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402話_矛盾する感情

 恋というものは実に厄介だ。良くも悪くも人を変えてしまう。

 悪い例が、まさに俺だ。自分の立場を理解していながらマリアに好意を寄せ、その結果、彼女を殺してしまった。彼女を直接殺めたのは別の人間だが、そうなってしまった原因は俺にあるのだから俺が殺したようなものだ。

 あの時は唯々憎かった。彼女の同族でありながら魔族と繋がりがあるからという理由で彼女を殺し、利用した彼らを俺は許せなかった。

 そこで終われば良かった。だけど、止まらなかった。いつの間にか俺は彼女を殺した人間ではなく、人間そのものを憎むようになっていたのだ。

 マリアを失ったことで人類の敵となり魔王となった俺は恋に踊らされた滑稽者に過ぎなかった。

 だが、恋をして悪いことばかりでなかったのも確かだ。

 マリアと一緒にいる時、俺は心から幸福を感じていた。もっとこの時間が続けばと何度願ったことか。

 彼女さえ傍にいてくれたら後は何もいらないと思ったこともある。その度に仲間の顔がちらつき、彼らを裏切っているような気がして罪悪感に苛まれたが。


「サラの所に行っていたのね」


 俺の足元にいるスカーレットを見ながらマリアは問いかけるまでもなく言い当てる。

 マリアは今もサラ達の所の住んでいる。村を失ったマリアには行き場所が無い。詳しい事情は分からないが、本人曰く故郷に帰るのも難しいらしい。

 自分の国に招こうかとも考えたが、色々な意味で王都とは比較にもならない場所に移り住んだところで利点は無い。


「スカーレットを迎えに来たんだ。ずっとサラさんの所に預けっぱなしって訳にもいかないから」


「まぁ、そうだったの。良かったわね、スーちゃん」


(ヨカッタ! ヨカッタ!)


 彼女の言葉を理解した上で返しているのか、それとも単に言葉を真似ているだけなのか。出来れば前者であることを願いたいが、スカーレットの知能に関しては未だ未知数であるため飼い主である俺でも判断は難しい。


「それ、荷物だろ。持つよ」


「え、でも」


「良いから。ほら、貸して」


 半ば奪うようにマリアから荷物を受け取ると、見た目通りずっしりとした重みで身体が僅かに右に傾く。


「ありがとう。結構重いでしょ。家まで距離もあるし、辛くなったら遠慮せず言うのよ?」


「これくらいなら問題ない。折角だし、このまま家まで持って行く」


「助かるわぁ。でも大丈夫? 何処かへ行くところだったんじゃない?」


「約束の時間まで、まだ余裕はあるから大丈夫だ」


 本当は言うほど余裕も無いが、重そうに荷物を引き摺る彼女を見てしまったら放っておくことなど出来るはずもない。

 それに、こうして気兼ねなく彼女と街を歩ける。全てを思い出した俺にとっては奇跡のような時間だ。

 特に会話もなく前を向いて歩いていると、ふと隣から視線を感じて目線だけ動かす。


「あ、気付かれちゃったわね」


 申し訳なさそうにも楽しそうにも聞こえる声だ。


「ジッと見ちゃって、ごめんなさい。貴方の成長ぶりを見ていたら本当にあれから十二年も経ったんだなぁって。私も年を取るはずよねぇ」


「十二年経っても母さんは相変わらず綺麗だ」


「もう、ライったら。でも、お世辞だって分かってても言われると嬉しいものね」


「お世辞なんかじゃないよ。母さんは綺麗だ。……昔から、そう思ってる」


 マリアは頬を淡い桃色に染めながら「ふふっ、ありがとう」と返す。俺が言った言葉の本当の意味も知らずに。


「そう言うライだって綺麗よ。あ、男の子に綺麗って言うのは変かしら?」


「……変かどうかは分からないけど、悪い気はしない」


 悪い気がしなかったのは選ばれた言葉が〝綺麗〟だったからではなく、そう言ってくれたのがマリアだったからだろう。そう考えると言葉そのものよりも言ってくれる相手にこそ価値がある気がする。


