413話_気が休まらない入浴
廊下、食堂、それから大浴場。これでゼノと期せずして会ったのは三回目。ここまでくると運命を疑わずにはいられない。もっとも、これが良い兆候だとは到底思えないが。
その証拠と言える程のものではないが、ゼノがいると分かってからというものグレイからは濃く重くドロリとした澱みのような殺気が瀰漫している。
対するゼノは殺気を向けられているとは思えないほど飄々としており、笑みを作る余裕だってある。
「おいおい、ここは心と身体を癒すための場所やぞ。そんな陰気臭い殺気纏われたら逆に体調が悪化するわ」
(白々しい。俺達が来ることは、もっと前から分かっていたのでしょう? 鉢合わせする前に去ることくらい貴方になら出来たはずですが)
「何で僕がお前から逃げるような事せなあかんねん。僕と一緒が気に食わん言うなら、お前が出て行けばええ。ほれ、出口なら向こうやで」
吐いた言葉が棘となって互いの肉体を突き刺していく。最早これは会話なんて上等なものじゃない。
「な、なぁ、あの獣人ってグレイの知り合い……だよな? その割には何か雰囲気最悪なんだけど」
(グレ、ケンカ? スカーレット、トメル?)
「いや、止めなくて良い。彼奴はゼノ、俺と同じ貴族だ。グレイとは……腐れ縁だと聞いている」
ゼノが目の前にいる以上、本当のことを言うわけにはいかない。彼の前で密語は無意味。存在を認識されている今、聴力阻害結界を張るのは得策とは言えない。況してや此処は大浴場。音の反響が起こりやすい空間の中でゼノの聴覚からは逃れられない。
(大体、貴方は癒さなければならないほど心も身体も疲弊してないでしょ)
「あ、そういうこと言うん? さっきお前に払われた手、結構痛かったんやで?」
右手を軽く振るゼノは笑みを浮かべるが、そこに爽やかさは無く、心の奥底で燻っている別の感情が今の表情を作りだしているといったところか。
このまま傍観していては、いつまで経っても風呂に入れない。グレイも自分から引く気は無さそうだし、そろそろ止めに入るとするか。
「スカーレット、グレイを連れて来てくれ。俺は先に身体を洗っている」
(グレ、オコル、ナイ?)
「怒らない、怒らない」
(ワカッタ! グレ、ツレテ、クル!)
スカーレットは転がるようにグレイの方へ向かって行く。床が濡れている上にスカーレットの身体がツルツルしていることもあって滑りやすいのだろう。
「お前、止めるの面倒臭いからってスカーレットを使うなよ……」
「俺が間に入るよりスカーレットに連れ去ってもらった方が確実だと思っただけだ」
適当な場所に座って頭を洗う。リュウも俺の隣に座って身体を洗い始める。
ズルズルと何かを引き摺るような音が近付いていることからスカーレットがグレイの回収してくれたのだと理解する。
一仕事終えたスカーレットが褒めてくれと言わんばかりに俺の足元に転がってきたので、とりあえず撫でてやった。
(………………)
グレイは無言で俺に何かを訴えている。粗方、回収方法に不満あるのだろう。ある意味、スライムより扱いが難しい奴だ。
「とりあえず座れ。お前はゼノと言い争いをするために大浴場に来たんじゃないだろ」
頭から湯をかぶった俺は前髪を掻き上げ、顔を流れる雫を拭い落としながらグレイに座るよう促す。
「ライも大変やなぁ。従者のメンタルケアまでせなあかんなんて」
「お前達の前の主殿には負けるよ」
「ははっ、そら言えとる」
「え、グレイの前の主って、おまっ、ムビャッ?!」
リュウの阿保が余計なことを言う前に洗面器に溜めていた湯をぶっかけた。
「駄目じゃないか、リュウ。ちゃんと洗い流さないと。髪にシャンプーの泡が付いたままだったぞ」
「…………そっかぁ、気付かなかったなー。態々ぶっかけてくれて、どうもありがとう」
顔に怒りの筋が見えるが、やり返してはこない。こちらの意図を理解したものの、それにしたって他にやり方があったのではと目が問いかけている。
許せ、リュウ。部屋に戻ったら必ずお前にも説明するから。
頭を洗って、身体を洗って、漸く風呂に入れるという時にもゼノはまだ湯浴みをしていた。
彼がいつから此処にいたのかは分からないが、少なくとも数十分は経過している。熱気で頬は上気しており、筋肉で引き締まった腕や胸元の皮膚は汗の雫で光っている。
