384話_たった一人の幼馴染
数分ぶりの夜風は城内で温まっていた身体には堪える。
身震いした俺に気付いたアランは偶々見つけた使用人に頼んで城内に数ある客室の一室を使えるようにしてくれた。
しかも案内された部屋には式典で出されていた物と同じ食事や飲み物が用意されており、自由に飲み食いして構わないとのことだ。
アランが頼んだのは部屋の用意だけだった筈だが、この好待遇。これが勇者の特権という奴だろうか。
「ずっと踊りっぱなしだったから、お腹空いちゃったな。ライも何か食べる?」
「俺も良いのか?」
「勿論だよ。だって、これは僕と君の為に用意されたものなんだから。良かったら君の分も僕が取るよ。何が良い?」
「勇者様に、そんなことさせられるわけないだろ」
アランの表情が微かに強張ったのを見て揶揄い半分で口にしたことを後悔した。
「悪い、今のは」
「嫌だな、どうして謝るの。それより何か食べたい物はあるかな? 無ければ適当によそうけど」
「あ、あぁ。じゃあ適当に」
「分かった」
いつも通り、俺の知っているアランだ。
それから間もなく、アランによって盛り付けられた皿を受け取る。
さすがは幼馴染と言うべきか。見事に俺が好みそうな料理ばかりだ。
自分の分の料理も取り終えるとアランは俺の向かいの席に座る。
「それじゃ、食べようか」
「あぁ」
「いただきます」と手を合わせて一口頂く。見たことのない料理だが、味も食感も俺好みだった。
違う料理も食べてみる。……うん、これも美味い。
元々空腹でもあったせいか、それともこの城に勤める料理人の腕が良いのか、どの料理も舌に馴染む。兎に角、美味い。
夢中で食べていると、ふとアランのフォークやナイフが進んでいないことに気付いた。
「……食べないのか?」
「え? あ、食べるよ。食べるけど……もしかして結構お腹空いてた?」
「まぁ、それなりには。何で、そんなこと訊くんだ?」
「深い意味は無いよ。さっきから見てて気持ちが良いくらいの食べっぷりだから、もしかしてそうなのかなって」
食事の最中をずっと見られていたと知って何だか恥ずかしくなった。
気恥ずかしさを隠すように「お前も早く食え」と言えば「うん、そうするよ」とアランはフォークで刺した肉片を口に入れた。
「あ、これ美味しいね。君が夢中になって食べるのも分かるよ」
揶揄っているようにも取れる発言だが、残念ながら彼に悪意は無い。
あっという間に空になった皿。まだ満腹とは言えない。
用意された料理は、まだ残っている。追加で取りに行くかと席を立った時、色とりどりのケーキが置かれていることに気付いた。
甘味は俺の好物だ。あると分かっていて取らないなど愚の骨頂。
全種類のケーキを未使用の大皿に乗せて席に戻ると、アランは目の前に現れたケーキの山を見て目を丸くした。
「それ、全部食べるの……?」
「駄目だったか?」
「い、いや、駄目じゃないけど」
心配しなくてもアランの分はちゃんと残していると告げると何故か苦笑いされた。
ケーキは全て俺の腹の中に収まった。味も甘さも様々で非常に食べ応えのあるデザートだった。
これらのケーキを作った料理人達一人一人に礼を言って回りたいくらいだ。
「御馳走様でした」
アランの食事も終わったようで空になった皿を片付け始めた。
「そろそろ訊いても良いかな? 君が此処にいる理由」
「もう大体の予想は付いてるんだろ」
「まぁね。でも、答え合わせくらいはさせてもらえないかな」
ここで自己完結しないのは、彼が本当に知りたいのは結論ではなく経緯だからだろう。
俺はアランの望み通り、貴族になった経緯を話した。
「凄いね。平民から貴族になんて、そう滅多になれるものじゃないのに」
「あぁ、でも絶対になれないって訳でもない。まぁ、俺も一応世界を救った英雄の仲間って事になってるからな」
「……前にも訊いたけど、ライは本当にこれで良かったの?」
アランは魔王を倒したのは自分ではなく俺であるということを知っている。
真実を知る者は限られている。皆が真実を隠してしまえば誰にも分からない。
仮に真実を告げたところで、もはや意味もない。世間はアランこそが魔王を倒した勇者だと信じきっているのだから。
大衆が信じるているものが正しい。例え、それが真実と異なるものだったとしても。
「お前には悪いと思ってる。俺が戻らなかったせいで全部を背負わせることになって。……アラン、お前本当は〝勇者〟とか〝英雄〟って呼ばれるの嫌なんじゃないか?」
「……どうして? 昔、君にも話したじゃないか。僕は勇者になるのが夢だって」
「確かに、お前の夢は叶った。じゃあ何で、さっき俺に勇者って言われた時、あんな顔をした」
「えっと、何のことかな」
「惚けるな。俺がお前のこと勇者様と言った時の反応は明らかに変だった。あれは俺の呼び方が気に食わなかったからじゃないのか」
アランは口を閉じてしまった。だが、これだけははっきりさせておかなければならない。