「学生の時は女の子にモテちゃって大変だったんじゃない? あ、でも今の方が人気があるのかしら?」


「……どうかな。自分じゃ、よく分からない」


 正直、返答に困る話題だ。自分が女性にモテていると自覚した事は無いし、仮にモテていたとしても特に思う事は無い。

 そんな俺の意思が伝わったのかマリアは「まぁ、そうよね」と納得したような反応で早々に話題を打ち切った。


「あ、そういえば、まだお祝いをしてなかったわね」


「お祝いって?」


「貴方が貴族になったお祝いよ」


 これは後から知った事なのだが、俺が貴族になったからといって育ての親であるマリアも貴族に成り上がる訳ではないらしい。

 貴族にとって血の繋がりというのは俺が思っている以上に重要なようで、いくら親子であってもそこに血縁関係がなければ他人と同等の扱いになるらしい。後継者(子ども)がいない等、配慮すべき理由がある場合のみ血縁以外の後継が認められる。

 俺が貴族になるにあたって色々と調べられている筈だ。俺とマリアが血の繋がっていない親子であることも周知されていると思っておいた方が良いだろう。

 俺が貴族になることを承諾したと同時にマリアにも話がいっていたのだとしたら。


「ねぇ、ライ。これから色々と……いえ、きっと今も忙しいのだろうけれど少しだけ時間を貰えないかしら。大事な話があるの」


 俺の思考が読まれていたのではと思うほどの絶妙なタイミングに思わず心臓がドキリと跳ねた。


「それは構わないけど大事な話って?」


 動揺を悟られまいと素知らぬ雰囲気を作って出来るだけ平坦な声で返す。


「……ごめんなさい、此処じゃ話せないわ」


 街中では話せない話題。後日に改めて話をしても良いような口振りではあったが、出来るだけ早い方が良いだろう。

 今から話を聞くとなれば間違いなく待ち合わせに遅れることになるが……まぁ、待たせる相手が相手だ。どうとでも言い訳は出来る。


「じゃあサラさんの家なら話せるか?」


「! ……良いの? 貴方、この後も用事があるんじゃ」


「急ぎの用じゃないから大丈夫。母さんが気にする必要は無いよ。あとは母さんさえ良ければ、だけど」


「……私も、それで大丈夫よ」


 表情が固い。声も少し震えている。緊張しているのが見て取れる。

 彼女の言う〝大事な話〟が俺の想像通りのものだとしたら、そんな顔をしなくても良いと言ってやりたい。

 マリアが俺の本当の母親でない事は幼い頃から知っている。だから今更聞かされたところで驚きも何も無い。

 早く家に着けば良いのにと思いながらも俺は瞬間移動(テレポーテーション)で帰ることを提案しなかった。早く真実を伝えて楽にしてやりたいと考えているのは俺の方であって彼女の意思ではないからだ。何が彼女にとって良い選択なのか分からないから何も出来ない。それが何とも歯痒い。

 

(…………マリア)


 俯く彼女を横目に今となっては決して呼ぶことを許されない名前を紡ぐ。

 自分の母親を名前で呼ぶ奴などいない。法で禁じられているわけではないが、所謂、暗黙の了解という奴だ。

 母親は子にとって友人でも恋人でもない。そんな当たり前の話だ。当たり前だと頭では分かっているから俺も口には出さずに心の中で彼女の名を紡ぎ出す。

 マリア、マリア、俺の愛しいマリア。前世の悲劇が無ければ俺達は結ばれていたかも知れない。今とは違う家族の形を手にしていたかも知れない。

 血の繋がりは無くとも俺達は家族。他人ではない。

 他人であったなら俺は想いを告げていただろうか? 彼女は俺の想いを受け止めてくれただろうか?

