいこと考えるの苦手だから余計にそう思うのかも」
(色々と考えてしまうのは癖みたいなものです。昔から考えなければならない事が何かと多い環境にいたもので)
「ふぅん? そうなんだ」
分かったような分からないような返事をしながらアランは緊張の解れから吐息を漏らした。ライと戦わなければならないかも知れないという彼の中で最悪の未来が変わろうとしている。それは彼にとって、とても嬉しい事だった。
アランにとってライは大事で且つ自慢の幼馴染で、英雄でもある。大人になった今でも、その認識は変わらない。勇者になったことで精神的な孤独を味わった彼にとってライは唯一の心の拠り所なのである。ヒューマにグレイ、それからリュウも彼にとって大事な存在である事には違いないが、その中でもライは別格だった。それを本人が自覚しているか否かは、また別の話である。
「グレイ、君の魔法でライに連絡を取ることは出来ないかな」
(難しいですね。せめてライさんの居場所が分かれば良かったんですが)
グレイは魔力感知を発動させるが反応なし。この辺りに潜んでいるという可能性は除外され、グレイの魔力感知では届かない範囲の何処かにいる事が確定しただけで有力な情報を掴むまでには至らなかった。
「スカーレット、ライから他に何か聞いてない?」
(ウ? エト、エト……ア! オチ、オチ、ツイタ、グレ、レン、ラク、ッテ!)
「おちおち? ……グレイ、分かる?」
(恐らく〝落ち着いたらグレイに連絡する〟だと思います)
「れ、連絡? でも、さっきグレイからは出来ないって」
(俺からは出来ませんよ。ですが、あの人からなら可能です。俺が此処に留まっていれば座標も定まりますから)
「そうか! 僕達はライの現在位置が分からないけど、僕達が移動さえしなければライには僕達の現在位置が分かるんだ」
(そういう事です。此処からどの程度離れているかは分かりませんが、まぁ、あの人なら問題ないでしょう。これで今後の方針は大体決まりましたね。俺達は此処に留まり、ライさんからの連絡を待つ。その間、拠点は孤児院。食料等に関しては幸い近くに森と川がありますから、そこから調達。それで、よろしいですか?)
「うん、構わないよ」
(イイヨー!)
やる事が見えてきたところで次にグレイ達が決めたのは役割分担。食料調達はアラン、孤児院の修復および情報収集はグレイ、スカーレットは状況を見ながら二人を手伝う事となった。
各々が役割を全うしようと動く。グレイが魔法で孤児院を住める最低限まで修復し、アランとスカーレットで調達した食料を建物内の食糧庫に保管。保管した食料は数日保つ程度の量。足りなくなれば、また調達に出る。ライからの情報が届くまで暫くは、この繰り返しとなる。
日が傾き始め、本日の食事を始めようとした頃。グレイに念話が届いた。
(グレイ、聞こえるか?)
(えぇ、聞こえています。お伺いしたい事は山ほどありますが、一先ずは貴方の現状を聞くのが先ですね。ちなみにアランさんとスカーレットさんも会話に参加できるよう調整済みです)
(それは助かる。それと……スカーレット、すまなかった。俺が不甲斐ないばかりに、お前には痛い思いをさせた)
(ダイ、ジョブ! スカーレット、ゲンキ!)
念話越しにライの溜め息が響く。ようやくスカーレットの無事を確認できたことで漏れた安堵の吐息。
(グレイ、アラン。スカーレットを助けてくれて、ありがとう。お前達がいなかったら俺は……)
(そういうのは全てが終わってからにしましょう。誰も貴方が意図的にスカーレットさんを傷付けたなんて思ってませんから)
(そうだよ、ライ。君の事情はグレイから聞いてるから僕も大体のことは理解してるつもりだ)
(ライ! スカーレット、ダイ、ジョブ! ソレニ、ライ、イッタ。スカーレット、シナセ、ナイ。グレ、アラ、タスケ、クレル、ッテ)
今のスカーレットの言葉でグレイの憶測が間違っていなかった事が証明された。
(では、まだ貴方は相手の魔法の支配下に?)
(そんな危うい状態で、お前に念話を送ったりしない。安心しろ、今は完全に順応済みだ。ただ思った以上に相手の魔法が協力でな、耐性が付くのに少し時間が掛かってしまった)
(は、順応? 耐性? いつもの力業で魔法を解除されたのでは)
(いつものって何だよ、いつものって。それに解除って何の話だ。相手は気付いていないようだったが、そもそも最初から魔法がちゃんと効いてる状態じゃなかったんだ。事実、魔法をかけられてからも意識だけははっきりしてたからな。だから時間が経過すれば耐性が付いてくると思って待ってたんだ。ただスカーレットを攻撃することだけは避けられなかった。出来たのは精々、殺さない程度に加減するくらいで……って、ちゃんと聞いてるのか、お前達)
グレイとアランから反応が無く、ライは首を傾げる。正確には二人とも衝撃のあまり言葉を失っているのだが、そんなこと彼が知る由もない。
「……僕、さっき君が言ってたこと今やっと本当に理解できた気がするよ」
(奇遇ですね。俺も彼の異常性を再認識してたところです。この人といると自分の知ってる常識が狂わされて良い迷惑です。……まぁ、その分、退屈はしませんが)
(ライ、スゴイ!! スカーレット、ハナ、タカイ!)
〝鼻が高い〟という言葉を何処で覚えたのか? そもそも顔のないスライムに鼻など存在するのか?
どうでも良いことだと頭で分かっていても突っ込まずにはいられない。アランもグレイも同じ心境でスカーレットを見つめる。
彼等の状況が分からないライからすれば謎の無言時間継続中。ますます状況が分からなくなったライが傾げていた首を更に傾けている事などグレイ達は知り得ない事だ。




