380.5話_閑話:たった一人の勇者
式典開始、十五分前。
アランは項垂れるような体勢で控え室に用意された椅子に座り、自分の出番を待っていた。
現在、彼の心は憂鬱に蝕まれている。激務による疲労。初めての式典に対する不安。
しかし、彼が何よりも苦手としているものは価値観の合わない者との接触だ。
彼が世界唯一の勇者になってからというもの彼は仕事でもプライベートでも上流階級の者達と接する機会は急激に増えている。
最近では、お見合いの話まで出始めている。今のところアランは婚約や結婚など微塵も考えていない。と言うより、考える余裕が無い。
学生時代、相手からのアプローチで何度か異性と関係を持ったことはあったが、どれも健全なものばかりでアランは可能な範囲で相手からの要求を受け入れていただけに過ぎない。
相手に申し訳ないと思いながらもアランは出来る限りの優しさで応えた。相手が彼を本気で慕っていればいるほど、その仮初めとも言える感情が最も残酷であるということも知らずに。
「…………行きたく、ないな」
感傷的な息と共に吐き出された言葉。
誰にも打ち明けられない本音をアランは意味のない音として消化する。誰の耳にも届かなければ、どんな言葉も唯の〝音〟だ。
自分を利用しようと企んでいる人間が集まっている場所に好き好んで行こうとは思わない。
勇者である自分が持っている価値や権利を独占する為に貴族達の間で醜い争いが繰り広げられていることをアランは知っている。
人の欲は底知れない。だからこそ恐ろしい。
これまで善意の精神で動いてきたアランとは無縁の世界。魔王から世界を救った英雄として有名になったことで彼は知らなくて良い世界を知ってしまったのである。
まるで現実から逃避するかのようにアランは過去に浸るようになった。
ライと出会った村や毎日のように一緒に遊んだ森。ヒューマと出会った学校。リュウと組んだ実技試験。
今となっては、どれもこれも懐かしい。もう一度、あの頃に戻れたら。
叶わないと分かっていながらも願わずにはいられなかった。
ライもヒューマもリュウも昔のように簡単に会える相手ではない。随分と遠い存在になってしまった。
(……違う。僕が、皆から遠く離れてしまったんだ)
最初は皆と肩を並べて歩いていたはずなのに、いつの間にか自分だけ逸れてしまった。そう、自分だけが。
自力で立って歩けるようになってからアランは彼らに会えていない。
特にライとは十二年ぶりの再会を果たして以降、ゆっくり話も出来ていない。
小さい頃は当たり前のように隣にいた彼とは入学を機に別々の道を歩んだ。それでも、いつか大人になれば、また一緒にいられる日が来ると信じていた。
幼馴染という関係が特別なものに思えたのは子どもの時だけ。今となっては関係を表す名称の一つに過ぎない。
「アラン様、そろそろお時間です」
「……分かりました。すぐ行きます」
城の使用人から呼ばれてアランは立ち上がる。
部屋の壁に設置された鏡に映った自分を見てアランは軽く両頬を叩く。少しだけ心が軽くなった気がした。
会場に入ると全員が拍手をしてアランに迎え入れる。
会場の奥にある玉座に他の貴族達と同じように拍手をするアンドレアス王子とアレクシス王子の姿を見つけ、アランはさり気なく安堵の息を吐いた。
彼らがいる場所を目指してアランは歩き始めた。その間も数多の視線は彼に注がれたまま。
アランは足早に、ただ前だけを見て進む。誰とも目を合わせたくなかったからだ。
ところが、その振る舞いが貴族の令嬢達には勇者に相応しい堂々たる様に映ってしまった。
皆、恍惚とした表情へと変わる。彼こそ自分に相応しいと恋と執念の炎を燃え上がらせ、互いの出方を探りながら、どうやって彼をモノにしてやろうかと考える。
早くも水面下で彼女達の戦いが始まっているわけだが、精神的に余裕のないアランが気付けるはずもない。
玉座に座る国王と王子二人の前で立ち止まり、胸を手に当てて頭を下げる。
アランの挨拶が終わるとブランは立ち上がり、式典の開会を宣言する。宣言直後に盛大なファンファーレが響き渡り、会場は一気に賑やかになった。
ファンファーレが鳴り終わって間もなく会場を包み込んだのは、ゆったりとしたリズムの優雅な音楽。ダンスパーティーの始まりだ。
ダンスは基本的に男女一組で踊る。男がダンスを申し込みたい女に一輪の薔薇を差し出し、女が受け取ればダンスの相手として成立したと見做される。
薔薇は受付時に男にのみ手渡される。ちなみにライはブランの計らいで出席可能となった立場であるため受付は不要だが、薔薇は渡されない。
