426話_手掛かりを求めて《上》
部屋の壁は天井にまで届きそうな程の高さがある本棚に囲まれ、唯一陽の光が入りそうな窓は蔦で覆われてしまっている。全体的に部屋が暗い印象を受けるのは間違いなく、あの蔦のせいだろう。
殆どの物が処分されただけあって当時は全ての段が本で埋め尽くされていたであろう本棚には数冊しか置かれていない。
先に行ったパレットに続いて部屋に入ると奥には廊下の光すら届かない闇が広がっていた。
こうも暗くては探しようがない。魔法で明かりでも灯そうかと実行するよりも先にパレットが動いた。
「少し、お待ちになって。今、明かりを点けますから」
部屋が明るくなったところで早速、俺とグレイは手分けして部屋の中を調べ始めた。グレイは本棚に置かれた数冊の本を、俺は部屋の奥にある机の引き出しを調べる。
引き出しの中には使用済みの羽根ペンとインク、それから昔に撮られた物であろう写真。一番下の引き出しは鍵が掛かっているようで開かない。
「パレット嬢、ここの引き出しの鍵を持っていたりはしませんか?」
「残念ながら持っていませんわ。昔お父様にも尋ねられましたが、私を含めた兄弟誰も鍵を持っておりませんの」
「では、この中にある物は当主様も知らないという事ですか?」
「えぇ、恐らく知らないと思います」
予想通りの回答に俺は、もう一度軽く引き出しを手前に引く。開かないのは当然として中で微かに何かが動いたような音がする。この中に何かがあるのは間違いない。
「そこは鍵が無ければ開けるのは困難ですわ。お父様も苦戦されていたようで最終的には力尽くでこじ開けようとしていましたが、それでも開かず諦めてしまいましたもの」
「開かないのは当然です。これは物理的な力で開けるものではありませんから」
「どういう事かしら?」
「こういう事です」
鍵穴に指を添えて微量の魔力を流し込むと、中でカチリと何かが解かれたような音がした。先ほどと同様、引き出しを手前に引くと今度は難なく開いた。
「し、信じられませんわ。どんなに屈強な方の力を以てしてもビクともしなかったのに、こうもあっさりと……一体、何をなさったの?」
「鍵穴に俺の魔力を流したのです。その鍵穴は役目を終えたことで今は消滅してしまっていますが」
「っ、確かに鍵穴が消えていますわ。……いえ、それ以前に、どうして引き出しの開け方が分かりましたの?」
疑っていると言うより純粋に疑問を投げかけているだけように思える。だが、ここで彼女を納得させなければ今後の調査に差し支える。
「先ず一番下の引き出しにしか鍵穴が無いことにも違和感を覚えたのですが、それは俺が知らないだけでそういった構造の物もあるのだろうと思っていました。ですが貴女から先ほどの話を聞いて、この引き出しには最初から鍵穴など無かったのではないかと考えたのです」
「あの話だけで、そこまで……」
感心したような声が聞こえるが、今はそれに反応している場合ではない。
「ところでパレット嬢、先ほど貴女は〝この引き出しを力尽くでこじ開けようとした〟と言っていましたね。どんなに屈強な力を以てしてもビクともしなかったと」
「え、えぇ」
「その割には綺麗すぎる。無理やり何度もこじ開けようとしたならば至る所に大なり小なりの傷が付いているはずですが、このサイドキャビネットには傷一つ見当たりません。机でさえ、こんなに傷だらけだというのに。力尽くと聞いていましたが、本当は手加減されていたのでしょうか」
「それは有り得ませんわ! お父様が壊せと命じたからには従うのが従者の務め。それにライアンとリカルドの剣でも断ち切れなかったのですから」
「その時点で気付くべきだったのです。このキャビネットには物理的な攻撃を無効化する魔法が付与されていると」
あらゆる物理攻撃を無効、更には魔力にしか反応しない特殊な鍵穴。この魔法を使った者はワーナー家の奴等は早々には気付かないということを見越していたのだろう。
ワーナー家の中では嫌悪されていた魔法に対して唯一寛大な視野を持っていたのはリアムだったと聞く。彼は、その状況を逆手に取ったのだ。それにしたって魔法の存在を疑うこともしなかった連中の頭の硬い思考には正直呆れものだが。
