406話_聲の記憶
買い物を終えて城に戻った俺達は使用人の案内で宿泊用の部屋に通された。部屋は一人ずつ用意され、室内にはテレビやベッドといった家具や家電、有り難いことに食料等を保管できる冷蔵用の保管庫まで備わっている。
俺が荷物を仕分けしている間、スカーレットは部屋を徘徊しながら興味のある物に触手でペタペタと触れたりしている。
(魔王様、今よろしいですか?)
グレイからの念話を受け取り、応答する。
部屋は隣なのだから来て話せば良いものを態々念話という手段に使ったということは、その時間すら惜しいほど急を要する用件か、或いはグレイが動けない状況と考えるのが妥当だ。
(どうした?)
(城内でゼノの魔力を感知しました。この城に、まだゼノがいます)
「何だと?!」
俺の声に驚いたスカーレットが持っていた燭台を落としてしまった。「すまん、何でもない」と謝るとスカーレットは落とした燭台を元の位置に戻して俺の足元に寄って来た。
グレイがゼノの存在に気付いた経緯を簡単に説明すると、城の中が安全であると頭では分かっていながらも念のためにと発動させた魔力感知にゼノの魔力反応があったらしい。
(どうして城にゼノが……まさか俺のことがバレたのか?)
(いえ、それは無いと思います。前にも報告した通り、ゼノは貴方と俺が繋がっていることに気付いていませんでした。それが仮に俺を欺くための演技だったとして俺達が合流してから此処に来るまで接触する機会なら幾らでもあったはずなのに未だに何の動きも無いのは不自然です)
(彼奴は今近くにいるのか?)
(……すみません。ゼノに勘付かれる前に魔力感知を切ったので正確な位置までは)
獣人の中でも特殊な魔狼であるゼノには優れた嗅覚の他に〝超直感〟と呼ばれる特性を持っている。超直感は単純に気配の感知能力が優れているだけでなく、攻撃や罠といった危機を予測し回避する事も可能にする能力。
この超直感が働く範囲についてはゼノ自身も正確には理解していないようだったが、過去に俺を含めた魔王軍がこの能力に何度も救われたことがある経験から定義が困難であるほどの多様な概念を無意識に悟らせる能力とみて間違いないだろう。
グレイが早々に魔力感知を切ったのは相手の正確な位置が分かるという利点と感知していることを悟られる危険性を天秤に掛けた時に前者を投げ捨ててでも後者の事態を避けるべきだと判断したからだ。
今なら、あえてグレイが念話でこの事を報告してきた理由も分かる。ゼノの現在位置が分からない以上、下手に動けないからだ。
かといって、ずっと部屋に篭っているわけにもいかない。最悪、食事は体調不良など適当な理由を作れば部屋まで運んでもらえるとして。もしゼノが俺達と同じ理由で城に滞在しているのだとしたら、うっかり鉢合わせてしまう可能性は充分にある。
(前世で嫌というほど分かっていた事ですが敵になると本当に厄介ですね、彼)
(そうだな……でも勘違いするな、グレイ。ゼノは確かに有能だが万能じゃない。嗅覚に聴力、それから直感を常に集中させるなんて、いくら魔狼でも不可能だ。つまり彼奴にも俺達が付け入るだけの〝隙〟はある)
隙があるとはいえ、それを偶然に任せるのはナンセンス。いつ出来るかも分からない隙を待つくらいなら自分で作る。隙が出来る時間やタイミングを俺の意思でコントロールできれば有利になる。
(元々こちらから先手を打つつもりだったんだ。その時が思っていたよりも早く来た、それだけの事だろ)
(……そうですね。思っていた展開とはだいぶ違いますが、仕方ありません。こうなったら俺も覚悟を決めます)
(ゼノのことリュウに話すべきだと思うか?)
