425話_依頼主の元へ
指名依頼を受理してから翌日、予告通りワーナー家から使者が来訪した。使者を迎え入れたのは俺とグレイの二人。
他の奴等は城で待機。予定ではリュウも俺達と一緒に使者を迎えるはずだったが、国事のため自国に戻らざるを得なくなった。精霊王になった彼は、どうやら俺より多忙らしい。
帰る直前までリュウはグレイを気に掛けていた。なるべく早く用事を済ませて合流すると言っていたが、恐らく彼の希望通りにはならないだろう。
「お会い出来て光栄です、ライ伯爵殿。自分はスヴァイブと申します。普段はしがない冒険者ですが、本日はワーナー家の使者として参りました。先ずは依頼を受けて頂いたことパレット御嬢様に代わり、感謝申し上げます」
パレットが使いとして寄越したのは壮年の男だった。俺やグレイより明らかに歳上の風貌で出会い頭の立ち振る舞いからも人生経験の豊富さが感じ取れる。
「初めまして、スヴァイブ殿。貴殿はワーナー家に雇われた使者なのですか?」
「はい。自分の妹がワーナー家に給仕として雇われている身でして、その繋がりで自分にも依頼を発注して下さっているのです」
冒険者の大半は依頼の報酬で生計を立てている。単純な内容であってもワーナー家直々の依頼ともなれば報酬の豪勢さは通常の同程度の依頼とは比にならないだろう。
「では今の貴方に課せられた依頼は俺をワーナー家まで無事に送り届けると言ったところでしょうか」
「仰る通りで御座います。早速ご案内したいのですが、その前に……伯爵殿、そちらの方は?」
「俺が信頼する護衛兼付き人です。彼も同行してよろしいでしょうか?」
「……御嬢様に確認いたします。少々お待ちを」
そう言って、スヴァイブが自身のこめかみに人差し指を当てて目を閉じる。目を開けた彼から「許可が取れました」と告げられたのは数秒後の事だった。
「スヴァイブ殿、もしや貴方は念話が使えるのですか?」
「さすがは伯爵殿、今の動作だけで見抜かれてしまうとは。自分の数少ない特技でして。これまでも何度か人前で披露した事があるのですが、こうも早く正解を引き当てたのは貴方様が初めてです」
「実は俺の身近にも念話使いがおりまして」
「ほぉ、それは是非ともお会いしたいものですな」
……もう会ってるんだけどな。グレイを見るが、本人は素知らぬ振り。どうやら自ら名乗り出ることはしたくないらしい。グレイにその気が無いというなら、これ以上話を広げる必要は無い。
「では、そろそろ向かいましょうか」
こうしてスヴァイブの案内により俺とグレイはワーナー家の別荘へと赴く事となった。招かれた屋敷は貴族が所有する別荘と呼ぶには些か質素であったが、それでも奥ゆかしさを感じさせる様相は流石としか言いようがない。
「お待ちしておりましたわ、ライ様。スヴァイブ、貴方も御苦労様。お茶とお菓子を用意しているの。良かったら貴方もどう?」
「……自分のような者にまでお声掛けいただき恐悦至極に存じます。しかしながら自分はワーナー家の敷居を跨ぐに相応しい身分では御座いません故」
堅苦しい拒絶の言葉にパレットは困ったように笑いながら肩を落とす。
「貴方は相変わらずね。妹の仕事振りを見学しなくて良いの?」
「彼女も良い大人です。自分が干渉する必要は無いかと。では自分は、これで失礼致します」
俺達にも一礼してスヴァイブは去って行った。彼に向けていた視線をパレットへ向け、軽く頭を下げる。
「本日は御招き頂き、ありがとうございます。パレット嬢」
「こちらこそ依頼を受けて下さり助かりましたわ」
「以前より約束していましたから。ただ指名依頼というのは意外でしたが」
「あら、私だって驚きましたのよ? まさか、この短期間で貴方がギルドマスターになっているだなんて」
ギルドを話題に出されて彼女に確認したかった事があったのを思い出した。
「パレット嬢、俺がギルドを設立したという話を一体何処でお聞きになったんです?」
「まだ貴方は、ご自分の立場を理解できていないようね。平民だった頃と同じようでいられては困りますわ。貴方の周りには常に監視の目が張り巡らされているのだと自覚してもらわなくては」
思わず辺りを見回してしまった。元凶であるパレットは、そんな俺を見て上品に笑っている。
「……俺を揶揄ったんですか」
「笑ってしまったことは謝りますわ。貴方の反応が面白くて、つい……でもライ様、これは真面目な忠告です。貴方は貴族であり、一ギルドのギルドマスター、それから聖騎士の一人でもいらっしゃるのよ。そんな貴方を周囲が放っておくはずありませんわ。今の貴方は良くも悪くも注目の的であるということを、お忘れなきよう」
反論の余地が無い正論に頷くしかない。彼女の言う通り、俺は良くも悪くも目立ってしまっている。これからは俺の言動一つ一つが監視下であることを自覚して行動しなければ。