「ま、魔法ですって? 使用人を含め、ワーナー家に魔法を使える者なんて…………まさか兄が?」
「今のところ、それ以外には考えられませんね。他に協力者がいれば話は変わってくるでしょうが」
別荘とはいえワーナー家を出入り出来る魔法使いが、そうそう居るとは思えないが。
「それなら後者で間違いありませんわ。ワーナー家は代々、無魔法者の血を引き継ぐ家系。魔法を扱える方なんて一人もいませんもの」
「……そうですか」
ワーナー家が魔法を嫌っているのは血筋も関係しているのだろうか。長い歴史がありながら魔法を使える者が未だ一人も誕生していないという珍しい一族。先祖達が敢えてそういう歴史を作ったのかどうかなど部外者の俺には知りようもない事だが、そもそも興味も無い。
「引き出しの中を拝見しても?」
「構いませんわ。これまで誰も解けなかった謎を解いたのは貴方なのですから」
許可を得たところで俺は引き出しを開けて中に入っていた一冊の分厚い本を取り出す。表紙は少し汚れていて埃を払うと古本特有のカビ臭さが微かに漂う。
本は紐で閉じられているだけで鍵などはされておらず、引き出しさえ開けてしまえば誰でも簡単に中を確認できる。引き出しに施された魔法が解かれるはずがないという自信でもあったのだろうか。
紐を解き、適当なページを開くと日付に数行の言葉、それからよく分からない記号や絵が描かれている。
とりあえず解読可能な文字を一通り読み進めていけば、この本が彼にとってどのような存在なのか分かるかも知れない。
「〝今日の実験も失敗に終わった。せっかく譲ってもらった被験体も少なくなってきた。またギルドに依頼しなければ〟」
「実験……? それに被験体って……」
不穏な単語にパレットが不安そうな顔をする。俺はパレットを一瞥して、また適当に目に付いた文章を読み上げる。
「〝父さんは相変わらず僕の考えを、ちっとも理解しようとしない。そんなんだからビィギナー家に後れを取るんだ。この時代に剣だけで成り上がろうなんて、どう考えても不可能なのに〟」
「間違いありません。これは……リアムお兄様の日記。ここに、お兄様の想いが記されているのね」
(その中にリアム様の居場所に関する手掛かりがあると良いのですが)
いつの間にかグレイもパレットと一緒に日記を覗き込んでいる。
「グレイ、そっちの方はどうだった?」
日記から目を逸らし、グレイを見上げて問いかけると残念そうに目を閉じて首を横に張った。
(残念ながら有益な情報に繋がりそうな物は出てきませんでした。恐らく全て処分されてしまったのでしょう。ですが、一つだけ気になる物が)
そう言ってグレイが差し出したのは剣術に関する記述が書かれていそうな題目が書かれた本。処分を免れたのは、この部屋に相応しい物だと判断されたからだろう。
「その本の何が気になるって言うんだ?」
(注目して頂きたいのは、この本の表紙ではなく中身です)
「中身?」
グレイから本を受け取り、言われた通り中を見る。本を開いて彼の言いたかった事がすぐに分かった。
「題目が違う……」
表紙と中身で題目が全く違う。表紙は剣術に関するものだが、中身は剣と魔法が共存を詠ったものだ。本文に軽く目を通すと剣と魔法が共存することの重要性が物語形式で綴られている。中身を見る限り、この本は間違いなく処分対象になりそうな物だが。
(恐らく、この本だけは何が何でも隠し通したかったのでしょうね。まぁ、それにしたって中身を確認せず表紙だけで判断なさるとは随分詰めが甘いと言いますか……)
「そんなに大事な物なら家を出る時に持って行けば良かったのに」
(それが出来る状況では無かった。それか、あえて置いて行ったのかも知れません。そして誰かに、この本の存在を知って欲しかったのかも)
「では貴方は、この本がお兄様が私達に残した何かのメッセージだと仰るの?」
(あくまで憶測ですけどね)
二人の話に耳を傾けながら俺は日記を読み進める。相変わらず面白みのない文章が連なっている。内容は主に実験の成果と父親や使用人への愚痴。それから偶に兄弟に関することが書かれているくらいで今のところ目ぼしい情報は無い。
「…………」