アランの胸ポケットにも一輪の薔薇が顔を覗かせているが、ダンスを申し込みたいと思う相手がいないアランにとっては単なる飾りだ。
一般的に女から男をダンスに誘うのは品位に欠ける行為だと評されている。
だが、この話には続きがある。〝但し、時と場合による〟。実に便利な言葉である。
アランが令嬢達に囲まれるのは時間の問題だった。ここぞとばかりに豊満な胸を押し付ける者もいれば、猫なで声で気を引こうとする者もいる。
それが一人や二人ではなく数十人の団体で押し寄せてくるのだから、それを一人で相手しなければならないアランからすれば堪ったものではない。
色んな香水が混ざったような匂いが鼻を突いてアランは思わず眉を顰めたが、幸いにも気付いた者はいなかった。
「アラン様、一つお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「え。な、何でしょう?」
唐突に一人の令嬢がアランに問いかける。
「その……アラン様にとって〝理想の女性〟とは、どのような方なのでしょう?」
まるで前もって打ち合わせでもしていたかのように他の令嬢達は一斉に口を閉ざし、アランが答えるのを待っている。
相手の好みを知ることは恋愛においての定石。しかも、それを本人の口から聞けるのだから彼女達にとっては又と無い好機だった。
対して、アランは困惑していた。自分にとっての理想の女性など考えたこともなかったからだ。
今この場にいる彼女達は皆、純粋に素敵だと思う。でも、それだけだ。
これまで付き合ってきた彼女にも同じことが言える。彼女達は皆、素敵な女性だった。だが、理想かと言われると返答に悩む。
アランがこの世で最も尊敬している女性は彼の母親であるサラだが、ここで求められている答えとして相応しくないことくらいは彼にも理解できる。
「えっと、優しい人は好き……ですね」
「他には? 他には、ありませんの?」
「ほ、他?! えーっと、真面目で努力家で他人想いで……いつも誰かの為に一生懸命になれる人も素敵だなって思います」
ライみたいに、と言いそうになって既の所で呑み込んだ。
いつの間にか理想の女性像ではなく、理想の人物像を挙げていたことに気付いたアランは無意識だったとはいえ何だか気恥ずかしくなって困り顔で空笑いして自分を誤魔化した。
「アラン様は人を見た目ではなく内面で判断なさるのね」
「素敵ぃ♡」と本当に思っているのか分からない声色で令嬢達はアランの言葉に何度も頷く。
「私、頑張りますわ。アラン様の理想の女性になる為に」
好きな人の理想になりたい。アランが学生時代に何度も耳にした言葉だ。
彼女達の努力を否定するつもりはないが、偶に思うのだ。
(そんなことしなくても今でも充分素敵なのに)
あえて口に出さないのは過去に同じことを言って相手を怒らせてしまった事があるからだ。
その相手曰く、重要なのはアランが意識してくれるかどうかであって総合的かつ一般的な評価は無意味だとの事だった。
いくら周りに魅力的に見られても本命に意識してもらえなければ意味がない。皆に平等に優しいアランには難解な理論だ。
誰にでも優しいと言うと聞こえが良いが、言い換えれば特別に優しくする者がいないということにもなる。
それは当時付き合っていた彼女も例外ではなかった。アランが今まで異性との交際が長続きしなかった最大の要因は、これである。
相手の方から付き合って欲しいとアプローチされても数週間後には「皆と同じなら付き合っている意味が無い」と言われて別れを告げられる。
アランの交際事情を知る者にとっては、もはや定番の流れである。
別れる度、律儀にヒューマに報告しては「女の子って難しいね」と苦笑いしていたアラン。そんな彼を見てヒューマが密かに彼の行く末を案じたのは、ここだけの話。
「あの、アラン様。もしよろしければ私と一曲、踊って下さらない?」
先手必勝とばかりに一人の令嬢がアランにダンスを申し入れた。
他の令嬢達は苦虫を噛み潰したような表情で彼女を見ている。皆、彼にダンスを申し出る機会を窺っていたのだ。
この時、アランは自分が窮地に立たされたことに気付いた。いくら意中の相手でないとはいえ女から誘われて断るのは貴族社会においては〝恥知らず〟と評される。
要は、女に恥をかかせるような下劣な男だと見做されてしまうということだ。
かといって、誘いを受けるのも躊躇われた。アランとしては出来るだけ穏便に、この場を上手く潜り抜けたい。
「……アラン様?」
痺れを切らした令嬢がアランの名を呼ぶ。
彼女と踊るしか手は無いのかとアランが手を伸ばした時、彼の目は捉えてしまった。
この場にいるはずのない〝幼馴染〟の姿を。




