395話_記憶の継承
……ネル? ネルって誰だ?
初めて聞いた名に首を傾げていると精霊王の背後からひょっこりと現れた小さな精霊。
「ふふっ、さっすがはネルね☆ リュウちゃんが選んだ人間が悪い人間なはずないもの」
一瞬で、彼女が〝ネル〟なのだと理解した。
それにしても彼女の瞬きと同時に「キュピーン☆」と何処からか効果音らしきものが聞こえたのは気のせいだろうか。
「あの、そちらの方は?」
「んー? ネルはネルだよ。あ、そういえば君とは初めましてだったね」
半透明な四枚の羽で優雅に飛び回りながらネルは俺の目の前まで来た。
「やぁやぁ、人間くん。君の名前は何ていうのかな?」
「ラ、ライです」
「〝ライきゅん〟かぁー! うんうん、良い名前だね」
「ライきゅ……?」
今のは俺の聞き間違いか? ……うん、きっとそうだな。そうに決まっている。
精霊王が同情しているような目で俺を見ているのも、きっと幻覚か何かだ。
「ネル、気に入った相手はね、可愛い名前で呼ぶようにしてるの。ダメだった?」
「いや、駄目と言うか、その……少し恥ずかしいというか」
「じゃ、問題ないって事ね。オッケー☆ じゃあライきゅん、これからよろしくね」
聞き間違いじゃなかった。しかも、この精霊、話を聞かない厄介な性格だ。
「あの、」
「あ、もしかしてこの姿じゃ話しづらい? ちょっと待ってて。今、人の姿になるから」
まだ何も言っていないのに自分で勝手に話を進めた上に勝手に納得した挙句、頼んでもいないのにネルは精霊王と同じように人間の姿になった。
「ネル。出てきて早々、客人を困らせるな」
「ネルは何もしてないわ。ただ挨拶しただけよ」
「もう失礼ねっ!」と頬を膨らませて怒るネルに精霊王は頭を抱えるようにして呆れている。
さっきまでの緊張感ある空気を、ここまで崩されてしまったら、もう修復は不可能だろう。
「イジワルなことして、ごめんね。フゥきゅんったら貴方が本当に良い人間かどうか確かめたいって言うものだから」
「はぁ、あの……フゥちゃんというのは?」
「え、精霊王のことだけど?」
精霊王から、どう転んだら〝フゥちゃん〟なんて可愛らしい呼び名になるんだ?
「フゥちゃんはね、フロラシオンって名前なの。だから、フゥちゃん。素敵な名前でしょ? なのに、フゥちゃんったら嫌がるのよ」
ネルと精霊王がどういう関係なのか正直まだ掴めてはいないが、偉大な精霊王を愛称で呼んでいるということは、それなりに親しい間柄ではあるのだろう。
彼が普段から彼女に振り回されているのかと思うと、ただただ不憫でならない。
「あの、ネルさん」
「ノン、ノン! ネルって呼んで。敬語もダメ。じゃなきゃ返事しなぁーい」
面倒くさいな、この精霊。
「……ネル。さっきのは、どういう意味なんだ? 賭けがどうとか、俺を確かめたとか」
「あぁ、それはね。ライきゅんが此処に来る前にネルとフゥちゃんで賭けをしたの。君が記憶を消すことに同意してくれるかどうか。ネルは〝同意する〟、フゥちゃんは〝同意しない〟を選んだの。まぁ、フゥちゃんの場合は選んだというより残った方を選ばされたって感じだけど。で、賭けはネルの勝ち。ライきゅんがリューちゃんの為なら記憶を消しても良いって言った時はネル、キュンキュンしちゃったなぁ♡」
「……それがリュウの為になると思ったから」
「うんうん、嫌いじゃないよ。誰かの為に躊躇いなく自分を犠牲に出来るのって。でもね、ライきゅんはそれで良くてもリューちゃんの方はどうかな? ネルにはリューちゃんが喜んでいたようには見えなかったけど」
最初から彼女は俺達の遣り取りを聞いていたらしい。
返答に困り、口を閉ざすとネルは困ったように笑った。
「ごめんね。別にライきゅんにイジワルしたいわけじゃないの。ただライきゅんには自分がどれだけ大切に思われているのかを知っておいて欲しかったの。実を言うとね、記憶を消すのに確認なんて要らなかったんだよ。ネル達が勝手に消そうと思えば出来たの。でも、そうしなかったのはライきゅんの意志を確認したかったから」
「俺の、意志?」
「ライきゅんがリューちゃんをどれだけ大切に思ってくれているか、これからも安心してリューちゃんを任せられるか、実際にこの目で確かめたかったの。その為にフゥちゃんには一芝居打ってもらったってわけ。残念ながら百点満点の演技とは言えなかったけど」
「うるさい」
拗ねたように言う精霊王にネルは微笑むと再び俺の方に振り返る。
「それじゃあ記憶は?」
「消す必要ないわ」
「でも、それだと継承に影響が」
