362話_魂の分離〈セパ・アニマ〉
「……良いのか?」
咄嗟に出たのが、その一言だった。
あれだけギルが反対していただけに、その意思を無視したギィルの申し出に困惑する。
「はい、構いません。俺達が二人になろうと貴方は平等に愛してくれるのでしょう?」
ギィルの返答に迷いは微塵も感じられない。
ギルが魂の分離を拒絶したのは、自分が捨てられるのを恐れたからとギィルは言っていた。
彼は信じているのだ。俺ならギルを手放したりなんかしない。以前と変わらぬまま接してくれる、と。
「魂の分離は、あくまで魂を分離するための魔法だ。ギルが目覚めるとは限らない」
「それでも試してみる価値はあると思います」
真っ直ぐ突き抜けるような声色からギィルの意思の強さが窺える。
今の俺なら魔法の失敗を恐れる必要も無い。アザミの腕を治した時と同じように、やれば良い。
「……分かった」
「ありがとうございます」
このまま帰城する予定だったが、急遽変更して俺達は魂の分離を行うための準備に取り掛かった。
魂の分離を行うには分離させた魂を入れる新たな〝器〟が必要だ。
理論上、最も理想的な器は人間の肉体なのだが、そんなもの用意できるわけが無い。
幸いにも、ここは森。木々なら腐るほど生えている。そこで今回は木を代用することにした。
極論を言えば、器は人間の肉体でなくても良い。魔物の死骸でも何なら人形でも代用可能だ。ただ出来るだけ人型に近いものが好ましい。
適当な木を風魔法で切り倒し、切った木材を人型に近付けるために細かな彫りや刻みを加えていく。まるで彫刻家にでもなった気分だ。
「……これを魂の器に?」
出来上がった等身大の木の人形を見ながら呆気に取られたようにギィルが呟いた。
その顔には不安の影が差している。まぁ、気持ちは分からないでもない。
「あぁ。今は単なる木の人形だが、魂が入れば見た目も感触も人間そのものになる」
「そう、ですか」
俺の言葉で少しは安心したらしい。
これで器の準備は出来た。魔物に襲われることは無いとは思うが、念のため結界は張っておくか。
「ギィル、そこの岩に人形を乗せてくれ。背中は後ろの木に凭れさせるように。終わったら、向かい側にある切り株に座ってくれ」
「分かりました」
ギィルが指示通りに人形を置き、切り株に腰を下ろしたのを確認すると俺は目を閉じて手を組み、魔力の解放に集中する。
「……これより魂の分離を開始する」
その言葉を合図に俺は解放した魔力の一部をギィルに注ぐ。
彼の体内に入った魔力を操作して彼らの魂を探す。
(……あれだな)
見つけ出した魂を魔力で包み込む、詠唱する。
「魂の分離」
一つに纏まっていた魂が少しずつ二つに分かれていく。
一体化していても元は別々の魂。境界は必ず何処かにある。
その境界を目印に綺麗に引き剥がしていく。傷付けないように、そっと丁寧に。
行っていることの原理としては小さな子どもが遊びで窓や壁に貼ったシールを剥がすことと何ら変わりはないが、そのシールが破けた時点で魔法の失敗を意味する。故に、最後の最後まで気が抜けないのだ。
額から噴き出した汗が流れ落ちてくるのが分かる。今は、その汗を拭う余裕すら無い。
気にしなければならないのは魂の状態だけではない。魂の器である宿主にも気を配らなければならない。
魂に直接処置を施しているわけなのだから宿主に何かしら影響が及ぶのは当然だ。術者は、その影響を出来るだけ最小限に抑えてやらなければならない。
「くっ、……」
ギィルから小さく呻き声が聞こえる。
彼は今、外部から自分以外の魔力が侵入したことによる異物感と魂の分離による肉体的及び精神的負荷と戦っている。
長時間の発動は危険だ。早急に終わらせなければ。
(よし、これで……っ、)
魂が完全に分離したことを確認した直後、即座にギルの魂を木の人形に移す。
(…………魂、宿主、共に異常なし)
無事に全ての工程が終わったことを確認し、俺は結界を解いて、その場に座り込んだ。
「っ、はぁ! ……疲れた」
全てが終わった頃には汗は首筋を流れ、服に染みを作っていた。
「ギィル、気分はどうだ?」
「少し吐き気がしますが、それ以外は特に問題ありません」
「そうか。暫く休めば時期に吐き気も治まるはずだ」
魔力越しとはいえ魂を直に触られているんだ。吐き気だけで済んだのなら、まだマシな方だ。
岩に座らさられた木の人形はギルの姿へと成り変わっている。器に魂が上手く馴染んだ証拠だ。
「……ギルは大丈夫でしょうか?」
「魔法は成功した。目覚めるかどうかはギル次第ってとこだな」
服に付いた土埃を払いながら立ち上がると俺はギルに歩み寄った。
目の前まで来ても彼が目覚める様子は無い。中腰になって顔を覗き込んでみるが、やはり何の変化も無い。
こうして改めて見ると実に整った顔をしている。髪も触り心地が良さそうだし、肌も荒れていない。
悪魔の中でも容姿に恵まれた種族の血を引いているだけはある。
まじまじと観察していると、一枚の葉がギルの頬を撫でるように落ちていった。
「ん、」
身動いだギルから声が漏れる。
ゆっくりと開かれた目。夢から覚めたばかりの朧げな顔が俺の存在を認識しようとしていた。
「………………魔王様?」
「あぁ、そうだ」
答えると、ギルは足の踏み場もないほどの散らかった部屋を歩いているかのように目を細め、やがて何かに納得したような顔をした。
「そうか、アンタがいるってことは俺は死んじまったのか」
「は?」
何故、そうなる? ……いや、待てよ。もしギルの記憶が十二年前で止まっているのだとしたら。
「ギル、お前どこまで憶えてる?」
「あ? どこまでって……アンタが死んだってグレイに聞かされて、ギィルに全部を託したとこまで」
やはり、俺が復活したことは把握していなかったらしい。
「ここが死後の世界か。思ってたより普通だな。まぁ、アンタと一緒なら、それはそれで悪くねぇ」
「いや、ギル、実は……」
「貴方は死んでないですよ、ギル! 魔王様も、あれから生き返ったのです!」
俺が真実を告げる前に、ギィルが情緒もなく割り込んできた。
「……あ? 何で、ギィルの声が聞こえんだ? まさかアイツも死んだのか?!」
「だから、誰も死んでないんですってば! ギルも魔王様も皆、生きてるんですよ」
ギィルとギルが対面する。お互いに実体で顔を合わせるのは、これが初めてだろう。
「ギィル、お前……何で」
「魔王様にお願いして僕等の魂を切り離してもらったんです。貴方に無断でしたことは謝ります。でも、こうでもしないと貴方は起きてくれないと思ったから」
「…………」
「……ギル、怒ってます?」
「……色々、処理が追いつかなくて怒る気にもなれねぇよ」
ぶっきらぼうな言葉の割に、その声色は不思議と皮肉の響きが無かった。




