412話_大浴場へ
俺との〝御喋り〟に満足したのか、それとも獣人によくある〝気紛れ〟が発動したのか、ゼノとの別れは思いの外あっさりしたものだった。
とはいえ、食事が終わった後も食堂に長居してしまったことは詫びなければと席までの案内や食事を運んでくれた使用人達に謝罪をしてから最後に料理人に称賛の言葉を伝えるようお願いした。
食堂を出て部屋まで戻ると扉の奥から知った気配を感じ、溜め息を一つして中に入る。
「おー、ライ。おかえり」
(お帰りなさい)
(ライ、キタ! キタ!)
グレイとリュウは各々の定位置を見つけて寛いでいる。
「……何故、俺の部屋にいる」
俺以外は部屋に入れないようスカーレットに命じていたはずなのだが。
「ライだけ違うとこで食事しただろ? オレ達が案内された場所と何か違いがあったのか確認したくて待ってた」
確かに、それはちょっと気にな……じゃなくて。
「待つなら自分の部屋でも良かっただろ」
「まぁまぁ、そう固いこと言うなよ。ちゃんとスカーレットに許可は貰ったぜ。それに、お土産も用意した」
「お土産?」
(トマト! トマト!)
一体どこから出したのか数個のトマトを玉に見立てて触手で器用にジャグリングをしている。リュウの奴、スカーレットを好物で買収しやがったな。
トマトを一個ずつ丁寧に消化していくスカーレットを見ていたらリュウ達に物申す気も失せてしまったため彼等の要望通り、あの扉の奥にあった部屋の内装等の情報を共有する事にした。
俺が食事をした部屋の内装とリュウ達が食事をした部屋の内装は、やはり大きく異なっていた。
先ずは装飾品。俺の場合は一目見て高価だと分かる絵画や骨董品が壁際に並べられ、天井にはホワイトダイヤモンドで作られたシャンデリア。一方でリュウ達の方は絵画が数枚ほど飾られていた程度で天井のシャンデリアは一般的な物と同じクリスタルガラス製だったと言う。
「人間って本当、不思議だよなぁ。王様や女王が一番偉いってのは分かるんだけどさ。貴族って立場の名前だけで他の奴より偉くなるんだから」
(妖精族で言うところの上位精霊と似たようなものだと考えてもらえれば分かり易いかと)
「でも、貴族は上位精霊みたいに皆が皆、能力が高いってわけじゃないんだろ?」
(確かに貴族になるのに高い能力は必須ではありませんね。その代わり権力や幅広い人脈、莫大なお金は必要ですが。逆に言えば、それらさえ揃って後は王族に気に入られれば貴族になるのも理屈上は不可能ではありませんよ。実際、無能という評価が妥当な貴族もいらっしゃいますし)
もし、この部屋に監視や盗聴用の魔道具が設置されていたら俺達は即刻捕らえられて牢屋行き確定だな。それらが設置されていないことは予め確認済みだから、その心配は無いが。
リュウは兎も角、グレイもそれが分かっているからこうして本音を晒して……いや、そもそもグレイの発言は全て念話で行われているわけだから音声での証拠は存在しないのか。
俺達の話に付いて行けなかったのか、それとも始めから興味など無かったのか。スカーレットはベッドの上を右往左往と移動しながら飛び跳ねている。スライムなので体重が軽いから軋みの音が殆ど無い。ただ布団も枕もグチャグチャだ。後でベッドメイクをしなければ。
「あ、そういえばオレ達を食堂まで案内してくれた使用人から伝言頼まれてたの忘れてた」
「伝言?」
(大浴場を開放したので準備が出来たらご自由にお入り下さい、だそうです。場所は事前に教えてもらってますので貴方の準備が整えば、いつでも行けますよ)
大浴場か。アンドレアス達が普段使っているものとは流石に別物だろうが、だとしても相当広いんだろうなぁ。俺の城のとどちらが広いのか気になる。
「今度は食堂みたい分けられてないのか?」
(共同だそうです。食事と入浴で何故こんなにも対応が異なっているのかは非常に謎ですが)
「裸になっちゃえば貴族も平民も分からないからじゃね?」
一理ある、のか……?
(あるわけないでしょ。貴族の頂点である王族が決めた規則ですよ。きっと格式高い理由や成り立ちがあるはずです)
「だ、だよな! ちなみにスカーレットを同行させても良いと思うか?」
(別に問題は無いんじゃないですか? 獰猛な魔物なら兎も角、スライムは人間にも無害ですし)
「てか、スライムって風呂入ったりして良いの? お湯の中で溶けちまったりしない?」
「お前なぁ、入浴剤じゃないんだぞ」
「いや、まぁ、そうなんだけど……っ、痛!」
リュウの反応が気に入らなかったのかスカーレットは触手を鞭のようにしならせてペチペチと攻撃している。
(リュ、ヒドイ! スカーレット、トケ、ナイ!)