日記を読み進めていけばいくほどリアム・ワーナーという人間が見えてくる。家を繁栄させるために彼なりに尽力するも認められなかったが故に家を出るしかなかった哀れな男。
基本的に端的な文章ばかりなのに対し、よく分からない記号や絵は事細かに記され、ビッシリと埋め尽くされた頁もあるくらいだ。
これらが単なる落書きでない事は分かる。恐らく何らかの実験に関するメモだ。記号ばかり書かれているのは万が一誰かに見られた時のために文章を記号化しているからだろうか。
(〝僕は幸運にも戦争に参加したことは無いが、戦争の怖さは知っている。戦争は一瞬で何もかも奪う。あんなもの、この世界には必要ない〟)
ちょうど開いていた頁の日記をグレイが読み上げる。この頁に書かれている内容は他の日記よりも圧倒的に文章が多く、他の文字と比べても明らかな筆圧の強さから余程強い想いを込めて書かれたものであると推察できる。
(〝これまでワーナー家は剣で誰かを傷付けることで繁栄してきた。だが、これからは違う。剣で切り開くのは肉ではなく新たな時代でなければならない。その為にも僕は必ず、この研究を成功させる。今は分かってもらえなくても、いつか父さん達にも分かってもらえる日が来ると……僕は信じている〟)
ここで日記は終わっている。ここから実験が成功したかどうかは分からないが、一つ分かる事があるとすればリアムの想いが父親に受け入れられることは無かったという事だ。
「パレット嬢、この日記を外に持ち出す事は可能でしょうか? それと、この本も。少し調べてみたいのです」
「え、えぇ、勿論構いませんわ」
俺が見つけた〝リアムの日記〟とグレイが見つけてきた〝外側と中身が異なる本〟。今のところ手掛かりになりそうなのは、これくらいか。
(……魔王様、そろそろ引き上げた方がよろしいかと)
どうやら屋敷に近付いてくる〝気配〟にグレイも気付いたらしい。急に立ち上がった俺にパレットは困惑した顔を見せる。
「パレット嬢、俺達は一度戻ります」
「え、もうよろしいの?」
「はい。それに、どうやら時間切れのようです。貴女の父上が今この屋敷に向かっています」
「お父様が?! そんな、どうして……暫く別荘に赴くことなどありませんでしたのに」
「何か事情があるのでしょう。……グレイ、触った物は元の位置に戻したか?」
(はい、指紋も抹消済みです)
俺は引き出しを元の状態に戻した。この鍵穴に守るべき物は何も無いが、全く役割が無いわけじゃない。この鍵穴は中身が持ち出されたとすぐに勘付かせない為の細工。俺にとっては重要な存在だ。
「パレット嬢、俺達は御暇させて頂きます」
「えぇ、裏口まで御案内しますわ」
「いえ、俺達はこのまま瞬間移動で離脱します。裏口といえど人が配置されていないとも限りません。この屋敷にワーナー家以外の者が居たと知られれば面倒な事になる」
こんなことなら屋敷に来る際も周囲の気配を気にしておくべきだった。使用人の何人かは俺達が屋敷に入ったことを知っている。彼等を通じて当主の耳に入れば俺もグレイもただでは済まない。
それに今まで来なかった当主の突然の訪問。この屋敷を訪れなければならなくなった事情があるのは確かだ。もしかしたら当主の目的は……
「えぇ、そうね。貴方の仰る通りだわ。ごめんなさい、私が招いたのに、こんな追い出すような形で……」
申し訳なさそうに言うパレットに俺は首を横に振る。
「貴女が謝ることではありません。それより貴女も早く、この部屋から離れた方が良い。もしかしたら貴女の父上は、この部屋に用があって来たのかも知れません」
「そ、それは、どういう……?」
「貴女の父上も貴女と同じようにリアム様を探し続けている。だからリアム様に関する新たな情報を得るため、と言ったところでしょうか。違うにしても、このままこの場に留まっているのは不味い」
「そ、そうですわね」
「貴女は部屋を出て施錠したら、すぐに部屋から離れた場所へ。俺達は、その間に脱出します。さ、急いで」
パレットはドレスの裾を掴んで駆け足で部屋を出ると言い付け通り扉を閉めて鍵を閉めた。廊下を走る足音が遠のいていくのを聞きながら俺達は瞬間移動で、その場から離脱した。




