386話_内緒話のワルツ
一仕事終えたかの如く、ぐったりとした顔で戻って来たギルに苦笑すると思いっきり顔を逸らされた。……まぁ、今は俺の顔なんて見たくもないだろう。
今しがた話を聞いただけの俺には彼の心情を察することしか出来ない。
想像上の話とはいえ相手が女だったら、ここまで疲弊することも無かっただろうに。
カリンに同意を求めると「この世には、まだまだ私達の知らない世界があるのよ」と真理を悟った僧侶のような眼差しを向けられた。
これ以上、この話題には触れない方が良さそうだ。
「ねぇ、ライ。何だか空気が重い気がするんだけど……もしかして僕のせいだったりする?」
「それは無い。大丈夫だから、此処に居てくれ」
「そ、そう? ライが、そう言うなら」
アランがこっそりと的外れなことを耳打ちしてきたので即座に否定して留まってもらうことに成功した。こんな状況で一人にされたら俺が困る。
「アラン、紹介するよ。さっきも話したが、彼女はビィギナー公爵の娘、カリンだ。そして俺の隣にいるのが従者のギルで、後ろに隠れてるのがノゥア男爵だ」
「御噂は、かねがね。お会い出来て光栄ですわ、勇者様」
「こ、こちらこそ、お会い出来て光栄です、ビィギナー様。あ、あの、勇者様と呼ばれるのは何だか恥ずかしいので普通にアランと呼んでもらえると嬉しいです」
「分かりました。では、アラン様。改めて、以後お見知りおきを。私のこともカリンとお呼び下さい」
「わ、分かりました、カリン様」
両手でドレスの裾を軽く持ち上げてお辞儀をするカリンにアランも慌てて頭を下げる。
格式のある彼女を前に緊張している様子。本来なら俺もこれくらい畏まらないといけないのだろうが、どうも彼女の前だと気が抜けてしまう。
カリンとは同じ学校に通い、クラスメイトとして過ごした日々もある。良くも悪くも俺は彼女に慣れ過ぎたのだ。
「は、初め、まして」
「…………よろしく」
「は、初めまして。こちらこそ、よろしくお願いします」
続けてアランはノゥアとギルとも挨拶を交わす。とは言ってもカリンのような堅苦しさはなくノゥアは相変わらず俺の背中に隠れたままだし、ギルは辛うじて挨拶らしい言葉を発してはいるものの表情は明らかに退屈そうだ。ギルに関しては先ほどの疲れが残っているから、そう見えるだけかも知れないが。
「アラン、この後は何か予定があるのか?」
「う、うん。この後も何人かと踊って、今日来てくれた人達に挨拶して回らなくちゃいけないんだ」
「主役も大変だな」
「主役なんて名ばかりだよ。じゃあ僕は、そろそろ行くね」
「あぁ、またな」
次に会えるのはいつになるか分からないが、晴れて俺も貴族になったわけだし、そう遠くない未来でまた会えるだろう。
「! ……うん、またね!」
アランが俺達から離れると瞬く間に彼の周囲に人集りが出来る。それだけ皆、勇者に媚を売る機会を窺っていたという事だ。
しかし意外だったのは俺達と一緒にいる時に横槍が入らなかった事だ。
いくら公爵の娘であるカリンがいるとはいえ、そこまで抑制力があるとは思えないが……
「……ライ・サナタス伯爵様、少しお時間よろしいでしょうか?」
考え事に耽っていたところ、見覚えのない令嬢に声をかけられた。
青空の色をそのまま映したような爽やかな青みのある髪を一つに束ね、配布されたグラスの中で波打つワインにも似た赤みがかった紫色の瞳で俺を見上げている。
「失礼ですが、貴女は?」
「パレット・ワーナーと申します。その節は弟を助けて頂き、ありがとうございました」
「……弟?」
「ライアン・ワーナー。彼は、私の弟なのです」
「え、」
記憶に新しい名前に素っ頓狂な声が出た。
ワーナー家に二人の息子と一人の娘がいることは知っていたが、まさか此処で息子のライアンに続いて娘の顔まで拝めるとは夢にも思わなかった。
今日の式典にワーナー公爵の姿は見えない。なので今日の彼の代わりをライアンが務めているのは分かるが、姉は……勇者目当てと言ったところだろうか。
(それでも俺を無視できなかったのは弟の恩人だからか)
恐らくライアンが前もって彼女に俺に関する情報を伝えていたのだろう。
