398話_拗れた感情
「……軽蔑したか?」
咄嗟に出た言葉は、これだけだった。我ながら随分と嫌な言い回しだ。
リュウは普段と変わらない様子で頭の後ろで手を組んでいる。
「軽蔑? 何で?」
「何でって……」
言葉に詰まっているとリュウは何か考えるように俺から視線を逸らした。
「そりゃあ、どんな理由があろうと誰かを傷つけるのは良くねぇと思う。でも、オレがそれ以上に許せないのは、お前にその選択をさせた世界だ。お前ほどの御人好しが皆を敵に回してまで何を成し遂げたかったのかは知らないし、無理に聞き出そうとも思わない。昔がどうあれ、オレが知ってるのは今のライ・サナタスだから。御人好しで、強くて、皆から信頼されてる──オレの自慢の親友だよ」
人間として生まれ変わってから自分が弱くなったように思う。
それは魔王となるために捨てた感情。捨てなければならなかった感情。
それは全てを破壊し尽くそうと考えていた当時の俺には不要な感情だった。
こんな言葉一つで揺さぶられるような感情を魔王が持ち合わせて良いはずが無いのだから。
「……一つ、言い忘れてた。オレの自慢の親友は案外泣き虫なんだよな」
こちらに笑いかけているであろうリュウの顔を俺は見ることが出来なかった。
この記憶がある限り、過去の罪から逃れることは出来ない。逃げるつもりも無い。
それでもリュウの言葉に、ほんの少し救われた自分がいた。
聖霊界を発つ頃には俺もすっかり有名になってしまったようで街中で何度も声を掛けられては、お近づきの印にと花の種を渡された。
(戻ったら早速、植えてみるか)
領土の一部を花畑にするのも悪くない等と柄にもないことを考えてながら俺達は聖霊界を後にした。
どうやって帰って来たのかは分からないが、気が付いたら俺達は城の前にいた。
俺達を城の前まで連れて来てきれたのはリュウとミュゼだ。
「ありがとな、リュウ」
「礼を言うのはオレの方だよ。それからライ、オレはこのまま聖霊界に戻る。精霊王になった以上、国を放っておくわけにもいかないからな。多分、暫く会えない」
「そうか。頑張れよ」
「おう……って、それだけ?! もっと他に無いのかよ?!」
「他にって、何だよ。今更、俺が心配するような事も無いだろ。お前なら立派な王様になれるって分かってるからな」
「っ、……そ、そうかよ」
こうしてリュウと話をしている間も、ずっとミュゼから視線感じる。
去り際に、また文句の一つでも言うつもりなのだろうか。
リュウもミュゼの違和感に気付いたようだが、その原因に心当たりでもあるのか次第に顔を顰めた。
「おい、ミュゼ。いつまで、そうしてるつもりだ。ライに謝りたいから人間界まで一緒に来るって言ったのはミュゼだろ」
「そ、そうだけど……まだ心の準備が」
「謝るのに準備も何も無いだろ。そもそも今回の騒動は、お前の勘違いが発端なんだからな。……まぁ、それを鵜呑みにしたオレにも非はあるけど」
二人の遣り取りを聞いて粗方察した。
どうやらミュゼは今回の件について反省しているようで俺に謝罪したいらしい。
「ご、ごめんなさい! リューちゃんを貴方に取られちゃうと思ったら居ても立っても居られなくなって……」
「いや、まぁ、その……何だ。俺がミュゼの立場でも動揺しただろうし」
「……私を許してくれるの?」
「許すも何も始めから怒ってない。ただ、これからは普通に仲良くしてくれると有り難い」
ミュゼは意外そうに目を丸くした後、今まで固く閉ざされていた蕾が漸く綻んだかの如く笑った。
「えぇ、喜んで!」
もうミュゼから敵意は感じない。
これからはリュウの婚約者とも仲良く出来そうだ。
「それにしても、お前に婚約者がいたとはな」
「あぁ、自称だけどな」
「は?」
今、自称って言った?
「ちょ、ちょっと待て。ミュゼは、お前の正式な婚約者じゃないのか?」
「いや、違うけど」
間髪を入れず否定するリュウに頭が混乱してきた。
「でも彼女が婚約者だって言った時、お前は否定しなかっただろ」
「これまで何度も否定してきた結果が、これなんだよ。何度言っても無駄だって分かったから、もう諦めてんだ」
いや、そこは諦めるなよ。
「なぁんだ、婚約者って自称して良いものだったのね。じゃあワタシがライ様の女だって言い広めても何の問題も無いって事ね♡」
(問題しかありませんよ。大体、普通に考えて一方的な口上で成立するわけないでしょ)
俺よりも先に、いつの間にか俺の近くにいたグレイがメラニーに指摘する。
王都に行くと言っていたが、もう帰って来てたのか。
「何だ、グレイ。戻ってたのか」
(まぁ、あれから五日は経ってますからね)
「え、五日?」
「何の冗談だ」と言ってもグレイの表情は変わらず。
……え、マジ?