「わ、悪かった、悪かったって。頼むから止めてくれ、スカーレット。地味に痛い! なあ、ライ! お前からも言って止めてくれよぉ!」
精霊王、スライムに敗れる。絵面的には何度も見ているが、今のリュウの立場としてこれは如何なものか。
「スカーレット、その辺にしといてやれ。それと、お前も風呂に連れて行ってやるから機嫌直せ」
(ホント? オッフロ、オッフロ、オフロフロ〜♪)
風呂に入れると分かった途端、上機嫌に自作の歌まで歌いだすスカーレット。今のでリュウへの攻撃も止まったようだ。
「た、助かった……」
(精霊王になっても貴方は良くも悪くも変わりませんね)
「そんなの当たり前だろ。何になろうとオレはオレなんだから」
(……そうですね)
真理を突いたようなことを言っているが、この様子だとグレイの嫌味はちっとも伝わってないな。
相手が悪かったなと俺はグレイの肩を叩き、入浴の準備を始める。と言っても急の宿泊で着替え等を持参しているはずも無く、部屋に備えられていたルームウェアを拝借するだけなのだが。
グレイやリュウも似たような衣服を持っているし、元々部屋に置かれていた物なのだから無断で借りても問題は無いだろう。
準備を終えるとグレイを先頭に俺達は大浴場へと向かった。
大浴場は客室がある建物とはまた別の建物内にあるらしい。長い廊下を通り、広い庭を通り、また長い廊下を歩いた先に確かにその場所はあった。入浴後も同じ道を通って戻るとなると部屋に辿り着くまでの間に湯冷めしてしまいそうだ。
「思ってたより結構遠かったな」
(元々宿泊用に建てられた物ではありませんからね。多少、勝手が悪くても仕方ありませんよ。それに戻る時は瞬間移動を使えば良いだけの話です)
「それもそうだな。じゃ、行きますか」
共同の脱衣所は休憩室としても利用できるだけの広さが確保されており、浴室から漂う熱気の影響を受けているのか外と比べて湿度も温度も高い。
脱いで畳んだ衣服を棚に入れて戸を閉める。隣でリュウが何やら不安そうな顔をしていたので「どうした?」と声をかけると意外な返答が。
「これって鍵穴とか見当たらないけど中の物とか取られたりしねぇかな」
「心配しなくてもお前の服を盗む奴なんていないだろ」
「そ、そうじゃなくて。オレが言いたいのは仮にも貴族とかお偉いさんが出入りする場所なのに、こんな不用心で良いのかって事」
(それなら大丈夫そうですよ。この棚には施錠魔法、開錠魔法が施されているようです。恐らく戸の真ん中にある魔力宝玉に魔力を流し込むことで発動するのでしょう)
「こんな風に」とグレイが棚の戸を閉めて魔力宝玉に魔力を流すと無色透明から藍色へと変わり、奥でカチャリと何かが施錠する音がした。
(リュウ、試しに開けてみて下さい)
「わ、分かった」
リュウが棚の戸に手をかけて開けようとするが、ビクともしない。藍色だった魔力宝玉が今は赤色に変化している。
今度はグレイが戸に手をかけると、すんなりと開いた。赤く変色していた魔力宝玉は戸が開いたと同時に元の藍色に戻っている。
(思った通りです。一度、施錠魔法が発動すると発動させた方以外は開けられない仕組みになっているようですね。施錠させた方以外が開けようとすると魔力宝玉の色が変色し、開錠されない限り色は戻らない。つまり誰かが無理やりこじ開けようとすれば証拠が残ってしまうというわけです。しかも施錠する前と後で魔力宝玉の色が変化するので〝未使用と勘違いして開けようとした〟という言い訳も通用しません)
「やっぱり城の中とはいえ、そういう対策はちゃんとしてるんだな」
(むしろ城の中だから、という可能性もありますがね)
「? どういう意味?」
「警戒しなきゃいけないのは城の外にいる奴等だけとは限らない。そういう事だろ」
(はい、そういう事です)
よく分からないといった顔でリュウが俺達を見るが、他に説明しようがない。今ので伝わらなかったのはリュウの周りにいる奴等の心が清らかである証だろう。
念のためと俺達は、それぞれの棚に施錠魔法を発動させて大浴場へと向かう。
浴場は石塊の床と壁に囲まれていた。天井は硝子張りになっていて、しかも特殊加工が施されているのか湯気で曇ることもなく明瞭な星空を楽しむことが出来る。
「す……っげぇ! 見ろよ、二人とも。星が見えるぜ!」
(入浴しながら星を眺めるという行為自体には情緒を感じますが、これって上空からの襲撃対策はされてるんでしょうか?)
「一応結界は張られているようだが、対策と呼べる程のものかどうかは調べてみないと分からないな」
「…………オレ、お前等のそういうとこキライ」
何やら拗ねているリュウをスカーレットが慰めて……いるのか、あれは? 床に指で何か描きながらいじけているリュウの腰に巻かれたタオルを引っ張っているようにしか見えないが。
「なんや折角の一人風呂を満喫しとったんに一気に騒がしくなったやんか」
白い湯気に包まれた広い浴槽に目をやる。そこには縁に凭れ掛かるような体勢で湯船につかるゼノの姿があった。




