416話_十六夜の御心
グレイは星を眺め続けている。余計なことは口に出さず、ただ俺が話すのを待っている。
普段は言わなくて良いことまで言ってくる癖に、こういう時だけ相手の出方を窺おうとする姿勢は、はっきり言って狡い。
(何も考えず、ただ星を眺めるというのも悪くありませんね)
「男二人でもか?」
グレイは困ったように笑いながら星空に向けていた視線を俺に向ける。
(魔王様は嫌ですか? 相手が俺では)
「……これが嫌がっているように見えるのか」
(いいえ、見えません)
グレイは控えめな笑い声を漏らす。声と言っても酷く掠れていて、これだけ静かな場所で辛うじて聞こえるほど弱々しいものだが。
(魔王様、星に興味は?)
「全く無いわけではないが、詳しいわけでもない。知ってるのは精々、今見頃の星座がベリオン座とアスファニクス座って事くらいだ」
(それだけ知っていれば充分ですよ)
俺達の会話は、そこで途切れた。白い息を吐き出す度に外の寒さを自覚して腕を摩る。
しかし、その寒さが次第に和らいでいくのを感じて俺はグレイの方を見る。自分達の周囲の気温を魔法で調整したのだ。
「……ありがとう。お蔭で風邪を引かなくて済みそうだ」
(俺としては、このまま部屋に戻って欲しいというのが本音なんですが)
「お前だけでも先に戻って良いんだぞ?」
俺の提案は無視された。俺を置いて先に自分だけ戻るという選択肢は無いらしい。
きっとグレイは俺の気が済むまで付き合うつもりなのだろう。自意識過剰ではない。前世でもグレイは度々こうして傍にいてくれていた。
俺が意図的に一人でいると高確率でグレイ達は現れた。誰かにに押し付けられたのか自発的かは分からないが来ていたのはグレイと、それから……
(ゼノのことを考えているんですか?)
また思考を読まれたのかと身構えたが、どうやら見当違いだったらしい。
思考を読まれたような形跡は無い。グレイは純粋に疑問を投げかけているだけだった。
「あぁ。それと昔のことを思い出していた」
(……魔王様は、あの頃に戻りたいと思いますか?)
率直に言えば、戻りたいような戻りたくないような。もっと正確に言うならば、楽しいと思えていた時にだけ戻りたい。
そう正直に伝えるとグレイは「俺も似たようなもんです」と苦笑した。
「今の生活が不満か?」
(そういうわけでは……ただ、どうしても過去と重ねてしまう時がありまして。まぁ、癖みたいなものですよ。前世の記憶がある以上、この癖が消えることは一生無いと思います)
「お前が〝一生〟って言葉を使うと何か重く感じるな……」
(俺が生ける屍だからですか? 寿命と肉体の殆どの機能が使い物にならないということ以外は人間と変わらないんですがね)
大したことないように言うが、どっちも人間離れした特徴なんだよなぁ。
「そういえば前世でも今世でもお前以外の生ける屍に会ったことが無いな」
(前世のは、あくまで偶然の産物でしたからね)
生ける屍を作れるのは魔王軍の中ではグレイのみ。つまりグレイにその意志が無ければ生ける屍が増えることはない。
「じゃあ今回は前世の知識を生かして自ら生ける屍に?」
生ける屍になる過程を熟知しているグレイなら、この世界でも同じ生ける屍として生きていくことは可能なはずだ。
(……、そうですね)
今、変な間があったような気がしたような……気のせい、か?
(それより明日の聖剣の選定のことですが、恐らくゼノも出席するでしょうね)
「やっぱり、お前もそう思うか」
ゼノも城に宿泊しているようだし、そう考えるのが妥当だよな。
「面倒なことにならなければ良いが」
(全くです)
俺的には、お前が一番心配なんだが……
「何言われても軽く流せよ」
(貴方を侮辱するような言動さえ取らなければ何もしませんよ)
「例外を作るな。全部、受け流せ」
(………………)
「返事は?」
(……………………はい)
渋々了承してくれたものの正直不安だ。明日はアンドレアス達もいるわけだし、乱闘騒ぎにでもなったら面目丸潰れも良いとこだ。
抑止力としてスカーレットも同行させよう。立ち入りに制限を設けられていたとしても、その時は透明化させて更に認識阻害結界を張っておけば問題ないだろう。
(魔王様、もしゼノが仲間になりたいと言ってきたら受け入れますか?)