困惑する俺を見て、リュウが「あー……」と何処か気不味そうな声を漏らしながら頭を搔いた。
「そういや言ってなかったな。聖霊界と人間界じゃ時間の進む速さが違うんだよ」
向こうでは一日も経ってなかったのに、こっちでは五日? 違い過ぎるにも程があるだろ。
……まぁ、帰って来たら何百年も経ってましたってよりはマシか。
確か昔読んだ本に、そんな話があった気がする。
(それで、あれからどうなったんです?)
「無事に解決したさ。リュウも精霊王になったしな」
(へぇ、では今後はリュウ様とお呼びした方がよろしいでしょうか)
冗談半分で言うグレイにリュウは苦笑いを浮かべて首を振る。
「や、止めてくれよ。グレイに様付けで呼ばれると何かこう、むず痒いって言うか、落ち着かないって言うか……兎に角、今まで通りで頼むわ」
(分かりました。ところでリュウ、貴方は王位継承の儀には出席されないのですか?)
「王位継承の儀? …………あぁっ?!」
間近で大声を聞いたせいで耳鳴りがする。
今更だと分かっていながらも両手で耳を塞いでリュウを睨むと「ご、ごめん」と、ばつが悪そうな顔をして謝られた。
(……まさか忘れてたんですか?)
「いや、忘れてたって言うか……ほら、色々あったから!」
色々あったからって一国の王子からの御誘いを忘れるか、普通?
さすがにミュゼも呆れているようで「もう、リューちゃんったら」と肩を竦めている。
「だ、大丈夫、大丈夫。ちゃんと覚えてるから」
この反応はグレイに言われるまで完全に忘れてたな。
俺の感覚では聖霊界に言ってから数時間も経っていないが、現実では既に五日も過ぎている。
とはいえ、王位継承の儀は二日後。まだ猶予はある。
「リュウ、良かったら当日は一緒に行かないか?」
「勿論、行く。何なら、オレから言うつもりだったし。待ち合わせは此処で良いか?」
「あぁ。じゃあ、二日後にな。今度は忘れるなよ」
「わ、分かってるって」
「またな」と手を振るリュウに軽く振り返すと、彼らは空気に溶け込むように消えていった。
リュウ達が聖霊界へ帰った後、俺は二日後の儀式に向けて準備を進めていた。
とは言っても持っていく物も無いし、服装も決まっているから、特にする事も無いのだが。
参加するのは俺だというのに心なしか周りの奴等の方がソワソワしているように思う。まるで何かを待っているみたいだ。
正直このまま放っておいても良かったのだが数人なら兎も角、城にいる全員が似たような雰囲気を醸し出しているものだから、さすがに気になってグレイに訊いてみた。
「なぁ、何か皆の様子、変じゃないか? やけにソワソワしていると言うか、落ち着きがないと言うか」
(……まぁ、そりゃあ気付かれますよね。流石に、ここまで分かり易いと)
「何か、あったのか?」
(貴方が心配するような事は何もありませんよ。ただ皆さん、変に期待してしまっているだけです)
「……期待?」
一体、何を期待してるって言うんだ?
(前回の式典で魔王様はギル達を連れて行ったでしょう? ですから皆、次こそは自分の番だと)
「……今回は誰も連れて行くつもりは無いぞ?」
「「「えぇぇぇぇぇぇぇえええ?!?!」」」
物陰から雪崩落ちてきたのはロゼッタとキャンディ、それからメラニーだ。
「そんな魔王様! ギル達だけ特別扱いだなんて酷すぎます!」
「いや、別に特別扱いしてるつもりは……」
「キャンディ達じゃ、お供として頼りない?」
「だから、そういう事じゃなくて」
「それじゃあ王都中にワタシがライ様の女だって事実を広められないじゃない!」
「広めなくて良い!」
しかも事実じゃないし。
頼むから三人も一気に相手にする俺の身にもなってくれ。
「何をやっているんですか、貴方達は」
「さっきから喧しいんだよ。廊下にまで響いてたぞ」
彼女達の声を聞きつけてギィルとギルまでやって来た。
「アンタ達は、すっこんでなさい!」
「そうよ! 魔王様のお供をしたからって調子に乗るなっつーの!」
「魔王様は渡さないんだから!」
さっきから一人だけ論点が微妙にズレてるんだよなぁ……。
「あぁ、そういう事ですか」
「ったく、何の騒ぎかと思って来てみれば……くだらねぇ」
彼女の理不尽な言い掛かりを受けたにも関わらず、二人とも受け流している。
ギィルは兎も角、ギルは何かしら言い返すと思っていたのに。
ロゼッタ達には彼らのような大人の精神を是非とも見習ってもらいたいものだ。
「あれは魔王様が貴女達よりも僕達の方が頼りになると判断して下さっての事ですから仕方ありませんよ」
……あれ? ギィルさん?
「護衛は俺達だけで充分だ。テメェらは菓子でも食いながら大人しく城で待ってろ」
あれ、あれ? ギルさん?
何で、さっきから二人とも彼女達を煽るようなことしか言わないのかな〜?
