47話_負の循環
気まずそうな笑みを浮かべるヒメカは、学校でよく見かける女子生徒達となんら変わりのない普通の女だった。
(少し前の彼女とは、まるで別人だ)
「何か、さっきと雰囲気違くね?」
リュウも、俺と同じ考えだったようだが、如何せん、彼は素直な性格ゆえに声として表に出てしまった。
ストレートな彼の言葉に彼女も思わず苦笑いだ。
「あ、はは……お恥ずかしながら私は、そもそも人の上に立つような器では無いんです」
「え? でも、さっきは、あんなに威厳を放ってたのに?」
リュウの言葉に初めは笑顔を見せていた彼女だったが、次第に、顔に暗い影を落としていった。
「それは、あくまで表向きの私です。元々、頭領になるのは私ではなく、兄でした。あくまで、私は兄の代わりとして、不在となってしまった頭領の座に一時的に居座っているだけにすぎません。完全に頭領の座に居座らないように、頭領を失い、友人や家族を失って不安な仲間達の手前では、近々、自分が頭領になる予定だと言って、なんとかあやふやに誤魔化してはいますが、それも時間の問題でしょう。あんなことさえなければ今頃、兄が頭領になって、みんなをまとめていたはずなのですが……」
感情が高ぶっているのか、彼女の手は小刻みに震えだした。
ただならぬ雰囲気を感じ取った俺達は、一瞬のアイコンタクトを交わした後で互いの意思を理解したように同時に頷いた。
「〝どうか、兄を助けてください〟……その依頼を叶えるために俺達は来ました。何があったのか、聞かせてもらえませんか?」
あの時、守れなかった幼い命、守れなかった村人夫婦との約束、守れなかった各々の想い。自分への戒めのように脳内で再生される映像や音声に、決して目を逸らさず、耳も塞がず、全てを受け入れて彼女に問いかけた。
彼女は驚いたように目を丸くしたが、それは一瞬のことで、すぐに一点の曇りもない表情を見せて頷いた。
「あれは、一ヶ月前のことです……」
先ほどまで見せていた年相応の少女のような表情とは違うし、鬼人達に見せていた表情とも違った。
何かに対する恨み、何かを失った悲しみ、何かに裏切られた辛さ……そんな、複数の負の感情が入り混じった表情は、悲劇的な舞台の主人公さながらだ。
「その頃、私達が元々、住んでいた村は今よりも多くの鬼人達で賑わい、楽しげな子ども達の笑い声が絶えない……そんな場所でした」
彼女の言葉は、まるで今は違うと言わんばかりに、全て過去形だった。
「また今日も、いつもと同じ1日がくる……そう思っていたのに、あの男が突然、村へやって来たんです。初めは、道に迷った旅人だと思い、一人の鬼人が彼に声をかけました……そ、そしたら……っ」
その時のことを思い出しているのか、彼女は感情を押さえ込むように下唇を強く噛み締めた。
「……男は、腰に差していた刀を抜いて、鬼人に斬りかかったんです……っ! 突然のことに、私達は誰一人反応できず、目の前で血を噴き出しながら倒れていく仲間を見つめることしか出来ませんでした」
悲痛に吐かれた彼女の言葉は、一筋の涙となって彼女の頬を流れ落ちた。
涙声で彼女が語ったのは一筋の光すら見出せない、最早、本当にそれは現実なのかと疑ってしまうほどに過酷な話だった。
斬られた仲間の敵討ちと、武器を片手に立ち上がった鬼人達は皮肉にも、男の持つ刀を紅く彩らせただけだった。圧倒的な力を前に自分達では敵わないと悟った鬼人達は、己の命と引き換えに女鬼や子ども達を逃がすための時間を作った。
彼女の兄も、彼らと同じ覚悟だったらしいが、それを止めたのは当時の頭領であり彼とヒメカの父親だった。
彼らの父親は彼女の兄に全てを託すと、刀を振るう男の方へ駆け出した。小さくなっていく父親の背中を見ているのが辛くなり、反対方向を向いて父親や犠牲となった鬼人達が残してくれた時間を頼りに、彼女達は、ただひたすらに走ったという。
「そんな……酷い話があるかよ……」
