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358話_自己嫌悪

 リュウやマリアの時と同様にアンドレアスにアレクシス、レイメイとも再会の抱擁を交わしていく。


「ライ様ぁ〜♡ また会えるってワタシ信じてたわぁ〜♡」


「おい! いい加減、ライさんから離れろ! 次は僕の番だぞ!」


 そうしている間に目の前には俺との抱擁を求める列が出来上がっていた。


「でも、これで証明されちゃったわねぇ」


「……証明?」


 一抹の不安を覚えながらも「何の証明だ」と俺は尋ねる。


「決まってるじゃない。ワタシとライ様が神様に引き裂けない強固な愛の糸で繋がれてるって証明♡ キャッ♡」


「む! ならば我とライ殿は神すら介入を許されないほどの強い友情で結ばれているという事だな!」


 メラニーの発言を受けてアンドレアスが良いことを思い付いたとばかりに声を上げる。

 やっぱり尋ねるんじゃなかったと今更後悔したところで、もはや意味は無い。

 あれから十年以上も経っているのに成長したのは外見ばかりで中身は、あの頃のまま。

 本来であれば呆れるべきところなのだろうが、それ以上に嬉しいと思ってしまっている自分がいる。


(魔王様)


 いつの間にか俺の隣にいたグレイが俺を名前ではなく魔王と呼ぶ。

 視線だけ向けると、眼鏡越しの彼の色違いの瞳もまた此方を見ていた。そして何も言わず、ある方向を指差した。

 グレイが指差した方を見ると、車椅子に座っているアランが肘掛けを支えにして立ちあがろうとしていた。

 アランの下肢が上手く機能しなくなっていたことは知っていた。今日まで何回ものリハビリをこなしてはいたが、未だ快方に向かう兆しが無かったことも。

 そのアランが自力で立ちあがろうとしている。自分の足で俺の所まで来ようとしている。


「よせ、アラン! お前は、まだ一人じゃ歩け……っ、?!」


 止めようとしたヒューマの声が止む。

 アランに付き添っていたミカデスは口元を押さえ、見開かれた瞳からは涙を流している。

 アランは自分の足だけで立っていた。多少のぎこちなさはあるものの、その足は確かに前進している。

 それまで杖なしでは満足に立つことも出来なかった彼が一歩一歩前へと踏み出しながら俺に歩み寄って行く。

 その光景に誰もが言葉を呑んだ。つい先ほどまで騒いでいたメラニーやアンドレアスでさえも。


「っ、ライ!」


 伸ばされた手を掴める距離にまで俺達は近付いていた。

 捕まれた手を引かれ、体勢を崩した俺達は重なるように地面に倒れ込んだ。

 咄嗟だったとはいえアランを下敷きにしてしまったことに気付いた俺は慌てて身体を起こした。


「わ、悪い!」


「どうしてライが謝るのさ。君を引っ張ったのは僕だよ」


「そ、れはそうだが、お前、足は……」


「君も見ただろ。僕が、ここまで一人で歩いて来たところを。だから多分、もう大丈夫なんじゃないかな」


「そんな適当な」


「ねぇ、ライ。僕、君に話したいことが沢山あるんだ」


 アランの顔は涙で濡れていた。

 必死に笑顔を作ってはいるが、その口元には不自然な歪みがある。


「でも、その前に先ずは君に謝らなきゃ。ごめん、僕のせいでライや皆が……」


「お前のせいじゃない。全部、魔王のせいだ」


「だけど、僕は魔王に……!」


 魔王に意識を乗っ取られていたことはアラン自身も自覚していたらしい。

 それ以上は言うなと俺はアランの口に人差し指を添える。


「アラン、お前は今や魔王を倒した英雄なんだろ? その英雄様が泣き虫だって知られたら笑われるぞ」


「…………ライは、それで良いの?」


 真相を知っているアランは俺を差し置いて英雄と称されることに罪悪感を抱いているようだ。

 しかし、真相がどうであれ世間が彼を英雄だと認めているならば、それを態々覆す必要は無い。

 称賛や名誉なんか要らない。俺が欲していたものは、もう既に揃っているのだから。


「皆が認めてるってことは、元々お前自身にその素質があったってことだろ。……英雄は、お前だよ。アラン」


 魔王()を倒した、あの時から。

 俺に真実を告げる意志が無いと分かると感情の糸が切れたようにアランの目から涙が溢れ出す。


「酷いな、君は……僕に恩返しすらさせてくれないの?」


「そう簡単にコロコロと英雄が変わったりしたら、それはそれで問題だろ。それに、そんなことをすれば、お前は英雄から一気に嘘吐きへと格下げされてしまう」


「こんな時まで僕の心配か。本当、お人好しが過ぎるよ」


「誰もが欲しがる英雄の称号を躊躇いなく譲渡しようとしたお前に言われたくないな」


「僕は然るべき対応をしようとしたまでだよ」


「そういうの屁理屈って言うんだぞ」


「その言葉、これまでの君にそっくりそのまま返すよ」


 突発的に始まった睨めっこは互いに笑い出したことで数秒にも満たない時間で終了した。


 それから間もなく十二年ぶりに王都へと足を踏み入れた俺は身体に異常が無いかを調査するため聖女(アムネ)の管理病棟に入院することとなった。

 ミカデスの話では異常が無いと分かれば数日で退院できるとのことだが、つまりは少なくとも数日の間は病棟から出られないというわけだ。

 それでも案外、退屈することはなかった。有り難いことにリュウやグレイ達が毎日、見舞いに来てくれた。レイメイやロット、メラニー達もだ。


「ライ様。はい、あーん♡」


「……自分で食えるよ、メラニー」


 本当に色々な意味で退屈を感じる間もない数日間だった。

 健康面での異常が確認されなかった俺は予定通り退院することとなった。

 退院当日、アルステッドに呼び出された俺は魔法学校に来ていた。原則、部外者は入ることが出来ないが、事前に理事長が話を通してくれていたようで難なく入ることが出来た。

 あれから十二年も経っているが、建物の構造内装は昔と殆ど変わっておらず、良い意味で時間の経過を感じさせない。

 それでも時間が経過しているのは確かで同級生の姿は無く、教員も見慣れない顔ぶればかりだ。

 それが、少し……ほんの少しだけ寂しい。


(魔王様!)