「本来このような場で謝礼すべきではないのですが、貴方様は弟の命を救って下さった恩人。どうしても直接、御礼を申し上げたかったのです」
「あの場にいれば誰だって同じことをした筈です。その役目が偶然、俺に回っただけの事ですよ」
「本当に、そうでしょうか? 弟からは、あの場にいた者達は皆、自分が生き延びることに必死で他人を気にかける余裕は無かったと聞いております。その中で唯一、貴方だけが絶望の闇しかなかった世界に光を灯して下さった事も」
「……俺がした事は、そんな大層なものではありませんよ」
俺がした事など罪滅ぼしに過ぎない。
十二年前の出来事は俺が存在しなければ起こらなかった筈なのだから。
「今の発言、聞き捨てなりませんわね。貴方は私の弟を救って下さったのですよ。それなのに大層なことはしていないだなんて。それでは、まるで弟の命の価値を蔑んでいるみたいではありませんか」
「いえ、そんなつもりは……」
「貴方にそのつもりは無くても、私にはそう聞こえました。ライ様、度が過ぎた謙遜は卑屈に見えるものですわ。それに感謝は素直に受け取らなければ却って相手に失礼です」
真実を知らない者には、俺の言動は謙遜を通り越して卑屈に映るらしい。
だがしかし、彼女の言うことは一理ある。
「申し訳ありませんでした、パレット嬢」
「分かってもらえたなら良いのです。それで、ライ様。実は私、貴方に御礼を申し上げに参っただけではありませんの」
「……と、仰いますと?」
「一曲、踊って下さらない?」
パレットは俺に白薔薇を差し出す。俺達の遣り取りを傍観していた者達が騒然とする。
白薔薇は伯爵以上の位を持つ未婚の令嬢にだけ与えられる物で、意中の相手にダンスを申し込む際に薔薇を差し出す……と、確かギィルにはそう教わった。
薔薇を受け取るも受け取らないも自由であるが、後者を選ぶならば相応の覚悟をしなければならない。
令嬢に恥をかかせるのだ。特に格上の相手ともなれば余計に後が怖い。
言ってしまえば、白薔薇を差し出された相手に選択の自由などあって無いようなものである。
「はい、喜んで」
白薔薇を受け取り、胸ポケット挿して手を差し出すと彼女は満足した笑みを浮かべて俺の手を取った。
会場の中央まで行くと、互いの腰や背中に手を添えて曲に合わせて踊り始める。
「まぁ、とても御上手なのね。もしかしてダンスの経験が?」
「はい、まぁ、昔に何度か」
今日までダンスの練習に費やす時間などある筈も無いが、ダンスと言っても何種類かのステップを循環的に繰り返していくだけ。これなら見様見真似で何とかなる。
「貴重な白薔薇を使ってまで俺をダンスに誘った目的は何ですか?」
「あら、殿方をお誘いする理由なんて決まっているではありませんか。それとも私の口から言わせたいのかしら?」
「こういった舞踏会ではダンスの誘いに乗じて興味深い話を持ち掛ける方々もいらっしゃると伺いましたので」
パレットは目を見開いた後、面白いものを見つけたとばかりに笑うように目を細めた。
「……それはそれは面白いことを仰る御友人がいらっしゃるのね。一度、お会いしたいわ」
もう会っていますと言うわけにもいかず、適当に微笑んで誤魔化す。
直後、何処かで数名の女性の悲鳴が聞こえたが事件性は感じられなかったため踊りを続行した。
「それで貴女は何故、俺を? 他の御令嬢は勇者しか眼中にないというのに」
「……実は、貴方にお願いしたい事がありますの」
やっぱり他に理由があったんじゃないかと心の中で不平を零しながら詳細を尋ねる。
「俺に、ですか? 御言葉ですが、俺のような身分の者が貴女の願いを叶えるのは現実的に厳しいかと存じます」
「身分は関係ありませんわ。これは弟を助けて下さった貴方にこそ、お願いしたいの。せめて御話だけでも聞いてくださらない?」
「…………分かりました」
既に面倒事の気配が漂っている。
相手が相手なだけに俺には荷が重い何かを背負わされそうな気しかしないが、白薔薇を差し出された時点で俺は逃げ場を失われている。よって、どんな内容であろうと俺は彼女のお願いとやらを甘んじて受けなければならないというわけだ。
「私には二人の弟と一人の兄がいますの」
(……兄?)
