374話_知らぬが仏
「なぁ、グレイ。それまで当たり前に居た人間が記憶ごと己の存在を抹消したとしたら、どんな理由があると思う?」
あれからラツェッタとガーシャに村に送り届けた俺は自分の城へと帰って来ていた。
まだまだ式典まで時間があるため、今は書斎で書類の山を片付けている。
(は? 何ですか、急に。何かの謎掛けですか?)
「違う。以前、王都の城にグリシャという従者がいたんだ。でも今日、彼のことを聞いたら誰も憶えていなかった。数多くいる使用人の中の一人ならまだ分かるが、彼はアレクシスの世話役だった」
(それなのにアレクシス様本人さえ彼を憶えていなかった、と)
俺が頷くとグレイは「それは確かに妙ですね」と顎に手を添えながら思案顔を浮かべた。
(単純に考えるなら誘拐による記憶操作ですが……王族の人間なら兎も角、あえて世話役を攫う意味が分からない。仮に身代金が狙いなら、そもそも記憶を消す必要もありませんし)
「あぁ、だから俺は彼が自分から皆の記憶を操作して姿を消したと解釈した」
(ですが、それなら何故、貴方は憶えているんでしょう? 完全に自分の存在を無かったことにしたいなら一度でも面識のある方全員の記憶を操作する必要がありますよね)
それが出来なかったか、或いは……敢えてしなかったか。
俺は魔剣の効果で強制的に眠らされていたわけだし、魔法の効果が届かなかった可能性はあるが。
(気になるんですか? そのグリシャという方が)
「奴は俺が魔王であったことを知っていた。少なくとも前世を知っている人物。しかも俺と何らかの繋がりがあった可能性も高い」
(その根拠は?)
「十二年前、グリシャは俺のことを〝我が愛しの魔王陛下〟と言った。それに俺の力が不完全であったことも見抜いていた」
(それは、つまり魔王様の魔力が二分割されていたことを知っていたという事ですか?)
「恐らくな。だが、俺はグリシャという名前に心当たりが無い。お前は、どうだ?」
(俺も聞いたこと無いですね)
となれば、やはり偽名か。
姿も昔と変えているとすれば尚更、特定は困難だ。
「ま、考えても分からないことに頭を悩ませても仕方ないか」
(そうですね。とりあえず今は、この書類の山をどうにかしましょう。それに夜の式典の準備もしないと。同伴させる方は決まってるんですか?)
「あー、その事なんだが……ギィルに付いて来てもらおうと思ってる」
(ギィル、ですか?)
グレイは意外そうな顔をして俺を見る。
「ギィルは貴族の血を継いだ人間だ。貴族社会のことは彼奴の方が詳しいだろ」
(なるほど。懸命な判断だと思います。特にギルではなくギィルを選んだ点については)
「ギルも考えたんだが、彼奴はああいう堅苦しい場が苦手だろ? 態々、本人が苦手とする場所に行かせるのもどうかと思って」
(……貴方の頼みなら、あの人は何処へでも付いて行くと思いますけどね)
もしかしてフォローしてくれているのだろうか。……その割には言葉に感情が込められていない気もするが。
「と言ってもギィルには、これから頼みに行くんだけどな。確か、まだ城内に居たよな?」
(えぇ、恐らく今はギルと一緒に倉庫の整理をしていると思います。残りは俺がやっておきますから魔王様はギィルを探しに行って下さい)
「悪い。出来るだけ、すぐ戻るから。じゃ、行ってくる」
(はい、ごゆっくり)
すぐ戻ると言っているのに的外れな言葉で送り出すグレイに違和感を覚えながらも俺は書斎を出た。
◇
グレイの予想通り、ギィルは倉庫で作業をしていた。
「ギィル、忙しいところ悪い。少し良いか?」
声をかけると彼は顔の汗を腕で拭い取りながら「分かりました」と返す。
倉庫の入り口付近に置かれた程よい高さの荷物に互いに腰かけた俺達。早速、式典への同行を頼んでみた。
「勿論、構いませんよ。僕で良ければ御供します」
「ありがとう。助かる」
「ですが、一つだけ条件が……ギルも連れて行ってあげて欲しいのです」
「ギルを?」
ギィルの意図が分からず、問いかける。
「一般的に貴族が付き添わせる従者は用心棒の役割も兼ねています。戦闘経験は僕よりもギルの方が多い。万が一のことが起こった時、頼りになるのはギルです」
「そうしたいのは山々だが、連れて行けるのは一人だけなんだ」
「そういう事なら僕達がもう一度肉体を共有すれば良い。勿論、可能ならばの話ですが」
「まぁ、出来なくはないが……お前達は良いのか? せっかく別々の身体になったのに。それにギルの意思も聞いてみないと」
「俺も、それで構わねぇよ」
背後から声が聞こえて振り返ると少し不満そうに見える顔をしたギルが此方を見下ろしていた。
さっきから気配は感じていたため大して驚きはしなかったが、自ら話に加わってくるのは予想外だった。
「本当に良いのか? 昔、もう貴族の集まりは懲り懲りだとか言ってなかったか?」
「まぁな。でも、アンタが絡んでるなら別だ」
何がどう別なのか分からないが本人が言うなら問題ない……のか?
「……分かった。じゃあ頼めるか、二人とも」
「あぁ」
「お任せ下さい」
結局、俺はギルとギィルの両方に同行を頼むことにした。
彼らと別れた直後で、これなら最初からギル一人に頼めば済む話だったのではとも思ったが、今更言い出すことも出来ず、そのまま書斎へ。
グレイに報告すると「なるほど、そうきましたか」と半ば感心した声色で訳の分からないことを呟かれた。




