50話_スメラギという少年
突然話しかけてきた男は、笑みを浮かべたまま俺に問いかけてきた。
「ここ、座ってもいい?」
そう言って彼が指をさしたのは、俺の向かいの席だった。
空席があるにも関わらず、何故、彼はわざわざ俺に同席を求めるような問いを投げかけたのだろう?
知り合いならまだしも、俺と彼は初対面のはず。
「……他にも、席は空いているが?」
彼の真意が分からず、警戒しながら言葉を吐くと彼は純真無垢な子どもが向けるような瞳で俺を見つめた後、首を傾けた。
「うん、知ってる。でも、ボクはここに座りたいんだ。ダメかな?」
見た目は俺と同い年くらいなのに、言動は幼い子どものように思えた。
不信感は拭えなかったが、特別に断る理由も無かったため、結局俺は彼の言葉を受け入れた。
すると、彼は嬉しそうにその場で飛び跳ねながら向かいの席へと腰を下ろした。
「やっぱり、マオ様は優しいね」
「……マオ様?」
当然、俺はマオなんて名前ではない。
だが、彼があまりにも自然に呼んだものだから、違和感に気付くのに少しだけ時間がかかった。
メニュー表に手を伸ばすわけでもなく、表情筋が心配になるくらいニコニコと笑みを浮かべたまま彼は俺を見つめている。
「俺の名前はマオじゃない」
「だろうね。勿論、知ってるよ」
動物と話していた方が、まだマシかもしれない。
失礼を承知の上で、そう思ってしまうほどに彼と意思疎通が図れる自信が既に無かった。
強まっていく警戒心に比例して、眉間のシワが深くなっていくのが分かる。
そんな俺の反応すら楽しんでいるかのように彼は、娯楽施設を前にした子どものような笑顔を、俺に向けていた。
「お待たせ致しました」
ウェイターの声と共に、目の前に真っ白な皿に乗ったスイートポテトが現れた。
小舟のような形をしたソレに林檎などの果実が埋め込まれており、シナモンの甘い香りが誘うように手招きしていた。
そんな誘惑に耐えられるはずがなく目の前の彼から一時的に意識を外した。
カップホイルを手に取って、食べやすいように少しだけ形を崩すと迷いなくスイートポテトに噛り付いた。
その瞬間、シナモンの風味が駆け巡り、嗅覚器官全てが乗っ取られた。後から芋と果実による自然の甘さならではの風味が合わさって、甘味好きには堪らない調和を生み出していた。
これ以上に無い幸福を噛みしめていたのも束の間、同席者の存在を思い出し、慌てて我に返った。
「甘いもの、好きなんだね」
一切の嫌味が感じられない笑みを向けて放たれた言葉に、視線を逸らすことしか出来なかった。
「あ、ウェイターさん。ボクは、クリームメロンソーダをお願いね」
「かしこまりました」
俺のデザートを運びに来たウェイターに片手を上げながら、まるで友人に話しかけるかのような口調で注文をした。
ウェイターはウェイターで、そんな彼に尽くす忠実な僕のように即座に反応を見せると足早にその場から姿を消した。
「ボクもね、好きなんだ。甘いもの」
完全に手を隠している長く弛んだ袖を顔の前で合わせる姿に、こうして座って向かい合っている今でも少し見上げるほどの座高の差のある相手にも関わらず、年離れた弟を前にしているかのような気持ちになった。
クリームメロンソーダが待ち遠しいのか嬉しそうに左右に揺れると、そんな彼に合わせるように元から跳ねている彼の栗色の髪も揺れ動いた。
「……お前は、王都に住んでるのか?」
スイートポテトへと伸ばしていた手を一旦止め、目の前の男に問いかけた。
すると、男は左右に揺らしていた身体を止めて、驚いたように俺を見た。
「ボクのこと、気になる?」
寧ろ、気にならない方が、おかしい。
……無論、そんなことを口走ることはしなかった。
男の問いに頷くと、男は惚けたように息を漏らし、目を輝かせながら身を乗り出してきた。
その拍子に、ガタッと机が揺れ、スイートポテトを乗せた皿がカチャッと音を立てた。
「本当に? 本当の本当に……ボクのこと、気になる?」
あまりの必死さに引き気味になりながらも頷くと、男は満足したように小声で何かを呟くと、乗り出していた身体を引き戻した。
「ボクは、スメラギ。マオ様のファンなんだ」
「ファン……?」
ようやく彼の名前が分かったところで、再び登場したマオ様という……何故か、先ほど俺に向けられた誰かの名前。
(ファンということは……彼の言うマオ様というのは最近流行りのアイドルか何かなのか?)