屋敷の中に招かれた俺達は、そのまま客間へ通された。パレットが言うには今この屋敷には俺達の他に数人の使用人と末っ子のリカルドが滞在しているらしい。ライアンが不在だと知って内心安堵していると、そんな俺の心中を察したかのようにパレットは困り眉で微笑んでいる。
「式典でのライアンの発言、貴方にとっては不快なものだったでしょう。彼に代わって謝罪いたしますわ。……一体誰に似たのか、あの子は好き嫌いが、とてもはっきりしているの。でも貴方のことを気に入っているのは確かだから、どうか悪く思わないであげて」
「あの時、彼に悪意が無かったのは分かっています。ただ俺達の中の〝常識〟に違いがあり過ぎた、それだけの事です」
「……そう言って頂けると助かりますわ。貴方に嫌われたとなれば、きっとライアンは悲しむでしょうから」
家族として姉として彼女なりに弟のことを気に掛けているようだ。
「貴方は先日の式典にいた従者とは別の方ね。初めまして、パレット・ワーナーと申しますわ」
(これは御丁寧に。お……自分はグレイと申します)
「他の貴族が連れている従者の顔まで憶えているのですか?」
「まさか! 貴方の従者だからと言うのもあるけど、式典の時の方といい今回連れてきた方といい目立った風貌をしているんだもの。例えば、その左右で色違いの瞳とか」
十二年前は前髪で隠れていたグレイの両目。ギルと一戦交えて以来、彼の前髪は瞳を隠すには短くなり過ぎた。
あれから十二年も経てば当初の長さまで髪を伸ばすことくらい可能だろうに彼の両目は今も晒されたままだ。
「初めて会った時から思ったの。とても綺麗ね、貴方の瞳」
(貴女のような方に、そう言って頂けて光栄です)
「あら、もしかして今のは念話?」
(はい。声を発することが出来ないので筆談や念話を頼る他ないのです)
簡潔に答えるグレイにパレットは「まぁ……」と同情を寄せる声を漏らす。
「うちの使用人にも何人か貴方と似たような境遇の方がおりますわ。四肢の欠損に盲目、それから貴方と同じように生まれつき声を出せない子も」
(此処には子どもの使用人もいるのですか?)
「普段は成人しか雇わないのですが、彼女だけ特例で雇っているのです。あぁ、噂をすれば」
立ち止まったパレットに合わせるように俺達も立ち止まると前方から使用人の服を纏った少女がパタパタと落ち着きのない足音を連れて走っている。
「メルディ、そんなに急いでどうしたの?」
パレットに呼び止められた少女は大袈裟な身振り手振りで何かを伝えようと努力しているのは分かったが、肝心の何を伝えようとしているのかは全く分からない。グレイも同じようで考えるように首を捻っている。
「そう、慣れない場所の掃除は大変よね。御苦労様。引き留めて、ごめんなさいね」
少女はパレットに頭を下げて足早に去って行く。去る間際、彼女が意図的に俺達の方へ視線を向けたのは多分気のせいじゃない。
「彼女こそ、この屋敷で唯一の子どもの使用人メルディよ」
(パレット様、つかぬ事をお聞きしますが彼女が抱えている問題は発声だけなのでしょうか?)
「……どうして、そんなことをお聞きになるの?」
(貴女と話をされている時の彼女の視線に違和感を覚えたのです。常に貴方の口元に向けられていたような気がして。間違っていたら申し訳ないのですが、もしや彼女は発声障害の他に聴覚障害も患っているのでは?)
パレットは大層驚いた顔をしてグレイを見る。その表情だけでグレイの推測は的中したのだと悟った。
「……これは驚きましたわ。貴方、何者ですの?」
(従者ですよ。ライ様に仕える、しがない従者です)
「それが事実だとしたら貴方の主は鑑識眼もおありなのね。貴方のような方を従者にしているんですもの」
(恐縮です)
元が医者だった故か、それとも単に日頃の目敏さが働いたのかはさて置き、この遣り取りでパレットのグレイに対する信頼や好感は大きく上昇したように思える。あとは彼女の返答次第だが、これなら今回の件にグレイを関わらせたとしても不審には思われなさそうだ。
「……ライ様。実は私、悩んでいましたの。貴方に兄の捜索をお願いした、あの日から」
「俺が依頼を断るかもしれないという心配ですか?」
「その心配も全く無かったわけではありませんが……それ以上に気掛かりだったのは、どれだけ貴方が私に力添えをして下さるかという事です」
俺が途中で依頼を投げ出すとでも思われているのだろうか? そんなつもりは端から無いが、内容が内容だけに彼女が希望する通りの結果を持って帰れるかどうかはまた別の話だ。
「お願いをしている立場で、こんな事を言うのは可笑しな話なのですが……貴方のことを完全には信頼できていなかったのかも知れません」
「俺を信用しきれないのも無理はありません。俺達は互いのことを認識してはいますが、その為人までは知らない。正直なところ俺も貴女が話を持ち込んできた時、これは何かの罠なのではと勘繰ってしまいましたから。あ、ご安心を。勿論、今はそんなこと思ってませんよ」
「ふふっ、分かっています。……本当に貴方はお優しい方ね、ライ様。貴方にお願いした事が本当に正しかったのか、一度でも悩んだ自分が愚かでした」
