48.5話_閑話:決めるべき時に決められない、リュウ・フローレスという男
※今回は、リュウ視点で進みます。
本編が、今までよりもサクサクと展開が進みそうなので調整のため、いつもより閑話を多く入れることにしました。
子ども達と遊びながら、広いとは言えない集落を観察していた。
木で造られた家と簡易的な畑と井戸しか見られない。
生活する上で、本当に必要最低限のものだけが置かれたような場所だった。
自分だったら、こんな場所、絶対に住みたくない。
集落にいる鬼人は約十数名程度、しかも、そのほとんどが女と子どもだった。
観察していく内に気になったのは大人の鬼人達の雰囲気だ。
子どもを前にした時は穏やかな表情を浮かべているが、それ以外での表情は常に硬い。
まるで、何かを強く警戒しているみたいだ。
(鬼蜘蛛って、そんなに怖い奴なのか……?)
もしも、今、そんな奴が目の前に現れたら……そんな考えが頭を過ぎり、ブルリと身体が震えた。
「皆さん、元気なのは大変結構ですが……少し休憩しませんか?」
ヒメカと数人の女の鬼人達が持っているお盆には、丸や三角の形に握られた沢山のおむすびが乗せられていた。
お盆に載っている存在に気付いた子ども達は、一目散に彼女達の元へと駆けて行った。
「うわぁ、おむすびだぁ!」
「食べていいの? いいの?」
「いただきまぁーす!」
各々、好きな形や大きさのおむすびを手に取り、離れていくと自分のお気に入りの場所に腰を下ろして、口一杯に頬張った。
「リュウさんは、こちらをどうぞ」
「あ、ありがとうございま……す?」
1人の鬼人にお盆ごと手渡された数個のおむすびに、思わず語尾が上がった。
目の前のおむすびは他のものと比べて歪な形をしている上に、少しの振動でボロボロと米粒が落ちてしまうほどに不安定だった。
(……子どもが握ったのか?)
そんな結論に至ったオレは、おむすびを1個だけ取って一気に口の中へ放り込み、指に残っていた一部も残さず口へと運んだ。
炊きたての米の温もりと程よい塩加減に、思わず目を細めた。
シャケに高菜に梅干し……ご飯のお供とも呼べるおかずが入ったおむすびも嫌いではないが、やはり米と塩の組み合わせに勝るものは無いと、塩むすびを食べる度に思う。
口をモゴモゴと動かしながら口までご案内する新たな客人に手を伸ばすと、こちらへやって来たヒメカがこの世の終わりでも迎えたかのような表情で、こちらを見ていた。
「リ、リュウさん……っ、その、手にもっているものは……」
薄い氷の上を歩いているかのような声で、彼女はオレの手にあるおむすびを指差した。
「あ、これ、さっき貰ったんです。塩がきいてて、すっごく美味いですよ」
(形は歪だけど……)
余計な感想は伏せて、おむすびが乗っているお盆を彼女の方へ差し出すと、何故か彼女はクリスマスの時に家に飾ってあった様々な色に発色するランプのように顔を赤くしたり蒼くしたりしながら頭を抱えて悶えていた。
近くでおむすびを堪能していた女の鬼人が、そんな彼女を微笑ましそうに見つめた後、オレに耳打ちした。
「その、おむすび……ヒメカ様が握ったものなんですよ」
「え……」
お盆に乗っているおむすびと目の前で忙しなく視線を泳がせている彼女を交互に見た。
爆発5秒前と、カウントダウンを口ずさみたくなる程に顔を真っ赤にさせた彼女は今にも泣き出しそうな表情で、オレの隣にいる鬼人を睨みつけていた。
「……それは、私が後で食べるから出さないでって言ったじゃない」
「申し訳ありません。要らぬ世話であることは重々承知していたのですが、ヒメカ様が初めてお握りになられたおむすびが誰の目にも晒されず、貴女様の胃の中へと収められていくなんて、私達は耐えられなかったのです」
深々と頭を下げた鬼人に、彼女は言葉を詰まらせた。
「リュウさんとライさんのために、一生懸命握られたのですよね? 今まで台所に足を踏み入れたことすら無かったヒメカ様が、慣れない手つきでおむすびを握る姿は、なんとも健気で……」
「も、もう、やめてぇぇぇぇぇえ!!!!」
我慢の限界を迎えてしまった彼女は、鬼人の胸元に全力で飛び込むとポカポカと叩き始めた。
彼女が胸元を叩く度に揺れる立派な胸に思わず目が行ってしまい、慌てて横を向いた。
「フフッ……図星だからと言って、そんな可愛らしい抵抗をしても無駄ですよ。貴女様のおむすびは、既にリュウさんの身体の中へと収められてしまいましたので……」
「誰のせいだと……っ、誰のせいだとぉぉ……!」
「ウフフフフフフ……私のせいですね」
ヒメカという人間……じゃなくて、鬼人が分からなくなってきた。
初めて会った時に見せた凛々しい顔、鉄格子の向こうから見えた年相応の少女のような顔、そして……駄々をこねた幼い子どものような顔。
(どれが……本当の彼女の顔なんだ?)