 何を思ったところで所詮は夢物語。この想いが成就することは無い。元より彼女が命を落とす要因となった俺に、その資格は無い。

 それなのに望んでしまう。求めてしまう。彼女の隣にいる権利を。


(いっそ、この感情を殺してしまえたら……)


 物騒な思考にのめり込んでしまいそうになった俺は慌てて思考を振り払った。それが出来たら苦労しない。そもそも、この感情を消化させる方法が見出せないから悩んでいるというのに。


「……もう着くわね」


 まだ着いて欲しくなかったとも受け取れる声色に顔を上げると視界にサラの家を捉えた。マリアの顔には相変わらず憂いの影が濃く差している。


「母さん。やっぱり俺、荷物を置いたらすぐ出るよ。だから、」


 俺の言葉は、そこで止まった。止まらざるを得なかった。

 マリアの方から微かに笑った声が聞こえたからだ。いつもとは違う、心に余裕が無いながらも無理やり捻り出した、ぎこちない笑みを浮かべて彼女は俺を見ている。


「ごめんなさい、急に笑ったりして。本当に優しい子に育ったなと思って。気遣いは嬉しいけど……いつまでも貴方の優しさに甘えるわけにはいかないもの。私も覚悟を決めなきゃね」


 覚悟とは、俺に真実を伝える覚悟の事だろう。この先が俺の想像通りの展開だとしたら、その真実とは自分達に他の繋がりは無いという事。

 それならもう知っていると言いたいところだが、あくまで俺の想像上の話だ。全く違っていたら唯々恥ずかしい。だから俺はマリアが話をするまでは何も言わない事にしたのだ。




 家に入ると別れたばかりの俺が戻ってきたことにサラは驚いていたが、マリアの表情を見て全てを察したかの如く顔中の神経を凝固させていった。


「私、いない方が良い?」


「ううん。貴女も一緒いて、サラ。……お願い」


「……分かったわ」


 「飲み物を用意してくるから座って待ってて」と言ってサラは台所へと姿を消す。マリアが先に食卓の椅子に座ったのを見届けてから俺も彼女の真向かいの席に腰を下ろす。

 間もなく紅茶と焼き菓子の匂いを纏ったサラがマリアの隣の席に着席。彼女から差し出された紅茶の入ったカップの水面に自分の顔が映る。

 彼女達の緊張が移ってしまったのか、それとも御世辞にも居心地が良いとは言えない空気に呑まれてしまったのか表情は硬い。

 元々愛想の良い方でないことは自覚している。それでも、いつもは恐らくもっとマシな顔をしているだろうと思えるほどには顔が異常に強張っている。こんな顔で幼い子どもの前に立てば間違いなく大泣きされる。

 ……っと、今は自分の顔よりもマリアだ。顔を上げると案の定、彼女と目が合った。


「ライ。賢い貴方の事だから、もしかしたら薄々気付いているかも知れないけれど…………私は貴方の本当の母親じゃないの」


 あぁ、知ってる。知っているとも、幼い頃から。

 声に出さない代わりに表情で示す。マリアは、やはりと言いたげな顔をして目を伏せる。


「……そうだね。母さんの言う通り、何となくそんな気はしてたよ。でも確証は無かったから特に言及はしてこなかったけど」


「いつかは話さなきゃいけないと分かっていたのに時間が過ぎれば過ぎるほど言うのが怖くなっちゃって。でも、貴方が貴族になったら遅かれ早かれ知ることになる。他人から知らされるくらいなら私から話さなきゃって思ったの。それが貴方の母親として私が最後にしてあげられる事だから」


 母親として最後にしてあげられる事……?

 まさか彼女は真実を知った俺が縁を切るとでも思っているのか。若しくは彼女の方が俺と縁を……いや、直接言われた訳でもないのに勝手に悪い方向に考えるのはよそう。


「前にレオンが教えてくれたの。貴族にとって血縁関係のない家族は特例が無い限り例え家族であっても他人なんだって。唯一の家族の証であるファミリーネームも剥奪されて、新しいネームが与えられるんだって」


 叙爵式までに必要な細かな手続きを後回しにした代償が今になって来たらしい。名前を奪われるなんて初耳だ。部屋に積み上げられた書類の山の何処かに、その事について記されたものがあったのだとしたら。


(こんなことなら面倒でも書類全てに目を通しておくべきだった……!)


