366話_寡黙な小人
屋根に取り付けられた看板は今にも落ちてしまいそうなほど大きく傾いていた。
近くで見れば見るほど建物の老朽化が目立つ。それに何度も修理されたのだろう。一部だけ色味の違う木板が打ち付けられている。
工房と聞いていただけに、その古びた様相に拍子抜けする。
アザミがドアノブに手を掛けるとガキンッと扉を開閉する時には聞こえるはずのない音が聞こえた。
「あー……また、やっちまったよ」
苦笑して振り返る彼女の手にはドアノブと思われる部品が握られている。
握力だけで折れてしまうほどドアノブが古寂びていたのか、それとも彼女の握力が異常なだけか。何れの理由にせよ、これでは中に入れない。
「ま、良いか。いつまで経っても、こんな古屋に住んでるアイツが悪い」
「へ?」
我ながら何とも気の抜けた声が漏れた瞬間、目の前にあった扉は真っ二つに割れていた。
「ガーシャ、中にいるんだろ? またドアが壊れちまった。もっと頑丈なの作った方が良いよ」
いや、あれは壊れたと言うより明らかに壊して……あ、いえ、何でもないです。
さすがにアザミのように遠慮なく中に入ることは出来ず、無惨な姿となったドアを入り口横の壁に立て掛けて「お邪魔します」と挨拶してから入った。
中は思っていたよりも小綺麗で何処に何があるのか大まかに把握できる程度には物が整理されていた。
まさに工房の名に相応しい必要な道具と材料だけが置かれた飾り気のない部屋だ。
「汚い部屋だろ? これでも綺麗になった方なんだよ。ラツェッタちゃんが頻繁に片付けてくれてるお蔭でね」
確かに物は多いが、汚いという印象は無かった。
掃除が行き届いていなければ床や机は埃まみれなはずだが、机に触れても埃やゴミのザラザラした感触は無い。
初めて部屋を目にした俺でさえ物の場所を粗方把握できてしまうのだから、この部屋の管理をしている者は余程の整頓上手と見える。
「ガーシャ! ガーシャ!! いないのかい?!」
アザミが呼ぶが、ガーシャは姿を見せない。留守なのだろうか?
更に部屋の奥へ進むアザミを追いかける。すると彼女は近く家具を動かし始めたかと思うと今度は蹲るような姿勢になって何かを探し始めた。
「何をしてるんですか?」
「この家はね、地下にも部屋があるんだよ。確か、この辺りに入り口が……えーと、何処だったかな?」
どうやら、この部屋の何処かに地下の部屋に通じる入り口があるようだ。
この空間に留まっているガーシャの魔力の残滓を辿れば、その入り口とやらが何処にあるか分かるかも知れない。
魔力感知でガーシャのものであろう魔力を感知。彼の魔力は机の真下で途切れている。恐らく、あの辺りに入り口がある。
床に散乱している部品を踏まないように机まで歩き、机下の床を何箇所か叩いてみる。
明らかに音が違う箇所が一箇所だけあり、よく見てみると引き戸のような掘りがあった。
「アザミさん、ありましたよ」
「おゃ、もう見つけたのかい。さすがだねぇ」
入り口を見つけたのは良いが、入り口はそう広くはない。俺も通れるか怪しいが、アザミは完全に無理だ。
「さて、入り口を見つけたのは良いけど……これじゃ狭くて進めないね」
「アザミさんは、ここで待っていて下さい。俺が行ってガーシャさんがいるか確認して来ます」
「気を付けるんだよ」
「はい、行ってきます」
魔法で子どもの姿になり、俺は地下へと続く階段を下りた。
手摺りはない。固めた土の上に木の板を敷いただけの簡単な階段。
全ての階段を下り終わると人一人通れる程度の広さの一本道。これなら迷うこともないだろう。
更に有り難いことに天井には電球が吊るされているため魔法で灯す必要も無い。
道中で土を掘り起こすための工具を見かけた。まだ、この通路は開発途中なのだろう。
数メートル先に一際眩しい光が見えて、その光を追い求めるように進んで行った。
目的地まで辿り着き、地中とは思えない眩しさに一瞬だけ目を細めると小さな人影が見えた。
人影は何が作業をしていたようだが、俺の存在に気付いたのか動きが止まった。
漸く目が光に慣れてきたところで俺も改めて人影を観察する。
小ぶりな身体には似合わない長くて立派な髭。顔は汚れていて、数日洗ってないのか髪は乱れている上に不衛生な光沢を放っている。
この男がレイメイやアザミが言っていたガーシャなのだと率直に理解した。
「…………」
ガーシャは何も話さない。お前は誰だと問いかけもしない。
ただ俺をジッと見つめている。俺が話すのを待ってくれているかのようにも思えた。
「突然すみません。俺はライといいます。実は貴方にお願いが」
「どうやって来た?」
「え? どうやってって……階段を下りて?」
質問の意図が分からず、事実そのままを答える。
相手は不服そうに目を細める。どうやら求めていた回答とは違ったらしい。