彼女が歩んできた理不尽な運命に、リュウは目を潤ませながら言葉を漏らした。その言葉に彼女は、ほんの少しだけ笑みを浮かべた。
「……お優しい方ですね。ですが……この〝酷い話〟は、ここで終わりではないんです」
彼女は複雑そうな表情で、口を開いた。
「ここまで無事に来られたところまでは良かったのですが、ここら一帯は鬼蜘蛛の縄張りだったようで、ようやく安息の地へ辿り着けたと思っていた私達に、容赦なく襲いかかってきました」
「鬼蜘蛛……」
懐かしい響きに、思わず言葉を漏らした。
魔王だった頃、数多の部下の中でも特に彼女は個性的だったというか、情熱的だったというか。
兎に角、未だに俺の脳内を占領している奴の一人……いや、一匹だ。
「その時、まともに戦える状態だったのは兄だけで、兄は、たった一人で鬼蜘蛛に立ち向かいました。そして……その戦いの最中で、ツノを折られました」
悲痛な表情で話す彼女に、俺は思考の声さえ失った。
鬼人族の象徴とも呼ばれるツノが折れたということは即ち、鬼人としての死を意味していた。そのツノを折られてしまった時の彼の心情を完全に理解することは出来ないが、想像もつかないほどの絶望が彼の身に押し寄せてきたことだけは分かる。
「兄のお蔭で、鬼蜘蛛を退けることは出来ましたが、兄は……」
彼女は言葉を止め、視線を俺達から左の方へと向けた。彼女の視線を追いかけたが、鉄格子と無音が支配する世界が見えるだけだった。
「鬼蜘蛛を退けてから間もなく、〝命よりも優先して守らなければならない鬼人の誇りを守れなかった自分に、上に立つ資格は無い〟……それだけ言い残し、森の中へと消えてしまいました」
彼女が向けている視線の方角に、その森があるのだろう。
「な……意味分かんねぇよ。ツノが折れただけで、何で、そんな」
「それ以上は、言わないで下さい」
リュウの言葉を遮った彼女は、再び俺達に向き直ると、長い睫毛を下に向けた。
「鬼人ではない貴方達には理解してもらえないでしょうが、このツノは私達にとっては命よりも優先して守らなければならない……それほどに重要なものなんです」
彼女は自分の額から伸びているツノを、生まれたての赤子の肌に触れるかのように、そっと手を添えた。そんな彼女を見た彼は小さく謝罪の言葉を漏らし、顔を俯かせた。
「それで……今、お兄さんは?」
「この村から少し離れた、森の中間地点を拠点としているようです。何度か足を運んで一緒に戻るよう説得したのですが、頷いてくれませんでした」
意外な答えに、目を丸くした。てっきり、同族の目に触れないような遠い場所まであてもなく彷徨っているのだと思っていたが、彼は意外と近くにいるらしい。
「では、〝兄を助けてほしい〟というのは?」
ここまでの彼女の話を聞いたが、どうも依頼の内容と噛み合わない。
兄を説得してほしいと言うならば、話は分かるが、依頼書には助けてほしいと書かれていた。助けてほしいという事は彼に何かしらの危険が迫っているという事だろうが、その脅威の根源が見当たらない。
「先ほども言いましたが、鬼人にとってツノをは命よりも優先して守らなければならない……その理由、分かりますか?」
「えーと……鬼人としての威厳が損なわれるから?」
唐突な彼女の問いにリュウが答えると、彼女は緩く首を左右に振った。
「確かに、それも間違った答えではありませんが、それよりも酷な問題があるんです。ツノを折られた鬼人は、本来の力が発揮出来ず、普通の人間と同等の力にまで抑えられてしまうんです」
初めて知った事実に、俺もリュウも口を閉ざして彼女を見た。
(そういえば……かつて、部下だった鬼人の連中が馬鹿の一つ覚えのように口々に言っていた。〝我々にとってツノは我ら鬼人の象徴であり、強さの象徴でもある。即ち、命よりも守らなければならない存在なのだ〟と)
