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353話_兎〈クローリク〉好きの乙女

「ライ様〜? ライ様、いないのぉ〜?」


 ここ最近、メラニーがライを探す頻度が増えた。城にいる者なら誰もが一度は思ったことだ。

 鬼蜘蛛(オグル・スパイダー)である彼女が人間の容姿に近いライに探し回る様は完全に〝魔物と人間による命懸けの隠れんぼ〟と同列の状況であるが、城で暮らす者達にとっては大して珍しくもない日常的な光景であるため彼女の行動を今更指摘する者はいない。

 皆、口に出さないだけで気付いている。ライが一日に外出する回数が増えたことも、外出時間が延びたことも、そして……彼の表情や雰囲気が以前と比べて穏やかになったことも。


「あ、ライ様! やっと帰って来たのねぇ。もう、また森に行っていたの?」


「あぁ」


「毎日毎日、飽きないわねぇ。……一体、森で何をしているのかしらぁ?」


 メラニーが尋ねるとライは何も答えない代わりに「お前には関係ない」と視線で訴えた。

 彼らの中では何度も交わされた遣り取り。メラニーはライが答えることはないと分かっているから、それ以上の詮索はしない。ライもまた彼女が同じ話題に触れることはあっても深掘りする性格ではないと知っているため特に何かを言うこともない。

 とはいえ、表向きでは納得した素振りを見せても、やはり気になるものは気になるわけで。

 こっそりとライを尾行したり、遠回しに尋ねてみたりと様々な手段を講じたものの、めぼしい成果は得られなかった。

 そんな同居者達の好奇な視線を掻い潜り、今日もまたライは森へとやって来た。

 理由は一つ、〝彼女〟に会うためだ。


「あ、良かった。今日も来てくれた」


 彼女は、いつもの場所にいた。ライと初めて出会った場所に。

 あれから改めてライに「森に来るな」と忠告されたにも関わらず、彼女は森に通い続けた。

 森に行けば、こうしてライに会える。それが彼女の密かな楽しみであった。


「貴様も飽きないな」


 会いたくないなら森に来なければ良い。或いは、彼女がいる場所を避ければ良いだけのこと。

 そうしないのは何故か、それを態々問うほど彼女は野暮な性格ではない。

 何だかんだ言いながら目の前に現れるということは向こうもそれなりに自分と過ごす時間を楽しんでくれているという事なのだと彼女は理解していた。


「ねぇ、ライ。此処に来る前、(クローリク)の親子に会ったの」


「……好きなのか?」


「えぇ、大好き! だって小さくて可愛いじゃない。でも、目が合ったら逃げられちゃった」


 「撫でたかったなぁ」と叶わなかった願望を零しながら彼女は少し残念そうに笑った。


(クローリク)は警戒心が強いからな」


「……うん」


 承知しているのは見て取れるが、心では納得していない様子。

 相当心残りだったらしいとライには理解の出来ない感情であったが、それでも彼女の心情を察することくらいは出来た。


(…………)


 しゅんと肩を落とした彼女を横目に思案顔を見せながらライは徐に立ち上がる。


「どうしたの?」


 顔を上げた彼女の問いかけに「すぐ戻る」とだけ答えるとライは前方の茂みの奥へと姿を消した。

 彼が唐突に去るのは珍しい。それ故に彼女の心に不安が募る。

 成人している女が(クローリク)を好きだと恥ずかしげもなく公言したり撫でられなかったからと落ち込んでしまったりと子ども染みたことばかりするものだから呆れられてしまったのではないか、と。


(……このまま戻って来なかったら、どうしよう)


 彼に限って、そんなことはしない。分かっていても信じきれない自分がいる。

 もし、このまま二度と会えなかったら……考えただけで目の奥がツンと痛む。

 ジワジワと潤み始めた目を拭うが、次から次へと溢れ出る涙を全て拭い取ることは出来ない。


 ────ガサッ。


 突然、目の前の茂みが揺れる音がした。

 涙を拭っていた手を止めてライが戻って来たのかと淡い期待を抱きながら顔を上げるが、そこに彼の姿はない。


「……ライ?」


 茂みが揺れるほどの風は吹いていない。さっきの音は確実に何者かによって発されたものだ。

 だが、ライは一向に姿を現さない。あの音を立てたのは彼では無い。……では一体、誰が?