 一枚一枚端から端までビッシリと文字で埋め尽くされた書類が数百枚ともなれば読む気も失せる。グレイなら喜んで読んでいたかも知れないが。

 名前を奪われるなんて冗談じゃない。マリアと他人になるなんて以ての外。一度ならず二度も彼女と引き離されるなど笑えない冗談だ。

 だが、もしマリアがそれを望むというのなら……叶えてやらない訳にもいかない。


「……母さんは俺と他人になりたいの? それとも貴族になって、名前も変わる俺じゃ、もう家族とは思えない?」


「っ、馬鹿なこと言わないで! 立場が変わったって、名前が変わったって貴方は私の大事な子よ! 私が心配しているのは……私がいることで貴族としての貴方の足を引っ張ってしまうんじゃないかって事。私のせいで貴方が貴族として生き辛くなるなら、いっそ親子の縁を切ってしまった方が良いんじゃないかって。そう思ったの」


 昔からマリアは優しい。いつだって誰かの為に躊躇なく自分を犠牲に出来る。そんな彼女の優しさに惹かれたのは確かだが、今は唯その自己犠牲とも言える優しさが憎らしい。


「母さん、俺は血の繋がりとか正直どうだって良いんだ。母さんがいて、マナとマヤがいて、スカーレットがいる。それが俺の知る家族だから。同じ血が流れてなくたって、姿形が違っていたって、心が繋がっていれば、互いが互いを家族と認めていれば、それで良いと思ってるんだ。誰が何を言おうが知ったことじゃない。お互いにそう思い合っている限り、俺達は家族だ。今も、これからも」


 上手く伝わったかは分からない。でも、言いたいことは言えた。全てを言い切った後、マリアはくしゃりと顔を歪ませて顔を隠すように手で覆って俯いてしまった。

 強く言い過ぎたかとオロオロしていると今まで黙っていたサラがマリアの背中を撫でるように触れながら口を開いた。


「だから言ったじゃない。ライ君は貴女達を拒絶したりなんかしない。貴族になったってライ君はライ君のままだって」


 サラが言うには、マリアは俺に嫌われるのを恐れていたらしい。

 今まで自分達に血の繋がりが無いことを黙っていた事。更に貴族になったことで自分達と縁を切ってと新たな人生を送るのではとまで考えていたようだ。

 俺がそんな事を考えるはずが無いとサラは言い続けていたようだが、心からは信じられなかった。そうやって彼女は自分の心を守ったのだ。自らが考える最悪の事態が現実となった時、少しでも心に負う傷を軽くする為に。


「貴女はライ君の母親のままで良いのよ。そうよね、ライ君」


「はい。そうでないと困ります」


 苦笑するとサラは「そりゃ、そうよね」と口を開けて笑う。彼女の笑い声のお蔭で張り詰めていた空気の糸が少し緩んだ気がした。


「貴族になりたての俺にどこまで出来るか分からないけど、やれるだけの事はやってみる。だから母さんも諦めないでよ。……俺から離れていかないで」


 我ながら、なんて情けない声だろう。柄にもないことを言っているのも自覚している。リュウがこの場にいたら腹を抱えて笑い転げていたに違いない。

 しかし今は照れている場合でも、言葉にするのを躊躇っている場合でもない。マリアの心を引き留める為なら母親離れ出来ない子どもみたいな我が儘でも何でも言ってやる。

 だがしかし恥ずかしいものは恥ずかしいわけで成人にもなって俺は何を言っているんだと今更な自問しながらマリアの様子を窺う。

 不意に涙目の彼女と目が合う。泣かせてしまった事への申し訳なさとは別に泣き顔も綺麗だ等と場違いな感想が浮かんでしまう自分が碌な人間ではないように思える。いや、まぁ……前世では魔王になって世界を滅ぼそうとしたくらいだし。実際、碌なもんじゃないな。