「……分からない。というか、想像できないな」
誰かに強制されたわけでなく彼は自らの意志で魔王軍を抜けたのだから。自ら抜けた組織に、また入りたいと思うことなど果たして有るだろうか。
本格的にゼノの話題に移り変わった時、俺はグレイに尋ねたかった事があることを思い出した。
「そうだ、グレイ。お前に訊きたい事がある。ヘレン・マキシスという名前に聞き覚えはあるか?」
(ありますよ。彼女は貴族としても冒険者としても有名でしたから。随分前に亡くなったと聞きましたが、彼女が何か?)
「いや、ゼノが食事の時に彼女のことを話していたから気になっただけだ」
(ゼノが?)
「ゼノにとってヘレン・マキシスは育ての親らしい。貴族の地位も彼女から譲り受けたものだと」
(そういえば未婚者であった彼女が養子縁組を受け入れたという話を耳にしたことがありましたが、まさかゼノのことだったとは)
養子に爵位を譲渡すること自体は珍しくも何ともない。ただ、その養子が人間ではなく獣人であることが問題だった。
この世界でも獣人は人間以下の存在に位置付けられている。
獣人を人間と同等に扱う。況してや貴族の地位を与えるなど古臭い考えを持つ王族や貴族にとっては、さぞかし許し難かったことだろう。
「会ったことは?」
(残念ながら。ですが、人伝に彼女の功績や人柄を聞いたことならありますよ)
「貴族であり、冒険者だとも言ってたよな。強かったのか?」
(単独で雌の大熊大蛇の群れを殲滅するくらいには強かったらしいですよ)
「大熊大蛇を?! そ、それは凄いな」
大熊大蛇と言えば、前の世界でも危険視されていた肉食の魔獣だ。性格は非常に獰猛で手懐けるのは不可能だと言われていて尻尾の先に蛇の頭のような飾りが付いているのが特徴だ。
ちなみに尻尾が特徴的なのは雌だけで胎児を育てる器官でもあるらしい。雌の方が体格が逞しく、気性も荒いことから、その姿見が優先的に名付けの元となったという説がある。
「そんなに強かった人が、どうして死んだ?」
(老衰で亡くなったという話もあれば、以前から患っていた持病で亡くなったという話もあります。特殊な立ち位置ゆえなのか、それとも本人が裏で手回ししていたのか情報があまり出回らないんですよ。真実を知りたいならゼノに聞いてみるのが手っ取り早いでしょうね)
口振りからしてゼノはヘレンを慕っているようだった。慕っていた人物の死因を尋ねるなど出来るはずもない。況してや彼女と何の繋がりもない赤の他人の俺が。
それに俺は別に彼女の死因に興味があるわけではない。彼女がゼノの恩人であること。言い換えれば、ゼノにとって彼女は唯一無二とも言える大事な〝人間〟であること。
彼に、そんな存在がいたのだと知れて嬉しかった。人間嫌いは相変わらずのようだが、それでも一人でも特例がいたのは素直に喜ばしいことだ。
「……彼奴にも心の拠り所があったんだな」
最期まで彼女の傍にいて、彼女が背負っていたものを受け継いでいる。それだけでゼノにとってヘレンという人間かどれだけ大事だったか分かる。
大事な者の傍からは決して離れない。それが俺の知るゼノ・ホワイトだ。
(貴方からは離れていきましたけどね)
うっ、痛いとこ突いてくるな……
「俺に、その器が無かった。それだけの話だろ」
(……本当に不満の一つも無いんですか?)
「無いよ。それにほら昔、俺が一人で黄昏れてると高確率でお前と一緒に迎えに来たくれてただろ?」
(貴方を探すのには彼の鼻が便利だったから一緒に行動してただけです)
「やっぱり一緒に探してくれてたんじゃないか」
(人の話、聞いてました?)
仲間と昔の話をする。こんな穏やかな夜も悪くない。
(そういえば魔王様、王位継承の儀の後、何処に行っていたんですか?)
「何処にって色々だよ。急に何だ?」
(……すみません。俺も確証があって言っているわけではないので勘違いかも知れませんが、それならそれで良いんです。ただ城を出て合流した時の魔王様の様子がいつもと違うように見えた気がして)
マリアに自分は本当の母親ではないと告げられた後、予定よりも早いグレイとの合流に焦った自分がいたのは覚えている。
だが、すぐに切り替えて普段通りに振る舞えていたと思っていたのにグレイは些細な変化さえ見逃さなかったらしい。
(俺もリュウも城を出てからの貴方の行動を把握してませんから何処に行って、誰と何を話したのかも知りません。ですから、これは確認です。俺達がいない間に貴方にとって何か不快な出来事があったんじゃありせんか?)
