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376話_複雑な関係

 蹲ったラツェッタは、くぐもった声を漏らしながら滂沱(ぼうだ)の涙を流す。

 彼女の嗚咽は奥の部屋で作業をしていたガーシャの耳にも届いたようで息を切らして駆け込んで来た。

 何があったと目で問いかけていたのは分かったが、何をどう説明すれば良いのか分からず立ち尽くす俺の代わりにレイメイが一通り状況を説明してくれた。

 レイメイから話を聞き終えたガーシャは、ふと思いを馳せたような表情を作ると「……そうか」とだけ言った。


「ライ、悪いが今日のところは(けぇ)ってくれ」


「……はい」


 彼女が涙を流す切っ掛けとなったのは恐らく俺の言葉だ。

 ……謝らなければ。明確な原因は分からないが、とにかく謝らなければ。


「……すみません、ガーシャさん。俺、」


「勘違いするな。お前は何も悪くない」


 遣り取りを直接見ていたわけでもないのに、まるで全てを知っているかのような確信めいた声でガーシャは言葉を遮った。


「兎に角、今日は(けぇ)ってくれ」


 有無を言わせぬ物言いに従うしかなかった俺達は工房を去った。


 そのまま城へと戻って来た俺達の間には呼吸すら躊躇う程の気不味い空気が漂っている。

 グレイ達の視線が真実を求めている。やはり、あの遣り取りで何も察せないほど彼らは間抜けではない。

 もう隠し通すのは困難だと判断し、俺はラツェッタのことを話すことにした。

 ラツェッタには魔力はなく魔法が使えないことを話すと予想通り彼らは驚いた。


魔力の消滅(マジック・ロスト)の影響はエルフにも及ぶんですね)


 未だ未解明な部分が多い現象ゆえにグレイは興味深そうに言う。


「魔族が魔力を失うなんて死活問題じゃない。況してやエルフともなれば」


「何とかならねぇのか?」


(……難しいと思います。魔力の消滅(マジック・ロスト)と言えば不治の魔病。一度発症してしまえば魔力を拒絶する体質になってしまう原因不明の病ですから。学生時代、寮の同室であった生徒も魔力の消滅(マジック・ロスト)が発症し、強制退学処分となりました)


「つまり、外部から魔力の補充も出来ないってわけか」


(はい。ですが、道具そのものに魔力を補充して使用する魔道具は問題なく使えます。あれは持ち主の魔力に左右される物ではありませんから)


 お手上げとばかりに肩を竦めるグレイにメラニーが悔しそうに唇を噛む。


「もどかしいわね。こんなに素敵な服を貰ったのに何もしてあげられないだなんて」


 俺達が彼女にしてやれる事は無い。恐らく彼女も俺達に何かを期待していることは無いだろう。

 それでも彼女は生きている。魔力を失っても尚、懸命に。現実と向き合って、今の自分に出来ることを考えて行動している。

 もし突然、魔法が使えなくなったら……俺は、どうなってしまうのだろう?


「あ、ライさん! 帰って来てたんですね」


 偶々通りかかったロットが駆け寄って来た。

 当たり前と言われれば、今の彼は少年ではなく立派な青年へと姿が変わっている。

 理解はしていても少年だった頃の彼が脳裏にちらつく。それだけ俺の中で印象に残っているということなのだろうが。


「何処かに出掛けてたんですか?」


「あぁ、少し野暮用でな。それより何か問題は無いか?」


「さっき街の方も見てきましたが、特には」


「そうか」


 ロットの頭に手を置き、そのまま髪を撫でる。

 やはり昔とは違う。だけれど、全てが違うという訳でもない。


「あ、あの、ライさん?」


「ん?」


「これは一体……?」


 何やら困惑しているロットを見て考えること数秒。

 俺は漸く自分がやらかしてしまっていた事に気付いた。


「……っ! 悪い!」


 自覚した途端に恥ずかしくなって振り下ろすようにロットの頭から手を離した。

 完全に無意識だった。十二年前の彼の姿と重なって、つい子どもと同じ扱いをしてしまった。

 

「す、すまない、ロット。気持ち悪かったよな」


 最悪だ。男に頭を撫でられるなど屈辱的かつ鳥肌不可避案件じゃないか。


「い、いえ、少し驚いただけなので、その、気持ち悪いとかは無い、です」


 気を遣ってくれていると分かってしまうから尚のこと居た堪れない。……一層のこと、時間を巻き戻してしまおうか。


「あ、あの、本当に気持ち悪いとか思ってないんで! だから、その……また、」


「もぉ、ライ様ったら。ロットばっかり狡いわぁ。ワタシのことも撫、で、て♡」


 俺の右手を掴むなり自分の頬に添えるメラニー。ロットが何か言いかけていたような気がしたが、上手く聞き取れなかった。


「ライ様になら、どこを撫でられたって良いわ。確か人間の男って胸とかお尻とかが好きなのよね? ……触ってみる?」


 頬に当てていた俺の右手をメラニーは少しずつ自分の胸元へと移動させていく。ここにきて今の発言は冗談ではなかったのだと危機感を覚えた俺が振り払うよりも早く彼女の腕を掴んだ者がいた。


「……あら、どうして止めるの? 貴方には関係ないじゃない」


 メラニーの腕を掴んだのはギルだった。


「関係なくても見てて不愉快なんだよ。この人にバッチィもん触らせようとすんな」


「バッチィとは失礼ね。それに見たくないなら、さっさと何処かへ行けば良いじゃない」


「何で俺がテメェに気を遣わなきゃならねぇんだ。テメェが変な気起こさなきゃ済む話だろうが。自分(テメェ)の理性の管理くらい自分(テメェ)でしろ、痴女蜘蛛」


 ギルに掴まれたメラニーの腕から骨が軋むような音が聞こえた。


「じゃあ貴方は、きちんと理性を手懐けてるって言うのね。その割には手に力が入り過ぎてると思うけど?」


「論点を擦り替えんな。昔から思ってたが、テメェには遠慮ってもんが()ぇのか」


「遠慮? 何よ、それ。どうしてワタシがライ様のことで誰かに遠慮しなきゃいけないの」


「俺が言ってんのは本人に遠慮しろって事だ。困ってんのが分からねぇのか」


「困ってるなんて一言も言ってなかったじゃない」


「そういう顔してただろうが」


「知らないわよ、そんなの」


 止まらない二人の口論。止める者はいない。

 こういった遣り取りを見るのは初めてではないのか、皆、特に焦った様子もない。

 念話(テレパシー)でグレイに助けを求めたが「無理です」と即答されてしまった。薄情者め。

 ……こうなったら自分で何とかするしかないか。元はと言えば自分で蒔いた種だしな。


「お前達、人を挟んで喧嘩するな」


 二人の口論がピタリと止んだ。


「ギル、手を離してやれ。メラニー、お前もだ」


 二人とも俺の指示通りに動いてくれている。よし、これなら何とかなりそうだ。


「それから……全員、さっき見たことは忘れろ。口外もするな」


(魔王様、それだと矛盾している気が)


「分かったな?」


 こんな時でさえ余計なことを言おうとするグレイを遮り、俺はこの場にいる全員に約束させた。

 無意識だったとはいえ行動一つで、ここまで発展してしまうとは。

 日頃の行動から改めねばと新たな決意を抱いたところで俺はギルを連れてギィルの所へと向かった。

 偶然とはいえ、ギィル達の式典用の服も手に入れた。その報告と、あとは簡単な打ち合わせでもすれば事足りるだろう。

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