「そう判断なされるのは尚早だと思いますよ、姉上」
パレットの言葉を否定する男の声が聞こえて振り向くと眉間に皺を寄せた青年が腕を組んで立っていた。歩み寄ってきた青年は俺達とパレットの間に割り込むようにして立ち止まり、ご丁寧に睨み付けてきた。
「生憎、貴方には全く以て興味は無い。興味は無いが……貴方に関する良い噂も悪い噂も常々耳に入ってきて僕としては非常に迷惑している」
そんなこと言われても俺にどうしろと……いや、今の言い分からして俺に何かして欲しいわけではなさそうだ。
「こら、リカルド。お客様に対して失礼ですよ」
「お言葉ですが姉上、無礼なのは彼の方です。少し前からお二人の会話を聞いていましたが、高貴なる姉上に対して相応しい振る舞いとは思えません。それに……」
リカルドの視線が俺からグレイへと向けられる。
「やはり貴方には貴族よりも平民の称号の方が、お似合いのようだ。そんな見るからに汚らしい従者を連れて、よく我が屋敷に足を踏み入れようと思えたな」
「リカルド!」
パレットが叱咤するように声を上げるがリカルドは怯む様子もなく、むしろ強気な態度を見せている。
「姉上も姉上です。招待する客は選ばなくては」
「ちゃんと選んでいるわ。聞いて、リカルド。ライ様はね、リアムお兄様の捜索に協力して下さると言って下さったのよ」
「兄上を……っ、そんなの口先だけに決まっています! そうやって言葉巧みに姉上を騙し、形式上ワーナー家に恩を売ることで貴族としての地位を確立しようとしているのです。彼は平民でありながら勇者様の恩恵に肖っている立場であることを忘れ、図に乗っているのです!」
「憶測で人を悪く言うものではないわ。それにライ様は、そんな非道なことを考えるような方じゃない。少なくとも噂だけの彼を知っている貴方よりは彼のことを知っているつもりよ」
「……そこまで言うなら、ご勝手に。どうなっても僕は知りませんから」
去る間際に俺を一睨みしてリカルドは去って行く。彼とは今回が初対面なはずなのだが、既に随分と嫌われてしまっているようだ。
「申し訳ありません、ライ様。それに従者さんも。弟が失礼な態度を」
「気にしていませんよ。先ほどのは貴女を想っての忠告であると分かっていますから。俺の方こそ配慮が足らずに申し訳ありません」
グレイのことを指摘された時のことを思い出すと今でも内心穏やかではいられないが、あの状況で言い返せば事態が更に悪化するのは目に見えている。今ここでワーナー家の者と揉め事を起こすわけにはいかない。
「婚約者が出来て少しは大人になったと思っていたのだけれど……」
「婚約者?」
「えぇ、二年前に。そういえば彼女は過去に王都の魔法学校で生徒会長をしていたと仰っていたわ。ライ様も魔法学校を卒業なさっているのよね。もしかして、ご存知だったりするかしら?」
俺が入学した時の生徒会長はアリナだ。それ以降の代は知らない。なんせ在学途中から十二年もの間、俺は魔剣の効果で強制的に気絶させられていたからな。
「俺が知っている生徒会長はアリナさんくらいです」
「あら、そのアリナさんこそリカルドの婚約者ですのよ」
「え?!」
(そうなんですか?!)
意外なことにグレイまで驚いている。まぁ、知っていたら既に話しているか。
「知らないのも無理ありませんわ。本人達の意向で公の場で発表する機会を調整している最中ですから。実は昔からリカルドが彼女に好意を寄せていたのは知っていたの。あの子ったら中々素直にならないんだもの。お蔭で協力した私が何度ももどかしい想いをさせられましたわ」
「それは……何となく想像できます」
俺の率直な感想をパレットは咎めることなく「そうでしょ、そうでしょ」と、むしろ喜んでいるような反応を見せる。
「それでパレット嬢、俺達は今どこに向かっているのでしょう?」
「兄の部屋ですわ」
てっきり客間にでも向かっているのかと思いきや、まさかの行き先はリアムの部屋。
「……よろしいのですか? 俺達が踏み込んでしまっても」
「少しでも捜索の手掛かりになればと思いましたの。と言っても……殆どの物がお父様の命令で回収された後、処分されてしまいましたので期待は出来ませんが」
殆どが処分されたと彼女は言ったが物は考えようだ。残されている物の中に案外重要な手掛かりが隠されていたりする場合もある。実際に部屋に行ってみないことには何とも言えないが、まだ希望を捨てるには早い。
先頭を歩いていたパレットの足が、ある一つの扉の前で止まる。俺達も足を止めて扉を見上げる。
パレットは周囲を見渡し、人の気配が無いことを確認すると、いつの間にか持っていた鍵を扉の鍵穴に差し込んだ。間もなくガチャリと解錠の音が周囲に響き、ドアノブに手を掛けた彼女は、ゆっくりと扉を開ける。
開かれた扉の奥に広がる空間は貴族が所有する屋敷内の一室とは思えないほどに生活感が無く、酷く殺風景なものだった。