 茂みの奥にいるであろう得体の知れない存在に彼女は反射的に後ずさる。


「そ、そこにいるのは誰?」


 勇気を出して声をかける。返答はない。

 ガサガサと茂みが不自然に揺れる。やはり茂みの奥には何かがいる。

 ガサガサガサッと次第に揺れが激しくなる。


(まさか、また魔物が……っ?!)


 茂みから何かが飛び出した瞬間、女は目を閉じた。

 目を閉じて、数秒経って、何も起こらないと分かると恐る恐る目を開けると、そこには一匹の(クローリク)が。


「あっ!」


 彼女は声を上げた後、我に返ったように意味もなく口を塞ぐ。折角、出て来てくれたのに大声を上げたら驚いて逃げてしまうと思ったからだ。

 ところが、その(クローリク)は彼女をジッと見つめたまま動かない。

 警戒しているのか、それとも初めて見る人間に興味が湧いたのか。(クローリク)の思考など人に理解できるはずも無いが、これはチャンスだと彼女は喉を鳴らした。

 (クローリク)と出来るだけ同じ目線の高さになるように彼女は身を屈め、ゆっくりと手を伸ばす。

 今度は怖がらせないように、慎重に。

 差し出した彼女の指先にそろりと歩み寄った(クローリク)が匂いを嗅ぐために鼻を近付ける。

 フンフンと鼻を小刻みに動かしながら彼女が自分にとって害ある存在かどうかを判別しようとしている。

 その姿にさえ彼女は愛おしさを覚えるが、撫で回したい衝動を抑えて耐えている。ここで欲望を解放してしまったら全てが水の泡だ。

 不意に、(クローリク)が彼女の指を舐める。(クローリク)が彼女を受け入れた瞬間であった。

 指先に擦り寄る姿を見て、彼女の欲望を縛っていた鎖は断ち切れた。

 遠慮がちに頭や背中を撫でると(クローリク)は気持ち良さそうに目を細める。


(か、か、かわっ……可愛い!!)