……不快、か。そう思われるほどに、あの時の俺の顔は険しいものだったのだろうか。
楽しい気分になれなかったのは事実だ。原因も分かっている。
しかし、それをグレイに話したところで何になる。自分は前世の恋愛なんか引き摺ってる女々しい奴だと暴露して何の得がある。
(……もしかして貴方が昔愛したという人間が関係してたりします?)
「はっ、?! お前、なん、で……」
グレイの思惑に気付くのが少しばかり遅かった。グレイは俺に鎌をかけたのだ。
「グレイ……お前、まさか」
(す、すみません。動揺を誘えればと思って言ったつもりだったんですが、まさか核心だったとは)
策略ではなく、まさかの偶然。運まで味方に付けられたら、もう逃げ場が無いではないか。
思わず溜め息が漏れる。こんなにも呆気なくバレてしまったら言い訳を考える気にすらなれない。
「……お前と会う前、俺は母親と会っていた」
(母親、ですか?)
今のとどう話が繋がるのかとグレイは首を傾げている。……あー、さすがに今ので全部理解しろというのは無理があるか。
「俺の母親マリア・サナタスは俺が魔王になる切っ掛けとなった人間の生まれ変わりだ」
(は、……魔王様の母親が?)
さすがのグレイも動揺を隠せないらしい。俺も初めて真実を知った時は似たような心境だったから気持ちは分かる。
(その、マリアさんは憶えているんですか? 前世で貴方と会っていた事を)
「いや、憶えてない。多分、前世に関することは何一つ憶えてないと思う」
今まで、それらしい兆候は無かった。それは、つまりマリアが前世のことを思い出すことは無いに等しいという事だ。
(思い出させようと試みた事は?)
「無い。そもそも無理やり思い出させるようなものでもないだろ」
(それは、そうですが……魔王様の力があれば不可能なことでは)
「グレイ、お前なら記憶復元の危険性を分かっているはずだ。その危険性を承知の上で俺に試せと言うのか」
記憶の復元は対象者の脳に多大な負荷が掛かる。消滅した記憶を無理やり思い出させるのだから当然だ。
復元に時間が要する記憶であればあるほど対象者への負担は大きく、最悪、何らかの後遺症が残る可能性もある。
(すみません。出過ぎた事を言いました)
「……いや、お前が俺を思って言ってくれたことは理解してる。俺の方こそ八つ当たりするようなことして悪かった」
マリアのことになると視野が狭くなっていけない。この世界では彼女と家族になれた。これからもマリアは俺の母親であり、俺はマリアの子どもだ。それで充分だと納得していたはずなのに。
(魔王様、この世界に来てから随分と人間らしくなりましたね)
「人間、らしい……?」
(昔の貴方は良くも悪くも一直線でした。人間への強い復讐心ゆえの事だったのでしょうが。でも、今は違います。昔だったら悩まなかったようなことでも悩んで、自分が納得するまで考えて、答えを出す。そのもどかしさは魔族だった頃の貴方には見受けられなかったものです)
「……要するに昔の俺は単純明快な奴だったと?」
我ながら捻くれた解釈だ。グレイも似たようなことを思ったのか苦笑している。
(そこまでは言ってませんよ。ただ、それだけ貴方が自分の為だけに使える時間が増えたと考えれば喜ばしい事だなと。貴方は立場上、立ち止まるわけにはいかなかった。そんな状況を作り上げてしまった俺達にも責任があります。皆が貴方を頼り、決断を委ねていた。その結果、貴方一人に全てを背負わせることになってしまったわけですから)
「悩んでいる時間も余裕も無かったのは事実だが、俺はお前達に全てを押し付けられたと思ったことは一度も無い。元々は俺から始めた事。お前達は、それに付いて来てくれていただけだ。それに……もう昔のことだ。今更あれこれ言うのは止めよう。言い合ったところで時間の無駄だし、切りが無い」
過去を思い出すことや悔やむことを否定しているわけではない。時間や労力は変えられないものより今からでも変えていけるものに費やした方が効率的だというだけの話。
グレイも理解はしてくれたようで間がありながらも「そうですね」と返してくれた。
(では、未来の話をしましょう。マリアさんとは、今後どのような付き合いを?)
「結局、そこに戻るのか……」
(当然です。だって貴方にとって大事なことなんでしょう?)