 俺の姿を見つけて駆け寄って来たグレイに不覚にも安堵を覚えた。


(すみません、お待たせしました)


「いや、俺も今来たばかりだ。それより悪いな。お前だって忙しいのに」


 グレイと並んで歩き出す。通りすがりの生徒達の視線が痛い。


(理事長にも困ったものです。何も退院直後に呼び出さなくても)


「それだけ急を要する用事ってことだろ。例えば、今後の事とかな」


(……あぁ、確かに)


 形式上、俺はまだ学校を卒業していない。

 リュウの計らいで寮部屋は当時のまま残しているとの事だが、そうなると十二年前のように一生徒として学業に勤しむ日々を過ごすことになるのだろうか?


(いえ、それは無いと思います。貴方は卒業式を迎える以前から卒業に必要な単位は取得できていましたから)


「何で、お前が俺の単位取得状況を知ってるんだ?」


(一応、教師ですから。内部の情報の閲覧なんて朝飯前ですよ)


「そういや、そうだったな。……そうか、お前が教師か」


(意外でした?)


「少し、な。お前が教壇に立って生徒に教える姿が想像できなくて」


(失礼な。これでも生徒達からは〝分かり易い〟って評判なんですよ)


「へぇ」


(……信じてませんね)


 不満そうに目を細めるグレイを見上げ、その体格に不似合いな子どもらしい表情に思わず頬が緩んだ。


「信じてる。信じてるよ」


(いいえ、それは信じてない方特有の物言いと表情です)


「生徒達からは好評なんだろ、グレイ先生」


(茶化すのは止めて下さい)


 グレイが教師になってまで学校に残った理由。本当は知っている。俺の為だ。

 俺を取り戻すためにリュウ達と協力していたのだ。

 元々、優秀な彼だ。わざわざ学校に残らずとも名のある研究所にだって就けていたはず。

 そうしなかったのは何よりも俺のことを最優先にしたからだ。

 グレイの数ある未来を俺が潰した。その事実に何とも言いようのない罪悪感が過ぎる。


(言っておきますが、俺は後悔なんてしてませんから)


「え?」


 唐突に立ち止まったグレイは俺を見下ろした。


(全て俺が自分で決めたことです。確かに研究は好きですが、今の仕事にもやりがいは感じていますし。それに教師になったって研究は続けられます)


「…………」


 それでも、やはり彼なりに目指していたものがあったのではないかと思うとグレイの言葉を素直に受け取ることが出来ない。


(魔王様、この際だから申し上げておきますが、俺にとって最優先事項は貴方です。俺がグレイ・キーランとして成立するには貴方の存在が必要不可欠なんですよ)


「……それは昔の話だろ」


(今でも変わりませんよ。立場や関係性が変わった程度で貴方の存在価値は揺るがない。今も昔も俺は貴方がいないと駄目なんです)


「大袈裟な奴だな。お前なら一人でも充分にやっていけるだろ」


 笑いながら返したが、グレイの顔を見て自分でも分かるほどに顔が引き攣った。

 グレイは今にも泣いてしまいそうな顔で笑っていたのだ。

 今のは偽りの言葉などではない。心からの言葉なのだと、そう実感させられるほどの悲痛な表情だった。


(昔、貴方に救われた時から貴方は俺の……俺達の生きる意味になった。魔王様、貴方が思っている以上に俺達は貴方に恩義を感じているんです。ですが、その恩に報いる前に貴方を失った。だから、今度こそ……)


「…………」


 まだグレイは知らない。俺が魔王となった本当の理由を。

 いつかは真実を話さなければならない。お前達が恩を返そうとしている相手は救いようのない程に身勝手な奴だという事を。

 そして、お前達は愛する感情を制御できなかった俺への罰を一緒に背負わせていたに過ぎなかったのだと。

 真実を知ったら彼らはどんな顔をするだろう? 怒るだろうか。若しくは幻滅されるかも知れない。

 だが、それで良い。彼らが無意味な使命感から解放されるなら。


「……そろそろ行こう。理事長が待ってる」


 今は、まだその時ではない。そう言い訳をして俺はグレイとの会話を切った。

 俺の覚悟など所詮、その程度。グレイ達が俺を手放せないのではない。俺が彼らを手放せないのだ。

 なんて我が儘なのだろう。彼らには真実を知る権利があるというのに拒絶されるのが怖いから言いたくない、なんて。

 自分を認めてくれる、受け入れてくれる彼らと歩む権利など、とうの昔に剥奪されているというのに。

 後ろからグレイの足音が聞こえる。気不味いのか隣に来ようとはしない。

 俺も今は彼と肩を並べて歩く気にはなれなかった。自分には、もう隣に並ぶ資格すら無いのだと思った。

 ただ早くこの時間が過ぎて欲しくて、この心臓を掴まれたような息苦しさから解放されたくて、足早に理事長室へと向かった。

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