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356話_亡霊に切符は要らない

 人間は、その身一つで永続的に水中にいることは出来ない。潜水できる時間に個人差はあれど、呼吸をするために必ず水面に浮上する。

 (まさ)しく、()()()()で俺は目覚めた。

 俺がいる城は今、毒の霧(ポイズン・ミスト)に覆われている。即死レベルの猛毒にも多少なりとも耐性があるとはいえ長時間の滞在は流石に不味い。

 先ずは、この霧を何とかせねばと目を開けたところまでは良かったのだが……まさか自分の唇が誰かに塞がれているとは思いもしなかった。

 毒の霧(ポイズン・ミスト)の影響を受けない者の仕業であると考えれば、この唇越しに感じる熱は誰のものなのか自ずと推測できる。

 

(……何をしているんだ、ウル)


 何故、このような状況になっているのか。

 本人に問いかけようにも口を塞がれているせいで声が発せられないから念話(テレパシー)で問いかける。

 唇から熱が離れるとニコニコと屈託のない笑みのウルとエドがいた。


「……っ! ……っ!」


「……………、……!」


 口を開けては閉じてを繰り返して何かを伝えようとしているが、如何せん声が出ないものだから何を言っているのか全く分からない。

 人魚である彼らの下半身は今は尾鰭ではなく人間の足。この状態の時の彼らは声を発することが出来ない。


(落ち着け、お前達。何の為の念話(テレパシー)だ)


 人間の足になり、声を失ったところで彼らとっては大した問題ではない。何故なら、彼らは念話(テレパシー)が使えるのだから。

 たった今そのことを思い出したとばかりの顔をしたところを見ると、今の今まで忘れていたようだ。


(おはよう、ライ。目が覚めたのね、良かった!)


(おはよう、ライ。このまま目覚めなかったら、どうしようかと思ったよ)


「……おはよう」


 そもそも今が朝なのか夜なのかも分からないが、とりあえず俺も彼らと同じ挨拶で返した。


(ところでエド、わたしがキスをした時にライが起きたってことは、わたしがライのオウジサマってことで良いのよね)


(何言ってるのさ、ウル。ライに最初にキスをしたのは、ぼくだよ。だからオウジサマは、ぼく)


「ちょっと待て」


 キスとか王子様とか、さっきからお前達は何の話をしているんだ。


(昔、ライが教えてくれた人間が作った御伽話にオウジサマがキスでオヒメサマを目覚めさせる話があったでしょ?)


(だから、ぼくたちもライを起きるまで交互にキスしてみようって)


 うん、なるほど。全く分からん。

 そもそも個性的というかマイペースというか、とにかく二人の会話に混ざろうと思うのが間違いだったか。


(それだけじゃないわ。あのままにしていたらライの身体が毒に侵されちゃうから、わたしたちの毒で中和していたのよ)


 つまり十数年もの間、毒が常に漂っている場所に放置されていたにも関わらず、俺の身体が毒に侵されずに済んだのは二人のお蔭というわけか。


(……いや、城で待っていた時間を含めれば約二十年か)


 城内で再会した時、彼らは十年近く俺の帰りを待っていたと言っていた。

 人魚の寿命は人間よりは長い。最後に会ってから十年経っているのに二人の容姿は、あの頃と殆ど変わらない。

 それでも彼らの人生において貴重な二十年だったはずだ。


「ありがとう、二人とも」


 今日まで俺を生かしてくれて。帰ってくると信じて待っていてくれて。

 感謝を伝えれば二人は嬉しそうに頬を緩ませて飛び付くように抱きついてきた。


(やっぱり、わたしがライのオウジサマで決まりね!)


(だから、ぼくだって!)


 もはや終わりの見えない不毛な言い争いに俺は我関せずの態度で押し通すことにした。


(ねぇ、ライ。わたしが貴方のオウジサマよね)


(違うよね、ライ。ぼくが君のオウジサマだよね)


「ア、ハイ」


 無理でした。


 ◇


 目覚めて早々に一悶着あったが、何とか収拾がついたところで周囲の毒の霧(ポイズン・ミスト)を晴らすことにした。

 その為にも一先ず二人には階下の水槽に入ってもらうことにした。

 十数年越しに感じる我が身の重みは尋常ではなかったが、それ以外には特に変わったところはない。

 筋力低下で歩くどころか起き上がることも出来ないと思っていたが、その心配も杞憂に終わった。二人曰く、俺が眠っている間も体内の魔力が自発的に治癒魔法(ヒール)を発動してくれていたらしい。

