393話_いざ、聖霊界へ
三日振りに現れたリュウは数ヶ月続いた会議から漸く解放されたかのような壮大な疲労感を背負っていた。
「……お前、なんか疲れてないか?」
「向こうで色々あって……って、オレのことは良いんだよ。それより準備は出来てるか?」
「あぁ、俺達は大丈夫だ。それより本当に良いのか? 俺達がお前の故郷に行っても」
「大丈夫、大丈夫。その許可を貰うためにオレとミュゼが精霊王に直談判しに行ったんだぜ?」
「お前は何も気にすんなよ」と力強く背中を叩かれた。
笑うリュウとは対照的にミュゼの顔には憂鬱な影が落とし込まれている。
今回も文句の一つや二つは言われるであろうと覚悟していたのに、ずっと無言を貫いてやる。それどころか俺と目を合わせようともしない。
嫌われているという自覚はあるが、前回とは正反対とも言える対応に不安を抱かずにはいられない。
「早く行こうぜ。それとも……やっぱりオレの言葉だけじゃ不安か?」
「お前のことは信頼している。俺にとっての気掛かりは他種族である俺達を招いたことでお前の立場が悪くならないかという事だ」
「今更、なに言ってんだか。リューちゃんは貴方と関わった時点で、もう」
「ミュゼ!」
ピシリと鞭で叩くようにリュウがミュゼの言葉を遮る。
その声に肩を震わせたミュゼは消化不良の感情を無理やり飲み込んだような表情で俯いた。
「余計なことは言うな。そういう約束だったろ」
「…………ごめん、リューちゃん」
二人の間でしか分からない遣り取りを交わした後、リュウは何事も無かったかのように俺達を城の外へと誘導する。
先ほどの遣り取りが気にならないわけでは無かったが、とても聞き出せるような雰囲気でもなく俺達は素知らぬ顔で付いて行った。
リュウ達の先導で辿り着いたのは城の入り口付近にある花壇。
どうやら、この花壇に咲いている花を通じてリュウ達の故郷に行けるらしい。
聞き慣れない詠唱を唱えたリュウは俺に手を差し出し、ミュゼはメラニーへと手を差し出す。
「入り口は開いた。オレの手を取ってくれ。そうすりゃ、すぐに着くからよ」
「入り口って……扉らしき物は見当たらないが」
辺りを見渡すが、目の前には花壇と城。ここから、どうやって聖霊界に行くと言うのか。
「前も言ったろ。オレ達の故郷は花の〝中〟にあるって。いいから、行くぞ」
無理やり俺の手を取ったリュウの身体が眩い光に包まれたのは、その直後だった。
◇
光が消えて目を開けると見たことのない植物が俺達を歓迎するように生い茂っていた。
ここが森だということは即座に理解できたが、腑に落ちない点がある。
(……なんか妙にデカくないか?)
見上げるほど大きな植物と言えば喬木くらいしか思いつかなかったが、これからはその常識を改めた方が良い。そう思ってしまうだけの光景が目の前に広がっている。
近くにある植物が全て大きいのだ。いや、大きいなんてもんじゃない。デカい、とにかくデカすぎる。
普段は見下ろしている花や雑草と思われる植物も皆、今は見上げなければ全貌が見えないほど大きい。
リュウ達のいる世界では、この光景が通常なのか?