「…………私、貴方の母親でいても良いの?」


「良いも何も小さい頃から、ずっと俺を育ててくれたのは母さんだろ。仮に生みの親が現れたとしても今更その人を母さんとは呼べないよ。俺にとって母さんは貴女一人だけだ」


 何処の誰かは知らないが、産んでくれた事には感謝している。お蔭でマリア達に会えたのだから。

 だが、俺は産んだだけの実の親よりも長年養い育ててくれたマリアに恩義を感じている。生みの親より育ての親とは、よく言ったものだ。

 張り詰めていた空気は次第に和やかさを取り戻し、楽しいお茶会へと変わっていった。

 紅茶はすっかり冷めてしまっていたが、特に気にならない。サラが出してくれた焼き菓子もサクサクとした歯応えに、ふんわりと鼻腔を通る甘い香りが俺の食欲を更に刺激する。

 菓子を食べる俺の頬にマリアの手が伸びる。触れられた時、ビクリと肩が跳ねてしまった。


「ふふっ、ライったら。ほっぺに付いてたわよ」


 そう言って微笑むマリアの指先には小粒状の菓子の欠片。その欠片が彼女の舌に攫われる。

 その様が妙に艶めかしく見えた自分の変態染みた感性に失望するやら気恥ずかしいやらで感情のコントロールすら儘ならなくなって何が何だか訳が分からなくなりながらも熱がやけに顔に集中している事だけは分かった。


「ライ、大丈夫? 何だか顔が赤いような」


「ち、違、これは……っ、」


「あら、本当。お代わりの紅茶、少し温め過ぎちゃったかしら?」


「いや、紅茶は関係なくて」


「まぁ、それじゃあ風邪かしら? 熱は……」


 マリアの手が再び俺の方に伸びる。熱を測るつもりだ。

今度また触れられたら、きっと顔が赤くなるどころでは済まない。彼女の手が届く前に俺は椅子から立ち上がった。


「そ、そうだ! この後、用事があるんだった。そろそろ行かないと」


「そういえば、さっきもそう言っていたわね。でも、本当に大丈夫? 体調が優れないなら少し休んだ方が良いんじゃない?」


「だ、大丈夫です。紅茶とお菓子、ご馳走様でした」


「あ、待って。ライ君」


 一礼して玄関まで行こうとする俺をサラが呼び止める。


「これ、さっき食べたお菓子の残りよ。良かったら持って帰って」


 振り返ると先ほど出された焼き菓子が入ったバスケットを差し出されて反射的に受け取る。


「良いんですか? こんなに貰っちゃって」


「良いの、良いの。旦那もアランも甘いものは、あんまり食べないから。それにライ君、甘いもの好きでしょ」


 俺の食べ物の好みは幼馴染の母親にも完全に把握されているらしい。


「は、はい。ありがとうございます」


 このお菓子は後で頂くとしよう。サラのお蔭で新たな楽しみが出来た。


「ライ」


ふわりと頭に置かれた手。頭を撫でられているのだと自覚した途端、一度引いたはずの熱が再び戻ってきた。


「行ってらっしゃい」


 幼い子どもと変わらない扱いなのに、この手を払い除けられないのは彼女が、あまりにも嬉しそうな顔で見上げるから。これからも俺の母親でいられる事が、よほど嬉しいのだろう。

 この選択が間違っているとは思わない。気安く関わりを持つことも許されない他人になるよりは、ずっと良い。


「……行ってきます」


 二人に別れを告げて、今度こそ家を出た。

 胸の奥がチリチリと痛む。この痛みが魔法で癒せない事は知っている。だから、受け入れるしかない。


(……ライ、ダイジョブ? クルシイ?)


 スカーレットは魔力感知のみで周囲の状況を把握している。そのスカーレットが〝苦しい〟という表現を使ったということは魔力の波長に影響が出ているほどに俺の精神状態は不安定だという事だ。


「何でもないよ。お前が心配するような事は何も無い、何も」


 本来なら、その必要など無かったのに同じ単語を無意識に繰り返していた。

 自分に言い聞かせるように心の中で何度も、何度も。

 グレイもリュウも他人の変化に敏感なところがある。待ち合わせ場所に辿り着く頃までには普段通りに……


(……あー、そうだな。そういう奴だよな、お前は)


 待ち合わせ場所にいるはずのグレイが目の前に立っていた。

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