 今にも崩れ落ちそうな城を修復しながら階段を降り、修復した水槽に彼らが入ったのを確認すると同時に俺は水槽に映っている自分自身の姿を見た。

 当たり前と言えば当たり前のことなのだが、成長している。身長も大分伸びているし、顔つきも変わっていて自分じゃないみたいだ。

 何より一番の驚きは髪の長さだ。短髪だった髪が今では腰辺りまで伸びている。前髪も伸び切ってしまっているため鬱陶しいこと、この上ない。

 とりあえず前髪は魔法で適当な長さに整え、後ろ髪も括って一つに束ねてみた。


(…………こうなると、もはや別人だな)


 この姿で皆に会ってライ・サナタスだと気付いてもらえるだろうか?

 そんなことを考えていたら理由は分からないが何だか笑えてくる。


「あっ! 見てよ、ウル。ライが笑ってるよ」


「まぁ、本当! ライ、可愛い♡」


 目覚めてから数十分足らずにして俺は思い知らされた。

 緩みきった表情を誰かに見られ、更には追い討ちをかけるかの如く指摘されるのが、こんなにも恥ずかしいものなのだという事を。

 咳払い一つで誤魔化して俺は城や森を覆っている毒の霧(ポイズン・ミスト)を一気に消滅させた。


「わぁ、凄い! あっという間に霧が無くなっちゃった」


「さすが、ぼく達のライだね!」


 大袈裟な気がするが、何にせよ、称賛されるのは心地良い。

 霧が晴れたことで空や森に囲まれた明るい光景が顔を出す。

 俺が人間として生まれ、育った世界。本当に戻って来れたのだと改めて実感する。


「ライ、これからどうするの?」


「そうだな。とりあえず彼奴等に会いに行こうと思う」


「えぇ?! このまま昔みたいに、わたし達と一緒にお城で暮らすんじゃないの?!」


(昔みたいに、か)


 この先のことは分からないが、昔とは色々と立場が違う今、それを現実にするのは難しいだろう。


「ぼく達はライと一緒が良いよ。ライは違うの?」


「そんな訳ないだろ。俺だってお前達と一緒に……」


 その先の言葉は呑み込んだ。今は、まだ言うべきではないと思ったからだ。

 この城の所有権が誰なのかも分からない状態で返事をするのは、あまりにも無責任だ。


(まぁ、とは言っても毒の霧(ポイズン・ミスト)に覆われているから人が住めるような場所でもないし、所有権が存在するかどうか以前に此処に城があることに気付いていたかも怪しいな)


 何れにしても、確認してからでも遅くはない筈だ。

 何なら誰も立ち入れないように城の周辺だけ霧を復活させるのも良いかも知れない。


「俺には、やらなきゃいけない事や確認しなきゃいけない事がある。あれからグレイ達がどうなったか気になるし、それに色々と情勢も変わっているだろうしな。だから、今すぐには無理だが……必ず此処に戻って来る。今度はグレイ達も一緒に。だから、もう少しだけ待っていて欲しい」


 エドとウルは悲しそうな顔をしたが、それでも俺に気を遣わせまいと必死に笑顔を作る。その健気な様に心が痛んだ。


「うーん、分かったよ。あ、でも、グレイ達は別に良いかな。ぼくはライがいれば、それで良いし」


「わたしも!」


「…………」


 冗談なのか本気なのか分からない彼らの言葉に俺は何も返すことが出来なかった。


 それから彼らとは軽い別れの言葉を交わし、俺は入り口を目指して階段を駆け降りる。

 瞬間移動(テレポーテーション)を使えば一瞬で外に出られるが、今は自分の足で出たい気分だった。

 霧を晴らした時から感じる複数の魔力を辿って走る。エドでもウルでも況してや自分のものでもない魔力を。

 城を出て、今度は森を駆け抜ける。此処から、そう遠くはない。

 高い木々の隙間から高台に多くの人影が見えた瞬間、俺は無意識に瞬間移動(テレポーテーション)を発動させていた。

 見晴らしの良い高台に景色が一変し、皆の驚いた顔が目の前に現れる。

 あの真っ白だらけの世界にいたのは、あんなに短かったのに、こんなにも懐かしい。

 涙が溢れ出そうになるのを何とか耐え、驚いた表情のまま硬直している彼らに態と意地の悪い笑顔を見せながら言った。


「ただいま!」


 硬直状態から解放されて真っ先に駆け寄って来たリュウの力強い抱擁を受け止めながら俺は湧き上がる周囲の歓声に聞き入るように目を閉じた。

次回、《帰ってきた英雄 編》突入

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