「……ん? なんや見らん顔がおるな。其奴もライの従者か?」
「いや、彼は俺の友人で、リュウだ」
「ど、どうも」
「フーン……なんや地味っつうか、パッとせん奴やな」
「ムカッ」
〝ムカッ〟て口で言う奴、初めて見た。
「ねぇねぇ、ライくん。あの、すっごく失礼なワンちゃんは何ですかぁ? オレ、すっげぇ不愉快ですぅ」
何だ、その寒気がする喋り方は。初対面で馬鹿にされて腹が立ったのは分かるが、プカプカ浮いてるスカーレットでも見て少し落ち着け。
「誰が、ワンちゃんや。ピクシー風情の田舎者じゃ犬と狼の違いも分からんらしい」
「何だと?!」
勘弁してくれ。グレイの次はお前か、リュウ。
(風呂くらい静かに入らせてくれませんかね。貴方が出て行ってくれれば万事解決するんですが)
「断る。何で僕がお前の都合で動かなあかんねん。つか、僕に命令できる立場かいな。僕は貴族で、お前は使い走り。立場的に僕がお前に命令するのが道理やろ」
(俺の主はライさんなので。主以外からの命令は受理しかねます)
グレイまで参戦する始末。入ったばっかだけど俺だけ先に出てしまおうか……。
ゼノはグレイを一瞥して、あからさまに眉を顰める。
「……相変わらず気持ちの悪い身体しとんな、お前。そんなんと一緒に風呂入る、こっちの身にもなって欲しいわ」
「っ、そんな言い方ないだろ! グレイだって好きで、こんな身体になった訳じゃねぇだろ」
「喚くな、じゃかましい。何も知らんと出しゃばんなや、部外者が」
「オ、オレは部外者じゃねぇ。オレはグレイの……」
「ほな、なしてグレイがそないな身体になったか、お前は知っとるんか?」
「それは……知らない、けど」
「だったら、部外者や。お前がグレイの何やろうと微塵も興味もあらへんけど僕に偉そうに説教すな」
「……っ、」
悔しげに歪んだリュウの顔を見たら、自ずと口が開いていた。
「俺の友人を虐めるのは止めてくれないか、ゼノ。それに、いくら気に入らない相手だからってさっきの発言は看過できるものじゃない。お前も言っていた通り、ここは心と身体を癒すための場所。俺の従者がお前に無礼を働いたことは謝罪するが、これ以上、不快な話題を持ち込むというのなら俺も一貴族として対処させてもらうぞ」
「……分かった、分かった。もう言わん。僕かて、さすがに貴族に喧嘩売ってまで嫌がらせしたいとは思うとらん。それに出来ればライとは今後とも仲良うしたいしな」
降参とばかりに両手を上げながらゼノは立ち上がる。湯の中に隠れていた部分が露わになったことで俺達の間に先ほどまでの遣り取りが無に帰すほどの衝撃が走った。
「……おい、ゼノ」
「んぁ? 何や?」
(貴方、何でタオルを巻いてないんですか……?)
立ち上がったゼノは全裸だった。此処は入浴する為の場所なのだから全裸なのは当たり前なのだが、腰にタオル一枚も巻かれていない。まさに生まれたての姿だ。
「は? 風呂に入っとるんやからタオル巻いとる方が変やろ」
「いやいやいや! だったら、せめて股間! 股間、隠せって! 何で、そんな堂々としてんだよ?!」
「はぁ? 寧ろ、何でそんなダッサイことせなあかんの? 言っとくけど入浴中に股間隠しとんのニンゲンくらいやで」
(エルフやドワーフだって同じようにしてますよ)
「じゃあ〝ニンゲン〟から〝ニンゲンみたいな見た目しとる奴〟に訂正や」
「獣人だって似たようなもんだろうが!」
どうも今日のリュウは火に油を注きたがる傾向にあるらしい。獣人という種族がどんな性格をしているか知っていれば、そんなことを言ったら怒ることくらい想像が付くだろうに。
「……あんな下等生物と僕等の何処が似てんねん。いてこますぞ、下劣な蟲」
「や、やってみろよ、犬っころ! お前なんかライが一捻りしてやるぜ!」
そこで俺の名前を出すんじゃない。それでは、まるで俺が喧嘩を売ったみたいじゃないか。
折角の大浴場で汚れは落とせても疲労が溜まるばかりで寛ぐことも出来なかった。
俺が「もう上がる」と宣言すると何故か皆も一緒に上がるものだから脱衣所でも騒々しさは変わらず、最終的に俺達は揃って使用人達に注意される羽目になったのである。




