45話_元魔王は、まだ気付かない
この世界の住人は優しいのか、それとも節穴なのか。
模擬決闘で、何もアクションも起こさなかった俺について指摘した者は1人もいなかった。
いいとこ取りしたようで、どうも気分が悪いので、せめて理解者を1人でも増やそうと模擬決闘での事を全て、グレイに話した。
全て話し終わった後、グレイが開口一番に放った言葉が、これだ。
『楽が出来て良かったじゃないですか』
コイツは〝元〟とはいえ、本当に俺の部下だったグレイ・キーランか?
本に視線を向けたまま、その一言だけが書かれたボードを見せられた時、さすがに心が折れそうになった。
褒めてくれとは言わない。寧ろ、止めてくれ。想像しただけでも気持ち悪い。
だが、せめて、ほんの少しでもいいから興味を持ってほしい。そんな想いを込めて視線を向けたが、俺の想いが彼に通じることは無かった。
今、彼の中での俺は空気と同じ存在なのかも知れない。
理解者を得られないと悟った俺は、グレイの部屋を出ようと渋々立ち上がった。
彼に背を向けた瞬間、背後でトントンと何かを叩く音がして思わず振り返ると、新たな文字が書かれたボードがグレイの側にある机に置かれていた。
『もし、今でも貴方が魔王以外の道を歩みたいと思っているのなら、下手に目立つような行動は慎んだ方が良いですよ』
忠告めいた言葉に訝しげな表情でグレイを見たが、彼は相変わらず、小さな文字の羅列を追っている。
何故だ? と、尋ねるつもりは無い。
尋ねたところで、少なくとも今の彼から答えが貰えるとは到底思えなかった。
それに何より、まだ、この話題には深く触れてはいけないような気がした。
彼の生真面目な性格を表すかのように一定の速度で捲られていく頁を数秒ほど見つめた後、静かに部屋を出た。
(……あの様子を見る限り、何も気付いていないな。あの鈍感魔王)
辛辣な言葉が彼の心から漏れたのも知らず、廊下を歩いていた俺は寒気もしないのに嚔をした。
◇
模擬決闘で、難無く勝利を収め、早くも数日が経った。
今回の件は瞬く間にギルド中に広がり、それは次第にギルドという枠を超えて学校にまで広がっていった。
お蔭様で、顔も名前も知らない通りすがりの生徒達がチラチラと視線を向けるほどに有名になってしまった。
お蔭様ついでに、俺に対するカリンの態度が、更に悪くなってしまった。
(……勝ったと言っても、スカーレットとリュウしか活躍していなかったんだがな)
誰にも言えないことを、ひっそりと心の中で呟いた。
そんな些細な変化はあったが、それから特別に何かがあったわけでもなく学校とギルドを行き来する生活が続いた。
適当にクエストをこなし、学校の授業や試験を真面目に受けた。試験といっても、大それたものではなく単なる筆記試験だ。
実技試験もあると聞いていたのだが、まだ後の方なのだろうか?
その中で、ひと騒動かふた騒動くらいはあったが、それらを、この場で語ったところで暇潰し程度にしかならないので省略させてもらう。
兎に角、そんな日常を繰り返していたら、いつの間にか初めてクエストに行った日から数ヶ月以上も経過していた。
ギルドの職員や数人の冒険者や魔法使い、そして勇者の数人とも、すっかり顔見知りになった頃、唐突にリュウが1枚の依頼書を見せてきた。
「なぁ、ライ。このクエスト、一緒に受けない?」
模擬決闘以来、一気に彼との距離が近付いた気が……いや、正しくは、彼が俺に心を開き始めた気がする。
見せてきた依頼書を手に取ると、筆で書かれた達筆な文字で一文だけ書かれていた。
(こんな薄っぺらい紙に、よくもまぁ、これだけ綺麗にしたためられたもんだ)
思わず飛び出した場違いな感想は置いといて、問題は内容だ。
《どうか、兄を助けて下さい》
詳細は不明だが、依頼主の切実な願いが込められた一文に胸が締め付けられるようだった。
(きっと、リュウの奴も、この一文に心を動かされて……)
感心したように依頼書からリュウへと視線を移すと、なにやら興奮した趣で詰め寄ってきた。
「見ろよ、これ! 依頼主は、なんと、あの鬼人族の頭領だって! しかも報酬は、この依頼を達成させた奴が望む物って……もう、これは行くしかないよなっ?! なっ?!」
(……少し前まで感心していた俺よ。絶対零度さながらの冷酷な視線を、コイツに向けてやれ)
呪文のように吐かれた言葉の通り、俺は養豚場の豚でも見るかのような目でリュウを見つめたが、今の彼には、そんな俺の視線すら通用しないらしい。
嬉々とした表情で既に手続きも終えている(しかも、俺も頭数に入れて登録したらしい)と言われた時は、つい先程までのやり取りはなんだったのかと頭を抱えるしかなかった。
グレイはなんと、今日、実技試験があるらしい。だから、クエストを受けることが出来ない。
(そういう俺も明日、試験なんだけどな……)
しかも、初めての実技試験。試験内容は当日まで分からないから、対策のしようが無い。
グレイを含め、先輩達は、どんな試験か分かっていた様子だったが、肝心の内容までは教えてくれなかった。
どうやら、対策されないように守秘義務のようなものが設けられているらしい。
アランとは、あれからタイミングが合わず、結局、今日まで顔を合わせることは無かった。
そんな理由で、今回のクエストは俺とリュウとスカーレットの模擬決闘メンバーで挑むことになった。
リュウとクエストを行くのは、これが初めてではないため、特別、戸惑うことは無い。スカーレットも懐いているし、このメンバーならある程度の事態は臨機応変に対応出来るだろう。
「行ってらっしゃい」
すっかり顔馴染みとなった職員に見送られながら、依頼主である鬼人の頭領がいる集落へと向かうため、転送装置に足を踏み入れた。周囲で電気が走り、少しずつ身体が光に包まれていく中で脳内に浮かんだのは、何故か数日前に自分に向けられたグレイの言葉。
──もし、今でも貴方が魔王以外の道を歩みたいと思っているならば、下手に目立つような行動は慎んだ方が良いですよ。
何故、今になって、あの言葉を思い出したのか分からない。
何かの暗示だろうか? それとも……
(なんて……俺の考え過ぎか)
思わず目を瞑ってしまうほどの眩しい光は、意識の消滅と共に、グレイの言葉をも、かき消した。
一瞬だけ乱れた風の音に、男はゆっくりと目蓋を開けた。
◇
(………………何者かが、村に侵入した)
木に寄りかかっていた身体を少しだけ起こし、男は刀に手を添えた。
(たが、鬼蜘蛛とは違う……やけに豊富な魔力を持った人間と、妖精と……スライム?)
悪意の類が一切感じられない気配だと分かると、男は再び木に寄りかかり、手は刀から離れて胸の前に組み合わせる。
男の額にある、先端が見事に折れている不恰好なツノに蝶が居心地良さそうに羽を折り畳んで留まった。
次回、《すれ違いの鬼人兄妹 編》突入。