「……地下への入り口はワッシが毎回、場所を変えている。それに入り口には隠密結界も張っていた。どうやって見つけた?」
「結界?」
入り口に結界らしきものの存在は感じなかったが……
「お前、上の物には何も触れておらんだろうな」
「は、はい。特には何も……あ、」
俺は触れていない。が、アザミは違う。入り口を探そうと家具を少し移動させていた。
まさか、あれが原因で……? 恐らく彼が言う隠密結界とは自身の魔力を必要としない代わりに物や配置等の条件を揃えることで発動を可能とする手動魔法の事だったのだろう。
それにしても、また古典的な魔法を。現代では手間がかかるだけで利点が無い役立たず魔法とまで言われている手動魔法を、まだ活用している者がいるとは。
アザミが家具を動かさなければ隠密結界が上手く機能して見つかることもなかっただろうに。
「アザミさんが、その……家具を少々」
ガーシャの口から「またか」とでも言いたげな大きな溜め息が出た。
「…………依頼なら受けん。とっとと帰れ」
本題に切り出す前に先手を打たれてしまった。やはり正攻法では厳しいか。
止めていた作業を再開し、話を聞く気が無いことは一目瞭然だった。
「アザミさんから貴方は外部からの依頼を全て断っていると聞きました。何か、理由があるんですか?」
「…………」
その後も何度か言葉を投げかけてみたが、一度も返答は貰えなかった。俺が立ち去るまで無言を貫くつもりなのだろう。
素性の知れない相手からの依頼など俺でも受けようとは思わない。ここは一度退くのが通りなのだろうが、されとて抱えている事情が事情なだけに大人しく引き下がるわけにもいかない。
こうなったら先ずは俺に少しでも興味を持ってもらうところから始めるか。俺という存在に興味が湧けば話くらいはさせてもらえるかも知れない。
(何か話題を……そうだ、ラツェッタのことを言ってみるか)
興味のない相手の自分語りより彼が愛する妻を話題にした方が多少は警戒が薄れるのではと考えたのだ。
「そういえばヒメカさんの服、奥様が作られたそうですね」
「…………」
「夫婦揃って職人だなんて凄いですね」
「…………」
相変わらずの沈黙。視線すら寄越そうとしない。
これは中々に手強いな。一旦、退いた方が得策か?
レイメイ達のようにラツェッタがいなければどうにもならないのかも知れない。
しかしながら彼女がいつ戻るか分からない以上、悠長に待っているわけにもいかない。
何なら今からでも彼女を探しに行くか? エルフである彼女の魔力量を考えれば魔力感知で居場所くらい簡単に……
(……ん?)
そうだ。エルフは長生きであるが故に人間の何百倍も多くの魔力を蓄える。それこそ気が遠くなるほどの長い年月をかけて。
本来の力量を悟られないようにと放出される魔力を態と抑える術者は珍しくない。されど、どんなに魔力を抑えても無魔法者と同じにはなれない。
魔力を一切漏らさず封じ込めておくことなど不可能なのだ。
にも関わらず、工房で感知をした魔力は一人分。本人を目の前にしている今なら分かる。
あの工房で唯一感知できたのはガーシャの魔力だけだ。
アザミがラツェッタの存在を認識しているということは彼女がこの村の住人であることは間違いない。
(あえて残滓を消しているのか?)
仮にそうだとして、何の為に?
答えが返ってくるかどうかは分からないが、一応探りを入れてみるか。
「奥様は随分、用心深い方なんですね」
ガーシャの手が止まった。
俺を射止めるかの如く鋭い眼孔は真意を求めている。
「工房で魔力感知を使った際に貴方の魔力は感知しましたが、一緒に暮らしているはずの奥様の魔力は感知できなかったので」
まるで初めから彼処にラツェッタという人物など存在していなかったかのように。
「………………………………」
長い沈黙の後、ガーシャは持っていた工具を床に置いて脱力したように息を吐いた。
「……お前、アザミからラツェッタのことを何か聞いてるか?」
「はい、魔法の扱いが村一番だと」
俺の言葉にガーシャは感情のはっきりしない複雑な表情で笑った。
「確かに魔法の扱いは村一番だろうよ。何たってエルフだからな。だが、アイツはエルフにとっちゃ死活にかかわる重大な問題を抱えている。一生、背負って生きてかなきゃならねぇ。謂わば〝呪い〟だ。アイツはエルフでありながら自分で魔力を生み出せない。いや、生み出せなくなっちまったんだ。突然、何の前触れも無く」
感情の昂りからか急に饒舌となった彼の口から告げられたのは思ってもみなかった衝撃の事実。
原因不明な魔力の消失。魔法を扱う者であれば誰もが知っている悍ましい現象の名を俺は知っている。
「…………魔力の消滅」
宿敵に対する溢れんばかりの憎しみを押し殺したような表情でガーシャは頷いた。