(話せば協力してくれるでしょうが、このまま何も知らせない方が良いと思います。何というか彼は、その……素直で真っ直ぐな方なので)
グレイにしては珍しく婉曲的な言い回しだが、要は嘘も隠し事も出来ない性格だから教えるより何も知らないままの方が俺達にとっては都合が良いという事だ。まぁ確かに、変に意識してゼノに悟られても困るからな。
(それならグレイ、城の中ではリュウと行動を共にしてくれ)
(まさか単独で動くつもりですか? さすがに危険では)
(彼奴も馬鹿じゃない。王族がいる城で悪目立ちするような事はしない筈だ。あくまで重要なのは今の俺とグレイは貴族と従者としての主従関係であって前世とは無関係だとゼノに思わせること。必要以上に俺とお前が一緒にいると、それだけで怪しまれる)
(……分かりました。城の中では極力リュウと行動するようにします)
(頼む。ただ、あからさまに俺を避ける必要は無いからな。設定上は俺に仕えている従者なんだから必要な時や俺が声を掛けた時は普通に接してくれ)
ゼノが城に残っているのは予想外だったが、向こうに勘付かれるよりも先に行動できるのは大きい。グレイなら俺の期待以上に上手く立ち回ってくれる。つまるところ後は……俺次第か。
(恐らく最初に顔合わせるとしたら食事時です。ゼノと貴方の爵位は同じ伯爵なので爵位ごとに席が振り分けられていたら必然的に近い席で食事をする事になります)
グレイに言われて大事なことを失念していたことに気付く。街の食事処を基準に考えていたが、王都の城で振る舞われるのは貴族向けの料理。庶民の頃と同じ基準では参考にならないことくらい少し考えれば分かる事なのに。
(それって俺とゼノの席が隣同士になったりする可能性もあるって事だよな)
(今この城にどれほど貴族が滞在しているかにもよりますが、伯爵の爵位を授けられた貴族はそう多くないので確率は高いかと)
……なんか頭が痛くなってきた。とはいえ、今更引くわけにもいかない。ゼノに俺が魔王ライ・サナタスだと確定される前に手を打つには絶好の機会。とりあえず今は実際にそのような状況になる前に知れて良かったとでも思っておこう。
(ゼノが持つ特殊能力の中で最も厄介なのは超直感です。ただ幸いにも、この能力に相手の嘘を見抜いたりする力はありません)
グレイが断言したという事は……
(既に実証済みってわけか)
(はい。超直感に嘘を見抜く力があるなら俺と話をした時点で貴方の存在は彼に筒抜けでしょうから)
グレイの虚偽の発言に対してゼノは何も指摘しなかった。つまり発言の真偽は超直感で判別できない。そういう事か。
(こんなことなら先ほど使用人に食事の時間を訊いておくべきでした。魔力感知も頼りに出来ない今、部屋から出ることも出来ません)
(だったら、俺が今から訊きに行く。お前が使用人を探し回っている間にゼノと出会すのは不味いだろ)
(出会して不味いのは貴方も同じなんですが……どうしても行くと言うのなら止めはしませんが、あまり部屋から離れないように。近くに使用人がいないようであれば、すぐ部屋に戻って下さい)
(言われなくても、そうする。念のためリュウにも部屋から出ないよう言っておいてくれ。戻った時には、また連絡する)
(分かりました。くれぐれも、お気を付けて)
グレイとの念話を切って俺は背中を反らす。少しでも気が紛れれば思って実行しただけの運動は案の定、意味のないものに終わる。
(ライ、ドコイク? スカーレット、モ!)
「悪いな、スカーレット。お前は留守番だ。すぐ戻って来るから良い子にな。良い子で待ってたら美味しいトマトをご馳走様してやる」
(トマト! ワカッタ! スカーレット、スル、バン!)
「留守番、な」
スカーレットを軽く撫でて、その感触に癒されたところで扉へと向かう。何処にいるか分からないということは、この扉を開けた直後に遭遇する可能性もあるって事だよな。
俺は扉越しに聞き耳を立てて付近に誰かいないか探る。……足音は無い。人の気配も。
ゆっくりと扉を開けて隙間から周囲を見る。やはり誰もいない。この近くにゼノはいないようだ。
外に出たいだけなのに神経を擦り減らされる。魔力感知が使えれば、こんな苦労をしなくて済むものを。
部屋を出て、無駄に広い廊下を歩く。この広さなら十人人くらい横並びで歩いても、まだ余裕がありそうだ。廊下の往復するだけで一時間はかかりそうだが、魔力感知が使えない以上は地道に探すしかない。
◇
(…………おかしい)
歩くこと数十分。使用人どころか人っ子一人いない。この城の構造や内装に詳しくない俺が、このまま歩き続ければ迷子になることは必須。となれば、ここは大人しく引き返すべきか。
(宿泊部屋付近には使用人を配置していないのか? それとも何かの準備や片付けに全員駆り出されている?)
今日は王位継承の儀があったわけだし、その可能性も無くはないか。だからといって、この人気の無さは異常な気もするが。
直線だった廊下が漸く曲がり角に差し掛かった時、視界に人影を捉えた。今から走れば余裕で追いつける程度の距離。後ろ姿で誰かは特定できないが、身なりや背丈からして貴族の男のようだ。
一歩前に踏み出し、声をかけようと口を開いた時、その人影の頭に人間には無いはずの物が見えて反射的に角の壁に身を隠した。
暑くもないのに汗が流れる。全力疾走したわけでもないのに息が乱れる。聞こえてしまうのではと心配になるほどに心臓が脈打っているのが分かる。
遠目でしか確認できなかったため確かな事は言えないが俺の見間違えでなければ、あれは……獣人の耳だ。
幸い、相手はこちらに背中を向けていたため姿は見られていない。声をかける直前だったから多分気付かれてはいない……と思う。
あの人影がゼノだったのかどうかは分からないが、それに獣人である可能性が僅かでもある内は警戒するに越したことは無い。
きっと食事が用意される時間になる頃には使用人が呼びに来てくれる。それまでは暇を持て余すことになるが、こんな心臓に悪い思いをするよりはマシだ。
(そうと決まれば急いで部屋に戻っ……)
「そこの兄ちゃん、こんな所で何しとるん?」
────────、終わった。
振り向かなくても分かる。昔、その声に何度も呼ばれたのだから。
聞き間違えようがない、これは俺がよく知っている〝ゼノ・ホワイト〟の声だ。




