5話_ずっと、こんな日が続けばいい
家に帰り着いた俺は、今日あった出来事をマリアに話した。
彼女は、ある時は笑顔、また、ある時は驚いた表情を見せながら俺の話に耳を傾けてくれた。
幼い子どものようにコロコロと変わる表情をもっと見たくて、思わず口が予想以上の働きを見せてしまった。
お蔭で、窓から見えるのは真っ暗な闇を照らす大きな満月だけだ。
「本当に楽しかったのね」
「はい」
頷くと、彼女は俺の頭を撫でた。今は子どもの姿だから仕方ないが、中身は大人だ。あからさまに子ども扱いをされるのは気恥ずかしい。
顔に集まる熱を冷ますように、息を吐いた。
「楽しい思い出は、必ずどこかで貴方の力になる。だから、これからも楽しい思い出を沢山作るのよ」
「……はい」
思い返せば前世の俺にも、それなりに楽しい思い出と呼べるものはあった。
その思い出のお蔭で乗り越えられた事も、勿論あった。
しかし、それらの思い出も、今となっては……
(……………不毛だ)
心の中の呟きは、当然ながら彼女の耳までは届かなかった。
◇
役目を終えた月が沈んで太陽が顔を出した頃、コンコンと扉をノックする音にマリアは、パタパタと足音を立てながら玄関へと向かった。
「こんにちは」
「あら、こんにちは。アラン君、今日も遊びに来てくれたのね」
「はい!」
笑顔で答えるアランにマリアは思わず、彼の頭を撫でた。撫でられている本人は照れ臭そうにしながらも、されるがままになっていた。
「ライは部屋にいるから、呼んでくるわね」
「あ、いえ、大丈夫です! 今日はライの部屋で遊ぶ約束をしているので……」
アランはお邪魔しますと言うと、脱いだ靴を並べてライの部屋へと向かった。
その時、ライは1冊の本と向き合っていた。
「……嘘だろ」
開かれた本を凝視して素の口調を口から、こぼしていた。
事の発端は、昨日、ライが答えを貰えなかった、この疑問である。
『紫色の光は、何の魔法を表しているのですか?』
本当は昨日のうちに調べるつもりだったのだが、母にその日の事を話したら満足してしまい、そのまま寝てしまった。
前世では物心ついた時から母親どころか親という存在すらいなかったため、未だに自分と母がごく普通の親子のような関係を築けているのか不安を抱いている。
親といえば、母親はいるが、未だに父親には会ったことが無かった。
マリアから父の話を聞いたことは無かったし、俺自身、このような環境で育った事が無かったため特に気にかけたことも無かったが、一度気になり出すと無駄に気になって仕方がない。
(……今度、聞いてみるか。それよりも、今は……)
「ライ、入るよ」
また、何とも悪いタイミングでアランが乱入してきた。
「……わざとでは無いですよね?」
「何が?」
首を傾げならが返すアランを見る限り、彼が嘘をついているようには見えなかった。
(……無意識という奴か。ならば尚更、タチが悪い)
俺がそんなことを思っているなど露知らず、アランは純真無垢という言葉が似合うほどに純粋な疑問を映した瞳を、俺に向けた。
「何してるの?」
「少し、調べ物をしていました」
「調べ物?」
アランは開きっぱなしにしていた本を手に取ると、開かれたページに目を通し始めた。
「これって……昨日、お姉さんが言ってた魔法の色の事だよね?」
「そうです。あれから少し気になったので、調べていました」
「ライ、魔法使いになりたいの?」
「なりたいか、なりたくないかと聞かれると答えに困りますが……興味はありますね」
(正直、魔王でなければ何でもいい)
さすがに、そこまで正直には言えないため、心の中に留めておいた。
「そうなんだ……」
アランは何故か嬉しそうに頬を緩ませた。
(今の会話のどこに、お前を喜ばせる要素があった?)
