385.5話_閑話:妄想は「個人の趣味」の範囲で
※今回もまた人を選ぶ内容になっています。苦手な方はご注意ください。
※あくまで〝閑話〟です。頭を空にして読むことをお勧めします。
ライとアランが去った後、護衛を兼ねてカリンとノゥアと共に行動していたギルは一人の若い貴婦人に声を掛けられた。
若い貴婦人の後ろには更に数人の貴婦人が彼女の背中を押すように身を寄せ合っている。
「あ、あの、貴方はライ・サナタス伯爵様の従者で御間違いないかしら?」
縦に捻れた金色の髪を指で絡めながら問いかける彼女の真意を探ろうとギルは目を細める。
「あ? 誰だ、おま……ぐぇ?!」
カリンの肘打ちが見事にギルの腹に命中した。
「何しやがんだ、テメェ!」
「貴方こそ、何なの? その下品な言葉遣いは」
「けっ、良いだろうが。んなの適当で」
「良いわけないでしょ。その場に合った振る舞いをしてこそ立派な従者よ。私は貴方の主から貴方のことをお願いされた。つまり彼が戻って来るまでの間、貴方の主は私なの。その私の目の前で勝手な振る舞いは許さないわよ。貴方だって彼の顔に泥を塗りたくはないでしょ」
「…………チッ、分かったよ。やりゃ良いんだろ、やりゃ」
未だ肘打ちされた腹を中心に走る鈍い痛みに顔を顰めながらギルは頭を掻いた。
「あー、俺……じゃなくて、私に何か御用ですか?」
「実は、お伺いしたいことがありますの」
目の前の彼女に見覚えは無い。後ろにいる彼女達にも。
自分の記憶が確かなら誰とも面識は無いはずだがとギルは訝しみながらも「何でしょう?」と聞き返した。
「あの……そのぅ……」
「……」
「実は私達、先ほどの騒ぎで貴方とライ様のことが気になって暫く様子を窺っていたのですが」
ノーエスの件のことだろうとギルは脳内で自己完結させる。彼の中で自分とライが関与した〝騒ぎ〟は、それくらいしか心当たりがなかったからだ。
「貴方はライ様のことを、その……お、お、御慕いしてらっしゃるの?!」
「………………………………………………ア?」
なにトチ狂ったこと言ってやがんだ、この女は。
声に出さなかった自分をギルは心の中で褒めた。
「……相変わらずね、フィロランナ嬢」
「ですが、カリン様! あの振る舞いは誰がどう見ても嫉妬による牽制だったではありませんか!」
手持ちの扇をはためかせ、鼻息を荒くしながら主張する彼女の後ろに控えた者達が皆、同意するように何度も頷いている。
「このフィロランナ・メルヴァローナ。この目で、しかと見届けましたわ。彼がノーエス様からライ様を掻っ攫うところを!」
「フィ、フィロランナ様。掻っ攫うだなんて表現は少々御下品ではなくって?」
「あら、失礼」
オーホッホッホと扇で口元を隠しながら笑うフィロランナを横目にギルがノゥアに耳打ちする。
「……なぁ、俺そんなことしてたか?」
「え、えっと、どう、だった、かな」
あの時のギルはノーエスの腕を掴んでライから引き剥がすことはしたが、掻っ攫ってはいない。
「彼女の言うことは話半分に聞いてもらって構わないわ。昔から、あらゆる物語の世界に浸り過ぎて妄想と現実の境い目が曖昧になっているの」
「それ、人としてヤバくないか?」
「あれでも常識は持っている方なのよ。ただ暴走すると手が付けられなくなるってだけ」
「……常識ねぇ」
ギルは遠い目をしながら、これまでの彼女との会話を思い出していた。
「み、見てて、楽しい、人、だね」
「努力は認めるけど残念ながら褒め言葉の内には入ってないわよ、ノゥア男爵」
容赦なく切り捨てるカリンにノゥアは「あうぅ」と唸りながら縮こまる。
「……私が侯爵様相手にそのような無礼を働いたことが何故私が主を慕っているという話に繋がるのでしょう? そこんとこ詳しく説明しやがり下さいませ」
「ちょっと貴方、また口調が……」
「ノーエス様の〝御趣味〟を把握されていないわけではないのでしょう?」
これまでとは打って変わって真面目な瞳で問いかけるフィロランナにカリンも思わず言葉を呑み込む。