「それは、まぁ、そうだが……良いんだよ、このままで。世の中には変わった方が良いものもあるが、変わらない方が良いものだってある。これは間違いなく後者だ。グレイ、お前は自分の母親に言えるか? 家族としてではなく一人の女性として好きだって」
(…………言えませんね。それ以前に家族に家族愛以上の感情を向ける自分が想像できません)
これがごく普通の一般的な認識だ。前世の記憶が無ければ俺も純粋にマリアを母親として愛していた。事実、記憶を思い出すまで彼女のことは母親としてしか見ていなかったのだから。
(マリアさんって未婚者なんですよね? それなら恋人か結婚相手が出来れば万事解決なのでは?)
「は?」
(魔王様、顔が怖いです)
理論的にはグレイの言うことは間違ってない。間違ってないが、こういう反応になるのも許して欲しい。好いている相手に自分以外の恋人や結婚相手が出来て素直に喜べる奴なんていないだろう。
(真面目な話、魔王様が煮え切らない想いを抱えている最大の要因はマリアさんに決まった相手がいないからだと思います。例えばマリアさんが既婚者で且つ相手が健在だったら? 彼女が何不自由なく、その相手と幸せに暮らしていたとして、それでも貴方は彼女を手に入れたいと思いますか?)
潔く諦められるほど自分が利口な性格でないことは重々承知している。そもそも理屈や正論で相手への感情が変わるなら苦労しない。
だが、この感情がマリアを不幸にするというなら話は別だ。これは彼女の幸せを奪ってまで叶えるべきものではない。
結論、グレイが言ったことには一理ある。
「思わない。俺が一番に望むのはマリアの幸せだ。マリアが幸せなら、それで良い」
胸が痛まないと言ったら嘘になる。でも、それ以上に彼女には幸せになって欲しいと思っている。理不尽に命を奪われた彼女の亡骸を見るのは、もう二度と御免だ。
これまで誰にも言えなかったものを口に出せたからか少しだけ気が楽になった。それにグレイのお蔭で大事なことを思い出せた。
俺はマリアを愛している。彼女が他の誰かを愛そうとも彼女を愛しいと思う気持ちは変わらない。
ただ変化があるとすれば、それは感情の種類。全てを思い出す前の俺に戻るだけだ。
(……見つけたんですね。自分の中で納得のいく答えを)
グレイは子守唄でも歌うような優しい声で言った。
(それにしても、まさか貴方から色恋話を聞ける日が来ようとは)
自分には縁がないと言わんばかりな反応をするグレイを見て、俺は出来心で尋ねてみた。
「そう言うお前は、どうなんだ?」
(どう、とは?)
「前世で好きな奴はいたのか?」
(……前世、ですか?)
「あ、いや、別に前世に限定しなくても良いが」
普段なら、こんな質問をする事は無い。話の流れというのもあるが、単純に気になった。
グレイは最後まで四天王の一人として魔王軍に貢献してくれていた。今更ながら当時のグレイに想い人や恋人がいたのだとしたらと思うと何だか申し訳ない。
グレイは俯いたまま黙り込んだしまった。夜風の音だけが聞こえて何となく気不味い時間が流れる。
聞かない方が良かったかと後悔し始めた時、唐突に大きな溜め息が響いて反射的に身構えた。
「ど、どうした?」
(…………いえ、今更ながら自分の言動に一貫性が無いことを改めて再認識しただけです)
片手で顔を覆ってしまっているため表情は確認できないが、念話で聞こえる声の調子からして何かを後悔していることだけは分かった。
「? 言ってる意味が、よく分からないんだが」
(あぁ、大丈夫です。これは俺個人の問題なので魔王様が気にする必要は一切ありません)
「そ、そうか」
何だかよく分からないが、グレイが大丈夫だと言うのなら多分大丈夫なんだろう。
それから暫くしてグレイは落ち着きを取り戻したようだったが酷く疲労した顔をしていたので、そろそろ部屋に戻ろうと提案してから俺達は再びベッドに横になった。
相変わらず眠気は無いが、明日に備えて少しでも身体を休ませねばと目を閉じながら先ほどまでのグレイとの遣り取りを思い出す。
結局、グレイは俺の質問に答えなかった。単純に答えたくなかったのか、質問が質問なだけに答えるのも馬鹿らしいと思ったのか。
真相はグレイにしか分からないが、あの質問をしてから様子が変わったという点から前者の推測が濃厚だろう。
俺ばかり暴かれて不公平な気がしないでもないが、答えたくないというのなら無理に聞き出すわけにもいかない。
……とは言ったものの〝想い人〟と〝言動の一貫性〟にどのような関連性があるのかくらいは聞いておくべきだったかも知れない。