「リュウ、ここがお前達の故郷なのか?」
「あぁ、そうだよ。ここがオレ達の生まれ育った世界、聖霊界だ。で、ここは対極の森」
リュウが言うには、この森では全ての物の大きさが本来とは真逆に見えてしまうらしい。
つまり、
「この森が人間世界に繋がる入り口なのか?」
「そういう訳じゃないけど、今回は事情が事情だからな。ほら、いきなり村のど真ん中に人間が現れたら皆びっくりするだろ?」
リュウの言い分に納得しかけたが、ある疑問が頭を過った。
「だったら国から離れた森じゃなくて精霊王がいる場所に座標を設定した方が良かったんじゃないか?」
「あ、」
その後、リュウが気まずそうに瞬間移動で俺達を城まで連れて行ったのは言うまでもない。
城の敷地内と思われる庭に辿り着くと偶々通りかかった使用人らしき服を来た精霊に見つかったが特に騒ぎになることはなく、まるで俺達が来ることが分かっていたかのように、すんなりと精霊王のいる部屋まで通された。
ところが何故か精霊王との謁見を許されたのは俺だけだった。
開かれた扉に吸い込まれるように中に入ると床や壁一面がクリスタル素材で作られた豪華な空間が広がっている。
「待っていたぞ、人間」
空間の奥には一脚の玉座。しかし、玉座は空席。
では今の声は何処からと辺りを見渡すと窓際に立っている一人の男を見つけた。
窓から差す光によって照らされているせいか、それとも男の金髪の髪が煌めいているせいか、俺の目には男が神々しく映る。
「もしかして貴方が精霊王様ですか?」
「如何にも。会えて光栄だ、魔族の王よ」
俺も、まだまだ未熟だな。たかが言葉一つに取り繕うことも出来ないなんて。
俺の顔は御世辞にも一国の王に向けるべき表情ではなくなっている事だろう。
「俺は魔族の王になどなったつもりはありませんが」
「だが、魔王を倒したのは君なのだろう?」
「魔王を倒したのは勇者アランです。俺は彼を手伝っただけです」
「その言い分が通用するのは人間くらいだと思った方が良い。それとも、こう言った方が君には分かり易いかな。──久しいな、元魔族の王よ」
唾液を飲み込む音が鮮明に聞こえる。
段々と感覚が研ぎ澄まされていくのが分かる。それだけ俺が精霊王を警戒しているという証拠だ。
「仰っている意味が分かりません」
「白を切るのは構わないが、相手は選んだ方が良い。僕は君を知っている。魔族の王であった頃の君を」
「……貴方と俺は今日が初対面の筈ですが」
「君が憶えてないのも無理はない。あの時、君が対峙した僕は集団の一部に過ぎなかったのだから。確か、君はアンドレアスという人間と面識があったな」
言わずもがな、アンドレアス・ディ・フリードマンのことだろう。
肯定の意を込めて頷くと精霊王から衝撃の言葉が放たれた。
「昔、彼が単独で君の城に乗り込むと知った時に身体強化や魔法耐性の魔法で彼を支援したのが僕と仲間達だ。かつて図々しくも魔族の王を名乗りし若造よ、あの時はよくも僕を吹き飛ばしてくれたな」
「あの後も色々あって大変だったんだぞ」と不平不満を言う精霊王に俺は警戒を解くどころか思考を停止せざるを得なかった。
アンドレアスが一人で城に忍び込んで来た日のことは、よく憶えている。よく憶えていたからこそリュウがピクシーだと知った時も驚いたのだ。
俺が昔、魔法で吹き飛ばした妖精集団の中に紛れていたのが精霊王? そんな偶然が有り得るか?!
……有り得てるから、こんな状況になってるんだよな。
「一応、手加減はしました。それに先に仕掛けてきたのは、そちらでしょう」
「今度は誤魔化さないのだな」
「その反応は……やはり俺を揶揄っているという訳ではないんですね」
「当然だ。このような話を誰にでもするほど愚かではない。大体、初対面の相手にこんな話をする奴など唯の変態ではないか」
変態とまで言うか。いや、まぁ確かに実在するとしたら、かなりの変人ではあるが。
実は密かに「冗談だ」という一言を期待していたのだが、今となってはその期待も完全に打ち砕かれてしまった。
こうなっては、もう誤魔化すのも馬鹿らしい。
「貴方も転生者なんですか?」
「転生とは少し違うな。人間と違って僕達には死という概念が無い。僕は別個体の記憶を引き継いでいるに過ぎない」
「別個体?」
「君達の世界で〝前世〟と呼ばれるものと同等のものだとでも思ってもらえば良い。僕が引き継いだ別個体の記憶の中に君の存在と魔力の波長があった」
彼の言っていることが半分も理解できないのは俺の理解力が乏しいせいか? いや、そんなことは無いはずだ。
今の話が事実なら精霊には寿命自体が存在しない事になる。
個体が変わっている自体で死んだも同然だと思うが、どうやら彼の中では個体が変わる事と死は同義ではないらしい。
「随分と遠回りをしてしまったな。そろそろ本題に入りたいが、その前に確認しておきたい。君は現状をどこまで把握している?」
「粗方は把握しているつもりです」
「では、我が同胞が置かれている状況も理解はしているな?」
「はい。俺が此処に来たのは、貴方に会えばリュウの力になれると聞いたからです」
不可抗力だったとはいえ、俺がリュウに自分の魔力を分け与えたのは事実。
それが弊害となっているのなら何としてでも取り除いてやりたい。
「……そうだな。確かに僕は君達が抱えている問題を解決する術を知っている。本来なら君への干渉も不要なのだが、君には彼を救ってくれた恩がある。せめて、その恩に報いてやるくらいはしなければと思ってな」
……? なんかリュウ達から聞いていた話と、だいぶ違うな。
リュウは問題を解決させる為には俺が聖霊界に来る必要があると言っていた。
それなのに精霊王は俺が来る必要性は本来であれば皆無だったと発言した。
では何故、俺はこの世界に招かれた? 恐らく過去に人間の侵入を許したことなど一度も無いであろう自分達の世界に、何故……?