アランは今、俺が背負っていたであろう重荷を背負っている。
英雄は、ただ持て囃されるだけの存在ではない。常に平和の象徴でなければならない。
皆の期待を、恐怖を、敵意を、全て一人で受け止めなければならない。
敗北は許されない。最強の英雄と謳われる存在が負けるようなことがあれば、世界の均衡が崩れてしまう。
その重圧の中でアランは生きている。
アランを英雄に仕立て上げたのは世間だが、それを無理やり事実に捻じ曲げたのは俺だ。
「……やっぱり君に隠し事は無理みたいだね。この際だから正直に言うよ。確かに僕は今の自分の立ち位置には納得していない。本当の僕は皆が憧れるような勇者でもなければ英雄でもないからね」
「それでも、お前が魔王の件に関わっていたのは事実だろ」
「でも、倒したのは僕じゃない。それどころか僕は魔王に身体を乗っ取られていた。あの時の僕は足手纏いでしかなかった。僕はね、苦しいんだ。自分の手柄でもないのに勇者だ英雄だって言われて。本当は違うんだってヴォルフ理事長とアルステッド理事長に言った事もあったよ。でも、相手にされなかった」
「……相手にされなかった?」
アランは頷くと、当時アルステッドに言われたことを語り始めた。
今、この世は不安と混乱が渦巻いている。このままでは一つの大きな渦となって村や街を、国を、やがては世界までも飲み込んでしまうだろう。
この混乱を鎮められるのは魔王を倒した英雄だけだ。
君は何もしなくて良い。ただ、そこに居てくれれば良い。
……何? 魔王を倒したのは自分じゃない?
誰が倒したかは、さほど重要ではない。魔王を倒したのが誰であろうと皆が信じれば、それが真実になる。
しかし、それは誰でも良いわけじゃない。今回の件に関与し且つ人望の厚い者が望ましいと判断し、君に白羽の矢が立ったというわけだ。
今、最も優先すべきなのは世界の安寧を取り戻すこと。その為には英雄の力が必要なんだ。
協力して欲しい。この世界を救う為に。
相手にされなかったなんてもんじゃない。
今の話が事実なら本当の意味でアランを追い込んだのはアルステッド達だ。
勇者を志す少年が世界を救う為だと言われて断れるわけが無い。
「……アルステッド理事長が言った事が間違いだとは思わないよ。十二年前、確かに世界は壊れかけていた。最初は皆、魔王が倒されて喜んでいたんだ。やっと解放されるって。でも、同時に不安も生まれた。また同じようなことが起こるんじゃないかって」
一度起こったことが二度と起こらないとは限りない。寧ろ一度でも起こってしまったからこそ、また同じことが起こる可能性は充分考えられる。
このような状況で魔王を倒した英雄が魔王と相打ちになったと知られれば絶望は更に増す。
だから、アルステッド達は考えた。どうすれば、この底が知れない民衆の不安を取り除く事が出来るのか。
そして、思いついたのがアランを英雄にする事だった。ただの英雄ではない。〝魔王を打ち負かした最強の英雄〟。
朽ちることのない絶対的な希望があれば人々は縋り、依存する。
彼らの狙い通り、民衆はアランを英雄として認めている。
勇者としての振る舞いしか許されず、負けることも許されず、その圧力にアランは十二年も耐えてきたのだ。
「俺のこと、恨んでるか?」
十二年前、もし俺がアラン達と一緒に帰って来れていたら今のアランが背負っている役目を俺が背負っていただろう。
「ライは僕にとって大事な幼馴染で命の恩人だよ? 感謝こそすれど恨むなんて有り得ないよ。君が生きていると知った日、僕は今度こそ本当のことを告げて皆に君を英雄として認めてもらうつもりだった。だけど、君は言ったよね。英雄は僕だって」
「あぁ」
今も昔も変わらない。俺にとっての勇者はアランで、英雄もまたアランだ。
アランが勇者として魔王の前に現れた時、彼の正体を知った時、俺は初めて運命というものの存在をその身で実感した。
「でも、アラン。これだけは忘れないでくれ。この先、お前が何になろうと俺の幼馴染であることに変わりはない。あの村で一緒に育ち、絵本の勇者になることを夢見てる俺のたった一人の幼馴染だ」
嬉しそうに微笑むアランの目は欠伸を言い訳にするには無理があるほどに潤みを帯びていた。
その笑みが、いつかの彼女と重なった。
(あれからどれだけの時が経ったとしても、昔と関係が変わっていたとしても…………やっぱり姉弟だな)
前世のマリアには弟がいた。幼い弟が。
俺が村を焼き滅ぼした日。村人全員を葬っていたと思ったが、そうではなかった。
一人、生き残りがいた。その生き残りこそ彼女の弟だった。
自分が生まれ育った村や家族、村人は魔王に焼き尽くされたのだと教えられた彼は当然、魔王に深い怨恨を抱く。
彼の正体を知った魔王は避けられるはずだった剣を自らの肉体で受け止めた。
アラン・ボールドウィン。
その前世は魔王を討ち取った勇者であり、魔王が愛した人間の弟であった。