それから胸を叩かれている鬼人も、おむすびをオレに向けた時の穏やかな雰囲気はどこへ行ったのか、今となっては見る影もない。
ヒメカの反応を楽しげな表情で見ている。
(鬼人って、みんな、こんな感じなのか……?)
先ほどまで一緒に楽しく遊んでいた子ども達も、いつかは……その先の考えに至る前に振り払った。
鬼人族との、これからの付き合い方について考えていかねばと思考を切り替えた時、頬を撫でる程度の風が突然、身体がほんの少しだけ持っていかれる程度の強さへと増したので咄嗟に、お盆を抱き抱えて、おむすびを死守した。
この時、おむすびに意識を向けていたのはオレだけだったらしい。周囲の鬼人達は辺りを警戒するように見渡し、子どもを守るように抱き寄せた。
近くにいたヒメカ達も例外ではなく、彼女を守るように肩を抱き寄せた鬼人は視線だけを動かして周囲の様子を探っていた。
何も無いと分かると、あからさまにホッとしたような顔をして、再びおむすびに食らいついた。
(な、なんだ、今の……?)
風が一瞬だけ強まっただけなのに、どうして自分と彼らの反応に、これだけの差が出来たのだろう?
風を通じて、何かを読み取ったのだろうか?
「あの……どうかしたんですか?」
彼らとの温度差を承知の上で尋ねると、彼女達は気まずそうな表情で語り始めた。
「……すみません。あの男が現れた時も強い風が吹いていたので、思わず身体が反応してしまいました」
ヒメカの言葉を聞いて、地下の牢屋部屋での彼女の話を思い出した。
彼女達の日常を一瞬にして壊したという、謎の男。ここまで逃げて来られたからと言って、確実に安全であるという保証は無い。
先ほどから、ずっと彼ら感じていた異常なまでの警戒。
あれは鬼蜘蛛に対するだけのものではなくヒメカが話していた男に対するものでもあったのだと、この時になってようやく分かった。
彼らは今、鬼蜘蛛と謎の男という2つの脅威に怯えている。前者はヒメカの兄から鬼人族としての強さと誇りを奪い、後者は彼らの仲間や住む場所を奪った。
あくまで想像の範囲でしか彼らの今の心情を測り取ることが出来ないオレに出来ることなんて、何も無いのかも知れない。
それでも、言わずにはいられなかった。
気休めでも良い。
なんなら、他人が分かったように言うなと責められたって良い。
彼らを、恐怖という感情から少しでも遠ざけられるなら。
「…………大丈夫です」
「え?」
鼻から思いきり空気を取り込んで、その空気を全て吐き出す勢いで、ヒメカの瞳を真っ直ぐに見つめて言い放った。
「オレ達が来たからには鬼蜘蛛も、その男も、返り討ちにしてやりまふよ!!」
噛んでしまった。完璧に言い切るつもりだったのに、噛んでしまった。
身体全体の熱が顔へと集まっているのが分かる。
ついでに、全員の視線がオレに向いていることも。
「ぁ……ぇ゛……と……」
未確認生物か何かと勘違いされそうな声に、我ながら泣きそうになった。
「っ、ふ……」
空気が抜けたような音を漏らしたのは、誰だっただろう。
連鎖反応を起こしたかのように、次々に至るところから笑いが起こった。
「ひ、ひーっひっひっひ! き、聞いたかよ、今の! 返り討ちにしてやりまふって……ひっ、ひーっひっひっひ!!」
「やめろよ、兄貴。そんなに笑ったらコイツが可愛そ……っ、ぶふーっ!」
「貴方も笑ってるじゃない……っ!」
誰でもいいから、今すぐに穴を掘ってくれ。そして、オレはそこで永眠する。
ヒメカ達も腹を抱えて笑っているし、子どもだって笑いながら転げ回っているし……もう、オレは彼らと顔を合わせることが出来ない。
この時、この瞬間だけは、確かに彼らは恐怖という感情から少しだけ遠ざかったのかもしれない。それは、他の誰でもないオレが望んだことだ。しかし……どうも腑に落ちないのは何故だろう?
(ライ……早く帰ってきてくれ)
この時、ライはヒメカの兄と会えたどころか、彼らの脅威の1つである鬼蜘蛛と和解の道を歩むための架け橋になっていたわけだが……そんなもの、これ程までにない羞恥に支配されていたオレの知ったことではない。