 柔らかい、しかしながら、命ある者ならではの生温かい感触。それが何より、この状況が都合の良い夢でないことを教えてくれている。


「ねぇ、貴方を抱っこしてみたいのだけど……ダメかしら?」


 答えは返ってこないと分かっているのに思わず尋ねてしまう。

 ここまで心を開いてくれているのに自分の行動で折角の機会を失うことだけは避けたかった。

 (クローリク)は顔を上げて彼女を見つめる。深く鮮やかな紅の瞳。()と同じ瞳の色。

 そこで漸く彼女はライのことを思い出した。

 戻ると言われた以上、ここで待つしかない。一人だと心細いが、今はこの子がいる。

 とは言ったものの、数分、数十分と時間が過ぎてくると流石に心配になる。

 探しに行かなければ。もしかしたら何処かで怪我をして動かなくなっているのかも知れない。


「一緒にいてくれて、ありがとう。でも私、もう行かなきゃ。お友達を探さないといけないから」


 相手は探して欲しいなど思ってないかも知れない。あのまま先に帰った可能性だってある。

 それなら、それで良い。兎に角、無事でいるかどうかだけでも知るために探しに行かなければ。

 せめて最後にと(クローリク)の頭を一撫でしようと手を伸ばすよりも先に(クローリク)は何処かへ走り去ってしまった。

 彼女は、また一人、取り残されてしまった。言いようのない虚しさが指先から手へ、手から腕へ、腕から胸へと広がっていく。


 ────ガサ、ガサッ。


 (クローリク)が去って行った方向の茂みが大きく揺れた。

 茂みを掻き分けながら現れたのは今まさに探しに行こうとしていたライだった。

 ライは立ち上がったまま呆然とした顔をしている彼女を一瞬だけ訝しむように見つめたが、その後は何事も無かったかのように彼女のいる方に向かって歩き始めた。


「……何か、あったのか?」


「え?」


「俺が此処を離れる前は座ってたのに、今は立ってるから」


 ライの言い分に納得した彼女は今からライを探しに行こうとしていたこと、そして先ほど出会った(クローリク)のことを話した。


「それでね、すっごく人懐っこくて可愛かったのよ。貴方と同じ色の目をしていて毛並みは、そうねぇ……貴方の髪の色に似ていたかも」


 深藍色の髪の毛先に指を絡めるように触れながら彼女は、あの(クローリク)の姿を思い浮かべる。


「私、今まで真っ白な(クローリク)しか見たことが無かったから驚いたわ」


「そ、そうか」


 居心地悪そうに身動(みじろ)ぎする彼に違和感を覚えたのも束の間、彼女は自分が大胆なことをしていることを今更ながら自覚した。


「ご、ごめんなさい! 勝手に触っちゃって」


「いや、別に……気にしてない」


 気にしてないと言いながらライは目線を合わせない。

 それだけ不愉快だったのだと解釈した彼女は顔を青褪めながら何度も謝罪の言葉を吐く。


「ごめんなさい、ごめんなさい! 本当に、ごめんなさい!」


「だ、だから、気にしてないと言ってるだろ」


「……じゃあ何で、さっきから目を合わせてくれないの?」


「そ、れは……」


 言葉を探すように言い淀むライを物珍しそうに見つめながら、ひょっとして今の彼は隙だらけなのではと意地悪な閃きを得た彼女は普段からは考えられない素早い動きでライの正面を捉えた。


(あ……)


 彼の顔を見た時、彼女には分かってしまった。言い淀んでいた理由も、頑なに目を合わせようとしなかった理由も。

 色白の肌が頬を中心に熱を帯びている。何故、彼の頬が赤く染まっているのか。それ以上の情報を晒すのは無骨というものだ。

 意外な一面を目の当たりにした彼女はキュッと胸が締め付けられる。

 ライから何度か一緒に暮らしている者が何人かいるという話を聞いたことがあった。その中に女性がいることも。

 だから、てっきり、こういう遣り取りにも慣れているものだと思っていたのに。実際は髪に触れられただけで、この反応。

 (クローリク)の時に感じた愛おしさとは違う。だけど、堪らなく愛おしい。

 矛盾した感情に戸惑いながらも彼女は自分の頬にも熱が集まり始めていることに気が付いていた。

 彼女は心の中でライに謝りながら視線を逸らす。

 これでは彼と同じだ。そうは思ったが、今更無かったことにも空気を変える話題を見つけることも出来ず、ぎこちない空間に身を置くしかなかった。


 ライは、ちらりと彼女を見る。彼女の目線が自分から外れていることに安堵した。

 単に髪を触られたから照れているのだと勘違いされたままで良い。()()()()()()()()、こんな醜態を晒す羽目になっているのだと知られるよりは。

 メラニーとも、キャンディやロゼッタに同じことをされたもしても、ここまで動揺することは無かった。

 相手が彼女というだけで、こんなにも熱く、苦しくなるのかとライは風で頬の熱を冷ましながら冷静に分析していた。

 最近、ふとした時に彼女のことを考えることが多くなった。また明日会えるのに、彼女と別れる瞬間が寂しい。

 以前、ライはメラニーから〝恋〟について色々と話を聞かされていた。

 恋をすると起こる症状や現象。それらの全てが今、ライの身体で起こっている。

 ……いや、まだ一つ確認すべきことが残っている。それを確認しないことには認めるわけにはいかない。

 自分が彼女に惚れていると認めるわけにはいかない。


「……良かったな」


「あ、え、……な、何のこと?」


(クローリク)、今度は撫でられたんだろ」


 いつ(クローリク)の話に戻ったのか。……いいや、違う。あえて話題を戻してくれたのだ。

 言葉に愛想はあまり感じないけれど、本当は優しくて、少し照れ屋な彼。

 もしかしたら、あの(クローリク)も彼が引き合わせてくれたのかも知れない。

 種族の違いなんて、大した問題じゃない。人間であろうと魔族であろうと互いが歩み寄れば、きっと仲良くなれる。自分と彼のように。


「……うん! こんな広い森じゃ難しいかも知れないけど、またあの子に会いたいわ」


 純真無垢な幼子のような、あどけない彼女の笑みを見たライは、いつかのメラニーの言葉を思い出す。


『好きな人の笑顔はね、見てるだけで幸せになれるのよ』


 初めて聞いた時は大袈裟だと思った。だが、今なら分かる。

 何故なら、彼女の笑顔を前にして満たされている自分がいるから。


(そうか、これが……)