「俺はリュウに魔力を分け与えたという行為がそちらの世界では婚約の申し出に値すると教えられ、その申し出を撤回させる為に特別に招待されたと伺っていましたが」
「それも間違いではないが、それ以前に彼が僕の地位を引き継ぐにあたって邪魔なものがある。それは君との記憶だ」
「俺との、記憶?」
精霊王は頷くと、窓から漏れる光を見上げて眩しそう目を細める。
「彼は君達と親密になり過ぎた。妖精と人間では生きている世界も立場も違う。僕達はこの世界が誕生した時から存在している。そんな僕達と君達が同等の存在になろうなど世界の理に反していると思わないか?」
「俺はリュウの友達にはなりましたが、だからって彼奴と同等になったつもりはありませんよ。彼奴は彼奴で、俺は俺です。同等だとか、どちらが優れているとか劣っているとか、そんなものはどうだって良い」
「それは君の勝手な解釈だろう。君を中心に世界が回っているとでも? 君のお蔭で彼が今日まで生き残れたのは事実だ。その事には感謝している。……だが、同時に君は彼にとって悪影響でもある。そもそも彼が精霊ならざる者に堕ちたのだって元を辿れば君が原因じゃないか! 君は僕達が堕人化する原因を知っておきながら彼を戦場へと連れ出した! 人間の醜い部分を見せつけた! 君と関わらなければ精霊ならざる者になる事など無かった!」
俺に対する怒りや恨みが言葉となって俺に向かってくる。次第に声が荒ぶっているのも制御しきれない感情を必死に押さえ込んでいるからだろう。
自分の子どもが危険な目に遭わされて、死にかけたんだ。
俺は精霊王の感情を全て受け入れる。罪滅ぼしにもならないが、今の俺にはこのくらいしか出来ない。
それに彼は優しい。リュウが精霊王になる為にら俺との記憶を消さなければならないという事を教えてくれたのだから。
「君と関わるもの全ての記憶を消し、彼を新たな精霊王として迎え入れる。よって今後一切、君がリュウや僕達に関わる事を禁ずる。当然、君のリュウに関する記憶も全て消去させてもらう」
「やなこった」
不意打ちで胸を衝かれたような顔で精霊王が俺を見る。
違う、今のは俺じゃないと首を振る前に背後から足音が聞こえて振り向いた。
「ライしか通さない上に待ち部屋に厳重に見張りまで付けてるから変だと思って来てみれば、やっぱ来て正解だったわ」
「リュウ?! どうして此処に……」
「どうしてもこうしてもあるかよ。オレだって関係者なのに勝手に話を進めやがって。オレの気持ちは無視かよ、クソ親父」
「……お前は自分の価値が、まるで分かっちゃいない。お前は人間の手の届かない孤高の存在にならなければならない」
「だから、その件は前にも言ったろ。オレは精霊王になるつもりはないって。オレは一度、精霊ならざる者に堕ちた。お蔭で妙な力まで目覚めちまったし。そんなオレが精霊王? 人選ミスも良いとこだよ」
「それは、お前が決めることじゃない。運命とは、お前が生まれる前から決まっているものだ。お前には、どうする事も出来ない」
精霊王の言葉に対し、リュウは「ハッ」と煽るように笑う。
「残念だったな、クソ親父。オレは、その運命とやらを簡単に跳ね除けちまう奴等を知ってんだ。オレの意志が、前もって定められた運命とは違う方を向いてるって言うなら無理やりにでも捻じ曲げてやるよ!」
リュウは精霊王を指差しながら声高らかに、そう宣言した。