当時は大袈裟な奴らだと軽く聞き流していたが、彼らの言葉の通り、あの額に生えているツノは彼らの鬼人としての威厳と強さを保持するためには必要不可欠なものだったのだと、今になって、ようやく思い知らされた。
「今、兄がいる場所は、この集落と鬼蜘蛛の住み処の丁度、中間辺りなんです。また鬼蜘蛛と戦うことになってしまったら、きっと兄は……」
口を閉ざした彼女に、その先の言葉を催促するなんて、むごい事をするほど俺達は致命的な鈍感では無かった。
目に溜まった涙を拭き取り、彼女は俺達を見据えた。それは、逆境を乗り越えた者だからこそ出来る表情だった。
ただ泣いているだけでは何も解決しない、自分達に未来を託してくれた彼らのためにも前へ進まなければならないと、俺達の理解の域には決して達することが出来ない彼女の強い意志が現れていた。
「不在という穴を埋めているだけの一時的なもので且つ、あやふやな立ち位置ではありますが、今は……今、この瞬間だけは頭領として名乗ることを、お許し下さい」
顔の近くで両手の指を組み合わせながら神に祈るように呟かれた彼女の言葉に、思わず自分が神にでもなって崇められているかのような錯覚に陥った。
閉じられていた彼女の瞳が開かれた時、彼女は頭領と呼ぶに相応しい、凛々しい表情を向けていた。
「残された鬼人の代表として、改めて貴方方にお願いします。兄と共に生きる未来を得るために、鬼蜘蛛という脅威から私達を救って下さい。恐らく兄は私達を守るために、わざと鬼蜘蛛の住み処から近い場所を拠点としています。だから……」
「鬼蜘蛛さえ倒せば、お兄さんは戻ってくるってこと?」
「……確証はありませんが」
リュウの言葉に、彼女は何とも言えない表情で頷いた。
(平和になれば今より状況は良くなるかも知れないが、それでも彼女の兄が戻ってくる可能性は低いだろうな)
鬼蜘蛛を倒したからといって、一度折れたツノは元には戻らない。彼の力が戻ることも、鬼人の誇りを取り戻すことも無い。
話を聞く限り、生真面目そうな性格に思えるし、それこそ鬼蜘蛛を倒して、この集落が平和になったと分かった瞬間、今度こそ彼女の前から姿を消すだろう。
先ほど、何とも言えない表情を浮かべていた彼女も、きっと、心のどこかでは俺と同じことを思っていたのだろう。
「そういうことなら、任せて下さい! 何たって今の俺達は、負け知らずの最強メンバーなんで!!」
(まさか、この間の模擬決闘のことを言っているのか?)
確かに、勝ったけれども。
とは言っても、あの時の俺は何もしていないが。
確かに、無敗ではあるけれども。
そもそも俺達が一緒に戦ったのは、あの一戦のみだしな。
「ほ、本当ですか?! それは心強いです!」
リュウの言葉を完全に信じてしまっている彼女を前にしてしまっては、もう何も言えない。
(まぁ……嘘は言ってないな、嘘は)
人生、諦めも肝心だ。
「あのー……それでですね、ヒメカさん?」
突然、改まり始めたリュウに彼女はキョトンと目を丸くした。
「そろそろ、この縄を解いてもらえると嬉しいなー……なんて」
「「あ」」
身体の節々が痛いし、やけに自由が効かないと思ったら、そういえば今までずっと縄で拘束されたままだった。
最初の頃は痛さに悶えていたが、時間が経つにつれて感覚が麻痺してしまったのか、それとも変に慣れてしまったのか最終的には、すっかり忘れ去っていた。
「ご、ごめんなさい! すぐに解きますから!」
縄が解かれた瞬間、それまで滞っていた血液が一気に流れ出したような不思議な感覚に襲われた。もしかしたら、意識していなかったから気付けなかっただけで、身体はずっとSOSを出していたのかも知れない。
薄暗い空間を優しく照らす蝋燭の灯火だけが唯一の心の拠り所である、鉄格子で囲まれた重苦しい空間から解放されると、新鮮な空気とジリジリと肌を刺激する日差しがなんだか恋しく感じられ、身体を大きく伸ばし、深く息を吸った。
(そういえば……彼奴は、どこに行ったんだ?)