 〝誰かを愛する〟ということなのか。

 もうライは認めるしかなかった。自分が彼女に特別な感情を抱いていることに。


「機会があったら貴方にも会わせてあげたいわ」


「恐らく無理だろうな」


「あら、どうして?」


「どうしてって、それは俺が…………いや、やっぱり何でもない」


 まさか、あの(クローリク)の正体が自分だとは言えるもなく、日が落ち始めていたのを良いことにライは村に帰るよう彼女に促した。


 彼女が持てるだけの食糧を籠に入れて渡すと、ライはいつものように彼女を森の入り口で見送った。


「明日も必ず会いに行くわ」


「あぁ、待ってる」


 次回の逢瀬を約束する恋人のような遣り取りに二人は気恥ずかしそうに笑い合う。

 離れたくない。もう少しだけでも一緒にいたい。しかし、容赦なく過ぎゆく時間が、それを許さない。

 

「それじゃ、また明日」


「あぁ、また明日」


 彼女は手を振り、ライは片時も彼女から目を離さなかった。お互いが見えなくなる、その時まで。


 ◇


 彼女が村の異変に気付いたのは帰り着いた直後のことだった。

 日が暮れて夜になろうとしているというのに村の者達が皆、外に出ている。こんなことは祭りでもない限り、滅多にない。


「あ、やっと帰ってきた! 探してたんだよ!」


 彼女を見つけた村人の一人が声を上げると、彼女を取り囲むように村人達が集まる。


「ど、どうしたの?」


「アンタ、今日も例の魔族の男に会ってたんだろ?!」


「え、どうして、それを……?!」


 彼女がライと会っていることを知っているのは幼い弟と幼馴染の女、二人だけだ。


「うちの子が言ってたんだよ。アンタが魔族と会ってるって」


「そんな……話したの?!」


 幼馴染は彼女から目を背ける。もはや改めて確認するまでもなかった。


「お前だな、魔族と会っている娘というのは」


 この村では見ない武装をした男が彼女を見下ろしながら問いかける。


「……だったら、何よ」


 もう言い逃れも出来そうにないと判断し、渋々ながらも認める。


「お前が会っているという魔族ライ・サナタスは我ら人間に害をなす存在だ。我々は、そいつの討伐しに此処まで来た」


「討伐?! 何かの間違いよ!」


「これは決定事項だ。ライ・サナタスは何処にいる? それから、お前が知っている情報を話せ、全てだ」


 素直に場所を教えたらライが殺されてしまう。


「勿論、我々もタダで情報をくれとは言わん。相応の情報には相応の報酬を。村の者達からも既に了承を得ている」


 食糧不足で苦しんでいる村の状況を知った上で彼らは村の者達を報酬という餌で言いくるめたのだ。

 もはや、この場に彼女の味方など一人もいない。

 

(なんて人達なの……!)


 そこまでして彼を苦しめたいのか。


(させないわ、そんなこと)


 だが、武装した相手に太刀打ちできる術など彼女が持ち合わせているはずがない。

 彼女に残された武器は〝抵抗〟と〝黙秘〟。こちらが情報を吐かなければ、どうすることも出来ないはずだ。


「貴方達に話すことなんて何も無いわ。さっさと帰って!」


「……娘よ、これが最後の機会(ラストチャンス)だ。もう一度だけ問おう。ライ・サナタスは何処だ?」


「そうやって脅せば言うことを聞かせられるとでも? 何度訊いたって同じよ。ライは私が守っ、────」





















「あ、ライ様。花瓶に生けていた花が一輪だけ枯れておりましたので処分しておきました」

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