ギィルから聞いていた情報と少し違う。彼からの情報では確か、ワーナー公爵家には二人の息子と一人の娘しかいなかった筈だ。
パレットが必要以上に身を寄せる。真剣な表情から誘惑ではなく内密な話をする合図なのだと理解した俺は踊りの一連の動きとしても違和感のない程度で彼女の口元に耳を寄せた。
「これは他言無用でお願いしたいのですが……兄は十数年前に勘当されて以来、行方知らずとなっています。貴方には、その兄の捜索を依頼したいのです」
「……聖騎士に依頼された方が良いのでは? もしくは王都のギルドとか」
「私達が兄を探していることを両親に悟られたくないのです。特に、お父様には」
「……私達?」
「弟達も私と同じように密かに兄を探しているのです。特に三男のリカルドは兄を心から尊敬しておりましたから。いつか自分も兄のように誰かを支える立派な人になりたいと」
意図的に抹消された情報。勘当された息子。表立っては動けない姉弟達。どれを取っても、きな臭い話だ。
「きっと兄は生きています。ですが、探そうにも手掛かりがありません」
「それを俺に見つけろと? 手掛かりが無いどころか、俺は貴女の兄上の顔すら知らないのですよ」
「無理難題を言っているのは承知していますわ。それでも私には貴方しか頼る当てが無いのです。お願いします。どうか兄を探し、そして御救い下さい。勿論、相応の報酬は用意させて頂きますわ」
俺が頷くまで彼女とのダンスは終わらないだろう。このまま彼女の腕を振り解き、立ち去ることも出来なくは無かった。
にも関わらず、そうしなかったのは……彼女の意志の強さを知ってしまったから。
弟の命の恩人というだけの彼女は初対面の貴族に願いを託そうとしている。それが、どれほど浅はかな事か。彼女に分からないわけも無い。
これは賭けだ。恐らく彼女にとって最初で最後になるであろう大博打。
王都のギルドや聖騎士、そして勇者。彼らは至る所で有名人だ。かと言って、無名に頼んだところで彼女の夢が実現となる望みは薄い。
そこで俺が選ばれた。勇者ほどでなくとも実績があり、有名人の仲間入りとなるには登場があまりに遅過ぎた俺が。
「……やれるだけの事はします。ですが、貴女の望みを叶えられるかどうかは御約束できません」
「それで構いませんわ。兄のことなど詳細は屋敷で話します」
「屋敷? それって、まさかワーナー家の」
「ご心配なく。屋敷と言っても別荘の方ですから、お父様と鉢合わせする事はありませんわ。弟達は偶にやって来ますが、私の友人という立場であれば問題ありませんし。何でしたら婚約者としてでも私は構わなくってよ」
曲が終わり、俺とパレットの動きも止まる。
彼女は優雅なお辞儀を見せると「では、ご機嫌よう」と何事も無かったかのように去って行く。
まるで踊りながら夢でも見ていたのではと呆然とする俺の手は、いつのまにか何も記されていない紙切れが握らされていた。
紙切れには魔力が封じ込められており、ある特定の属性の魔法を発動させることで、その紙切れは初めて意味を持つ。
紙切れの正体が彼女の言っていた別荘の地図であると把握した俺はギル達と合流するため会場の隅へと歩いて行った。