辺りを見渡しても、可愛らしい花が小さく揺れる長閑な景色が見えるだけで、唯一、逃走に成功した緋色の塊は見当たらない。
(初めて、この地に転送された時に不法侵にゅ……お邪魔した家にも集落にもいないとなると、後は……)
チラリと視線を移したのは、ヒメカが見つめていた方角。
背の高い木が何かを隠すかのように不規則に並んでいる、あの先にヒメカの兄と……スカーレットもいる。
「リュウ、俺は一度、森に行ってくる。お前は、ここで待っててくれ」
俺の言葉に、リュウは分かりやすく不満そうに頬を膨らませた。
「えぇー、なんでオレは待機なんだよ。ピクシーのオレは歩くお荷物にしかならないってか?」
あからさまに不満そうなリュウに呆れたように息を吐くと、余計に鬱陶しくなった。
「……俺は今まで、お前を荷物だと思ったことは1度も無いぞ」
「え……」
偽りのない言葉を向けるとピタリと止まり、何故か複雑そうに俺から視線を逸らした。
(寧ろ、最近は俺の方が荷物なんじゃないかと思ってるくらいなんだよな……)
自分で言っておいて軽く落ち込んだところで、気を取り直すように軽く腕を伸ばした。
「お前の補助魔法はスカーレットにさえ、周囲を圧倒するほどの力を与えてしまうほど優秀なものであることは、模擬決闘でよく分かった。女、子どもが多いとはいえ、元々、鬼人族は戦闘に長けた種族だ。そんな彼らにお前の補助魔法が追加されれば百人力だろう」
「う、ぐぐ……」
折角、人が褒めているのに当の本人は顔を歪ませて何やら唸っている。
彼とは短いながらもそこそこの付き合いだが、未だに掴めない部分がある。
それでも、それだけ人間味のある彼が正直、少しだけ羨ましい。
俺も前世と比べると、だいぶ人間味は増してきたと思うが、まだまだ彼には敵わないだろう。
これは俺の勝手な解釈だが、彼は心理戦を要するゲームでも素直に表情に出てしまうタイプに違いない。
「そもそもスカーレットもいない今、俺とお前までここからいなくなってしまったら万が一、この集落に危険が迫った時に誰が彼らの力になるんだ?」
「そ、それは……」
あと一歩のところまで説得が進んだ時、数人の子ども達がリュウを取り囲んだ。
「えー?! リュウ兄ちゃん、どっか行っちゃうの?!」
「やだやだ! ボクたちといっしょにあそんでよ!!」
彼の人間味は、こんなところでも発揮されたようで少し目を離した隙に、この集落の子ども達と既に仲良くなっていたようだ。
大きな瞳に涙を溜めるだけ溜め込んでリュウを切なげな目で見つめる彼らに、リュウは困ったような笑みを浮かべていた。
「こんな可愛らしいお願いをされて断るような薄情な奴じゃないよな、リュウ兄ちゃん?」
子どもは子どもでも、イタズラ好きの子どもが浮かべるような笑みを浮かべて言うと、リュウはヒクリと頬を引きつらせた。その反応に満足した俺は微かに残っているスカーレットの気配を辿りながら、土と雑草と折れた木の枝で埋め尽くされた、最早、道とは呼べない場所に足を踏み入れた。
◇
「……珍しい客人だな」
今まさに俺が足を踏み入れたばかりの森で、既に1匹のスライムと1人の鬼人が邂逅しているとも知らずに。
[新たな登場人物]
◎ヒメカ・ソウリュウ
・腰まである長い白髪に、瞳は紅葉のような鮮紅色。
・頭領(になる予定)である鬼人族の少女。
・同族の前では頭領らしく振る舞うが、それは表向きの姿で、それ以外には本来の年相応らしい振る舞いを見せる。
・元々は別の場所で平和に暮らしていたが、謎の男のせいで、一瞬にして、その平和が壊された。
・鬼蜘蛛との戦い以来、自ら集落を離れていった兄をなんとか連れ戻したいと思っているが、自分の力ではどうにもならないと判断し、依頼を出した。
・可愛らしい容姿をしているが、彼女も立派な戦闘種族。