「あの方は自分が気に入ったものを手中に収めないと気が済まない主義ですの。今回のことでライ様が彼のお気に入りとなってしまわれたのは事実。この意味が貴方に理解できます? 相手の意思なんて、あの方には関係ありませんの。ライ様を手に入れる為なら、あの方は何だってやりますわ」
「……随分と丁寧な忠告だな。で、今日初めて会ったテメェを信じろと」
「信用されていないのは百も承知ですわ。これは私の自己満足。あの方、実は私の叔父なのです。ですから、あの方が気軽に口には出せないようなことに手を出していることも知っておりますの。今の言葉も、先ほどの言葉も信じるかどうかは貴方にお任せしますわ」
(俺に、この女を信用する義理は無ぇ。大体、こういう頭使うやつはギィルやグレイの管轄なんだよ。俺に出来ることなんて……)
何かの拍子で唇が触れてしまいそうな距離。
相手が抵抗しないのを良いことに無遠慮に身体に触れる手。
どれもこれも気に食わなかった。その光景を見せられるのが苦痛で仕方なかった。
何より、自分が出来ないことを平然とやってのけたノーエスが気に食わなかった。
だから、あの時ギルはノーエスの腕を掴んだ。自分が憧れている存在に邪な感情を向けられているのが許せなかったのだ。
「テメェの言ってることが嘘か本当かなんざ、どうだって良いんだよ。大事なのは、あの人にとって有害なのかどうかだ。それは俺が自分で判断する。一々、テメェが口出すことじゃねぇよ」
「それは……相手が誰であろうと貴方は最後までライ様を守る為に尽力なさるということで宜しいのかしら?」
「あ? だから、そう言ってんだろうが」
「………………」
フィロランナは顔を俯かせて震えている。
折角の忠告を無下にされて怒ってしまったのだろうとギルは今後の展開に嫌気が差しながら息を吐いた。
カリンはこの後待つ未来を憂いながら頭を抱え、ノゥアは不安顔を晒して成り行きを見守っている。
「ず、……ずばら゛じい゛ですわ゛っ!!」
涙と鼻水を滝のように流しながらフィラロンナは拍手をした。
彼女の取り巻き達も涙ぐんだ顔をしてギルに拍手を送っている。
「素晴らしい! なんて、素晴らしいの! やはり私の目に狂いは無かった……これこそ、まさに私達が思い描いていた理想の主従関係ですわ!」
「……なに言ってんだ、お前」
あまりにも意味不明な発言にギルは疑問を零さずにはいられなかった。
「ご安心なさい。貴方の秘めたる想いは私達が必ず御守り致しますわ」
「秘めたる想い? 何だ、それ?」
説明を求めるギルの肩にカリンが手を置く。彼女がギルに向ける表情には憐れみが滲み出ていた。
「諦めなさい。こうなってしまっては、もうどうすることも出来ないわ」
「あ? だから、さっきから何の話してんだ」
「まだ分からないの? ……貴方、彼に気があると思われてるのよ」
「彼って誰だよ」
「……ライ・サナタスのことに決まってるでしょ」
「変なこと言わせないで」とカリンは頬を染めて、そっぽを向く。
ギルがカリンの言葉を理解するのに十数秒もかかってしまった。
ここにきて彼は漸く彼女達が盛大な勘違いをしていることに気付いたのだ。
そもそもライを慕っているかどうか問われた時点で気付くべきであったが、ノーエスの件が絡んだことで遣り取りがあったこと自体、ギルは忘れ去ってしまっていた。
「こうしちゃいられないわ。さっそく再来月の薔薇開花祭に向けて執筆よ!」
「「「「はい、フィロランナ様!!」」」」
「ちょ、ちょっと待て! 俺は別に……」
「えぇ、分かっていますわ。〝俺は別に男が好きなんじゃない。ただ惚れた相手が男だっただけ〟ということですわね」
そう言って親指を立てるフィロランナにギルは純粋に殺意が湧いた。
「何一つ分かってねぇじゃねぇか! くそっ、待ちやがれ!」
重そうな装飾だらけのドレスを身に纏っているにも関わらず優雅に走り去るフィロランナ一行と、そんな彼女達を追うギル。
丁度、会場に戻って来たアランとライは入り違いとなった彼らを、ただ呆然と見送った。
カリンとノゥアから事情を聞いたライがギルを憐れむと同時に自身もまた何と反応して良いか分からない複雑な心境になったのは言うまでもない。