「何よ、それ。喧嘩、売ってるの?」
「いえいえ、僕は客観的事実を言ったまでですよ」
「ギィル、アンタ最近、調子乗り過ぎなんじゃない? 前より魔王様と打ち解けたからって張り切り過ぎなんですけど。好きな人と進展して喜ぶとか恋する乙女じゃん。ウケる」
「確かに最近、何だかイキイキしてるわよねぇ。それで魔王様と何があったのよ。お姉さんに話してみなさい」
「な、何も無ぇよ。つか、誰が乙女だ!」
俺を其方退けにして互いに好き放題言い争っている。
誰も連れて行かないと言っただけなのに何故こうなった?
(彼らは貴方が思っている以上に貴方に執着しています。向ける感情や求めるものに多少の違いはあれど、貴方の特別になりたいという想いは同じなんです。だから貴方にそのつもりが無くても誰か一人が特別な扱いをされていると感じると気に食わないし、嫉妬もする)
「……俺にとっては皆、同じくらい大事だ。誰かを特別に贔屓するつもりは無い」
(えぇ、分かっています。ですから、これは彼らが勝手に暴走しているだけなんです。昔も、こんな事は度々あったんですよ。貴方の前だから控えていたというのもありますが、その頃の貴方は別の存在に惹かれていて彼らが何をしていようが関係ないとばかりに上の空だった)
「…………」
否定も肯定もしなかった。するだけ野暮だと分かっているから。
(何の因果か、またこうして俺達は巡り会った。故意か無意識かは置いといて彼らは過去の清算をしている最中なんです。子が親に愛情を求めるように、恋人に自分と同じ愛を求めるように、彼らもまた自然と前の世界で得られなかったものを求めている。ただ、その相手が親でもなければ恋人でもなく自分を救い出してくれた魔王様というだけの事です。何にせよ、貴方にとっては迷惑な話でしょうが)
ふと、違和感を覚えた。いつもなら気にも留めない小さな違和感。
グレイは〝彼ら〟と言う。まるで自分は、その対象では無いかのように。
確かにグレイは他の奴と比べて達観してる所はあるが、彼だって元は人間だ。
いくら生ける屍になったからと言って感情を失ったわけでは無い。
つまり皆が欲しがっているものを彼だけが欲しがらないなんて、そんなこと有り得るはずが無いのだ。
そう思ったら、無意識に声に出していた。
「お前も、そうなのか?」
グレイの目が僅かに見開く。
まさか、こんな事を問われるとは思わなかったのだろう。
内心、俺も驚いている。俺は一体、グレイから何を聞き出したかったのだろう?
自分で尋ねておきながら、そんな事すら分かっていない。
訊いたところで彼の性格上、素直に本心を聞かせてくれるとも思わないが今更取り消すことも出来ずグレイの返答を待った。
(……そうですね。でも俺は貴方の傍にいられれば、それで充分ですから)
恐らく今のも本心ではあるのだろうが、まだ何か隠している。
彼との付き合いは長い。これくらい御見通しだ。
グレイもまた俺が勘付いている事に気付いているだろう。
気付いた上で隠し続けるということは、よほど俺には知られたくないのだろう。
興味が無いわけではないが、詮索したところで互いにとって良い結果にならないであろうことは何となく分かる。
ならば、俺は気付かない振りを続けるまでだ。グレイが、それを望むまでは。
「無欲な奴め」
(そうでもありませんよ。俺が本当に無欲なら、今ここには居ませんから)
「どういう意味だ?」
(さて、どういう意味でしょう)
核心に迫ろうとすると、はぐらかされる。いつものパターンだ。
(さすがに、そろそろ止めますかね。このまま放っておいたら戦闘に発展しかねません)
それは困る。やはり、こういう時のグレイは頼りになるな。
彼のことだ。ここは平和的に丸く収めて……
(それ以上、不毛な争いは止めなさい。底辺同士で争ったところで何になると言うんです。結局、貴方達が俺の後に魔王様と会ったことに変わりはないんですから)
…………ん? グレイさん?
(そういえば魔王様が目の前にいたにも関わらず、気付くのに随分と時間がかかった方々もいらっしゃいましたね。誰とは言いませんが)
「「「………………」」」
視線が、特にギルとキャンディとロゼッタの視線が怖い。
尋常でない殺気がグレイへと向けられる。一体ここからどうやって場を収めようと言うのか。
いや、そもそも此奴に場を収めようという気があったのかすら怪しい。
口では〝止める〟と言っておきながら本当は彼も参戦したかっただけなのではないだろうか。
今となっては彼の真意を知る術は無い。知りたいとも思わない。
最悪、城が破壊されなければ良いやと諦めの境地に達していた。
俺は彼らに気付かれないよう静かに部屋を出ると、とりあえずエドとウルから癒しを得ようと俺は二階へ向かった。
アザミ達の所に向かっているロットが不在の今、狙撃で彼らを大人しくすることも不可能。グレイにも裏切られた今、俺に出来るのは現実逃避しかない。
階段を上がる途中で何処からか爆破音が聞こえたが、もはや駆けつける気にもならなかった。