アイドル。
直接的な興味は無いが、ギルドに行く際に必ず一度は耳にする単語であった。
だから、そういった存在がいるのは承知しているし、有名どころならば名前も分かる。
しかし、マオという名前のアイドルは聞いた事が無い。
最近出たばかりのアイドルなのか、俺の知らないアイドルなのか……
(まぁ、正直、心底どうでもいいが……)
お冷を喉に流しながら、スメラギの話に適当に相槌を打っていく。
「ボクはね、昔、マオ様に救われたんだ。だから今度はボクがマオ様の力になりたい。マオ様が理想とする世界を一緒に見たいんだ」
今時のアイドルは、人1人を救う力を持っているらしい。しかも、どうやらマオというアイドルには理想とする世界とやらも持ち合わせているらしい。
この話だけ聞くと、アイドルではなく勇者や魔王といった、世界を変える者達の話を聞いているかのようだ。
「……叶うといいな」
アイドルに興味無いが、スメラギの熱が込もった言葉を聞いて純粋に応援したくなった俺は、そんな言葉を口にした。
店内の灯りに照らされて輝く漆黒の瞳を丸くした後、彼は嬉しそうに目を細めた。
「お待たせ致しました。クリームメロンソーダになります」
「あ、ありがとね」
ウェイターから注文の品を受け取ったスメラギはシュワシュワと泡立つ緑色の炭酸から伸びている真っ白なストローを軽く咥えた。
その瞬間、真っ白なストローは一瞬で炭酸と同じ緑色となった。
「ぷはぁー! やっぱり美味しいよね、メロンソーダ」
思いきり息を吐きながらそう言った姿は、仕事終わりにガタイの良い男達が酒を飲んだ後のソレと全く同じだった。
思わずクスリと笑ってしまった俺を見て首を傾げた彼に、何でもないと首を左右に振った。
それにしても、このスメラギという男。
変わった雰囲気を持ち合わせてはいるが、根の悪い奴ではないように思える。
少しばかり見た目よりも幼い言動が目立つが、その分、素直な奴だ。
マナやマヤとは、また違った純粋さを、彼は持っているように感じた。
「メロンソーダは美味しいし、マオ様には会えたし……今日は、良いことが沢山だなぁ!」
「マオ……さんに会えたのか、それは良かったな」
マオ、と呼び捨てするのはなんとなく気が引けたため、無難に〝さん〟を付けて呼んだ。
そんな俺の心遣いなど、全く気にもしていないとばかりに彼はメロンソーダに浮かぶソフトクリームへとスプーンを伸ばした。
「うん。それにマオ様のこと、少し知れたしね。でも、まさかマオ様が甘いもの好きだったなんて……少し意外だったなぁ」
思わず、口へと運んでいたスイートポテトを止めた。
スイートポテトが誘うように食欲を湧き立たせる甘い香りを放っているが、それにさえも打ち勝つ、このフツフツと沸き起こる違和感は、なんだろう?
「……今、マオさんの話をしてるんだよな?」
「うん、そうだよ」
迷いなく頷くスメラギに、ホッと小さく息を吐いた。
一瞬だけ、マオではなく俺のことを言っているのかと勘違いしてしまった。
「ねぇ、名前教えてよ」
唐突に投げかけられた問いに、俺は未だに名乗っていなかったことに気が付いた。
「ライだ」
「ライ……ライ、だね。うん、覚えた」
そう言ってスメラギはストローを口に挟むと、氷水で薄まったメロンソーダをズズッと吸い上げた。
本来の透明な色を取り戻したグラスにら、丸みを帯びた氷しか入っておらず、スメラギが軽く揺らすたびに風鈴のように澄んだ音を立てた。
「もう少し、話したかったけど……ボク、そろそろ行かなきゃ」
店の壁に掛けられた時計に目をやったスメラギが、突然そんな言葉を漏らし、残念そうに眉を下げながら立ち上がった。
メロンソーダが入っていたグラスの近くに数枚のコインを置くと、呆然と見つめていた俺を見てニコリと笑った。
そして、ズイッと俺の耳元まで顔を近づけ……
「また会おうね────マオウ様」
彼が、そう言い放った瞬間、あれだけ騒がしかった周囲の音が一気に無音となった。
何故? どうしてお前の口から、ソレが……?
疑問は限りなくフツフツと湧いてくるのに、金縛りにでもあったかのように中途半端に開いた口からは息しか吐き出せなかった。
スメラギは俺から離れると漆黒の瞳を細め、返事も聞かずに走り去るように外へと飛び出した。
慌てて彼が飛び出した方を見つめたが、既に彼の姿はなく、彼が出て行った扉が閉まっていくのが見えただけだった。
[新たな登場人物]
◎スメラギ
・ライの前に突然現れた少年。
・現時点では謎に包まれており、年齢すらも不明だが、見た目はライと同い年くらい。
・グレイと同じくらいの高い背丈ではあるものの、手の見えない袖、幼子のような口調などと言った容姿からかけ離れたギャップを持ち合わせている。
・〝マオ様〟に心酔しており、力になりたいと心から思っている。
・ライは〝マオ様〟をアイドルだと思っていたが、本当は……