「そ、それで……どうして、魔法の色について調べてたの?」
突然、話題を戻したアランに違和感を感じたが聞いても答えてくれそうになったので、とりあえずスルーだ。
「単純な好奇心ですよ。結局、昨日は緑色しか分かりませんでしたから」
「確かに……他の子達もお姉さんと同じ色か、何の色も出なかったかのどちらかだったからね」
ちなみに色の無い光の場合は、特別に秀でたものは無い。全てが平均的という事らしい。つまり、器用貧乏という奴だ、多分。
「ライの時は、7色は出てたもんね。それを全部調べてたんだ?」
「まぁ、そんなところです」
「えーと…何々? 魔法の種類は魔法色という色で識別される。赤色は炎、青色は水、緑色は風、黄色は雷、茶色は土……」
今、アランが口に出して読んでいるのは、先ほどまで俺が読んでいた内容の一部だ。
「金色は光、黒は闇、紫は……枯渇?」
俺が読んでいた時も、アランと同じ場所で止まった。他の色は、その色をイメージした魔法に当てているのに対して、紫だけは明らかに違うと分かるからだ。
「枯渇って、どういう魔法なんだろう?」
そういう反応になるのも無理はない。この魔法は、前世でも特別に危険視されていたものだった。だから表で使われるものでは無いし、知っている者だけが知っている魔法なのだ。
「ライ、知ってる?」
「……知りません」
嘘だ。本当はよく知っているが、彼に教える義理はない。知らないなら、このままずっと知らない方がいい。
「そっか……あ、そうだ、ライ。突然なんだけど、明日、釣りに行かない?」
本当に突然だな。もう、次の話題か。まぁ、変に話を伸ばした所で盛り上がるとも思えないからな。
「釣り、ですか?」
「実は、父さんから釣り道具の一式を貰ったんだ。折角だから、早速、使ってみようと思って。ライも一緒に行こうよ」
「えぇ、良いですよ」
「やった!」
俺の返答に、アランはガッツポーズを見せた。
(そんなに喜ぶ事でもないだろうに……)
彼の反応に思わず頬を緩ませると、アランがこちらを向いたため慌てて表情を引き締めた。
「明日、楽しみだね」
「そうですね」
それから、俺達は日が暮れるまで明日の計画を立てた。
計画が無事に立て終わり、アランを見送った後、俺は明日への楽しみに胸を踊らせるわけでもなく、彼によって遮られてしまった思考と少しばかり久しい再会をした。
────枯渇。
この魔法を使えば、無限に存在しているモノでも一瞬で〝無〟にしてしまう。
そして、それは〝物〟に対してだけではなく、〝生命〟に対しても同じ効力を持つ。つまり、この魔法は、簡単に人の命を奪う事も出来るのだ。
前世の俺が持っていた力。しかし、一度も使用した事はない。
魔王とはいえ、そう易々と他人の命を喰い荒らす事は躊躇われたし、そもそも、この魔法を使ってまで殺したいと思う相手はいなかった。
こんな魔法が、誰それと簡単に出来てしまっては、世界なんて簡単に崩壊してしまう。だから、この魔法は最高ランク、つまりは難易度の最も高い魔法とされている。
(この魔法が使えるのは、ほんの一握りだ。俺と……あのビィザァーナという女も、そうに違いない)
それなら、あの時の質問に動揺していたのも頷ける……が、だからといって特に興味は無い。
寧ろ、正直な感想は〝だから何?〟だ。
魔王であった時なら兎も角、今は、ただの子供。下手に詮索する必要は無い。
平和が一番。平和、最高。
(こういう時、何と言うんだったか……あ、思い出した。らぶあんどぴーす、だ………………もう寝よう)
その言葉を最後に、俺は完全に脱力した身体を布団に託した。
◇
場所は変わって、ここはライのいる村から少し離れた、アヴェールと呼ばれる街。
「嘘でしょ……?!」
ビィザァーナは、たった今、届いた報告書の内容に驚きを隠せないでいた。
彼女の腕輪から発せられている3Dホログラムの男性は驚きはしないものの、頭を抱えていた。
『私も初めて読んだ時は、まさかと思ったがね。特殊部隊も動き出したと言うし……事実として見て、間違いないだろう』
「間違いないって……この報告書が本当なら、もう既に数日も経ってる事になるじゃない?! どうして今まで報告しなかったの?!」
『大方、バレる前に自分達で何とかするつもりだったんだろうが何とか出来なかったから今更、こうして報告してきたんだろう』
「……っ、私、行くわ!!」
『私もすぐに、そちらに向かう。森の入り口で合流しよう』
「分かったわ!」
ビィザァーナは近くの窓を開け、そこから文字通り、飛び出して行った。
「ったく! 処分するなら、ちゃんと全部、処分しなさいよ! よりにもよって、あの〝人喰いスライム〟を逃しちゃうなんて……っ!!」
その日、夜の森が異様なざわつきを見せていた。
次回、《人喰いスライム 編》突入