「影響があるのは記憶じゃなくてリューちゃんの身体の中にあるライきゅんの魔力の残滓。それさえどうにか出来れば問題解決☆」
「けど、リュウの意志はどうなるんだ? 彼奴は、自分は精霊王には相応しくないと言ってるんだぞ」
ネルが精霊王を見る。
彼女の視線に対し、精霊王は考え込むような顔をしてリュウを見た。
「リュウ、お前は僕に言ったな。運命を容易く捻じ曲げられる奴等を知っていると。僕からすれば、お前も同じだ」
「同じって……オレが?」
「そうだ。精霊ならざる者に堕ちた者の末路は浄化による救済しかない。その運命を、お前は見事捻じ曲げてみせた」
「それはオレじゃなくてライ達が……」
「お前が彼と出会い、絆を深めたからこそ得られた未来だ。それは、お前もまた知らず知らずのうちに運命に抗う資格を得ていたという事になるんじゃないか?」
なんて子ども染みた屁理屈だろう。だが、不思議と受け入れられた。
全ての事象を〝偶然〟で片付けてしまうのは、あまりにも寂し過ぎる。
「運命とは一本道ではないという事。そこには何通りもの可能性があって、いくつもの選択を繰り返すことで、やがて一つの未来に辿り着くという事。全て、お前達が教えてくれた事だ。だから僕も選択をしようと思ったんだ。運命に従う者ではなく、抗える者に未来を託そうと」
「親父……」
精霊王はリュウに微笑むと俺の方へ向き直り、恭しく頭を下げた
「ライ、この度は君を試すような事をして申し訳なかった。他にも数々の無礼を、どうか許して欲しい」
「許すも何も俺は初めから怒ってなどいませんよ。それに先ほども言いましたが俺はリュウにとって良い方向に進むのなら、それで良いんです」
本当はリュウとの記憶を消すと言われた時に少し動揺してしまったのだが気付かれてなさそうだし、このまま黙っておこう。
「ずっと見ていたから知ってはいたが、君は本当に優しいな。人間が皆、君のようだったら良かったのだが」
「俺だって誰にでも優しくなれるほど善人ではありませんよ」
一種の社交辞令なのか、それとも本気でそう思ってくれているのか。
判断に困る主張に返す言葉も見つからず、苦笑いで誤魔化す。
(……なんだか不思議な気分だ)
かつて敵対していた相手と、こうして笑い合っているからだろうか。
ネルとリュウがいたため精霊王に過去の話を聞くことは出来なかった。機会があったら、また聞いてみよう。
そう思い立ったところで俺は思い出す。精霊王の生命の灯火が間もなく消えてしまう事を。
「……分かったよ、親父。オレ、精霊王になる。そして親父達にも成し遂げられなかった人間との共存を実現させてみせる!」
物静かながらも威厳のある継承宣言に精霊王は満足そうに頷いた後、俺を見た。
「ライ。リュウのことを頼んだぞ」
言われなくとも。
そう心の中で呟きながら俺は大きく頷く。
「フゥちゃん、そろそろ……」
「分かっている」
部屋の真ん中の床に魔法陣のような円形の模様が描かれる。
精霊王がリュウと共に模様の中心に立つと模様が光を放ち始めた。
「これより記憶の継承を行う。リュウ、これが精霊王としての僕の最後の仕事だ」
「っ、」
最後の仕事。その言葉の真の意味を理解しているリュウの顔には物憂い影が落ちている。
何とかしてやりたい。せめて消滅だけでも。
「ライ、余計な事はするな」
まるで俺の考えている事など御見通しとばかりの警告に俺は何も返せなかった。
「仮に僕の消滅を阻止できたとしても記憶の無い僕に価値など無い。全ての記憶を明け渡すとは即ち生きる為に必要な知恵さえも失うという事だ。呼吸をすることも、呼びかけに応えることも出来ない。ただ、そこにあるだけの人形と同じだ。常に誰かが傍にいなければ生きていけない。そんな姿になってまで僕は生き続けたいとは思わない。だから何もしてくれるなよ、ライ」
ここまで強く念を押されては彼の意志を受け入れるしかない。
それが彼の意志であるならば仕方がない。俺は、彼を救う方法を考えるのを止めた。
「……分かりました」
そう俺が返したことで精霊王は漸く安心したような表情を見せた。
「では、ネル。後のことは頼むぞ」
「うん、任せといて。……フゥちゃん、長い間お疲れ様。ゆっくり休んでね。そして、また会いましょう」
「あぁ、また会おう」
目を閉じた精霊王は次第に魔法陣から放たれた優しい光に包まれて、やがて光の粒子となってリュウの身体に吸い込まれるように消えていった。
この瞬間から彼は精霊王リュウ・フローレスとなったのだ。
俺は新たな王の誕生を祝福すると同時に先代精霊王フロラシオン・フローレスの冥福を祈り、追悼の意を表するため黙祷を捧げた。




